第二話 獅子王・靱負
「ふむ。どうやら体の調子は良いようだな」
そう言って、俺と頭を半分に切り裂かれたアンピプテラの様子を窺いながらかけられた声は、凛とした口調の澄んだ涼やかな声だった。
「見たところ、格上の魔物に予想外の反撃を喰らって窮地に陥っているように見えるが、私の手助けは必要かな?」
そう言って俺に話し掛けてくるのは、少し癖のある黒髪を腰まで伸ばしたすらりとした体型を黒い袈裟で身を包み背中の籠に様々な武器を入れて背負っている美女、獅子王・靱負だ。
いわゆる均整の取れた肉体と言うのだろう。胸は目に見えるほどはあるが、巨乳というほどには大きく無く、腰の括れや引き締まった尻と言った体付きは、額に第三の眼があることと、片目には黒の眼帯をつけている事を含めても、十中八九、人類史上に名を遺す絶世の美女だろう。
顔つきはやや怜悧な印象を受ける切れ長の瞳をしているが、絶えず浮かべている口元の静かな微笑がその印象を薄めている。
男どころか女であってさえも目を引き付けられずにはいられない蠱惑的な魅力は、最早見る毒だと言っても過言では無いと思う。
だが、見た目の美しさ以上に特徴的になっている靭負さんの魅力は、何処か女帝とでも言うようなさり気無く上に立つ人の雰囲気を漂わせている事だろう。
しかしこれでも中身は男である。しかも七十を超えている爺さんである。
俺はそんな靱負さんからの心配の声に対して、視線はアンピプテラに釘付けながら、刀の弾き飛ばされた両手を軽く握りしめて返事する。
「見て分からないんですか?今が絶好調で最高潮です。寧ろ、相手が死にかけなのが物足りない位です」
俺の返答に対して靱負さんは、誰に見せている訳でも無いのにえげつない位の色気を振り撒いてる異形の美貌に妖艶な笑みを浮かべながら、俺と相対する死にかけの蛇竜を眺めつつマイペースに話を続ける。
「取りあえず危険のない状況のようで何よりだ。余裕はあるようだが、一応聞いておこうか。私の手は本当に必要ないのかね?」
「いいよ靱負さん。って言うか、靭負さんが戦うと大概の魔物はぐしゃぐしゃになって持ち運びづらくなるから、あんまり狩りの時にはちょっかい出さないでくれ。それに俺としても、このまま帰るのは少し物足りねえと思っていたんだよ。どうせ靱負さんの本当の目的も、手術のデータ収集なんだろう?」
「むう……。身も蓋も無く言えばそうであるが、別に君を心配する気持ちも偽りでは無いよ?前世からの友達で理解者で、何よりも数少ない愛弟子の一人だ。危険な状況をみすみす見逃したいとは思っていない」
靭負さんは俺の返答に少し拗ねた様に唇を歪ませるが、そんな靭負さんの態度に苦笑する。
「分かってますって。ただ、データ収集にはちょうどいいのは本当でしょ?靭負さんはそこで暫く俺の戦いを観察しといてよ」
「ふむ。君がそこまで言うのならば、その意見を尊重しよう。ただ、危険になれば横やりは入れるつもりだから、そのことに関して後で文句をつけるなよ?」
そう言って靱負さんは鍾乳洞に広がる地底湖の岸辺にある岩の一つに腰かけると、目元にかかった黒髪を左手で掻き揚げながら、口元に笑みを浮かべて小首を傾げた。
「それと、今更ながらあまり無理はするなよ。まだ術後から三日しか経っていないのだ。本調子では無いだろう?」
その言葉に、俺は喜色満面の笑顔を浮かべながら答える。
「大丈夫ですって。この蛇を今日の夕飯にするのは確定事項なので」
俺がそう言った瞬間、首が二つに分かれたアンピプテラは、未だに動いている方の片目だけを欄欄と輝かせて俺に向かって襲い掛かる。
瞬間、俺はそんなアンピプテラの攻撃に合わせて強烈なカウンターを蛇竜の鼻面に叩き込んで怯ませると、そのまま剥き出しになった脳髄に俺の右手を突き入れて、中身を勢いよく引きずり出した。
途端に、血の涙を流しながらも今まで辛うじて正気を保っていたアンピプテラの瞳は溢れかえった血の色で赤く染まり、声にならない悲鳴を上げてそのまま地面に頭を叩きつけて死亡する。
俺は今度こそアンピプテラが死んだことを確認して靱負さんを振り返ると、そこには豊かな胸の下で腕を組み、今の戦いにドン引きの視線を向けて来る靭負さんの姿があった。
「…………中々えぐい殺し方をするな。まあ、これで確実に死んだと考えれば、苦痛から解放したとも言えるが」
靭負さんは腕を組んだままゆっくりと蛇竜の死体の傍に歩み寄ってそう言うと、脳髄と血液を大量にまき散らして死んでいる蛇竜に向けてそっと手を合わせて両目を瞑る。
それから暫く黙祷していた靭負さんは、おもむろに俺の方を振り向いて今まで通りの妖艶な微笑みを浮かべた。
「……とりあえず、無事で何より。危地に足を踏み入れても生き抜くだけの強さは手に入れたらしいな?」
「いやあ、靭負さんにそう褒められると何か怖いなあ。まあ、確かにこの蛇に遭ったのは想定外だったから、多少はビビりましたけどね?たとえ剣が無くてもこの程度の魔物になら、余裕で勝てますよ」
実際は結構焦ったし、割とやばい感じはあったんだが、そう言う事は今は言う必要ないだろう。取りあえず適当に話盛っとこう。
そう思って多少調子こいたことを言ったのが悪かったのだろう。
「何を言ってる?これはあくまでも医者としての言葉だ。剣士として言えば、そもそも私は君を褒めてなどいない。というか、今のやり取りのどこに褒める要素がある?」
瞬間的に靱負さんは今まで口元に浮かべていた妖艶な微笑みを消して、鋭く睨みつける視線で俺の言葉を否定した。
あ、やっべー。地雷踏んじまった。
「そもそも、今の状況になった段階で褒める要素など無い。剣士の端くれであるのならば、頭を勝ち割った段階ですでに決着はついている。相手の生命力が強かったとか、自分の方の準備が整っていなかったとか、そう言う話は全て後付けの言い訳だ。大体が確実に止めを刺していない状況で油断をするなど言語道断だ。
分かっているのか?このバカ弟子?」
息継ぎもほぼなくそう言い切られると、そこから一気にそのまま小言と説教の時間に突入し、それから十分間見た限り目についた全ての悪い場所を徹底的にこき下ろされる。
そして。
「……すみません、ゴミです師匠。私はゴミです。来世はナマコになりたい。ずっと何も考えずに海底に横たわっていたい……」
説教が終る頃には、俺はすっかりと落ち込んでダンジョンの片隅で膝を抱えていた。
時間的に言えばそこまで長くないんだけど、その分かなり適格に心の痛いところをエグクついて来るから、靭負さんの説教を受けるとネガティブな気分になるんだよなー。
だが、俺はそうして自分自身の有様に凄まじく凹んでいると、流石にフォローが必要だとでも思ったのか。
「……まあ、とは言え」
そこで靭負さんは言葉を切ると、今までのどこか妖艶な笑みでは無く、暖かで穏やかな微笑みを浮かべてそっと俺の頭を撫でた。
「本当に、無事で何よりだ。怪我はないのかね?それと、毒を貰ったりはしていないかね?」
我ながら単純だとは思うが、俺は穏やかに俺の頭を撫でる靭負さんの言葉に今までのガチ凹みしたことを忘れて靭負さんの顔を見上げるてしまう。
「……マジで大丈夫っすよ。これでも日本男児の端くれ何で、この程度の事では落ち込んでられないですって。つっても、転生っつーか日本で死んだ俺が今でも日本男児って言えるかは微妙ですけど」
俺は靭負さんが撫でるのを止めるのを待ってから小さく笑ってその場に立ち上がると、尻に着いた土埃を叩き落としながら言う。
「それもこれも、靭負さんと主水の武術修行と、靭負さん考案の改造手術のたまものっすね。マジで手術をやったのは正解だったと思います。まさかここまで強く成れるとは思わなかったんで」
改造手術と聞くとちょっとやばい感じがするだろうが、実際にやっていることは魔力という謎エネルギーを混入させた液体を注射するだけのお手軽なものだ。
ちなみに改造手術の発想自体はゲームのルール内に記載されている『神兵の儀式』と言うイベントから着想を得ており、ゲームの設定に従えばそこまで無理の有る行動というわけではない。
目下の目標は、より強力な改造手術を施す事。
一応、この改造手術そのものは強化には役立つとは思っていたし、動物実験、いや、この場合は魔物実験か。
その実験の結果でどれくらいの強さを手に入れられるかは分っていた。
今日の戦闘は、改造手術の術後に取ったデータとしてはまだ不完全だが、それでも術後の経過を知るのには役に立つ。
次はこのデータを基に、本格的に戦闘データを収集する。少なくとも、蛇竜種を単独で圧勝できる程度の実力は手に入れた。後は、このダンジョンの主である魔竜種にどこまで通用するのか。まあ、それはオイオイ調べるべきことだ。
と、そうやって俺がヘラヘラ笑って答えると、靭負さんは不意に真剣な顔をして俺の眼を見据えた。
「……市蔵。いや、朝比奈・市蔵よ。あんまり調子に乗るなよ?お前に施した改造手術も、まだ試作段階なんだ。その手術だって、あくまでも『即死しない程度の安全性』が保障されているだけの不完全極まりない物でしかないんだ」
「分かってますよ。でも、この世界は俺達が大人しく強く成ってくれるのを待ってくれるわけじゃない」
そう。この世界は非情だ。例え仲間がいても、前世地球での知識と技術があっても、この世界での肉体が魔人化した強力な物であっても、死ぬ時には死ぬし、強い奴は山ほどいる。
「たとえどれだけリスキーでも、俺たちはとっととチートにならなきゃいけないんだ。俺TUEEEしなけりゃ、生きる事さえ禄にできない。だから強く成る。その為の手段何か選んでられないっすよ」
俺はそう言うと、今日仕留めた獲物を引きずりながら、仲間のいる拠点に戻り始める。
「早く戻って、飯にしましょう」