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1.ソフィアの身の上

 夫が亡くなったのは2年前だ。

 

 ソフィアは義父の領地から王都にある小さなタウンハウスへと向かう馬車の中で、榛色の瞳に映る景色をぼんやりと見ながらこれまでのことを振り返っていた。




 

 生まれは小さな領地もちの男爵家だった。父親譲りの榛色の瞳と、母親譲りの栗色の髪の毛を持つ、どこにでもいるような平凡な女の子だった。父親と母と3人で仲良く暮らしていたが、流れが変わったのはソフィアが5歳の時に父が事故で亡くなってからだ。

 

 この国では女性は相続人になれない。

 

 父の爵位と資産はまるっと父の弟である相続人に引き継がれることとなった。そこで母は、男爵家の相続人である父の弟と再婚をすることにしたのだ。

 

 ソフィアを生んだとはいえ、まだまだ衰えぬ美しさに新しい父はまんざらでもない様子で、母も弟として扱っていた男性を夫と呼ぶのに全く抵抗がないように見えた。

 実際、抵抗もなかったのかもしれない。再婚するとすぐに立て続けに弟と妹が2人の、合計3人の子どもに恵まれた。

 賑やかな幼子たちの泣き声は、あっという間にソフィアの父の気配をカントリーハウスからかき消したのだった。


 それを寂しく思ったけれど、いつまでも亡き父を思って泣いていては母の立場も悪くなる。それに、その当時はまだソフィアも夢見る子どもだったから、自分の結婚にも夢を見ていた。

 資産は少なくても、お互いに愛し合える男性と出会えたら。もしも男爵家よりも格上の方だったらとても素敵なのに!

 そんなことを夢見ていた。

 けれど少女時代のソフィアを唯一慰めていた夢さえも、17歳の時に社交界デビューをしてすぐに打ち砕かれることになった。


 ソフィアが夜会で素敵な男性とお知り合いになる前に、さっさと新しい父が夫になる人を見つけてきてしまったのだった。

 ソフィアの後には彼の実子の弟と妹たちがいる。ソフィアの持参金はなるべく抑えて嫁がせ、弟の大学費用や妹たちの持参金に回したかったのだろう。


 夫はソフィアと親子ほどにも年が離れている男だった。

 それはまだいい。そんな夫婦でも愛情でつながれることはあるはずだと思うから。


 初めて引き合わされた日、夫はじろじろと舐めるようにソフィアをいろいろな角度から眺めた。病気がないかどうか、身体は健康かを聞かれた。

 彼の関心事は、どうやら自身の息子を産める若く健康な女性かどうかということのみのようだった。

 この時ほど自分が健康で病気知らずだったことを嘆いたことはなかった。


 今すぐ持病の癪で倒れてしまいたかった。

 だが、ソフィアには持病もなければ、気を失ったことも人生で一度もないのだった。

 

 お眼鏡に適ったらしく、すぐに父と相談をし始めた。

 持参金はいくらで、式はどうするか。

 ソフィア自身の意見なんて求めていないのだ。ソフィアは自分の心が急速に枯れていくのがわかった。

 先妻を亡くしたばかりなのに、すぐに次の妻を探している姿にも好意なんて持てそうになかった。

 そう思っていた最初の印象も、結局夫が死ぬまで変わることはなかった。


 夫はソフィアの事に関心を向けることもなく、貴族としての義務を果たす時にのみ顔を合わせるような生活になったのだった。

 

 ――あの男の唯一の良いところは、人格者の父を持っていたことぐらいね。


 ああ、義父がいたから夫が産まれたのか。背の高いところも夫の長所だったわね。そういえばそれも義父から受け継いだものだったか。


 眠っているのを良いことに、ソフィアは馬車の対面に座っている義父を無遠慮に眺めた。

 

 領地から王都までかなり遠い。馬車で何日もかかるし、昨日、一昨日は宿屋に泊まったのだ。慣れない旅路で疲れてしまったのだろう。

 髪の毛は白とグレーが入り交じり、積み重ねた皺が年月となって肌に刻まれている。

 背は夫と同じように高かったけれど、夫よりもずっと性格は穏やかで勤勉。少し皮肉屋だがユーモラスがあって楽しい人だった。

 

 領地の経営にも熱心で、よく農地の視察も行っていた。当然、領民の人気も高く、ソフィアも慈善活動で領地の教会や村へ行った時には養父のおかげで好意的に迎えてもらえたものだった。

 妻を早くに亡くしてしまってからも、義父は後妻を持たず領地の経営と王都では議会に出席と忙しく過ごしていた。

 

 夫はソフィアとの結婚を勝手に進めていたらしく、義父が長期に留守にしている間にまとめてきてしまっていたらしい。

 嫁いできてしまったものを帰すわけにもいかない。

 義父は驚きつつも、後妻として嫁いできたソフィアのことも、本当の娘のように可愛がってくれたものだった。

 

 ――本当にこんな素敵な方の血を夫が受け継いでいるなんて思えないわ。


 そしてそんな尊敬する義父の血を後世に残すことができなかった。

 

 ソフィアには子どもがいないのだ。

 ソフィアだけじゃない、前妻の間にも子はいなかった。それに、夫のお気に入りのオペラ歌手やメイドにも。もはやその理由は推して知るべしだ。


 嫡出子がいない。

 これは限嗣相続(げんしそうぞく)が定められていたこの国で、将来義父が亡くなった時にソフィアにとって辛い現実があるということが定められていた。

 

 義父の爵位と資産は、義父の従兄の息子に全て受け継がれることになっていた。


 亡き夫の葬式の際に会ったけれど、控えめに言って不愉快な男性だった。そして妻のほうも!

 年齢は夫と同じくらいか少し年下に見えた。男性の方は喪服に身を包んだソフィアをニヤニヤと眺め、まるで蛇のようにねばっこい視線を送ってきていた。

 その妻は、ソフィアが本当に妊娠していないのかをしつこいくらい親戚の前で聞いてきたのだった。


 そして本当に妊娠していないと納得できると、そそくさと夫の元へ戻りその報告を喜色満面に、でも声は押さえてしたのだった。


 義父が亡くなったら? は、2年前からずっとソフィアの頭を悩ませている事柄だった。

 

 貴族女性のソフィアに残された道は、どこかの子女の家庭教師として働くことくらいだろう。

 中には実家に戻る女性もいるが、ソフィアには実家から戻ってきても居場所はないと遠まわしに言われた手紙をすでに受け取っている。

 

 そうなると残りは再婚か。


 ――もう2回も相続に振り回されて、また誰かの庇護を受ける暮らしを選ぶの?


 どちらにしても、ソフィアには石ころでも飲み込んだような暗鬱とした気持ちになるだけだった。


 目線を窓の外に向けると、既に街の中に入ったようで舗装された道路になっていた。

 シンプルだが美しく並んだ街並みは田舎にはないものだった。


 ソフィアは綿の手袋に包まれた両手で、帽子を直して気持ちを切り替えるように深く深呼吸をした。


 そのタイミングで石ころを踏んだのか大きく馬車が揺れて、グゥッと変な声が漏れてしまった。

 慌てて口を塞ぐが遅かった。


 義父がうっすらと目を開き、寝起きのぼんやりとした声で呟いた。

 

「ん?もう着いたのかな?」

「もうすぐですわ、お義父様」


 ソフィアはごまかすように微笑みながら答える。

 義父は、ステッキを持ち直し、トップハットを被り直すと窓から見える王都の景色に目を細めながら楽し気に言った。

 

「こちらはもうすっかり春のようだね」

「ええ。公園を散歩できるのが楽しみです」

「ソフィアは王都へあまり来た事がないだろう。せっかくだからいる間に流行りの観劇でも見に行こうか」


 義父の提案は、考え込んで塞いでいたソフィアの気持ちを少し明るくしたのだった。

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