3話 始まりの街
黒い世界を穿つように、白い光がわたしの目を焼き付ける。
次第に雑音が混じり、街の匂いが流れるにつれて、わたしの足は確かな地面の感覚を伝えてきた。
ここがキュリオス。始まりの街。
ヨーロッパによくある煉瓦造りの建物が軒を連ねており、わたしが立つ石畳が敷かれた広大な広場は、見渡す限りの人で埋め尽くされている。
彼らは等しく挙動不審な様子を見せ、辺りを見回したり、手足の具合を確かめたりする者と様々だ。状況から察するに、広場に集う者たちはわたしと同じプレイヤーなのだろう。
噂によればβテストの参加者は5万人と聞いているので、開始と同時にダイブできたのは、この場にいる3万人といったところか。
「街の門が開くのはあと1分のはずだ」
「オレが1番乗りだ!」
「トップランカーの座は渡さねぇぞ!」
「遅れてたまるかぁ!」
状況を把握するや皆がそれぞれ裂帛の気合いを叫んで、1つのエリアへと駆け出していく。ゲーマーの間では『神』や『廃人』と呼ばれるトップランカーを維持し続けるには、1分1秒とムダにすることはできないらしい。
彼らの向かう先にはなにがあるのか。そんな思考を早くも捨てたわたしは、残る1万人のまったりプレイヤー達の間を抜けて、街の散策へと歩き出した。
「オシャレな街だなぁ。映画の舞台みたい」
中央で噴水が煌めく広場には一角に大階段が面していて、ヨーロッパを舞台にした映画でもお馴染みの景色を前に浮き足立つわたし。
下の通りには古着らしいモノを着た人や馬車が行き交っていて、まるで過去の時代の中に飛び込んだみたいだ。
「スイッチ1つで異世界に、か。言葉のとおりだったんだね」
かく言うわたしも彼らと同じ茶色の古着を着ている状態なので、すっかりこの世界の一員となったとも思える。
もっとこの世界を見たい、知りたいという好奇心に駆られたわたしは、思わず街の中を駆け出していた。木造で増築がされた高層住宅は教科書で見たよりも迫力があり、宿屋の1階を食堂として利用している建物では店主と客が肩を組んで飲み交わしている姿がある。
全部。この世界にある全部が、初めて見る景色だ。
わたしは『新しい世界』にやってきたんだね。
「うぎゃ……っ!」
転けた。
余所見をして走っていたからか、または細部の感覚まで慣れていなかったからか。生まれながらのドジ故か……。
わたしは現地の人が行き交う通りで盛大に転けてしまった。
「いてて……」
視界の左上が点滅しているのに気づき、そこを見ると横に伸びる数本のゲージのうち、上のHPゲージが僅かに減少しているのがわかる。
怪我こそしていないものの、転んだことで確かにわたしはダメージを受けたのだ。
そっか。これがゲームの世界なんだね。すっごくわくわくするよ!
ゲームの中がこんなに刺激に溢れているだなんて知らなかった。こんなに夢に溢れているだなんて想像もしなかった。
それが少し手を伸ばせば届く場所にあったんだね。
「お嬢ちゃん、だいじょうぶかい?」
「ほぇ?」
いつまでも転んだまま地面に伏せっていると、見知らぬジェントルマンが心配して声をかけてくれた。
西洋の顔立ちは今の日本でもありふれているけど、街中でタキシードとシルクハットを着けた変わり者はさすがに見たことがない。
「大丈夫だよ。ありがとう」
「そうか、なかなか起きないから心配したよ」
この人は現地人、つまりAIで動くNPCだと思うのだけど、ここまでプレイヤーに親しいとは驚き――あ、なんかめっけ。
「落とし物かなぁ。指輪だねぇ」
食堂のテラス席付近で見つけたのは、赤い宝石の付いた指輪だった。こんな高価そうな物を落とすだなんて、余程のリッチピープルに違いない。
「交番に届けないと。……どこにあるのかな?」
「何かを拾ったようだね。ならばそれをタップしてみなさい」
いきなり中世ジェントルマンの口から『タップ』という用語が出てきたら違和感しかない。
世界観の設定に疑問を抱いてしまうけど、せっかく親切にナビをしてくれているのだから聞いておくべきかな。
「なんかスクロールが出てきたよ?」
指輪近くに浮かぶようにして現れたのは、黒いメタリックな板だ。縦に長い板には、水色の光で指輪の詳細が書かれている。
―――――
■名称:???
■持ち主:???
■詳細:???
―――――
いや、なにもわかんないよ。
「それがこのアイテムのステータスさ。板の下に『鑑定』の表記があるだろう。そこをタップしてみなさい」
「おわ、なんか文字が増えた」
―――――
■名称:『紅玉の指輪』
■持ち主:無し
■詳細:STR+3
―――――
「持ち主がいないということは、拾った者に所有権が存在している。誰かに取られてしまう前にアイテムボックスに入れておきなさい」
タップとかステータスとかアイテムボックスとか、いろんなことを教えてくれるジェントルマン。
「アイテムボックス、オープン?」
これはシステムコマンドと呼ばれる音声認識の1つである。現実でも「カーテン開けて」とか「エアコンの温度下げて」と言うのと同じやつだ。
でも、さすがに現実では目の前の空間に四角い穴が空くような現象は存在しない。
100年ほど前の預言者が描いたというタヌキ型ロボットのお話には四次元ポケットなるモノがあったようだけど、それを実現するとこんな感じになるのだろうか。
指輪をポイッと放り込むと、これで所有権は正式にわたしで固定されるらしい。
「さっそく装備してみてはどうかね」
「じゃあ左手の人差し指に……」
どうかな、似合う?
なにも感じないけど、STRだから力が上がったはずだ。
「今の君なら、私くらいは捻れるはずさ」
「それじゃあ試しに――」
「今度は街の外に出てはどうかね。因みにドロップアイテムなどでも、鑑定は街や施設の中でしか行えないから注意するんだよ。私はこれで失礼!」
「……行っちゃった。ありがとうねー!」
オススメもされたし、次は街の外に行こう。