王弟殿下、突如として狼化体質となり、部下になる予定の女性に拾われ、飼われそうになる!?(※フェンリル騎士隊のたぐいまれなるモフモフ事情 ~異動先の上司が犬でした~スピンオフ)
ラオウル・デ・アーベンフロート――王弟であり、国王近衛部隊の隊長を務める男である。
一番上の兄は国王陛下、二番目の兄はフェンリル公爵家の先代当主、彼自身は国王に次ぐ権威ある名家、アーベンフロート大公家の当主であった。
三十歳と若年ながら騎士達をよくまとめ、騎士達だけでなく、国民からの尊敬を集める男である。
身長は六フィート二インチ(百八十八センチ)あり、全身しなやかな筋肉がついているものの、服の上からだとよくわからない。
母譲りの蜂蜜色の美しい髪は、太陽の光を浴びていないのに輝き、どこを歩いていても目を引く。
なんといっても、芸術品のように整った美貌が人々を夢中にさせるのだ。
弱き者には優しく、悪人には悪魔のような強さを見せる。
正義感に溢れた男であったが、ある欠点があった。
それは、女性に苦手意識があるということ。
これまで彼に近付く女性の多くは、野心家だったり、財産狙いだったり、大公の妻という地位が目的だったり――裏があったのだ。
妻となる女性は、政略的な意味で選ばないといけない。わかっていたが、どうにも気が進まなかったのだ。
そんな中で、ある事件が起こる。
とある夜会で、ラオウルは誰かとダンスを踊らなくてはいけなかった。誰を選ぼうか、と視線を会場に向けた瞬間、女性陣が取っ組み合いの喧嘩を始めたのだ。
自分がラオウルと踊るのだ、とライバル女性を物理的に蹴落としたのである。
その騒ぎ以降、ラオウルは女性に恐怖心を抱くようになった。
そろそろ妻を決めたほうがいいだろうか――と国王陛下である兄に相談したところ、「無理にしなくてもいいんじゃないか?」なんて甘いことを言いだしたのだ。
政略的な結婚は、国王陛下の息子や娘がする。だから気にするな、と逆に励まされたのだ。
そんなわけで、ラオウルは三十歳になるまで、独身を貫いていたというわけである。
以降、姿を隠すように常に夜の警備に就き、人目につくのを避け、女性と接触する場には近寄らず、視界にも入れない。
徹底的に女性を自らの人生から排除したのだ。
それなのに、それなのに。
彼に災難が降りかかる。それは国王陛下が命じた、ミリー・トールという、女性騎士の異動であった。
女性が、この部隊にやってくる。ラオウルは頭を抱え込んだ。
なんでも国を恐怖に陥れた、狼魔女の討伐に参加した、勇敢な騎士らしい。
それが男性であれば、喜んで受け入れるのだが、ミリー・トールは女性だった。
「隊長、女性の全てが、隊長に気があって、妻になりたいと思うわけではないのですよ。とてつもなく自意識過剰です。ミリー・トールは三十二歳になるまで独身で、浮いた話もなかったそうです。そんな女性が、今さら結婚なんて望むのでしょうか?」
「う、うるさい!!」
部下の戯れ言を聞き流し、ラオウルはどうしたものかと考える。
「隊長、幸いにも明日はお休みですし、こういうときは、パーッと飲みましょう。嫌なことは、酒を飲んで忘れるのですよ! 実は今日、ミリー・トール配属の前祝いとして、酒場を貸し切ってするのですが」
「なぜ、本人が配属されていないのに、酒を飲むのだ?」
「いや、まあ、飲む名目が欲しいだけですよね」
「ばかな!」
なんて言っていたが、どうにも気持ちが治まらなかったラオウルは、飲み会に参加したのだった。
会場である酒場に向かうと、騎士達はすでにできあがっていた。
ラオウルか誰かわかっていない者もいて、雑に扱われる。
「誇り高き騎士とは思えん、下品な飲み方だ」
「皆、家では上品に飲まないといけないので、ここでは許してくださいよ」
騎士達は皆、家では妻に支配されているらしい。結婚とは恐ろしいものだと思ってしまう。
「さあさあ、隊長もたくさん飲んでください!」
最初はちびちび飲んでいたラオウルであったが、だんだんと場の雰囲気に飲まれ、しこたまワインを飲んでしまった。
結果、夜明けまで飲んでしまったわけである。
気がつけば、ラオウルはひとりで街中をふらふら歩いていた。
部下はどこかに落としてきてしまったようだ。
白みがかった空に、太陽が顔を覗かせる。それを見た瞬間、どくん! と胸が大きく跳ねた。
突然、目眩を覚え、全身がじくじくと痛み始める。経験したことのない痛みに襲われた。
「う……!」
幼少期の訓練中に負った骨折よりも強い痛みだったので、これは死を招く発作なのではないか、と察した。
王族である身が、酒に酔い、のたれ死ぬなどあってはならない。
即座に判断したラオウルは、近くの茂みに姿を隠す。
「はあ、はあ、はあ――」
荒い息をあげながら、ラオウルは祈る。
次に生まれ変われるのならば、平凡な家柄で、平凡な顔を持つ者に生まれたい、と。
あと、二度と、女性に絡まれたくない、と必死に願った。
◇◇◇
「おい、おい、大丈夫か?」
ゆさゆさ、ゆさゆさとラオウルの体を激しく揺らす者がいた。
王族相手に、いささか乱暴な起こし方である。
うっすら瞳をあけると、すでに太陽が高く昇っていることに気付いてギョッとする。
記憶が曖昧なのだが、昨晩、道ばたで倒れ、そのまま朝を迎えていたようだ。
「お前、どこから来たんだ?」
あまりにも気安く声をかけるので、ラオウルは憤りながら、抗議の声をあげた。
「わうわう、わううう、わうわうわう!(私は国王陛下の誇り高い近衛騎士、ラオウルであるぞ)」
何か、声がおかしい。発音がまるでなっていなかった。
げほん、げほんと咳払いし、もう一度発する。
「わうわう、わう(我はラオウル)――わう!?」
言葉をまったく発していないことに気づき、思考が停止する。
酒を飲み過ぎて、呂律が回っていないのか。
ひとまず、ここは人の邪魔になる場所なのだろう。そう思い、上体を起こしたのだが、ばさり、と着ていた上着が体を滑って落ちていく。
この服は平民の変装用に選んだ服だったのだが、なぜ、脱いでいるのか。
酔っ払った挙げ句、暑くなって脱いでしまったのか。
慌てて服をかき集めようとしたが、自分の手から腕にかけておかしなことに気付いた。
毛むくじゃらで、指先と腕の関節がなくなっている。
「わ、わううう!?(こ、これはいったい!?)」
おかしいのはそこだけではない。全身、毛深くなっていたのだ。
さらに、四つん這いのまま立ち上がれず、臀部には妙な感覚がある。振り返ると、ふかふかの尻尾が生えていた。
頭にも手を伸ばしてみる。ぴょこんと立った耳が生えていた。
それから突き出た鼻先に、ぷにぷにの肉球、爪の形など、自分の姿を触れて確認する。
そこから、ある生き物であることを確信した。
「わううう、わうううう(もしかして、もしかして)――」
私、犬になってる!?
叫ぼうとしたら、遠吠えのような声が出てしまった。
よりにもよって、なぜ犬なのか。彼は女性の次に、犬が嫌いなのだ。
いったいどうして、このような姿になってしまったのか。甥である、ディートリヒではあるまいし、などと考え込む。
ラオウルの甥である現フェンリル公爵ディートリヒは、幼少期から犬の姿になる呪いを受けていた。
ラオウルにとっては愛らしい甥だったものの、犬の姿のせいで長年近寄れなかったのだ。
ただ、あの呪いは狼魔女がかけたもので、同じものだとは思えない。
頭を抱えたいのに、犬の体ではどうにもならなかった。
「うーむ。フェンリル公かと思ったのだが、微妙に顔付きが違うな。こちらのほうが、精悍だ。それに毛色も異なる」
落ち着いた、艶のある声の持ち主にハッとなる。
顔を上げると、前髪を横に流した、口元にほくろがある色っぽい雰囲気の青年の姿があった。紺色の軍服を着ており、隊長の身分を示す飾緒を付けていたのでギョッとした。騎士隊関係者である。しかしながら、彼の顔に覚えはない。
彼が、倒れていたラオウルを介抱していたようである。
見ず知らずの犬を、よく助けたものだ、と内心感心してしまった。
「これは貴族の飼い犬なのだろうな。かなり毛並みがいい」
そう言って、青年はラオウルの背中を撫でる。
「わ、わおおおおん!」
言葉にできない心地よさが、全身を駆け巡った。
このような感覚など、ラオウルは初めてであった。
もっとしてほしい。そう思い、青年に身を寄せる。ふに、と何やらやわらかいものに触れた。
「わ、わう!?」
男の胸が、このようにふわふわなわけがない。
一歩、二歩と下がって青年の姿をよくよく見てみる。
女性だった。
「わ、わうーーーー!!」
跳び上がって驚き、後退しようとしたのだが、すぐに首根っこを掴まれる。
「こら! ここを飛び出して行ったら、近所の人が驚くだろうが。こっちに来い。水と餌をあげるから」
ラオウルは首根っこを掴まれた状態で、家の中へと連れて行かれる。
犬の姿は力が有り余っており、いくらでも振りほどける。
けれども、なぜか彼――ではなく、彼女の手を振りほどけなかったのだ。
その後、ラオウルは冷たい水と、よく焼いた肉を与えられた。
高貴な王族である自らが、四つん這いで食べるなんて不敬だ!
なんて思っていたのに、尻尾は左右に揺れ、ごくごく水を飲み、肉は呑み込むように食べてしまった。
その後、体はきれいに洗われ、もふもふの毛並みを乾かしてもらったあと、丁寧にブラッシングされる。
最終的に、仰向けになってお腹をよしよしされてしまった。
「ふふ、いい子だ」
女性から褒められ、いい気になってしまう。
「わう、わうう(そうだ。私はいい子なのだ)」
彼女と目が合う。深い青の瞳を見ていると、どうしてか心が安らぐ。
ラオウルがこのように穏やかな気持ちになったのは、生まれて初めてだった。
女性に撫でられているうちに、ここに一生いてもいいかもしれない。そう思いかけたその瞬間、朝を知らせる鐘が鳴り響いた。その瞬間、ハッとなる。
自分が誰で、どういう役割を持って生きているのか思い出してしまった。
彼女とは別れないといけない。
なぜならば、ラオウルは国王陛下を守る騎士だから。
ラオウルは隙を見て、女性の家を飛び出していった。
走りながら、涙を流す。
このままでは、本物の犬に成り下がってしまう、と。
その後、ラオウルは門番をする騎士に野犬と勘違いされて追われたり、犬の外套を作りたいと叫ぶ変態に捕まりそうになったり、迷子の子どもを背中に乗せて親を探したりと、さんざんな目に遭った。
誰も、犬の姿をしているのがラオウルだと気付いていないのだ。
朝の女性のように、親切にしてくれる人などひとりもいなかった。
このような姿では、国王陛下にも信じてもらえない。
一生犬として、惨めに暮らしていかなければならないようだ。
もういっそのこと、あの女性の犬になろうか。夕暮れの空を見上げながら、ラオウルは考える。
しかしながら、これ以上、彼女に迷惑をかけたくないという気持ちが勝り、なんとか兄である国王陛下のもとへと辿り着く。
どうせ、陛下もわからないだろう。そう思っていたが――。
「ラオウル! ラオウルではないか!」
奇跡が起き、国王陛下はラオウルの正体に気付いたのだ。
これが、兄弟の絆――。
ラオウルは涙しながら、国王陛下に問いかけた。
「陛下、なぜ、私がラオウルだとわかったのですか?」
「いや、いくら全裸でも、弟のことはわかるぞ」
「ぜん……ら?」
「うむ、全裸だ。寒くないのか?」
ここで、ラオウルは気付く。犬の姿から、人に戻っていることに。
国王陛下は近衛騎士達を振り返り、注意を促す。
「皆の者、ラオウルが全裸に見えるのは、バカだけだからな……!」
騎士達は揃って頷いたのだった。
「陛下、誤解です。全裸なのには事情がありまして!」
人払いをし、ラオウルは〝たぐいまれなるモフモフ事情〟を語ることとなった。
「ふむ、なるほど。それはおそらく、狼獣人の獣化だな」
「ルー・ガルー、ですか?」
「そうだ。我らの祖先に、狼獣人がいる。月日が流れ、血が極限まで薄くなっているが、そなたは先祖返りしたのだろう」
「そ、そんな!!」
通常、狼獣人は月明かりを浴びて獣化する。けれども、ラオウルの場合は太陽の光を浴びて獣化する特殊な体質らしい。
獣化は突然目覚めることが多いらしく、おそらく明日も同じように変化するだろう、と宣言される。
「一生、昼間は犬の姿でいるなんて……!」
「まあまあよいではないか、よいではないか。弟が可愛いことに変わりはない」
よくはない、と思いつつも、兄である国王陛下に逆らえないラオウルであった。
◇◇◇
翌日も同じようにラオウルは獣化してしまうが、夜は人の姿に戻るので、業務に支障はない。
二日目にして、獣化したラオウルの体長が、超大型犬を超える大きさだったことを知る。
このように大きな犬だったのに、昨日はよく拾ってもらえたな、と思ってしまった。
体に違和感はない。それどころか、調子がいいくらいだ。
問題ないと思いつつも、心のどこかで明日も獣化するのか、と憂鬱になっていた。
気が重くなりすぎたときは、以前、街中で助けてくれた女性の家に遊びにいく。さすれば、めいっぱい可愛がってもらえるのだ。
「ふふ、お前は本当に可愛いな」
「わうう、わううう(そうだろう、そうだろう)!」
女性と共に過ごしたら、獣化したラオウルの自己肯定感がぐんぐん上昇するわけである。
いっそのこと、この女性の愛犬でもいいかもしれない。
そんなことを考えながら女性の家で眠るのだが、しだいにラオウルは「ねぼすけ」と呼ばれるようになってしまった。
夜は働いているので、昼間はどうしても眠たくなってしまうのだ。
しかしながら、ねぼすけでもいい。今が幸せだから。
名も知らない女性とのひとときに、ラオウルは癒やされていたのだった。
獣と人間の姿を行き来するラオウルのもとに、ついにミリー・トールが異動してきた。
嫌で嫌でたまらなかったのに、彼女はラオウルを可愛がってくれる女性だったのだ。
顔を見た瞬間、ラオウルはミリーを抱きしめてしまう。
名を知りたかった、と熱烈な言葉を吐いてしまったのだ。
「ずっと、会いたかった……!」
「あの、あなた様とは初対面のはずですが」
「私は、あのときの、犬だ」
「犬、ですか?」
「そなたが今、熱烈に可愛がっている、ねぼすけだ」
「……」
そのときのミリーの表情は、最大まで引きつっていた。
犬だと思って接していた相手が、王弟だったとは思いもしていなかったのである。
幸い、ミリーはかつて呪いを受けて犬の姿となっていたフェンリル公爵と知り合いであり、人が獣化することに理解があったのだ。
最初こそ不敬だからとラオウルを避けていたが、次第に受け入れてくれるようになる。
熱烈なアプローチの末に、ラオウルは見事、ミリーの正式な愛犬となった。
それだけでは終わらず、最終的には彼女と結婚し、夫となった。
一日の半分は愛犬として、もう半分は夫として妻に愛されるという、幸せすぎる毎日を過ごすこととなる。
ラオウルの人生は、満ち足りたものであった。