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満開の桜の下で

作者: 山田 貴文

外国人の彼と別れた主人公と赤帽運転手の話

 春、ある晴れた日の午後。狭いアパートの一室で引っ越しが行われていた。住人は二人だったが、一人が去って行くのだ。


 それが和美である。彼女は二年余り共に暮らした彼を残し、別のところへ移ることにした。持って行く荷物はたいしたことなかったので、引っ越しは赤帽に頼んだ。若くて真面目そうな運転手が黙々と作業を続けている。


 これは決して安易な選択ではない、と彼女は思う。やれるだけのことはすべてやった。川の水が最後に必ず海へ流れ込むように、こうなることは初めから決まっていたのかもしれない。でも、不幸になろうとして恋をする者はいない。ましてや結婚など。


 彼との入籍を決意した時、まわりの全員が反対した。両親は激怒し、絶縁を申し渡した。妹は泣きながら和美をなじった。友人の何人からかは「だまされている」とまで言われてしまった。そんな状況になったのには、それなりの理由がある。


 結婚した彼は日本人ではなく、外国人だった。それも不法滞在の。公になった時、さすがに和美の職場では騒ぎになった。彼女は国籍問題にシビアな役所の公務員だった。結婚することで結果的に彼は特別在留許可を得ることができたが、時間と手間はかなりかかった。


 和美は上司の上司のそのまた上にまで呼び出され、何度も事情聴取を受けた。よく解雇されなかったものだと、今でも不思議に思う。


 でもそれと破局は何の関係もない。あくまでも和美と彼の問題だ。一緒に暮らし始めてから、日に日に違和感を増し、何度も衝突した。


 殺伐とした言葉の応酬。和美に対する暴力はなかったが、彼は物に当たり散らした。最後の方は一日おきに壊れた物の後片付けをしている状態だった。


 彼が外国人であることが関係あるのかどうかは、わからない。そんなことはどうでもいいことだ。ただ、別れの日を迎えた今日、大声で泣きわめく彼を見ていると、日本の男は絶対こんなことをしないだろうなと思った。


「あと、何か運びますか?」


 赤帽の運転手が和美に尋ねた。彼も状況は理解しているはずだが、表情を変えず仕事を続けている。


「もう大丈夫です」


 和美が答える。自分でも冷静な声を出すなと感じてしまう。


 本当は和美が買った家財道具はまだあったのだが、それは彼に残していくことにした。新居へは必要最低限の物だけ持って行こうと決めていたのだ。


 和美は泣き疲れて頭を抱えている彼に向かって、生活上の申し送り事項をいくつか伝えた。彼が聞いているかどうかはわからない。携帯の番号は変えたし、新しい住所を教えるつもりはないので、これが最後だ。


「じゃあ、行くから」


 和美は彼に声をかけ、運転手に続いて部屋を後にした。もう振り返らなかった。


 赤帽の軽トラックの助手席に乗り込み、和美はアパートの窓を見上げた。彼がじっとこちらを見ている。ここに越して来た時は満面の笑顔だったのに、今は涙でぐしゃぐしゃ。なぜ、こうなってしまったのだろう。何が悪かったのだろう。でも、あたしも彼もがんばったよね。


「出発します」


 運転手が言って、エンジンをかけた瞬間、和美はワッと泣き出した。体の奥底から二年とちょっと分の思い出と悲しみがあふれ出てきたのだ。車はブロロロンとやかましい音をたてながら走り出した。泣いている和美をよそに運転手は何も言わず運転を続ける。


 しばらく走った後、運転手がポツリと言った。


「桜がきれいなところがあるんで、寄って行きましょう」


 和美は返事もせず、ただ泣き続けるだけだった。


 角をいくつか曲がった後、運転手はスピードを落とした。


 顔を上げた和美は泣くのをやめた。いや涙が止まったと言った方がいい。


 そこは満開の桜並木だった。真っ青な空を桜の花が覆い尽くしている。近くにこんなところがあったんだ。和美は呆然とした。平日だからか、車も人通りも全くなかった。そこにいるのは和美と運転手だけ。


 さっと、そよ風が吹いた。無数の花びらがくるくると舞い、トラックを包み込む。開いていた助手席の窓から何枚かの花びらが入ってきて、そっと和美の髪や手の上に降りる。


 前を向いたまま運転手が言った。


「何があったか知らないけど、がんばってくださいね」


 満開の桜の下。トラックはゆっくりと進んで行った。

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