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石と誰かの物語

光る石、それは・・・・・・

作者: 河 美子

 教師だった祖母と二人暮らしだった。

 あまり買ってくれとねだることはない子どもだった。

 祖母が聞き分けのない子を嫌うのが分かっていたから。

「花梨、お前はいい子だね。勉強もよくできるしおばあちゃんは鼻が高いよ」

「うん。お勉強大好き」

 確かに勉強は嫌いではないが、そう楽しいものでもなかった。私はいわゆる『いい子』だったのだ。

 あれは、両親が妹の入園式に出かけた日だった。私は学校から帰ると近所のピアノ教室に出かけた。帰りは祖母の家で待っているといういつもの火曜日だった。

 妹の麗華は前の日から通園バッグや幼稚園の制服を自慢げに見せていた。父は二人をよく膝に乗せて本を読んでくれた。母は歌が好きで何をするときも鼻歌だった。掃除も料理も洗濯も。そして何よりも母はお弁当を作るのが最高に上手だった。

 キャラクターの顔のおにぎりは友だちに羨ましがられた。そんな楽しかった日々はあの事故で失われた。

三人が乗った乗用車に居眠り運転のトラックが追突。あの日から感情はさらさらと起伏のないものになっていくようだった。一人暮らしだった父方の祖母が九歳の私を引き取ってくれた。母方の祖母は息子夫婦と同居していた。母方の祖母に引き取ってほしかった。でも、私はいい子。祖母の涙の向こうに見える息子夫婦への遠慮。

 初七日がすみ、残った親戚で私の荷造りが行われた。

「花梨ちゃん、いつでも来ていいのよ」

 じゃ、連れて行ってと言いたかった。頭をなでる祖母の手を握っていたかった。そういうわけにはいかないのだ。その様子を見ていたのが父方の祖母。

「花梨、私と暮らすことになるけど」

 眼鏡の奥に困惑している祖母がいた。父のお母さんなんだと思うけど、いつも仕事で忙しかった祖母のところへはあまり行かなかった。盆と暮れに会いに行くだけだった。

 祖母は定年まで勤めるはずだった学校を孫のために二年前倒しで退職した。

 真面目な祖母はプリント一枚に至るまで詳しく読み、連絡帳には必ず押印した。私の境遇を気の毒がって担任は優しかった。転校してきた一人ぼっちの少女。どう扱っていいのか、祖母と同じように困惑していたのだろう。遠足のお菓子も友だちと買いに行くことはできずに、祖母とスーパーで買った。

「これは?」

 祖母が手に取るものはせんべいとか大きなチョコ。私はグミやスナック菓子がほしかった。一つ選んでカゴへ入れると、祖母は人工着色料が入ってると言って棚に戻した。

 そうなんだ。

 お菓子はもうどうでもよくなった。

 お弁当もまずくはないけど。整然と並んだ卵焼きにちくわの煮つけ、から揚げにミニトマト。でも、母はどこかに遊びがあった。おにぎりにはキャラクターの顔、から揚げの飾りなど。友だちが羨むようなお弁当。

「おばあちゃん、おいしかったよ」

「そう、よかった」

 にっこり笑って、その日の朝作ったお弁当と同じメニューが夜に出た。合理的なのだ。でも、それを食べながら遠足の話はできなかった。

 ある日、玄関に入ろうとしたときに呼び止められたのだ。

「花梨ちゃん」

 懐かしい声。

 母方の祖母が様子を見に来てくれたのだった。

「おばあちゃん」

 抱きついてただただ抱きしめてなぜか泣いていた。声を上げて。

「花梨ちゃん、どうしたの」

 その様子を窓から見た祖母。

 そっとカーテンを握りしめた。

 こみ上げる思いは、やがて嫉妬の炎となった。

 その夜、祖母は帰って行った。残された二人。

「花梨、なんで泣いたの」

「え? わかんない」

「何が不服なの」

「・・・・・」

 答えられなかった。祖母はエプロンをつかむと洗い物を始めた。音を立てながら、花梨の茶碗が割れた。

「おばあちゃん、手伝う」

「いいよ、風呂にでも入りなさい」

 背中が怒っていた。

 胸が張り裂けそうだった。

 風呂に頭もすっぽり入って泣いた。こうすれば誰にも気づかれない。誰にも。


 

 「どうしました」

 白衣のドクターは優しく花梨に聞く。

 花梨は無表情だった。

「孫が口がきけなくなりました」

 祖母はおろおろしながら話した。

「いつからですか」

「だんだん口数が減ったとは思っていたんですが、ここ二週間は学校でも何もしゃべらない様子で先生が・・・」

 ドクターはいろいろと調べたが機能的には問題が無いようだと話した。

「小児心療内科の細川先生に診てもらいましょう」

 祖母は自分が悪かったといろいろと先生に話していたが、花梨には何も聞こえてないようだった。聞きたくない話はいつの間にか耳に入らなくなっていたのだ。

 花梨はプレイルームでおもちゃや本やトランポリンがある部屋でも座っているだけだった。

 どうしてここにいるのかということにも興味はないようだった。花梨の心は完全に閉ざされていた。祖母は冷たい人ではないのだろうが、不器用な人で、しかも息子一家の死を受け入れることは困難だったのだろう。花梨も祖母も同じように思えた。ただ、純粋な子どもは絶対的に甘えられる存在が消えた時、生きるすべを失ってしまう。

 まして、いろいろと思いめぐらせることができる子どもは、より複雑な症状が表れることが多い。でも、まだ九歳なのだ。

 細川先生のネックレスはキラキラと光っていた。

 ふと、花梨は手を伸ばして触っていた。

 目は石に吸い寄せられていくようだった。

「きれいでしょ、花梨ちゃん」

 黙ったままだが、花梨は光にかざそうとする。細川先生は首から外して花梨の首にかける。

「これはルチルクォーツっていうのよ」

 花梨は嬉しそうに頬で触っていた。

「ママ」

 ふと、出た言葉。

 祖母は思い出した。嫁のペンダントにあった。息子が結婚の前にも後にもこれしかくれたことがないと言っていた。でも、お気に入りだと。その話を聞いていた細川先生は静かにうなずいていた。

「この石はね、マイナスのパワーから守ってくれるのよ。金運も上がるって言うけど、それはどうかな」

 細川先生は笑いながら話す。

「ママ」

 花梨はやがてぽろぽろと涙を流し始めた。

 祖母は花梨を抱きしめた。

「そうよね、ママのペンダントも同じだったね」

 優しかった母親のことも、父の膝を思い出すことも、妹の可愛い口げんかもすべてすべて思い出さなかった。思い出そうともしなかった花梨。今、心からあふれ出してくる。

 細川先生はいずれ元に戻るだろうけれど、ゆっくり待ってくださいと話した。

 

 病院の帰り道、祖母と二人で久しぶりに帰った我が家。

 祖母はカーテンを開けて、部屋の空気を入れ替える。花梨は寝室のクローゼットの引き出しを開けた。そこには宝石などはなくて、あのルチルクォーツのペンダントだけがポーチに入っていた。一つしかなかった真珠のネックレスはあの日トラックの周りで飛び散っていた。ポーチに残されたのはこのペンダント。

 でも、これが好きだった。

 祖母は花梨の首に掛けてくれた。

「きれいね。花梨」

 祖母はアルバムを出してきて花梨を膝に乗せて見始めた。

「ほら、これはパパの結婚式。ママはきれいだけど、パパは緊張して顔が引きつってるわ。手が震えて三々九度で落とさないかとハラハラしたのよ」

「パパ」

「そうよ。ここはあなたが傷つくと思って閉めてきたけど、ここに住みましょうか」

 家族の写真が出てきた。麗華と手をつないで楽しんだテーマパーク。

「麗華、麗華」

 写真を抱きしめながら号泣する花梨。

 可愛かった妹。

 すべてを思い出したかのようだった。



 あれから二十年。

 今日は結婚式。

「きれいだねえ、花梨」

「そうよ、世界一でしょ」

「まあ、自分で言うの」

 みんなが笑う。

 祖母は最近よく忘れる。今朝も眼鏡を探して式場に遅れそうになった。

 母方の祖母は認知症になって施設に入っている。それでも、顔を出すとお小遣いをくれると言う。しかもこっそりと。かわいそうにと言いながら抱きしめてくれる。五分もすれば誰だっけと言われるけど。

「はい、これも付けなさい」

 渡されたルチルクォーツ。

 ゴージャスなネックレスに重ねる。美容師さんはそれは外した方がというが、形見ですからというと、黙って付けてくれた。

「おばあちゃん、今までありがとう。明日からもよろしく」


 そう、祖母と一緒にあの家で暮らす。新婚のためにと祖母がリフォームしてくれた。優しい彼は同居を提案してくれた。

「この石はすごいね。本当に金運もあるんだわ」

 祖母は笑いながら金運は私だけどねと言っていた。


 今日はルチルクォーツがさらに光っているみたい。



 

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