3.望まぬ来客と嬉しい手紙
騒ぎが聞こえてきたのは、夕方の早い時間だった。
開け放しているドアから誰かが訪ねてきた声が聞こえてきた。執事に任せるつもりだったが、ホールから2階にある義父の寝室にまで聞こえてくる騒動に、胸騒ぎがして階段を下りて行った。
もちろん、眠っている義父を起こさないように、ドアはぴっちりと閉じて行った。
ホールでは騒ぎ立てる女性がいた。
なんだか見覚えがあると思いながら様子を伺っていると、目ざとくソフィアを見つけた女性がわざとらしく大声で話かけてきた。
「まぁまぁ! せっかく見舞いに来たのにここの使用人は客に茶も出せないのかい? 私が女主人になったらお前なんてクビだよ!」
その不愉快な言動で思い出した。
相続人の妻だ。
確か名前はモリア・ホーリン。
なってもいないのに、女主人気取りか!
失礼な言動に怒りが燃え上がるが、こぶしを握り締めて絞り出すように応える。
義父が倒れている今、館の主人になるのは自分なのだ。
毅然とした態度で臨まなければ。
「……先触れもなく来られても困りますわ」
モリアはぽかん、と口を開けて呆けたと思ったら取って付けたように言った。
「先触れ? ええ、したわよ! ちゃんとね。行き違いではないの?」
そんなわけあるか!
先触れの意味も知ってるか怪しいものだ。
怒鳴りたいのをぐぐっと押さえ込む。2階では義父が寝ているのだ。
「とにかくご招待もしていないのに勝手なことは許されませんわ。お帰りください」
モリアは未来の男爵夫人かもしれないが、今はまだただの平民だ。
確か、夫は商人だったはず。
貴族の家に平民が招かれてもいないのに、やって来るなんて礼儀知らずも甚だしい。
しかし、言われていることもわからないらしく、相続人なのだからと言いながらホールから居間へとずかずかと移動していった。
これはまずい。
ソフィアはメイドに目配せをして、若い体格の良い男性使用人を呼びに行かせた。
老執事ではモリアへの威嚇にならないし、無理やり追い出すにしても力が足りなそうだったから。
「タウンハウスっていうから期待したのにずいぶん地味で小さいのね! それに、この絵は辛気くさくて嫌になるわ。もっと居間は明るい絵を飾るべきよ!」
「ホーリン夫人……」
「この家具も古いわねぇ。傷もあるし、新しくしたいわ。本があるけどカードはないの? あら、遊戯室があるわ! ここにあるのかしら?」
「ホーリン夫人、止めてください」
「壁紙も代えたいわぁ」
「ホーリン夫人!」
部屋を不躾に見て回り、好き勝手喋るモリア。ソフィアはとうとう我慢が出来ずに大声を出してしまった。
「何よ。随分と声がお上品だったから全然聞こえなかったわ」
「無作法ですわよ。お帰りください」
くすっと笑ったモリアだったが、部屋の入り口から大柄の使用人男性がやって来るのを見て、鼻を鳴らした。
「お茶がまだ出てないんだけど?」
「お茶はお客様をおもてなしするときに出すものですわ」
今度の嫌みは通じたらしかった。
モリアは顔をしかめて言う。
「はいはい、帰りますよ!」
そして去り際に素早くソフィアに近付くと小声で言った。
「いい修道院でもみつけておくんだね。あぁ、救貧院でもいいかもね」
にやにやと笑うと、モリアは堂々と部屋から出ていったのだった。
まるで嵐が過ぎ去った後のような気持だった。
この屋敷の全員がそう思っただろう。
不安そうなメイド達を見て、ソフィアは努めて明るい声を出した。自分が不安定だと使用人たちにも動揺が広がってしまう。
「ほんとに迷惑な方だったわね! マホガニーの家具、私は大好きよ! 価値が分からない人にはもったいない家具だわ。みんなも騒がせてごめんなさいね。仕事に戻ってちょうだい」
微笑みながらわざと冗談めかして言うと、ソフィアは速足で自室に戻った。侍女が着いてきたがひとりにして欲しいと言って出て行ってもらった。
そしてベッドに飛び込むと声をあげて泣き出した。
次から次へと流れだす涙と泣き声を枕に押し付けて消す。
あの女の言葉がトゲのように突き刺さる。
亡き夫の葬式での出来事も思い出したくもないのに勝手に脳内で再生される。モリアの喜色満面の笑顔! 彼女の夫ホーリン氏のソフィアへの屈辱的な言葉。
愛人にしてやってもいい。
夫人の目を盗み、下卑た笑いを浮かべながらそう言ってきたのだ。
――どうしたらいいの?
今までずっとこんな人生だった。誰かに振り回されるだけの自分の人生。
父、夫……。
今回は大丈夫だったけれど、義父にもしものことがあったら?
あの夫婦の言うように、誰かの愛人になるの? それとも修道院に行くの?
そんなの嫌!
私だって、ひとりの女性として自分の人生を自分で選びたい! 家庭教師? それでもいい。他人の思い通りにされたくない!!
自分は子どもの頃どんなことを考えていたっけ?
――素敵な人と恋をしたい。
そうだ、たった1回だけでいいから恋をしてみたい。
夕食の時間になってソフィアはベッドから起き上がった。服もしわくちゃで髪も崩れてしまった。侍女に声をかけて整えてもらう。
ついでに、冷たい水を持って来てもらって顔を洗うと泣いたおかげもあってスッキリした。
侍女の心配そうな様子に朗らかに応えて食堂に行く。
そういえば、軽食を取っていなかったのですっかりお腹が空いている。しっかり食べて、これからの事を考えないと。ソフィアは自分の前向きな気持ちに自分で驚いていた。さっきの涙が後ろ向きな気持ちまで流してくれたようだった。
――まずは家庭教師の為の伝手ね。せっかく王都にいるのだから久しぶりに友達のところに行きましょう。
普段は領地が離れていてなかなか会えなかったソフィアの親友も、社交シーズンの今なら簡単に会いに行けるはずだ。
ホールから食堂へ入るとソフィアは驚きの声をあげた。
「お義父様! もう起きて大丈夫なのですか?」
「ああ、随分心配をかけたね。この通りだよ」
右手でワインの入ったグラスを振ってみせる。茶目っ気たっぷりに微笑まれてソフィアも苦笑してしまう。
「もう、病み上がりなんですからお酒は少な目にしてくださいよ」
執事を見ると、心得てますと頷きで返された。
椅子に座ると夕食が運ばれてくる。
豚肉を口に運んでいると、ワインとおつまみを食べていた義父から話しかけられた。
「ソフィア、皆にも心配をかけてすまなかったね。実は娘から手紙が来ていてね、急な病に倒れたと聞いて驚いてしまったんだよ。だが今日また娘から手紙がきていて、回復したので予定通りに王都に戻ってこられることになったそうだ」
「まぁ、お元気になられてよかったです! 私もご夫妻に会えるのを楽しみにしていましたの」
にこにこと微笑むと、義父は思い出したように懐から手紙を取り出した。
「そういえばこの手紙も来ていたんだった」
ソフィアは食器をおいて、ワインを口に含む。
「ソフィア、良ければ私の甥の娘の付き添い役になってくれないかね?」
「付き添い役ですか?」
「ああ。妻の方の甥だ。私も彼が子どもの頃に会っただけだったから、妻が亡くなってすっかり縁遠くなってしまっていた。甥に娘がいたのも知らなかったよ」
付き添い役とは、未婚の女性が夜会や舞踏会に出る時に、一緒に着いて行って間違いが起こらないようにする年上の女性のことだった。
しかし、社交界デビュー済なら既に誰かいるのではないだろうか?
「親戚に頼んでいたらしいが、今期は体調が芳しくないとのことで他の人を探しているらしいな」
なるほどと頷く。
夜会に出席は今のソフィアにとって渡りに船のようなものだ。家庭教師としての将来の伝手も作りやすくなるし、ソフィアの新しい目標、「恋をする」も叶えられるかもしれない。もちろん、娘さんの幸せのために頑張らなければならないが、相応しいお相手を探したりするのは彼女の父親がなんとかするだろう。
「私でお力になれることでしたら」
「そうか! よかった! では近く日程を決めてご挨拶に伺おう。私も久しぶりに甥に会いたいからな」
「はい」
「ああ、名前を伝え忘れていたな。ルーカス・ラーディントン伯爵だ。娘はフローラ嬢と言う。可愛らしい名前だな」
「伯爵ですか?」
てっきり男爵家だと思っていた。
そしてラーディントン伯爵……!
社交界で名門と言われる家のひとつに数えられるだろう、古くからある家だった。
そして領地に引きこもりのソフィアでも知っているくらい、滅多に領地から出てこなくて、”社交嫌いで人嫌い”と有名でもある伯爵だった。
もちろん、ソフィアも夜会等で見たことはなかった。まぁ、ソフィア自身も頻繁に夜会に出ていたわけではなかったのだが。
――気難しい方だったらどうしよう?
ソフィアは一抹の不安も覚えたが、伯爵とお知り合いになれるチャンスなんてソフィアの身分ではほぼないだろう。
伯爵家ならかなり有利な伝手も持っているに違いない。子爵家の親友に頼むつもりだったが、あわよくば伯爵家から家庭教師の紹介をしてもらいたい。
ソフィアはますますやる気を出して食事に取り掛かったのだった。




