星の声
「聲、ショーーウ!学校遅れるわよ」
一階から聞こえる母さんの声に反応しガタッと枕もとの時計を掴む。時刻は8時5分。学校まで走れば20分だから5分で用意しなければ間に合いそうにない。
ダダダダっと階段を駆け下りながら上のパジャマを脱ぎすて母さんが持っている制服のシャツを掴んで玄関でズボンを履き替える。
「向かいの琴音ちゃん、大分前に出て行ったわよ」
「わかった!わかったから母さん!俺のベルト知らない?」
「ズボンについたまま昨日ほかってあったでしょ」
「あ、ほんとだ!とりあえず行ってきます」
「はいはい、いってらっしゃいな。せめて車には気を付けて。全く寝坊しないように早寝したのに12時間寝てたら意味ないじゃない」
バタンと玄関を閉めると母さんのぼやきも気にならない程一目散に高校に向かって走る。
向かう先は私立清聴高校。
俺は、この学校に入るためだけに中学三年間を使い切ったといっても過言では無い。
――2025年。
人々は月の声を耳にする。
星の持つ周波数を捉えそれをスーパーコンピューターで解析したところ、月は一つの音楽を奏でていることが判明した。
音楽が人に与えた影響は今更語るまでもない。旋律が人に与える影響は甚大だ。ソルフェジオ周波数のように特定の周波数は人の心身を改善させる効果すらある。いわば耳から入る薬、それが音楽と言える。
月の奏でる旋律は人々を魅了した。
夜闇に浮かぶ美しさが心にそのまま染み入るように刻々と変わりゆく音色は意識を失ったものを涙させ、生を諦めたものに明日への想いを抱かせた。
月の旋律に魅了された人々は、こう想った。
『空に浮かぶ月が、これほどに美しく歌うのであれば、果たしてこの蒼き惑星は、いかなる歌を奏でるのだろう』――と。
月の旋律は大きく経済も動かした。
同様に蒼き惑星、地球の旋律を聴くためのプロジェクトには多額の資金が集まり、すぐに全世界で『どこを拠点とすれば最も美しい旋律が捉えられるか』の調査が始まった。
それが俺が中学生だったころの話。
都会ではないため車の往来は激しく遠くからクラクションの音が聞こえる。
幹線道の騒音を横に原付に追いつく速度でダッシュを決め込む。
ダダダダ―ッと閉まる門を潜り抜けエントランスを駆け抜け教室まで走る。
「セーフ!セーフだろ翔!」
「おう、ショウ。琴音から聞いたぜ?お前昨日八時には寝てたらしいじゃねぇか」
「「ぶはははは、小学生か」」
「ショウ君、残念だけれど遅刻になるよ。なにせ君、上履きに履き替えていないからね。土足の反省文つきで遅刻だよ」
「先生ぇ。そりゃねぇよ。時間的には間に合ってるのにー」
「学生として時間もだけれどモラルを守ろうね」
クラス中に笑われた上で遅刻扱い。
琴音が友達から「なに一緒に寝てるの?」、「おやすみしてる仲なの」と茶化されてはムキになって言い返しているが、幼稚園の時から寝坊助の俺を起こす役が板についているだけだ。
――地震が多発する日本。
日本は大きな大陸プレートがいくつも重なり合う稀有な陸地と言える。
活火山も多く何年、何十年、何千、何万年とプレートがぶつかり合う地形だ。科学者が実験において最も良質な音源となる国として指定した。
大きなポールを幾つも各県に打ち込み、その上で中心とする地点に選ばれたのが当時、無駄に広大な土地を持っていた静岡県にあるこの私立高校。清聴高校は学校の宣伝にもなると2つ返事で音源採取基地の製作に敷地を貸したのだ。
月の歌声の美しさと言ったらなかった。
将来の目標も無かった俺には、あらゆる音楽、歌声、歌詞を置き去りにするほどの衝撃が走った。「こんな音楽をもっと近くで聞きたい」ただそれだけを目標に、俺はこの高校入学のために偏差値などの壁を越えて入学した。
下駄箱で靴を脱ぎ、上履きを手に外を見る。
「うわぁ、でっけぇー」
どうせ遅刻扱いなんだしホームルーム位いいだろ。下駄箱を抜け出し黒いコイルの化け物みたいなのが四方に生えるビルにような機材に向かって歩いていく。付近には白衣を纏った科学者があちらこちらでバインダーを手に計器の確認を行っている。
「危ないですよ。それ以上は近づかないように」
「お兄さん学生さんでしょう?授業はいいんですか?」
「あはは、ぎりぎり遅刻になっちゃったんで、どうせなら授業までここにいたくて。俺、この地球の歌声を聞ける機材に少しでも近づきたくてこの高校に入ったんスよ」
「ふふ、それでしたら授業を頑張って良い大学を出れば、いつか私共と一緒に働けるので尚のこと授業に戻ることをお勧めしますよ」
警備員の人に止められたところから見ているだけでも数人の研究者が声をかけてくれた。みんな生き生きと仕事をしているところを見ると、俺と同じ月の歌声中毒者に違いない
授業が開始になったところと弁当をカケル達や琴音と食べた所までは記憶にあるんだが気づけば夕方になっていた。机には夏休みの補修日程が書かれた紙がテープで止められている。俺はテストの結果に関わらず夏休みまで学校を堪能できる身分のようだ。
「早く実演されねぇかなー」
「ショウはいっつもそれだな。もう来週じゃねぇか。それに一度音がとれたらネットでいくらでも聴けんだろ」
「カケルはバッカだなぁ。ネットの音源じゃお決まりの周波数までしか出ないし生音に敵うわけねぇじゃん」
「生音っつっても機械だけどな」
毎日早寝しては学校に早く行って機材を眺めて過ごしたいのに、中々思うようにならず今日も母さんの怒声とクラスの笑いが耳につく結果となってしまった。
そして1週間後。いよいよ今日、この地球の歌声が聴けるという日が来た。
俺は前日、驚異の16時就寝をしたのにスマホを見ると8時5分。何故起きられなかったのか……
ダダダダっと足音を響かせ階段を駆けおりる。一時でも早く学校へ向かうために制服着て寝た成果が出たな。今日は昨日より3分早く玄関を出られている。
バタンとドアが閉まる音が響いた。
―――ヒュィィィンと澄んだ音が走った。
外は霧が濃く出ているようで幹線道の横を駆け抜けるが騒音が聞こえない。電気自動車が増えたとはいえ、霧で視界が悪く車の往来が少ないんだろうか。
ダダダダーっと靴の音が響くと前に人影が見えた。
セミロングに少し外はねのある髪形、膝丈に割とカチッと制服を見るに琴音に追いついたらしい。
「やったぜ琴音!今日は絶対ぇ遅刻じゃねぇな」
「……」
足を止めている琴音の前に回ると琴音は表情も虚ろに反応がない。
「琴音?おっはよー!おい。今日は間に合ったぜ?な?いっつも呼びに来てくれてんのに悪ぃ…」
「……」
「こ……とね?」
周囲を見渡す。歩く学生が数人見えるが誰もかれも歩みを止め立ち尽くしている。
前に回ると琴音と同じように表情を虚ろにさせ反応がない。
時計は8時30分を過ぎた。遅刻だが俺は構わず来た道を引き返す。
――ヒュィィィンと澄んだ機械音がまた聞こえる。
「母さん!母さん!!」
自宅の扉を開けるとリビングにいた母さんも椅子に座り反応がない。
テレビにはうちの高校が映し出され、機械の試運転というテロップのまま固まっている。生放送のリポーターもマイクを持ったまま表情を虚ろにうごきを止めている。
テレビからヒュィィィンと澄んだ音が聞こえる。音がするたびに衛星から拡大されて移されているうちの高校を包む霧が濃くなり、しばらく眺めていると完全に霧に閉ざされ見えなくなった。
チャンネルを変えるもアニメやドラマ、CMは映るものの朝の生放送番組は全て出演者が放心状態にあり誰も喋らない。どの番組からもヒュィィィンと澄んだ音が聞こえるだけだ。
「なんだ…おい、なんだよこれ」
スマホから手当たり次第に知り合いに電話を掛けるがみんなコールが鳴るだけだ。おかしい。叱られてもいいと警察や消防署にもコールした。ネットで見るに2コール前には反応があるハズなのに誰の応答もない。
またあのヒュィィインという音が聞こえる械音は、どれもうちの高校を映したものから流れている。
「うちの高校に……なんかあんのかよ」
放心状態の母さんを見るのが怖くなり家を飛び出し学校に向かう。
途中で見た琴音もカケルも先ほどの位置から一歩も動いていない。
学校へ向かうとヒュィィィンと澄んだ音が強まり、同時に霧が濃くなる。校門の影が見えるころにはビルのような機材が見えない程に霧は深くなっていた。
ヒュィィィン―――
―――♪―――♪♪
学校に近づくと校門や学校の壁付近に多くの人が詰めかけていた。しかい誰も一言も発せず、ただ立ち尽くしている。校門をくぐるとビルのような機械が稼働しているのが分かった。
♪―――♪―――「ラァー」
校庭の真ん中に立つと歌声のようなものが聞こえた気がした。
機械の方を見やると機材に腰かけるように青い髪をした白衣の綺麗な女性が足をふらつかせながら歌っている姿が見える。
綺麗な、引き寄せられるような歌声で、俺は何かを考える前にふらふらと近づいていた。ふと、俺の接近に気付いたのか女性は表情を明るくさせ機械から下りた。
「わぁ、アナタは眠らないのぉ?」
「え……あぁ、そうだ。そうだ!みんな変なんだよ!全く反応が無いんだ。おねぇさん何が起きたか知らないですか!?」
「おねぇさんー?んん~ふふふ」
青い髪をした綺麗なお姉さんは、笑い声と共に俺より年下のような見た目に変化した。俺は眼をしぱたいて見直すと今度は美人だが母親より年上そうな青髪の女性になっている。
「あ…あんた、な……なんなんだ」
「私?なんなんだろう。んっとね、君のきっとお母さんのお母さんの、ずっとすっとお母さんのお母さんみたいな感じ?」
姿が元に戻ると、今度は足が地面から浮いた。素足の足には砂の一粒もついていない。
「ゆ…ゆうれ…」
「んーん、君たちがね、私の声が聴きたいっていうから来たのに幽霊はないかな」
女性が手を挙げると機械からヒュィィィンと澄んだ機械音が強く出た。その後、あの聞きほれた月の歌声が奏でられた。テレビやネットで聞く物より更に綺麗で繊細な旋律で月の旋律が奏でられる。
「月の…声」
「うん。これは妹の声」
「い……妹?」
「私は何だろう。貴方たちがガイアとかアースとか、そう呼ぶものの一部…かな」
月の旋律が重奏されだした。こんな旋律聞いたことがない。美しく幻想的な音楽が流れると意図せず目から涙があふれた。周りを見ると立ち尽くすすべての人も涙を流している。
「あんたが……地球?」
「その一部…かな?私の声が聴きたいってあっちこっちで針まで刺すんだから、せっかく出てきたのにね。みーんな、みーーーんな眠っちゃうんだよ?」
女性は浮くように歩き、重力を無視して機械の壁を歩く
「あなたたち、おおげさだよね」
青い女性の髪が炎のように赤く染まり
「ちょっと、熱くなると地球が滅びるとか、ちょっと寒くなると死の星になるーとか」
赤く染まった髪が再び青白く染まる。
「地表が何千度になろうが、絶対零度になろうが、私は死なない」
機械の出っ張りを逆さに歩くが髪は女性の体に沿う方向に下りている。
こちらを見つめる女性の肌が焼けただれたものになり、また美しい肌に戻る。
「私の元を離れて遠くに行ける力がついても、私を支配することはできないの。でもね、生きているなら、私の一部で貴方たちも構成されているのだから、私の支配から貴方たちは逃れられないの。ほら、みーんな私の子守歌で眠ってるの。どうかな?あと1週間もこのまま私が歌ったら」
「な……、まって、まってくれ。そんなことしたら皆死んじまう」
「そうかな?少しは残るんじゃない?それにまた増えればいいの。私の体を取り合って私を傷つけることも減る気がするし」
「ま、待ってください。あの、俺、いや俺達、何かしましたか……」
「どうなのかなぁ。されたような、されなかったような。あんまり気にしていないの。何が起きていたとしても、何がどうなったとしても。時が経てば誰も覚えていないもの」
どこか遠くを見るような女性を見て悟った。
会話が成立しているようで成立していない。この人には俺の話は届いていない。
会話をよそに月の歌は三重奏となっている。
目から零れる涙が止まらなくなっていた。このままではマズイ。
女性に近づきいつも触れるな言われる機械に手をつき話しかける。
「俺の、大切な人たちなんです。大切な人たちがいるんです。だから、ずっと歌いつづけるのは止めてもらえませんか」
「ふふふ、私の子の子の子だから、私にはあなたも、あなたの大切な人も、すべからく大切よ。傷つけたりなんかしないわ」
女性がふわりと俺の横に降り立った。
月の旋律に新たな美しい旋律が加わり四重奏となった。もはや涙で前が見えない。女性の方を向いているのだと思う。
「でも、わたしばかり傷つけられるのも嫌なの。私すら消し飛ばす兵器、妹すら消してしまう武器、星すら支配しようとする発想―――いつまでつづくのかしら」
「みんな、みんなこの星をよくしようとしているんです」
「星を?私を?自分たちの環境を?」
「もうすこし、もうすこしだけ待ってください。未来を」
「あはは、大きく出たね。ふふふ、いいよ。じゃあ、こうしましょう。次に私と人が会うその時。その時までに良い変化が見えたら、子守歌はやめてあげる」
ふふふ、うふふふふ
ヒュィィィン―――ヒュィィィンという澄んだ音と共に機械は停止した。女性に近づき、機械の操作を適当にいじったからなのか、彼女が止めたからなのかは分からない。
遠くでぱっぱーとクラクションの音が聞こえだした。
霧が徐々に薄くなり周囲の人々も気が付けば泣いていた自分を不思議に思い、話し出す。声が溢れ喧騒が戻った。
公式には機械の誤作動ということで、学校は午後からとなった。
あの不思議な体験が現実だったのか夢だったのか分からない。琴音もカケルも学校に来ている。音が止み心に残るのは涙で前が見えなくなるほどの綺麗で切ない旋律。
「あら?ショウったら、いつの間に起きて学校にいったのかしら」
ショウの母さんがチャンネルを変えていく。つきっぱなしのテレビからニュースが流れだす。怪奇、空白の3時間なんて特集が既に組まれている番組もある。
「あら、やだ、もうこんな時間、うそぉいつの間に!?やだやだ洗濯物しまわなきゃ」
『――機材の不調で濃霧がはっせいしたそうですね』
『えぇ、湿度との兼ね合いが計算外だったとか』
ガラガラと戸が開けられカーテンが風にそよぐ。ぱたぱたと上履きが地面を打つ音が響く。
『湿度の兼ね合いを考え本稼働を見送るそうですね』
『今朝も乾いていた気がしますがね』
『ははは、科学者の言う事はわかりませんね、はははは』
洗濯物を机に置くと洗濯カゴがリモコンに当たりチャンネルが切り替わる。
『――機械の再稼働は、早ければ来週にでも行われるそうです』