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2.タウンハウス

 ソフィアが王都に来たのは2年ぶりだった。


 神父と結婚して遠方に行ってしまった義父の娘が、この国の王都に戻って来るということで義父も王都のタウンハウスにしばらくぶりにやってきたのだ。


 ソフィアも義父に、「そろそろ故人を偲ぶ時間は終わりにしてもいいのではないか?」と言われて久しぶりに喪服以外のドレスを着た。


 胸元の高い位置に切り替えがあり、スカートをながしたストンとした形の青いドレス。襟はスクエアカットで、袖はシースルーの生地を何枚も重ねたパフスリーブだ。

 ドレスの裾には刺繍も入っていて、上品で気に入っているデザインだったが、昨日車窓から見た女性たちはもう少し華やかなものを着ているようにも見えた。

 ソフィアが領地の屋敷に引きこもっているうちに、流行が少し変化していたようだった。


「ドレスのお直しもお願いしたいわ」

「そうですね。奥様が以前使われていた仕立て屋に行かれますか?」


 少しややこしいけれど、奥様というのは義父の亡くなった妻のことだ。その侍女だったアリソンさんに、ソフィアも前妻もそのままお願いしている。

 亡くなった男爵夫人と同じ年ごろなので、流行りにも疎く動きもまったりしているが、心根の優しい人でソフィアも嫁いできて右も左もわからない時にもずいぶん支えられてたものだった。

 

 アリソンだけでなく、他の使用人も主な人たちは義父の時代から仕えてくれている人たちが多かった。だから気心が知れている分、どこかのんびりとした雰囲気になっている。

 

「そうね。お義父様の今日の予定はどうだったかしら? 議会に行く時に馬車を使うなら乗せていただきたいわね」

「ええ、ええ。聞いてまいりましょうかねぇ」

「あぁ、大丈夫よ。自分で聞きに行くわ。着いてきてもらうのも他の子に頼むからアリソンさんは休んでいて」


 アリソンさんには申し訳ないが、どう考えても自分で動いたほうが早かった。

 手を伸ばしてアリソンを留める。

 ソフィアが2階の部屋から出て、1階の書斎へ向かうと執事がちょうど届いた手紙を運んでいるところだった。

 

「あら。お義父様にお手紙かしら?」

「ええ。お嬢様から届いておりまして」

「そうなのね。ご夫妻はいつこちらにいらっしゃるのかしら? 私も楽しみだわ。ところで、今日お義父様は外出されるかしら? もしどこかへ行くのなら一緒に乗せてもらえたら嬉しいのだけれど」


 執事は頷き、軽く礼をするとキビキビとした動きで義父の書斎へ入っていった。


 義父の娘夫婦にはソフィアも会ったことがなかった。ソフィアが結婚した時には既に外国に行ってしまっていたからだ。

 つまり義父も、最低でも7年は会っていないのだろう。

 しかし、筆まめらしく定期的に手紙のやり取りはしているようだった。

 両面にぴっちりと規則正しく書かれた文字に、老眼で読むのに苦心していた義父に代って何度か読み上げてあげたのは良い思い出だ。


 亡き夫の妹だから年齢もそれくらいだろうか?

 手紙の文面からは、知的さと人の好さが伝わってきていて、会ったこともないのにソフィアはもう義父の娘のことが好きになっていた。


 食堂で朝食でも食べようかとホールを歩いていると、書斎から執事の慌てるような声が聞こえてきた。

 普段から落ち着いていて、ソフィアの夫が亡くなった時でさえ慌てているのは見たことがなかった。

 そんな人が取り乱している?

 ソフィアは顔色を変え、ドレスの裾をたくし上げて義父のいる書斎に飛び込んだ。


 書斎の中に入ると、ソフィアの恐れていたことが起きていた。


「お義父さま!!」


 胸を押さえて苦しそうに呻く義父の姿があった。

 執事に身体を支えらえている。

 うろたえ、よろめくソフィアだったが、どうにか声を絞り出した。

 

「お、お医者様をお呼びするわ!」

「いえ、私が呼びますのでソフィア様は旦那様についていてください」


 王都のかかりつけ医を呼ぶのだ。普段連絡を取らないソフィアよりも執事が呼んだ方が早かった。

 

 ソフィアはがくがくと人形のように頷いた。

 そして他に集まって来た使用人になんとか指示を出しながら、震える手で義父の背中を撫で続けたのだった。





 医者の見送りを執事に頼み、ソフィアは義父の部屋で椅子に腰かけながらぐったりとしていた。

 見立てでは、心労による負荷から倒れたのでは? ということだった。それから年齢も年齢なので、先日までの長旅で疲れていたのだろうとも。

 とにかく今は身体を休めることが一番の薬だと言って、医者は帰っていった。

 何もなくてよかったけれど、ソフィアが倒れている義父を見た時の恐怖は想像を超えるものだった。

 自分の心臓も止まるのではないかと思ったくらい。


 ――いっそのこと、本当に私の心臓なんて止まってしまったほうが幸せだったかもしれないけれどね。


 男爵家を追い出されて家庭教師として生きている自分は想像がつかなかった。

 そして生憎、ソフィアの健康な心臓は今でも力強く鼓動を刻んでいる。

 

 ソフィアはベッドの上で眠っている義父を見ながら呟く。

 

「お義父さま、紳士クラブに行くのも楽しみにしてらしたのに」

「すぐにお元気になられますよ。ソフィア様もお疲れでしょう、ここは私たちに任せてお休みくださいませ。お夕食はお部屋にお持ちしましょうか?」


 使用人にそう言われて、そうかもうそんな時間だったか、と思い出した。

 道理で部屋が薄暗いわけだ。

 ふと窓にまだカーテンが引かれていないのが気にかかり、重いカーテンを引っ張る。するとすぐに執事がそっとソフィアの手からカーテンを取り上げた。

 このまま義父の看病を続けたい気持ちもあるけれど、ソフィアもぐったりと疲れていた。


「ええ……。そうね……お義父様のことをよろしくね。食事は、そうね。軽い物が何かあったらお願い……。ああ、部屋は寒くないかしら?薪は私の部屋の物を使っても大丈夫だから、必要だったら持って行ってちょうだいね」

 

 そう言って、ゆっくりとした足取りで部屋へと戻っていった。


 ベッドに倒れこむと、ソフィアはドレスが皺になるのも構わずに膝を抱えて丸くなった。


 本当に恐れていた日が起きたのかと思ってしまった。

 義父のことは尊敬している。けれど、その義父を心配する以上に自分のことで頭がいっぱいになってしまった。

 辛く苦しんでいる人がそこにいるのに!


 ソフィアは自分に対して、情けなさのような嫌悪感が湧き上がってくるのを止める事ができなかった。





 翌日身支度を整えると執事と一緒に義父の様子を見に行った。

 顔色もよく安定しているようだった。


「昨日の夜に目を覚まされました。すぐに眠ってしまわれましたが、意識もはっきりしておりましたのですぐにでも元気になられると思いますよ」

「良かった! ブラウンさん一晩中お義父様についていてくれたのかしら? ありがとう。あなたも休んでね。お義父様が目覚めて、あなたが倒れてしまったら嘆き悲しむわ」


 その言葉に執事は目じりを下げて微笑んだ。


「看病を代わりましょう」

 

 執事は頭を下げて礼を取ると、使用人に指示を出すと言って部屋を出て行った。

 

 ソフィアは自室から針と糸を持ってくると、義父を見守りながら刺繍を始めたのだった。

 

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