午前5時、コンビニ前
美味し―ヤミー感謝感謝
季節はもう冬を目の前にした秋だった。
空気はあの夏にあった湿っぽさは消え、冷たく凍えていた。だが、厚着をする必要はなく、パーカー1つ着込めば十分な温かさだった。
「さっむ」
それでも、その冷たい空気に触れたら反射的に口から漏れ出てしまう。
はぁー、と息を吐く。気温は10度前後。もちろん、息は白くならない。けれど、寒いとどうしても試してしまうのは冬の訪れを感じさせた。
午前5時。外は暗い。つい先月まではもう太陽が上がっていたのに、今日はまだ見えない。だが、雲間から見える空は少しずつ青みを帯びており、夜明けを感じさせる。
今日は無駄に早く起きてしまった。いつもは6時半に起きるところ、昨日の深酒で目が早くに覚めてしまった。頭は昨日の酒が残りガンガンと痛む。冷たい空気が痛み止めのように和らぐ。
なんだかんだ、俺はこの時間が好きだった。
酒を飲みすぎた日は決まって早く起きて、早くに外を出る。特にこの時期は最高だった。夏は暑く、冬は寒すぎる。この時期にしか味わえない気温。日本人は大抵この時期が好きなのだろうと思う。
アスファルトを蹴る。目的地は家から数分にあるコンビニだ。この距離が丁度よい眠気覚ましになる。
この時間はまだ街が寝静まっている。時折、ジョギングやウォーキングをしている人とすれ違うくらい。まるでここが東京でないかのように感じる。
カァーとカラスが鳴いた。鳴き声の方を見やる。そこにはまだ点灯している街灯の上に一匹のカラスが立っていた。
俺はそのカラスに軽い会釈をして横を通った。なぜだか、そのカラスがこの街の主に思えたからだった。人のいなくなった街の支配者は多分きっと彼らになるのだろう。そう思えた。
そうこうしているうちに、目的のコンビニに辿り着いた。特に買う物を決めてないが、この時間にコンビニに行きたくなるのは俺だけなのだろうか。
陳列されたパンや惣菜、弁当、飲み物をぼんやりと眺める。どれもこれも魅力的ではあったが、今の胃の調子だと弁当はありえない。ならばと思い、菓子パンを1つと缶コーヒーを1つ取った。もちろんコーヒーは砂糖ミルク入り。いつになってもブラックは口に合わなかった。
レジをきょろきょろと見回すが、どうやら店員は裏で作業しているようだった。しかし、現代はとても便利であり、セルフレジが設置されている。自分で菓子パンと缶コーヒーのバーコードをスキャンし、クレジットカードで支払いを済ませる。
たった1人のコンビニ。電気も商品もあるのに、なんだか災害で誰もいなくなったように感じた。
コンビニを出ると、またあの冷たい空気が肌を刺した。
「さっむ」
手に持った缶コーヒーは更に冷たく感じる。店内が暖かいせいで外が寒いのをすっかり忘れていた。
俺はその冷たい缶コーヒーを開け、コンビニに敷設されたベンチへと座った。
菓子パンを開け、一口含んだ。甘いクリームが口いっぱいに広がる。それを缶コーヒーの甘さで流し込む。
「ふぅ……」
ものの1分で全てを平らげてしまった。
立ち上がって、くしゃくしゃになったビニール袋と空き缶をゴミ箱へ捨てる。
もう帰ろうと思ったが、突然ブブッとスマホが震えた。ポケットから取り出してみると、そこにはくだらないSNSの通知があった。
「今の話題はこれ」という文面にその一覧が並ぶスマホ。でも、なぜだか俺はその通知を開いてしまった。
中にはやはりくだらない内容ばかりが並んでおり、その話題に触れる暇な人達が並んでいた。
少し後悔しながら、スマホを閉じようと思った。が、ホーム画面に戻った時にそのアプリに目が付いた。
緑色のチャットアプリ。今や全員が使っているSNS。俺はそのアプリを起動してしまった。
開かれたアプリには大量のチャット履歴が並んでいた。そして一番上。最後に会話した人物の名前があった。
夏織。
彼女、いや元カノの名前だった。
彼女との会話履歴を開いた。最後にやり取りをしたのは昨日の午後5時。
「今日は早めに仕事が終わった。今から帰るよ」
家に着くと、そこには知らない男と夏織が裸で寝ていた。
ああ、これが浮気現場というやつなのかと、その時達観して見ていた。
俺はその現場を見て、固まって、動揺して、謝った。
だが、夏織は言った。
「なんで謝るの!?そういうところだよ!」
俺は彼女を怒らせてしまったようだった。
そしてすぐ、夏織と男は服を着て家から出て行った。
俺はその時わからなかった。
彼女を怒らせた理由も浮気をされた理由も。
でも、1人になった1Kの部屋に取り残されて安い酒を飲んで、頭が痛くなってようやくわかった。
俺は彼女のことを見ていなかったらしい。
最後に2人で喧嘩したのは大学の時。それからの俺はもう彼女を怒らせるのを嫌って、すぐに謝るようになった。彼女の言うことを全て受け入れるようになった。
最後に2人で旅行に行ったのも大学の卒業前。最後にした行為も数ヶ月前。最後に彼女に触れたのはいつだっけ。
俺はずっと1人だった。
カァーとカラスが鳴いた。それはまるで朝を告げるニワトリのようで。それは今日も日常が始まることを告げる神のようだった。
「よし」
俺は立ち上がり、空を見た。青みがかった空は少しずつオレンジ色に着色されていた。
もうすぐ電車が動く。もうすぐ人が起き始める。もうすぐ平日が始まる。
今日も仕事だ。
俺は家に帰って身支度を整えることにした。