6.何故再婚しないの?
何度目かの舞踏会へ出席した翌日、鏡台の前でブラシを使って髪の毛を整えながらソフィアはさっきまでの舞踏会の様子を思い起こしていた。
ソフィアは付き添い役としてフローラと出席しているが、積極的に殿方とダンスを踊ろうとしていないのだ。
声をかけられれば踊るが、できれば避けたい。そんな感情が伝わってくるのだった。
ソフィアがお相手に失礼になるからと、さりげなくすすめて踊ることもしばしば。
そして、しばらくするともうダンスに誘われても断ってしまうのだった。
ダンスは一度断ってしまうと、断った相手に恥をかかせないように、もう他の殿方と踊ることが出来なくなってしまう。
みすみす誰かと知り合うチャンスを棒に振っているようなフローラの姿に、ソフィアは首を傾げる思いだった。
――今度伯爵にご相談してみましょう。
娘のことは父親に聞くのが良いだろう。
ソフィアは小さく息を吐きだすと、ブラシを鏡台に置いた。
ゆっくりと椅子から立ち上がると、後ろでドレスを選んでいた侍女が思い出したように言った。
「そういえば今日、旦那様のお嬢様ご夫婦がいらっしゃる予定です」
「あら?そうだったかしら?明日じゃなかった?」
最近忙しなくてすっかり忘れていた。
「大変、お料理は用意できるかしら? 私コックと最終打ち合わせした覚えがないわ」
「大丈夫でございますよ。旦那様がもう1週間も前から毎日言っておりましたから、屋敷の全員が準備できております。どんな料理が良いかも旦那様がリクエストしておりました。ソフィア様には自分から伝えるとおっしゃっていましたが……」
ソフィアが忘れたのか、義父が忘れたのか……。
ソフィアは自分の迂闊さに申し訳なさで頬を染める。言い訳をさせてもらえば、ここ数日毎日お茶会や夜会等で外出していたのだ。慣れない事だらけで毎日疲れ切っていたのだ。
「たくさんご馳走を作るとコックが張りきっておりましたよ」
「それは楽しみだわ」
そう答えると、今日のドレスに作ったばかりの薄水色のドレスを指定して、この後の段取りをどうするべきか悩み始めたのだった。
叔母夫婦は夕食前にタウンハウスへやって来た。
初めて会ったけれど、神父をしている叔父は落ち着いていて穏やかそうだったし、長い外国生活のせいなのか些細なことでは動揺もしなそうな度量の広そうな男性だった。
叔母のほうは、明るくよくしゃべる女性で、常に笑っている印象だった。年相応にぽっちゃりとした体形で可愛らしい雰囲気の女性だった。
ソフィアはすぐに夫婦のことが好きになった。
今回隣国から帰って来たのは、新しく空いた教区に叔父が神父として勤めることが決まったからだった。
それが義父の領地の近くで、義父と叔母は抱き合って喜んでいた。ソフィアが知る限り、義父は娘からの手紙を一番の楽しみにしているようだった。貴重な紙を何枚も使い、まめに筆をとっていた。
だから二人が喜びあっている姿にソフィアももらい泣きをしてしまった。
夕食を終えて義父と叔父が遊戯室に消えていくのを見て、ソフィアは叔母を居間に誘った。
食後の軽い飲み物を用意させると、早速待ちきれないとばかりに問いかけた。
「それで叔母様、旅のお話の続きを聞かせてくださいまし」
「さっきまででもうたくさんお話しましたよ」
「いえ、まだ船のことや隣国の王都のお話が聞けていません。それに女性たちはどんなドレスを着ていたのでしょう?」
「ドレスが気になるの?」
「ええ。隣国の王妃のお召し物がこちらでも流行になるんです。高貴な方はどんな衣装を着ていらっしゃるのかしら」
きっととても素敵なドレスですわね。
そう言ってソフィアは自分の想像の及ぶ限り、一番豪華で素敵な衣装を思い浮かべた。きっとパフスリーブの袖はもっと膨らみがあって、ドレスの生地の色ももっと鮮やかなはず。何枚も重ねた裾が風に靡く様子は繊細で優美に違いない……。
冠は磨き上げられた大粒の宝石が銀の細工で飾られている。
すると何か思い出した様子の叔母が声を上げた。
「そうだわ、いい物があるの。ちょっと待っていてね」
客間まで自身の荷物を取りに行くと、そこから一冊の本を持って戻って来た。
ソフィアに手渡す。
「これ、今向こうで流行っている恋愛小説なのよ。挿絵もあるから見てみて。服装も流行の形のままだと思う。口で伝えるよりわかりやすいかと思って」
「恋愛小説ですか? あら、言葉がガレアント語ですのね。私お恥ずかしながらあまり得意じゃないのです……」
「女性で読める人は少ないと思うわ」
「叔母様は読めるんですか?」
「ええ。ずっとガレアントにいましたからね」
「そうなのですね……。あの、よろしければ読み聞かせ願えませんか? 挿絵も素敵なんですが、どうしてこの絵の様子になったのか知りたくて」
「あら、そうよね。なら少しだけ……」
そう言って読み始めてもらったが、流行っているのは伊達ではなく、あっという間にソフィアもこの小説の虜になったのだった。
結局、義父と叔父が遊戯室から戻って来るまでずっと読み上げてもらってしまい、続きが気になるからまた読み聞かせてと約束まで取り付けてしまったのだった。
ガレアントの最新の恋愛物語はフローラもすっかり虜にしてしまっていた。
叔母に物語を読み上げて貰っていた時から、ソフィアはフローラにピッタリだと思ったのだ。
架空の国の姫君と騎士の恋物語。
身分差を超えた二人のロマンスにきっとフローラも夢中になるだろうと思った。だから、叔母が滞在する間本を貸してもらうように頼んだ。
借りている間に、翻訳を進めてフローラと会った時に話してあげようと思ったからだ。
そしてそれは予想以上の成果をあげてしまったらしい。
「ね、ソフィアお姉さま続きを読んで頂戴」
「ごめんなさい。まだここまでしか翻訳できていないのよ」
「そんなぁ。騎士の愛の試練の最中ですのよ。このままじゃ続きが気になってしまってピアノのレッスンに集中できませんわ」
フローラが頬に手をやり大げさに嘆く。
ソフィアも早く続きを読んであげたいのだが、ガレアント語は昔家庭教師に習ったきりだったから、翻訳に時間がかかってしまうのだ。
「なるべく早く翻訳してくるわ」
「お願いね。絶対よ!」
次を読んでもらえる約束を取り付けて、自分を無理やり納得させようとしているフローラ。
まさに叔母に読み聞かせを強請った自分のようだった。
ソフィアは紅茶に手を伸ばしているフローラに微笑みかけた。
「そう言えば階段に肖像画が飾られていたわね。もしかしてフローラのお母様の肖像画もあったのかしら? 栗色の髪の毛でブルーの瞳の美しい方の絵があったから」
「あるわ。私、お母様譲りのこの髪の毛が自慢なの。普通の色だけどね! それからもちろんお父様の緑の瞳も自慢よ」
同じ栗色なのに自慢と言えるフローラを、ソフィアはうらやましく感じた。
「お父様とお母様は夜会で知り合ったそうよ。お母様があまりに美しくて思わずダンスに誘ったことがはじまりなんですって」
夜会の出会いはごく一般的な出会いだ。でも一目見て気になっただなんて、ルーカスから妻になる人はよほど美しく輝いていたに違いない。
「一目ぼれなのね」と返そうとしたとき、ソフィアは自分の脳が最も正しい解答を導きだしたことを悟った。
何故再婚しないの?
ルーカスを知るようになってから何度もよぎった疑問だ。
そんなの、前の奥様を愛しているからに決まっている。
ソフィアの結婚相手が、愛を通い合わせるような相手じゃなかったからその可能性をまるっと抜いてしまっていた。
ソフィアは動揺を悟られないように、口元を上手に弧の形に描いて微笑んだ。
「愛し合って結婚されたなんて素敵だわ」
「ええ、私もお父様とお母様のように愛し合って結婚したいわ。そして可愛い子どもが欲しい」
フローラの天使ような輝く笑顔が、今この瞬間だけは辛かった。
読みに来てくださってありがとうございます。