第1章 3組の神が全国ニュースになった件(2)
授業が終わって、やがて放課後。
俺は鞄をとって席を立った。
「イツキ、補習は?」
隣の席の中田に尋ねられたが、
「出ないよ」
それだけ返して教室を出た。
校舎を抜けて空を仰ぐと、どんよりとした雲に覆われて、太陽の姿は見えない。冬の空はいつもこんな感じだ。息を吐くと、白くなる。ポケットに手を突っ込んで歩き出す。
グラウンドでは、サッカー部が半袖姿でボールを蹴っていた。こんなくそ寒いのに馬鹿じゃなかろうか。その向こうには、野球部やら陸上部やらも見える。どこからか、金管楽器の音色が響いてくる。吹奏楽部だろう。
——俺の通う渦潮高校は、地元では屈指の進学校にして、部活動も盛んだった。
現在の俺が位置している高校2年の冬の時期は、生徒たちは2極化している。受験に向けて勉強に本腰を入れるタイプと、3年春に行われる部活動の最後の大会に向けて、練習に追い込みをかけるタイプ。
つまるところ皆、何かに向けて熱中している。そんな中俺は、2極化の流れからぽつんと取り残されていた。
部活は中学から一貫して帰宅部。受験勉強も、全く身が入らない。どうして自分は部活やら勉強やらに一生懸命になれないのか、考えたことがあったが、答えは簡単だった。そのどちらにも、やる意味を見出せないからである。別に、絶対に大学に行きたいとも思えないし。
「……どーでもいい」
校門を抜けながら、一人、そう呟いてみる。けれどもその呟きは、自分の心を一層曇らせた気がした。
家に着いてドアを開けると、いつも通り誰もいない。両親は共働き、中学生の妹は多分まだ部活。
俺は自分の部屋に行くと鞄を放り投げて、ベッドにダイブして、スマホを取り出してごろごろしながらSNSのタイムラインを手癖のままに眺めて回った。
「…………」
スマホに飽きたら、ベッドから起きて、机の前に座り、ノートパソコンを開く。
ブラウザを立ち上げて、『お気に入り』からサイトを開く。サイトの名前は『小説家になるぞ』。通称『なるぞ』——ネット小説の投稿サイトだ。
あ、青い黒猫さん新作あげてる。読んでみよ。
気になる作品は一通りざっとチェックする。15分くらいでそれらを読み終えた。
俺は続いて、マイページの『甘みーの投稿小説』——自分の投稿小説のページを開いた。
過去投稿分が一覧になってずらりと並んでいる。その中から、昨日アップした分を開いて、目を通す。ここまでのストーリーラインを確認してから、テキストエディタを開き、物語の続きを書き始めた。
パチパチと、キーボードを叩く音が部屋の中に響く。それ以外は静寂だった。
俺の唯一の趣味と言えるものが、小説を書くことだった。
自分の頭の中にある幻想世界を、キーボードを叩いてカタチにしていく。その行為はちょっとだけ楽しい。けれどすごく楽しいわけじゃない。
他に本当に熱中できるものが見つかれば、さっさと辞めてしまうような、その程度の趣味だった。
創作の楽しさをどこに求めるかは人それぞれだ。有名な作家が、自分の書いたギャグで爆笑してしまったり、自分の考えた泣き展開で涙が止まらなくなったりすると話していた。けれど俺は、自分の作品を読者の視点で見ることができない。客観視することができない。だから笑えないし泣けない。
あるいは創作の楽しさを他人からの賞賛に求める人もいるだろうが、誠に残念なことに俺の作品は『なるぞ』でさっぱり人気がなかった。
要するに、才能もない、思い切り熱中することもない、それがネット小説書きの『甘みー』、もとい、雨宮伊月という人間なのだった。
それなのに俺は、振り返ってみれば、毎日のように小説を書いては『なるぞ』にアップしていた。単に暇人だからかもしれない。あるいはそれは、ある種の現実逃避なのかも。
そんなこんなで、1時間も経たないうちに一話分を書き終え、アップロードを済ませる。その時、『なるぞ』のマイアカウントに通知があった。
『なるぞ』には、ユーザー同士でメールのようなやり取りをする機能が設けられている。大抵は、ファンが好きなライターにメッセージを送るのに使われていると聞く。
まさかと思って通知をクリックしてみると、メッセージが届いていた。
若干の胸の高まりを感じながらメッセージを開いてみると、果たしてそこには次の文面が載っていた。
甘みー様
初めまして。いきなりですが、ビッグになりませんか?
甘みーさんの小説を読みました。正直、本気で惚れました。
あなたの才能が、こんなネットの片隅で、わずかな数のユーザーに何の見返りもなく消費されていることに憤りを感じてなりません。
あなたはもっと上に行けます。行くべきです。
いや、私となら、絶対に行けます。
一緒にビッグドリームをつかみませんか。巨万の富と名誉を手に入れませんか。
私はセイギという者です。
どうか、一度だけでもお会いできませんか。場所を指定してくださればどこにでも行きます。
もし海外在住でしたら、海を渡って馳せ参じます。
別に住所を割り出そうとしているわけじゃありません。会ってお話ししたいだけです。
最後にもう一度だけ言います。今がビッグドリームを掴むチャンスです。
なにとぞ、ご検討を。
セイギ(本名:淀川正義) 拝
「な、なんだこれ……」
なんというか、退いた。突然すぎるメッセージに。暑苦しすぎる文面に。
「しかもこいつ、本名まで載せてるし……」
怪しい者じゃないことを伝えようとしたんだろうか。いやしかし、これが本当に本名だという証拠もないし。
大方スパム。じゃなきゃ宗教勧誘か何か。
俺はメッセージを削除しようとマウスを操作した。
「…………」
……削除する前にもう一度だけ、文面を読み直してみる。
——甘みーさんの小説を——本気で惚れました——あなたはもっと上に行けます——巨万の富と名誉を手に入れませんか——今がビッグドリームを掴むチャンスです——
……本当に?
いや、何信じようとしてんだ俺っ。
「て、適当なこと書きやがって……」
俺はキーボードを操作した。
東京、門仲のサイザリアにて
何書いてんだ俺っ。そして何送信ボタン押してんだ俺っ。
門仲=門前仲町とは俺が住んでいる街である。そしてサイザリアは徒歩5分の近場だった。
息吐く間もなくメッセージが飛んできた。
マジすか!? 割と近所です。この後すぐに会ってくれませんか。19時からどうですか。店の前で待ち合わせしましょう
「ななな……っ」
なんという偶然。近所なんて。しかも19時なんて、あと30分しかないじゃないか。
飛んで火に入る夏の虫とはこのこと。こんなメッセージ、怪しいに決まってる。頭の中お花畑か俺は。行くわけねーだろ。そうだ、放置しろ。
「…………」
俺はノートパソコンを閉じて、ベッドにダイブした。布団にうずくまって瞼を閉じる。
寝てしまえ、と思った。