第1章 3組の神が全国ニュースになった件(1)
第1章 3組の神が全国ニュースになった件
ここテストに出るぞー、なんて言いながら淡々と授業を進める数学教師。
最後列から二番目の窓際の席で、頬杖ついてぼけーっとしている男子高校生の主人公。
物語の始まりのワンシーンとしては、あまりにも平凡で、陳腐で、退屈な描写だろう。一応、小説なんか書いちゃってる身としては、是非とももう一捻り加えたいところ。
けれども、俺——雨宮伊月の物語を描くなら、きっとそんな始まりになるんだろう、と思う。
「……ふぁ〜あ」
黒板に書かれていく文字列をぼんやり目で追っていると、でかい欠伸が出た。ついでにため息も吐いてから、自分の机の上に広げているノートを、ちら、と見る。真っ白だった。
周囲からは、というより教室じゅうからは、ペンを走らせる音がひっきりなしに聞こえてくる。皆、先生の言葉を一つも漏らさずにノートに書きとめようとしていた。
そんな光景を認識すると、ちょっと、世界に取り残されたような気分になる。特にテスト期間に近づいてくると焦りが出てきて、直前になってから勉強しまくって、結局平凡な成績に落ち着くのがいつもの俺だった。
そんなテスト期間は明後日に迫っていた。けれども何故だか、今回はちっともエネルギーが湧いてこない。
「よし、この例題を解いてもらう人を当てるぞ。……じゃあ、八田なずなさん、いいかな」
「——はい」
先生の指名に返事をしたのは、透き通るような声だった。
その声を耳にした途端、ぼけっとしていた意識がたちまち覚醒して、その後ろ姿に吸い寄せられた。
席を立ち上がった八田なずな——八田さんは、茶色がかった、艶のある長い髪をふわふわと揺らしながら、教壇に向かった。
迷いのない動作ですらすらとチョークを走らせ、黒板に答えを書き込んで、くるりと振り返る。
ご尊顔がこちらに向けられた。
「っ……」
思わず身を乗り出して見つめてしまいそうになる。
……尊い……っ。
それはまさに、灰色な世界の中で輝く宝石のようで。
彼女の容姿は、端麗で、可憐で、瑞々しくて、他の生徒たちとは何かが違っていた。
抜群に整っているが、ただ整っているわけじゃない。パーツごとに見れば、むしろアンバランスと言ってもいい。顔は小さいのに、二重だからなのか、黒い瞳の面積が広いためなのか、目がすごく大きく見える。透き通るような色白の肌なのに、健康的な印象を抱かせる。スレンダーな身体なのに、胸の膨らみは平均以上だ。そのアンバランスさが、絶妙なバランスを形成して彼女の容姿を魅力的にみせていた。
髪を染めたり制服を着崩したり、そういった特別な「オシャレ」はしていない。それなのに、ただそこにいるだけで、圧倒的な魅力を放っていた。
曰く——学校のお姫様。誰の「曰く」なのかと言えば、学校中の男子生徒の大半である。
「はい、正解」
先生が、彼女の回答をろくに確かめることもなくマルをつけた。
八田さんはしずしずと自分の席に歩いて戻る。見とれてしまっていたせいか、俺は八田さんと目が合ってしまった。
「……?」
少し眉を上げて、首を傾げる八田さん。
10メートルも離れているのに、確かに視線は交わっていた。
そして、八田さんは、たった一瞬だけ、悪戯っぽく笑顔を見せて、席に座った。
「————」
胸に弾丸を撃ち込まれたような感覚がして、卒倒しそうになる。
くら、とよろめく俺は、机に両手をついてふんばり、なんとか姿勢を保つことに成功した。
「いいかー。明後日のテストで絶対出るからな。ここの解説よく聞いておけよー」
八田さんが解いた例題をチョークで指しながら、先生が説明を始める。しかしその声はもう俺に届いていなかった。届くものか。
自分だけに向けられた八田さんの笑顔。1年以上も八田さんに片思いを続ける俺にとって、それは、意識の全てを占められてしまうほどの幸福感をもたらした。