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8章

 八章 願いを託して


 突如自然の摂理に逆らった動作をして現れた異形な化け物。赤銅色の肌が露になった部分は全てにおいて血管が浮き出るほど隆起し、頭部には二本の角らしき突起物が突き出している。口からは異常に発達した犬歯が突き出し、吸血鬼のような形相をしている。両手の爪もナイフのように鋭く研磨され、体に突き刺されたならば苦しみもがきながら絶命するだろう。

 この世の物とは思えないグロテスクな化け物と、雅毅達は同じ室内にいた。逃げようにも唯一の進入口を塞がれ、部屋を脱出することは不可能に近い。

「サァ……レポートヲ……ヨコスノダ……」

 全てを知り尽くしているのか、化け物はゆっくりと下降し雅毅を見下ろす位置に来る。

「だっ、ダメだよマーくん! こんなヤツの言うこと聞いちゃ!」

 今まで雅毅とは反対側で探していた海涼が、不意を突いて勇敢にも化け物の間に割り込む。

「おっ、お前……」

「フッ……コザカシイ……コムスメ……ワタシニ……ハムカオウト……スルノカ……」

 両手にクマさんの傘を握り、海涼は先端部を化け物に向ける。その手は恐怖に震え、気丈に振舞う彼女でさえ、化け物が放つ畏怖の念に気圧される。

「だっ、だいじょぶ……こっ、ここは私に任せて。マーくんは、レポートを見つけて」

 いつも無鉄砲に先走ったことが多い海涼だというのに、今は懸命に雅毅を守ろうと自ら盾となる。

「だっ、ダメだ! お前なんかに守ることなんてできない!」

 健気にも自分の命を投げ打ってでも助けようとする海涼に対し、雅毅は語尾を強め言い放つ。

「いっ、いいから、ここは私に任せて、お願い……だから……」

 自分の願いを聞き入れてくれない雅毅に、海涼はゆっくりと後ろを向く。そこには、大粒の涙を零し頬を濡らす一人の少女がいた。

「海涼……」

 どんな危険な目に遭うかもしれないという恐怖と戦い、懸命に立ち向かおうとする海涼。

常に守ってもらうばかりの自分が嫌で、今度は自分が守る番だと決意したのだ。

「はっ、初めて、名前……呼んでくれたね……」

 初めて名前を呼んでもらった海涼は、本当に心が通じたんだという嬉しさで顔が綻ぶ。

「ここは、私が守るから、マーくんはレポートを探して。早く!」

 魔力は無いに等しい。それでも守ろうとする海涼の姿に感化され、雅毅は絶対探し出してやると決心するのだった。

「分かった。ここは任せるけど、無理すンじゃないぞ!」

「うん!」

 二人の分担が明確となり、雅毅は再びレポートの探索に入る。そして海涼は、ほんの少しの魔力と守り抜くという大きな決意を胸に立ち向かう。

「フッ……ワタシニ……カテルト……オモッテ……イルノカ……」

 非力な存在である少女を嘲るように口角を上げる化け物。

「絶対……ゼッタイ、マーくんを守るんだから!」

 傘の柄をしっかり握り締めた海涼は、散々失敗していた物体を動かすという魔術に挑む。

化け物の背後に大きな岩があるのを見つけ、その石を持ち上げぶつけるイメージを膨らませる。

「ホゥ……ワタシト……ハリアウ……キカ……オモシロイ……」

 化け物は更に嘲り笑うと、若干後ろへ下がり左手を突き出す。

「チカラノ……サトイウモノヲ……シルガイイ……」

 化け物は直線上に雅毅と海涼がいることを確認し、左手の関節を微妙に曲げ何かを掴むような形にする。

「グアァァァ……ゴウハッ!」

 喉から血反吐を搾り出すような重く響く声を発し、左手に作り出した妖気の塊を打ち出す。

「きゃぁぁぁぁっ!」

「ぐあぁぁぁぁっ!」

 必死に岩を持ち上げようとしていた無防備な海涼は、放たれた気の塊が直撃し天井近くまで弾き飛ばされる。雅毅も巨大な衝撃波を喰らい、まともに背中から壁にぶつけられる。

強い衝撃を受けた二人は距離を置いて床に横たわり、痛みに体を支配され身動きが取れない。

「フッ……タアイナイ……ワタシニハムカウナド……イッショウムリダ……」

虫けらを踏み潰すような圧倒的な力を見せつけ、化け物は必死に体をもたげようとする雅毅の前に降り立つ。

「バショハ……ワカッタ……モウ……オマエニ……ヨウハ……ナイ……」

 凶器の何物でもない右手を雅毅の頭部に向け、化け物は止めを刺そうと気を集中する。

「アテリア・マルツリア!」

 聞き覚えない魔術の詠唱が聞こえたと思った瞬間、天井付近から一条の強い光が化け物の背中を穿つ。

「ダレダ……」

 集中していた意識が遮断され、化け物は肉の焼ける匂いを嗅ぎ取りながら背後を見上げる。

「あたしの教え子に手を出すとは、同じ教師だろうが許さない。和鍋先生!」

 開けられた穴の向こう側、数え切れない傷を負った典佳が拳を突き出している。

「オウ……ショウタイガバレマシタカ……イズレニセヨ……ワタシヲ……ジャマスルモノハ……ケス……」

 典佳はそのまま地下室に降り立つと、牽制する魔物化した和鍋の視線を浴びつつケガを負った雅毅を抱え上げる。そして、クマさんの傘を握り締めたまま床に倒れる海涼の側にそっと下ろした。

「よくもカワイイ教え子にケガをさせたな。この落とし前、きっちり付けさせてもらうからなっ!」

 猛禽類のごとく鋭い視線を浴びせ、典佳は怯むことなく和鍋と相対する。


『いっ、痛いよ……』

 まだ覚醒しきっていない意識の中、海涼は体に鈍い痛みが走る。どこがどんな風に痛いのかはっきりしていないが、自分の意思を持って動かそうとすると電撃のような痛みが貫く。

「こっ、ここは……」

 ようやく意識を取り戻した海涼は、置かれた状況を理解するため五感を働かせる。

まず、頭と視線の位置から自分はうつ伏せの状態であり、頬に当たるものは冷たさから床だと分かる。

 今度は両手と両足を動かしてみる。右手、動く。左手、何か細長く案外しっかりしたものがある。質感も感じるし何となく指も動く。右脚、何とか膝も曲がるし動く。左脚、動くみたいだけど、何だか痛い……

 交通事故直後のむち打ち症のように全身に痛みが走るものの、自分の意思で体が動くことを自覚した海涼は慎重にゆっくりと体をもたげる。左手に持った傘を杖代わりに起き上がり、痛みを感じる左脚をかばいながら膝から立ち上がる。

「こっ、これって……」

 傘を突いた状態で周囲を見渡してみると、いつどのタイミングで現れたか分からない担任の先生と、グロテスクで巨大な魔物が戦いを繰り広げている。

 視点を変え足元に向けると、長いソックスはどこもかしこも傷つき裂かれ、露になった素肌は擦り切れ血が滲んでいる。そして、唯一痛みとして認知できた左脚を上から擦ってみると、膝の頭頂部に激痛が走り、ソックスを下ろして露になったそこは青紫に染まっていた。

「骨……とか、だいじょぶかな……」

 確信は持てないものの、何とか立つことができホッと安心したかった。だが、足元にある人らしき左手を目にし、安堵感から一気に悲壮感へ突き落とされる。

「まっ、マーくん!」

 瞬時に誰なのか分かった海涼は、しゃがみ込むと傘を置き雅毅の上半身を持ち上げる。

 意識を失ったままの雅毅にはメガネがなく、額や頬を擦り傷や切り傷で覆われ血が伝っている。それ以外の外傷はなく、重いケガはないようである。

「マーくん! マーくん! しっかして! お願いだから、目を、目を開けて……」

 ずっと意識を失った状態の雅毅に、海涼は悲痛な思いで温もりを確かめるように頬と頬を重ねる。いつしか流れ落ちる雫が雅毅の頬に何粒も落ち、凝固を始めた血液と混ざり合う。

「お願い! 目を覚まして、そして笑ってよ! お話してよ……怒ってよ……何でもいいから!」

 こんなに近くで温もりを与えても気付かない雅毅。どこか遠くへ行きそうな思いを繋ぎ止めようと、必死に頬を擦り付ける海涼。涙で浮かんだ血液が海涼の頬にも付き赤く滲む。

「お願い……気づいて……」


 典佳は激昂していた。

 学園内を混乱に陥れ、何十人もの人々に危害を加え他人を虐げてでも目的を達成しようとする考えを。そして、何よりも自分の教え子の命を奪うなど、それが国家権力だろうが全知全能の神だろうが許せない。

「このクソやろぉぉぉぉっ!」

 典佳は感情を剥き出しに飛び掛り、魔力を必要としない肉弾戦を挑む。構内の魔物達を掃討しようと戦っていた時の疲労感は消え去り、湧き上がる力を拳に込め戦う。

「フン……イマノワタシニ……ブツリテキコウゲキヲ……アタエルノハ……フカノウダ……」

 瞬発力を生かした跳躍をする典佳を、和鍋は腕を振り払う程度の動作で叩き落す。それでも怯まず、彼女は繰り返し攻撃に打って出るが手応えはなく、まったくダメージを与えられない。

「くそぉぉぉぉ! まだまだぁぁぁぁっ!」

 蓄積されていく疲れとダメージを屁とも思わず、典佳は学園のため、自分が育てる生徒のため戦う。

「とりゃぁぁぁぁっ!」

 腕を振り下ろした瞬間を逃さず、典佳は跳躍一番で顔の高さまで飛ぶと、体重を乗せた最高の回し蹴りを和鍋の側頭部に叩き込む。

グシャっと何かが折れる音のようなものが聞こえ、和鍋の頭は首を支点に鈍角に曲がる。

「ハァ……ハァ……どっ、どうだ!」

 手応えを感じた典佳は床に着地し、体勢を整えながら和鍋を見据える。

「……グッ……ナカナカキキマシタヨ……カシマセンセイ……」

 折れ曲がったまま口を開く和鍋は、両手で頭を挟み込むと元の位置に戻すため首を曲げる。グシャっと再び鈍い音がすると、和鍋の首は正常な位置に戻っていた。

「うっ、嘘だろ……」

 人知を超えた異様な光景に絶句し、完全なる力の差を感じた典佳。

「サテ……コンドハ……コチラカラ……コウゲキヲシヨウ……」

 正常に首が動くかを確認した和鍋は、直立する典佳に向け右腕を突き出す。

「グアァァァ……ゴウハッ!」

 紡ぎ出された呪文と共に、発せられた衝撃波は典佳に目掛け突き進む。それを何とかかわすことに成功したももの、それは第二の事故へと発展していた。

「しっ、しばはらぁぁぁぁ!」

 典佳は叫ぶだけで精一杯だった。彼女の背後には傷つき意識を失った雅毅と、脚にケガを負った海涼がいたのである。

二人を飲み込もうとする衝撃の波。激しい風が荒れ狂い、細かな石や室内にあるありとあらゆるものを巻き込む。

 目の前に迫る衝撃波に、海涼はもう恐怖を抱かなかった。さっき負わされたダメージが残るものの、雅毅を守りたいという思いが恐怖を超越し凄まじい潜在能力を引き出す。

「マーくんは絶対、私が守るんだからぁぁぁっ!」

 瞬時に持ったクマさんの傘を両手で横に持ち、ただ守りたいというイメージだけで衝撃波に立ち向かう。

 バチ バチ バチ

 突然静電気のような音が耳に届き、恐る恐る片方ずつ目を開く。すると、目の前には放たれた衝撃波と、それを防ぐヴェールのようなものが激しく摩擦していた。

「えっ……これって……」

 目の前で展開していることに理解できず、激しい風の中で海涼は攻撃を防いでいた。

「わっ、私、攻撃を、防いでいるの……」

 自分でも信じられない能力を前にし、思考回路がめちゃくちゃになる。

「だいじょぶ……だいじょぶだからね、マーくん……」

 気を失ったままの雅毅を見下ろす余裕の出た海涼は、受け止めていた衝撃波をどこかに逃がすというイメージを持って弾き飛ばす。

巨大な気の塊は軌道を変えると、右手の壁に衝突し激しい爆音と共に、爆風と破壊された壁の破片を撒き散らす。

「ナッ、ナンダト……コウゲキヲ……ハジイタ……」

 誇示している自信を挫かれた和鍋は、顔に焦りの色が現れる。

「アイツ……なかなかやるじゃないか!」

 爆風と共に舞い上がった砂塵に視界を遮られ、目元を腕でかばう。

 地下室は砂塵で覆われしばらく目を開けることができなかった。そして、荒れ狂っていた風も砂塵も収束に向かい、だんだんと視界が開けてくる。

「けほっ、けほっ……」

 全身土埃を浴びせられた海涼はむせながら両目を開け、ようやく室内を平静が包む。

「うわっ……すっごい……」

 自分自身も砂埃を纏い、室内も薄暗いながら動揺の光景が広がっている。

「あれ? 何だろ、紙……かな?」

 何となく見上げた海涼は、宙をひらひらと落下してくる紙らしきものを見つける。左右に揺れながらそれは海涼の目の前をかすめ、ふわっと床に着地する。

 薄暗い床に落ちた紙を拾おうと、海涼はゆっくり屈みつかもうとした瞬間、光よりも速いスピードで白い何かが視界を遮った。


 何かが心を包み込んでいた。

 あったかくもあった。冷たくもあった。

 中途半端に温かい湯水に浸かってるような、心地いい気分がした。

 体が宙に浮いたようなフワフワとした気分の中、反射的に目を閉じた海涼はゆっくりと開く。

「こっ、ここは……」

 海涼の視界に入ってきたのは、何もない無。

 一面に広がる真っ白な大地。上なのか下なのか、重力の観念を消失させる世界に海涼はいた。

「あれ? えっと、さっきまで地下室にいたはずじゃなかったっけ?」

 記憶を失ってしまったのかと、自分自身に問いかけ意識があることを確認する。

「……あっ! マーくん!」

 周囲を見渡していると、前まで地下室の床に倒れていた雅毅の姿を見つける。

「マーくん! マーくん! しっかりして」

 自分の置かれた状況を確かめないまま、海涼はうつ伏せに倒れている雅毅に駆け寄る。

呼びかけにも反応を示さず、屈み込むと優しく体を揺する。

 すると、うつ伏せの雅毅の体から半透明状の人影が煙が立ち昇るように現れる。

「えっ! まっ、マーくんの幽霊さん?!」

 不安定な形をしていたそれは徐々に姿を形成し、着物を着た一人の少女が現れる。

「あっ、あなたは、誰なんですか?」

 見た感じ、日本人形のような涼やかな雰囲気を醸し出す少女は、閉じていた両目をゆっくり開ける。

『……わたしは鞠花……おじいちゃんである陣馬浩二郎の孫……』

 幼いながらもしっかりとした口調で、和服の少女、鞠花は雅毅の体の上で浮かんでいる。

「鞠花……ちゃんか。あの、ここがどこなのか教えてくれないかな?」

『ここは……わたしの中……何十年もの永い時を生きてきた場所……』

 浮かんだままだった鞠花は、雅毅の体から降りると足袋を履いた両足で降り立つ。

「鞠花ちゃんの……中?」

『……二人には、どんな言葉を言っても許してもらえないでしょう。事件に巻き込んでしまったこと、雅毅さんに憑依していたこと。そして、おじいちゃんが残したレポートのこと。二人に知ってもらいたいんです。わたしの……おじいちゃんの願いを……』

 淡々と話を進める鞠花。しかし、その表情は暗く沈み憂鬱感に満ちている。

「鞠花ちゃんの……願い……」

 吸い込まれるような円らな瞳を見入っていた海涼は、起き上がる雅毅にやっと気づく。

「うっ……こっ、ここは……海涼……どこなんだ?」

 石を頭の中に詰め込まれたような重さを感じながら、雅毅はゆっくりと起き上がる。

「あっ、マーくん! 気づいたんだね?」

「あっ、ああ……って、誰だ、そいつ?」

 一緒に立ち上がった雅毅は、海涼と一緒にいた和服の少女に目が止まる。 

「この世界の人で、名前は鞠花ちゃん」

 無愛想に互いを見つめる雅毅に、海涼は名前を教えてあげる。

『二人にお話します。全てのことを……』

 感情に左右されず我を通そうとする鞠花は、異空間に呼び込んだ二人に語りだそうとする。

 限りなく続く世界の一部分が映画を映し出すスクリーンのようになり、そこにセピア調の映像が流れる。

 台の上にガラス管やフラスコを並べ、多くの白衣を纏った多くの研究員達が、研究に打ち込んでいる。その中心にいて、指示を与える初老の男性。きりりと締まった真剣な眼差しで熱心に研究に打ち込み、手にした研究資料と向き合っている。

 その様子が画面の中央で流れていたと思ったら、次のシーンに移り、無邪気に笑顔で手を振る鞠花のカットに切り替わり、抱きかかえられるところまで流れる。

『私が産まれて間もない頃、早くに両親を亡くしました。そのため、身寄りのない私はおじいちゃんの家に引き取られました。両親を亡くした悲しみなど知らなかった私は、大好きなおじいちゃんがいるだけで幸せでした』

 映像は続き、多くの書物に囲まれメガネを掛けた浩二郎。書物と睨めっこをしながら、万年筆を片手に何かを写し取っている。その現場を目撃した鞠花は、一度おじいちゃんを呼び、手鞠を持ったまま駆け寄る。気づいた浩二郎は鞠花を膝の上に乗せ、鞠花と会話をしている。

『おじいちゃんは、私のことを大事にしてくれました。決して寂しい思いをさせませんでした。そのおじいちゃんは、ある魔術を研究していました。

それは、過去へ行ける魔法。

 ほんの数分にしか過ぎませんが、おじいちゃんは私の記憶にない両親の姿を見せたかったのです。心の奥に眠っている拭い切れない悲しみを和らげたくて、おじいちゃんは晩年をこの研究に捧げました。

ですが、私が魔術の完成を前にして死んだため、魔術が使われることはありませんでした。一度も……』

 自分の過去と魔術の内容を語り終えると、映し出されたスクリーンは消え再び白い世界が広がる。

 事実かどうか確認の術がないものの、鞠花の話してくれたことを真摯に受け止めた雅毅と海涼は、込み上げてくる今までにない感情の奔流に流され気持ちが一杯になった。

『お二人には、謝っても謝っても、謝りきれないほど辛い目に遭わせてしまいました。けれど、知ってもらいたかった。陣馬浩二郎、大好きなおじいちゃんの思いと、使ってあげられなかった私の思い。そして、何よりも、あななたちに巡り合えた、この瞬間を……」

 手を差し伸べた鞠花の手の中は具現化された手鞠があり、それを海涼に渡そうとゆっくりと近づく。

「ずっとここで、私達が来るのを待ってたんだね……ありがと、話してくれて」

 膝を屈め、鞠花とほぼ同じ高さになった海涼は、差し出された手鞠を受け取ろうと手を伸ばす。受け取ろうとした瞬間、手鞠から眩い光線が迸りあっという間に視界を遮られる。

『……どうか……忘れないで……』


 繰り返される殴打音と破壊音。

 教え子を守るため、典佳は強大な力を得た和鍋と戦いを演じていた。しかし、力の差は歴然とし太刀打ちできる相手ではなかった。

「くっ、クソッ……どう足掻いても、勝てる相手じゃないのか……」

 和鍋の攻撃を直撃した典佳は、もう何度目になるか分からないほど壁に床に叩きつけられていた。教師という立場から、己の命を賭けてまで守ろうとする典佳。ダメージと疲労感で埋め尽くされる体を突き動かしているのは、守りたいという気力だけだった。

「フハハ……コウサン……スルキニ……ナッタカ……」

 力を得た和鍋は、己の力に陶酔するように典佳を弄んでいた。懸命に仕掛けてくる彼女を軽々跳ね返し、絶対的力を誇示する。

「だっ、誰が降参するか。生徒を守るのは、教師の役目……お前のような……人間のクズに……負けて……たまるもの……か……」

 必死な思いで立ち上がるものの、体力はピークを超え体が思い通りに動かない。そして、

典佳は崩れ落ちるように床に倒れる。

『あっ、あたしは……生徒を……守れない……教師……なのか……』

 ひんやりとした感触のする頬を床に付けたまま、薄れゆく意識の中で呟くのだった。


「……先生! 典佳先生、しっかりしてください!」

 誰かが叫んでる……女の子の声だ……

 先生? 助けに来た先生がいるのか……

 ようやく意識を取り戻し、雅毅は薄目を開けて周囲を確認しようとする。一面に広がる霞がかった世界。眠りから覚めたような視界のぼやけに、両目を擦ってみる。それでも霞は拭えず、仕方なく体を起こす。

「先生! 目を開けてください! 先生!」

 薄暗い世界の中で、女の子が誰かを揺り動かしている。ぼやけながらもその様子が見えた雅毅。

「あっ、マーくん! 気づいたんだね!」

「あっ、ああ……」

 マーくんというガキっぽい呼び方に海涼であることに気づき、ぎこちなくではあるが右手を挙げる。不規則な靴音が近づき、起き上がるのに精一杯の雅毅の視界に海涼の顔がようやく見える。

「だいじょぶ? どこか痛いトコない?」

 安堵感に包まれた顔には土や擦り傷があり、ことの重大性を物語っている。

「どっ、どうしたんだよ、その顔」

「その……いつもみたいに魔法が失敗しちゃって……」

 この場の雰囲気を和らげようと、海涼は自らの失敗談を持ち出す。

「ったく、いっつもドジだなぁ……」

 ケガを負った顔でもなお、雅毅は笑みを浮かべる。

「エヘヘ、ゴメンね……」

 そのまま雅毅を立たせると、海涼は傘を杖代わりに突き、連れ添って倒れている典佳の元へ行く。

「マーくん、典佳先生が気づいてくれないの、何とかして助けられないかな?」

 ぎこちなく床に倒れた人物を見ていくと、紛れもなく担任の典佳だった。

「むっ、無理なこと言うなよ……」

「でっ、でも……」

 お互いの確認をし合う中、腹の底から響くような音色の悪い声が耳に入る。

「オマエタチ……モウ……ユルサン……ワタシノ……サイダイノチカラデモッテ……シマツシテヤル……」

 頭上に迫った声に恐怖感を抱き、海涼は雅毅の左手を握る。繋がった指先から温かさと震えが伝わり、どんな状況なのか理解する。

『……もう、打つ手はなし、か……』

 握られっぱなしの手の感触を覚えながら、ぼやけた視界のまま見上げる。

『……さん、マサキさん……雅毅さん』

 突然、体内からこだまする声。聞き覚えのあった雅毅は、意識を集中させる。

『……私が、あなたに力を貸してあげます。その力を使って、取り憑く魔物を浄化してください』

『浄化しろって言われても、どうすればいいんだよ?』

『大丈夫……あなたならできます……なぜなら……』

 その理由を追求しようとした矢先、吸水したスポンジのようにどんどん内から力が湧き上がり、全身に満ち渡るような力の存在に気づかされる。

『オレに……できるか……やってみようじゃないか……』

 体から満ち溢れている海涼でも感じることのできる力の存在に驚き、海涼は握っていた手を離してしまう。

「どっ、どうしたのマーくん?」

「後ろ……支えてくれないか……」

 半信半疑のまま、海涼は言われた通り後ろに回りこみ自分の持てる全ての力を両腕に集める。

「フン、ナンノマネダ……」

 力の蓄えを完了した和鍋は、二人の不自然な行動に気づく。

「あんたの中に取り憑いたヤツを……浄化するんだよ……」

 傷ついた体のまま、雅毅はゆっくりと右手を開いて和鍋に向ける。

「ジョウカダ……ワラワセル……ソノママ……シャクネツジゴクデ……モガキツツケルガイイ……シエン!」

 図太い両腕を突き出し、和鍋はジェットのような質量の濃い炎を固まっている雅毅達にぶつける。

「頼むぜ……炎に焼かれるのは……葬式の後で十分だ……」

 迫り来る巨大な炎を前にして、雅毅の腕から一条の光線が放たれ、飲み込もうとする炎を掻き分けて突き進み、勢いが衰えることなく和鍋の体を貫く。

「グアァァァァァァッ!」

 獣のような咆哮と同時に、光線に触れ部分から全身に渡って眩い閃光が包み、体から上空へと黒い靄のようなものが消えていく。


「水海道君……柴原さん……無事か?」

 この事件は終わりを告げた。

 激しい戦いの末、雅毅は和鍋に憑依した魔物を浄化し事態に終止符が打たれたのだった。

「はっ、はい……」

 聞き覚えのある声に弱々しい声で、雅毅は受け答える。

 海涼が見つけてくれたレンズにヒビの入ったメガネを掛け、雅毅は海涼の膝枕に頭を乗せ天井を仰ぐ。

 一緒にいる姿を確認したリッド達とアンリは、動けそうにない状態の三人の元と向かった。

「和鍋に勝ったようだね。おかげで、学園内をうろついていた魔物達が消えたよ」

 それぞれ戦い傷つき、ダメージと疲労を纏った皆が雅毅の顔を見下ろしている。

「そっ、そうですか……それは、良かった……」

 ぎこちない笑みを浮かべていると、ユークリッドが手を伸ばし雅毅の手を両手で握る。

「みんなにも見せたかったです……マーくんの活躍……」

 空いている片方の手を、海涼は両手で包み込む。その手は、浄化する光線を放った手であり、自分達の命を救った手でもある。

「見たかったですぅ〜水海道君の活躍」

「自分もだ。学園の危機を救った現場に立ち会いたかった」

 真琴もマリーシアも学園のヒーローである雅毅に、賞賛と感謝の念を伝える。

「わたくしは、事態の収拾の旨を伝えるため、学園長殿の元へ行く。皆も、ケガの治療などあるから、速やかに来るように」

 戦い傷つきながらも、アンリは気を失ったままの典佳を肩に担ぐと、穴の外へと凄まじい跳躍を見せる。

 ぼろぼろになった地下研究室をリッド達は探索し、探し求めていたレポートにようやく巡り合う。

 ずっと膝枕しているのも嫌になった雅毅は、志願した海涼と真琴に支えられ立ち上がる。

「やっと見つけ出したよ、禁術を記したというレポート。これも全て、君達のおかげだ。もう、どんな言葉をもってしても、感謝がしきれない」

 かなり年季の入った紙に書かれた意味不明な文面。レポートを持ったユークリッドの周りに皆が集まり、それぞれ違った思いを持って見ている。

「ねぇ〜、この術を試してみませんか? 今は誰もいませんし」

 そう提案するは海涼。

 リッド達も気になる様子で、レポートの文面を注意深く読み取る。

「う〜ん、どうやら数分だけ過去へ遡ることができるらしい。だが、使用できるのは一回だけ。誰が試すんだい?」

「みっ、海涼に、使わせてやってください……」

 そう提案する雅毅の顔を、当事者の海涼は驚きを隠せない。

「えっ……私?」

「お願いします……」

 深く追求や理由を聞かないまま、雅毅はリッド達の顔色を窺う。

「僕達は別に構わないが、水海道君が試さなくてもいいのかい?」

「いいんです。オレなんかよりも、必要としているんですから……」

 必死に優しく微笑もうとする雅毅だが、顔が引きつって思うようにいかない。

「そう言ってるんだが、君の意見は?」

「……はい、私……試してみます」

 自力で立つと言う雅毅は、海涼に試す任を与え離れて見守ることにした。

「準備はいいかい? 成功するか自信はないけど、ベストを尽くすから」

「……はい!」

 三人はレポートを持つユークリッドを中心に並び、記された呪文を、声を揃え詠唱を始めた。そして、海涼は……


 和鍋の事件から一夜が明け、学園内はようやく平穏を取り戻そうとしていた。

 建物の破損は各所に見られたが、学校生活の支障になることはないものの、生徒達のケアや修理などで臨時休校となっている。

「あなたたち、今日来てくれてありがとう。事件に巻き込まれた余波があるのに、いろいろ話してくれて」

 休校となった学校に呼び出された雅毅と海涼。事件の後、医務室にて治癒魔術のできる教師や生徒の力を借り治療を受けた。そのかいあって、雅毅の顔の傷や海涼の脚の痛みも今はない。

「じゃあ、今日はゆっくり体を癒してくださいね」

「はい」

「……はい」

 昨日の事件のことを聞かれた二人は、知っている範囲内のことを理事長の八代暁子に話した。大まかな詳細はリッド達の話でもって知っていたため、雅毅達には参考程度の話を聞いたのだった。

 礼儀正しく理事長室をすぐ出たところでアンリとすれ違い、にこやかに会釈する彼女に合わせ海涼は丁寧に雅毅は大雑把に返す。

「失礼します」

「アンリ先生ですね、どうぞお入りになってください」

 常に柔らかな口調の理事長の言葉を受け、きちっとした礼節を持って入る。

「アンリ先生、仕事は完了しましたか?」

 どの仕事を指摘しているのか分からないものの、差し伸べるているソファに座る。

「ええ、はい、なんとか落ち着きを取り戻しました」

「そうですか。首謀者の和鍋先生には処分を与えました。昨日の事件も内部で処理しますし、全て丸く治まると思いますよ」

 さきほどまで雅毅達と会話をしていた理事長は、アンリと向かい合ったソファに座り全てを包むような温かな笑みを浮かべる。

「そっ、それは良かったです。構内を巻き込む事態に発展しましたけど、水海道君達お陰で救われたと思います」

 苦労を重ね、学園内を調べ上げた先の終焉に、何かあっけないような物悲しさを感じる。

「そうですか。水海道君達は、そこまで頑張ってくれたんですね」

「はい……」

 互いの腹を知り尽くしている両者は、あえて何も口にすることなく時の経過に身を委ねる。

「あっ、そういえば、肝心なことを訊きそびれていました」

 何だろうかと、アンリも内容が気になる。

「皆さん揃って『禁術』とばかり言ってますが、その術の内容は何だったのですか?」

 自分の琴線に触れない内容に、ほっと安堵感が沸き起こる。それでもアンリは、内の感情を表さず事務的に答える。

「さぁ……わたくしにも分かりかねますが」

「……そうですか」

 アンリの隠そうとしていることが分かったかのように、理事長は優しい笑みのまま何度も頷くのだった。


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