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6章

六章 気づかない何か


 何ともスリリングで波乱に満ちた一日だったことか。あのお騒がせ天然娘に付き合わされ、ドイツ生まれの先輩の命を救うため血清を探すことに。

そこからが危機一髪の九死に一生を得るような事件へと発展した。地下室に命辛々逃げ延び、通路を断たれてしまい閉じ込められてしまった。幸いなことに、その地下室は何らかの研究室だったようで、そこに探し求めていた血清があり先輩の命は救われた。結構危険な目に遭ったのにも関わらず、目立ったケガがなかった雅毅はその後何事もなく帰宅した。一日学校をすっぽかしてしまったことを忘れるぐらい疲れきったこともあり、夕食もそこそこに風呂に入り速攻でベッドにもぐるとそのまま眠ってしまった。

 まどろむことなく瞬時に眠った雅毅。普段、夢を見たという自覚はあるもののその内容まで覚えているということはない。しかし、今回現れた夢は、いままでの次元とは違うものであった。


 そこは見慣れたような光景だった。

 何も物体も液体もない虚無の世界。唯一識別できるのは色覚の黒だけ。常に縛り付ける重力もなく、フワフワと浮いたような状態で衣服を纏わない雅毅は空間の中で彷徨っていた。

 何もない暗黒の世界を彷徨っていると、突然視界を奪う強烈な光が襲う。温かくも冷たい光に包まれ、しばらく目を開けることができなかった。

『……たす……けて……』

 誰もいないはずの空間に聞こえる幼い声。

純粋で無垢で、何の穢れもない声に一瞬にして心が解れ目を開けると、光に満ち溢れる小柄な塊が佇んでいた。

『君は……』

 声を発したのはその光の塊なのかを確かめるように、手を伸ばそうとする。

『助けて……お願い……ここから……救い出して……』

 助けを求める声は徐々に嗚咽へと変わり、必死さと苦悩をありありと伝えてくる。

『何で、どうして泣いてるの?』

『……お願い……』

 雅毅の問いは聞き入れられることはなく、声を発し続ける光の塊はなおも助けを求める。

『誰なの……君は……』

 その理由だけでも突き止めよと再び手を伸ばす。触れたと思った瞬間、光の集合体であった塊は激しい光線を放ち再び視界を光が包む。暗黒の世界をも凌駕する光の量に両目が麻痺し、瞼が機能を果たすことができない。


「うあっ!」

 夢の中そのままに眩しさで目が覚めてしまい、ドッキリに驚いたような奇声を上げる。

激しい動悸と首筋を伝うじっとりとした感覚を覚え、雅毅は枕元にあるデジタル時計の時刻を確かめる。

「にっ、二時過ぎか……」

 かなり目覚めのいい視界で時刻を捉えると、落ち着きを取り戻すようにベッドの上に大の字になる。

「……はぁ、夢見て飛び起きるなんて初めてだな」

 小さな電球しか照らしていない天井を見上げ、思い出したように呟く。激しかった呼吸も落ち着き、改めて夢の内容を思い浮かべる。

「どうしてこんなに鮮明に覚えてるんだ? 今までにこんなこと、ないよな……」

 ずっと天井の一点を見据え、雅毅は急激な疲労感に襲われ気を失ったかのように再び眠りに落ちていった。


 一クラス三十人程度の中で、一人の生徒が一日休んだとしてどのくらいの生徒が気に止めるだろうか。クラスの人気者、あるいは古い言い方の番長なら無言でも放つオーラでクラスの全員が気づくはずだ。彼らとは対照的に友達も皆無に等しい生徒なら、存在感のなさに気づかれることはないだろう。唯一気づくとしたら、教科ごとの教師ぐらいか。

 この日も、クラスは活気に溢れうるさいくらいに騒々しい朝のSHRを迎える。何着持っているのか定かでないジャージ姿の担任が教卓の前に立ち、出席簿とボールペンを手に点呼をしていく。

「朝西……柴原……平島……」

 テンションは様々だが、生徒達は自分の名を呼ばれ返事をする。

「え〜っと……水海道……水海道雅毅」

 繰り返し雅毅の名を呼び、来ているかを確認する。それでもないということで、典佳は雅毅の席を見る。

「うん? 来てないのか。遅刻するなんてありえないし、欠席するなら欠席するって電話の一本ぐらいしろよな、ったく」

 普段はいる一生徒の不在に不信感を抱きつつ、典佳は点呼という勤めを続ける。

『あれ、マーくん、今日休みなのかな?』

 斜め前方にいるはずの雅毅を探すが、典佳の点呼に間違いなく、そこは空席となっていた。


 この日は、授業中に厚かましく乱入してくる闖入者も、爆発を起こすような実験もなく平穏に授業を消化してく。午前最後の授業前の小休憩の時間、いつも聞き相手になってくれてる雅毅のいない海涼は、机に頬杖を突き心配を表すようにため息を吐く。

「どうしたの柴原さん、いつもと違って元気がないね」

 海涼と長い付き合いの銀縁メガネの少女、礼央奈は落ち込むような仕草を目にして声を掛ける。

「うん……マーくん、どうして休んだのかなって心配しちゃってね」

 頬杖の体勢のまま、海涼は傍らで立っている礼央奈の顔を見上げる。

「普段休むなんてことないからね。何か理由があって休んだと思うけど……」

「ねぇ〜、マーくん風邪を引いちゃったのかなぁ? それとも、来る途中で交通事故に遭って大ケガしちゃったのかな? それとも、極悪非道な魔王に連れ去られて、体を乗っ取ろうと怪しい魔法を掛けられちゃってるのかなぁ……」

 どんどんリアリティーのない空想にのめり込んでいく海涼。単なる妄想なのにも関わらず、感情的になってしまい両目を潤ませる。

「どんどん、非科学的になっていってる……大丈夫だよ、きっと風邪を引いてしまって休んでいるだけだよ」

 これも自分の役目とばかり、現実から逃避しがちの海涼に教える。

「風邪で休んでるなら、やっぱり、お見舞いに行かなくちゃでしょ?」

 頬杖から頬を離し、海涼は少しトーンアップする。

「でも、水海道君の住所、分かりませんよね? 誰か、知り合いに聞かないと……」

「あっ! 平島クン!」

 ちょうど海涼の席の側を通りがかる翔馬を呼び止め、雅毅についてのことを聞き出そうとする。

「あい? 何の用?」

 突然に呼び止められ、行進を途中で止めたような体勢になる。

「マーくん、うんん、水海道君と友達だよね平島クン?」

「おお、アイツとは物心つく前からのダチだぜ。そんな俺に何の用なの、海涼ちゃん?」

「今日、どうして休んだのか聞いてない?」

 哀願にも近い真っ直ぐな潤んだ瞳で海涼は見上げる。

「う〜ん、俺もさっきメールしたんだけど、中々返ってこないんだよね。小・中と休んだことねぇんじゃねぇのってくらい休んだことがないのに、今日は音信不通なんだよ」

 やはり、普段は休まない雅毅が休むのにはなにか理由があると判断し、海涼は感情むき出しに翔馬に詰め寄る。

「ねぇ、ねぇねぇねぇ! マーくん、いや、水海道君の住所教えて! どーしても、なんとしてでもお見舞いに行きたいの! お願い、お願いします!」

 自分の願いを聞き入れてもらうため、生徒がいる教室のなかだというのに、翔馬につかみ掛かり必死に体を揺する。

「そっ、そりゃあ〜別に問題ないけど……教えても、目的地まで辿り着けるの?」

 つかんでいた手を離すと、意気込みを見せ付けるように右手を握りこぶしにする。

「だいじょぶ! 互いに繋がる気持ちがあれば、無人島でも巡り会えるよ!」

 妙にテンションの高い海涼に完敗し、翔馬は渡されたメモ用紙に雅毅の住所を書く。

「よ〜しっ! 放課後、マーくん家にいくぞぉっ!」

 フルスロットルに入った海涼は、作った拳を人目もはばからず振り上げるのだった。


 雅毅がどんな理由で学校を休んだのか、その理由を知りたいことで頭が一杯になった海涼は、午後の授業などただ聞いているだけの状態で理解することはなかった。一日の授業が終了すると、一目散に礼央奈を連れ立って、制服や荷物を持ったまま出歩かない学園外へと出た。

 寮住まいの二人にとって、学園外の世界は海外に等しく全てが珍しく感覚を惑わせてしまう。翔馬からもらった水海道家の住所は簡素なもので、どこでどちらに曲がるかぐらいしか記されおらず、順路はさらに迷いを増す。互いに繋がるものがあれば巡り合えると断言した海涼だが、相思相愛でないのか、それともそんなのは迷信なのか定かでないが、スムーズに雅毅の家までは行けない。

「うぇ〜ん、マーくの家はどこなのぉ〜」

 学園外を歩くマントを翻す女子生徒二人。道順に四苦八苦し、夕方の住宅地にて地図を頼りに彷徨っていた。

「やっぱり、平島君に案内を頼めばよかったのかもしれないね」

 翔馬に描いてもらった地図と建物を睨めっこをして、海涼は初めて訪れている住宅地の中を歩く。学校指定の学生カバンとクマさんの傘を片手に、もう片方の手に地図という格好で雅毅の家を探している。早く会いたいという気持ちが焦りを招き、嫌でも分からない道が余計に惑わす。

「どこかでマーくんが立って待っててくれないかなぁ……」

「そっ、それは無理だと思うよ。向こうは来るなんて知らないんだから……」

 道を案内することのできない礼央奈も多少なりと迷っている責任を感じ、一途に思っている海涼の助けになってあげたいと思っていた。

「あっ、あそこ、電話ボックスがある。あそこを左に曲がれば、マーくんの家だ!」

 ようやく最後のヒントを見つけ出した海涼は、駆け足に電話ボックスを左折する。その後を慌てた様子で礼央奈も追いかける。

 先に曲がった海涼を追いかけると、彼女はある一軒の家の前で立ち止まっていた。

「柴原さん、見つけたの?」

「うっ、うん……ここ、みたい……」

 門前に置かれた表札を見ると、間違いなくあまり馴染みのない『水海道』と書かれている。

「あぁ〜ドキドキするぅ……」

 用済みとなった地図を描いたメモをポケットにしまい、人指し指を立てインターホンに手を掛ける。

 ピンポーン

 独特の音が玄関の外にいる海涼達にも聞こえ、しばらくして家の中からゆっくりとした足音が聞こえてくる。

「はぁ〜、やっと会えるんだね……」

 高鳴る鼓動を抑えながら、私服で登場するであろう雅毅を待ちわびる。

 玄関先の三和土で何かを履いている物音が聞こえ、いよいよ対面の時が来る。

「……はい?」

 内側からドアを開けた人物、その人は見覚えがあるのにどこか違和感があった。

「あっ、あの……雅毅……くん……は……いま……すか?」

 絶句してしまう海涼に対し、出迎えた人は見慣れない制服の少女達を訝しげに眺める。

「あんた達、雅毅に何の用?」

 ジーパンに七分丈のシャツで現れた人物は、雰囲気的にやる気のなさを醸し出し、細長いメガネを掛け、姿を見ると雅毅とそっくりなのである。

「あの……元気かどうか、えっと、お見舞いです。お見舞いに来ました」

 背丈も変わらないホントに瓜二つの姿に驚きを隠せないまま、海涼は今思いついた訪れた目的を口にする。

「あっ、そうなの。まぁ、上がれば」

 無愛想さも姉譲りといった感じで、雅毅の姉らしき人物は二人を招き入れた。


「雅毅の部屋は、階段を上がった左の部屋だから」

 海涼達を入れた姉らしき人物は、あっけらかんとした態度で雅毅の居場所を教えると家の奥へと行ってしまった。階段前で立ち止まった海涼と礼央奈は、それぞれ階段の上や家の奥を見ていた。

「あの人、マーくんに似てるね」

「似てるどころか、双子と言っても信じますね」

 いきなり現れた雅毅とそっくりな人物に驚く二人。親戚はよく似るといわれるが、背丈も格好も似ているとなると狐にでもつままれたような違和感がある。

 あまり横幅のない階段を礼央奈を先頭にして上る海涼。高校生になって、それも男子の部屋に入ろうとしている海涼の心臓は心拍数を増す。足元を確かめるようにゆっくりと上り、左右に部屋のある踊り場で止まる。

「いよいよ、マーくんとご対面だね」

「ちゃんとお見舞いしましょうね」

 小声で交わすと、冷静を保つように一呼吸を置いてドアをノックする。

『あっ、はい、どうぞ……』

 弱々しくではあるが確かに雅毅の声が室内から聞こえる。ちゃんと許可を得て、海涼はドアノブに手を掛ける。

「……あれ、姉貴?」

「マーくん、体の調子、だいじょぶ?」

 見当の中にいた違う人物の声を疑問に思いつつ、ベッドから出た雅毅は枕元に置いていたメガネを掛ける。

「来たのかよお前達。っていうか、誰からこの住所を聞いた?」

 思いも付かない人物の訪問に驚き、掛けていた布団を一気に剥がす。

「えっと、マーくんの友達の平島君から」

「ったく、アイツか。余計なことしやがって……」

 友達のありがた迷惑な行為に頭を抱える雅毅。パジャマとして使用しているのか、ベッドから起きた雅毅は上下同じ色のトレーナーを着ていて、まさにラフな格好をしている。

「平島君から聞いたよ。小・中学校と全然休んだことがない雅毅が、どうして休んだんだろうって」

 雅毅の許可なしに少しだけ室内に入り、礼央奈も雅毅の姿が見えるまで距離を詰める。

「……まぁ、座れよ。せっかく来たんだし」

 ベッドの上で胡坐をしながら、雅毅は立ちっぱなしの二人をカーペットの敷いた床に座らせる。

「あの……お身体は大丈夫なんですか?」

 丸くカットされた毛足の短いカーペットに膝を折って座る二人。海涼は手放せないクマさんの傘は床に置くものの、手を離そうとはしない。

「まぁ、今ンとこはだいじょぶだ。昼間はダルくて起きれなかったけどな」

「そうなんだ……」

 思ってた以上に重体でない雅毅の姿に安心感が募り、ガス抜きのような安堵のため息がこぼれる。

「お〜い、ジュース持ってきてやったぞ」

 雅毅の様子を気遣っていた時、薄めの丸いお盆に、オレンジジュースの入ったコップを三つ載せた雅毅そっくりな女の人が来る。

「ああ、あんがと」

 軽く礼を言うと、女の人は海涼と礼央奈にそれぞれコップを持たせ最後の一つを雅毅に持たせる。

「よぉ、どっちなんだ? どっちが本命なんだ?」

 コップを持たせると、何やら小声で耳打ちをする。

「はぁ? いきなり何言ってんだよ」

「女の子が二人も見舞いに来るなんて、友達以上の感情がなきゃねぇだろ」

 こそこそと小声で品定めのような会話をし、楽しそうに会話をしている海涼達をじろじろ窺う。

「お前の好みは、まあまあってトコか。早くガールフレンドゲットして、短い学園生活をエンジョイしろよ」

 病人にするにはきつめな強さで雅毅の頭をゴシゴシ擦りつけ、にんまりとしたり顔を見せつける。

「じゃっ、ごゆっくり。手厚く看病してあげな。若いもンは若い同士、お邪魔な姉は引っ込みま〜す」

 何を期待しているのか、コップを全て渡し終えた姉は、意味深い視線を海涼達に向けながら出入り口の前に立つ。

「ったく、用が済んだんならとっとと出て行けよ!」

 姉の魂胆が見え見えだった雅毅は、煩わしい姉を追い出す。

「へいへい」

 雅毅と同じようなメガネを掛けた姉は位置を直すと、つまらなそうな表情で部屋を出て行く。

「あの人……」

「……ああ、オレの姉貴」

 嫌な気分を振り払おうと、持たされたジュースを半分近くまで一気に飲み乱暴に枕元の台に置く。

「とっても、似てますね」

「そうかな?」

 一陣の風が吹きぬけていったように、三人は姉が出て行った戸口を見ていた。

「そっ、それにしても、マーくんのお部屋って空が多いね」

 気を取り直すようにジュースを一口啜ると、部屋の至る所に貼ってある空の写真に気づく海涼。

「うん? まぁ、好きって言うか、心が落ち着くって言うか、空って同じように見えて意外と違うトコがあるのが面白いんだ」

 部屋中いたるところに貼られた空の写真。雅毅の言うように、雲の形、大きさ、多種多様な人間の顔が一人ひとり違うように雲の姿も違う。

「あんまりじっくり見たことはないですけど、そう思うと確かに、季節によっても天候によっても空の表情は変わりますね」

 雅毅の言動に動かされ、今まであまり興味など持つことのなかった二人も空の写真を観賞する。

「でも、クマさんとかアイスクリームとか、形のはっきりした雲はないんだね」

 一様に写真を見終わった海涼は、何とも幼稚な感想を呟く。

「そんな雲あるかよ」

 飲みかけのジュースを飲みきり、雅毅は海涼達と向かい合うようにベッドの縁に座る。

「え〜無いのぉ?」

「あったら、世界がひっくり返る」

 付き合いきれないとばかりに、雅毅は頭を振る。

「そうそう。今日はどうして学校を休んだの? 症状が軽いのは置いといても、休んだ原因は何?」

 両手でコップを握りながら、ベッドに座っている雅毅に訊く。

「よくわかんねぇだけど、朝、すっげぇ体がだるくて、ベッドから起き上がることもできなかったんだ。風邪でもねぇし、バカみたいに働いたわけでもねぇのに、突然体が動かなくなったんだ」

 身に降りかかったことが嘘だったように、今の体はなんともない。あの時の身に起きた出来事は何だったのか? 強烈な重力に押さえつけられたような、体中を拘束着で締め付けられたような感覚。霊体験とは異なる、もっと違う精神的な負荷を与える不思議なものだった。

『まさか……夜中に見ていた夢と関係があるのか……』

 不思議体験など半信半疑なものばかりだが、雅毅の身に起きたことは不思議系繋がりでそれぐらいしかない。

「突然の倦怠感ですか……何とも不思議な症状ですね」

「ねぇ、礼央奈ちゃん。ケンタイカンって何なの? すっごい重い病気なの? マーくん死んじゃったりするの?!」

 雅毅に関することで、何か難し気な言葉を耳にして海涼の恐怖感は煽られてしまう。

「簡単に殺すなよっ!」

「けっ、倦怠感というのは、簡単に言ってしまうと体がだるくなることです」

 海涼の天然さ加減には付き合いきれないとでも言いたげに、雅毅はがっくり頭を落とす。

「へぇ〜、だとすると、貧血みたいな感じかなぁ?」

「近いような……遠いような……」

 どのように説明すれば理解してもらえるのだろうと、礼央奈は難しそうに悩む。

「でも、よかった。もっと重い病気かと思ってたけど、こうやってお話ができたから安心した。明日、学校に来れるよね?」

「ああ、何とか行くよ」

 雅毅の元気とまではいかないものの、その姿と話ができた海涼はそれだけでも満足感に浸れた。

「良かった。あっ、もうすぐ寮の夕食の時間だから帰るね。お姉さんに、ジュースご馳走様でしたって伝えてね」

「今日はお邪魔しました」

 押し迫った時間を気にし、二人は荷物を手に立ち上がる。

「じゃっ、また学校で会おうね」

 荷物を持たない左手を振る海涼。礼儀正しくカバンを両手に持ち深々と頭を下げた礼央奈。違った別れ方をすると、二人は礼央奈を先頭に部屋を後にする。海涼は別れを惜しむように満面の笑みを浮かべながら繰り返し手を振る。雅毅も釣られるように片手を挙げて見せていた。

「じゃあな。道に迷うなよ」

「うん!」

 部屋を出る最後のタイミングで頷いてみせる。そしてドアが閉じられると、それまで明るい雰囲気に包まれていた室内を寂しげな空気が流れた。

「……この部屋って、こんなに静かだったか……」

 両膝の上に両肘を乗せ、両手を頬に置いた雅毅はしみじみと部屋の中を眺めるのだった。


 玄関先の三和土で靴を履く二人に包丁の心地いい音が届く。時間の経過と同時に空腹感が募る。

「お邪魔しましたぁ〜」

 きっちりと靴を履いた二人は水海道家を出る。そして、玄関を出てオレンジ色から紫に染まる空を眺め、礼央奈はあることを思い出す。

「あの……帰り道って覚えてます?」

 心なしか不安で埋め尽くされた礼央奈は、おずおずと隣にいる海涼に尋ねる。

「……うんん」

 半ば誇らしげに、にこやかな笑みを浮かべつつ海涼は首を左右に振るのだった。


 丑三つ時ぐらいの時刻のこと、完全に眠りについた学園内の図書室に灯る一つの明かり。

人気のない不気味さを醸し出す空間にも関わらず、一人の女性がある分厚い書籍を読みふけっていた。

「……なるほど、過去にこのようなことがあったのか。そうなれば、あの子にも前兆が……」

 注目すべき点を見つけ出したアンリは、学園内で起こっている事実に直面するのだった。


 温かな空気に包まれ、桜の咲いていた季節はもう過去のこと。街は濃い緑で覆い尽くされ、キラキラ眩しい陽光があちこちに恵みをもたらしている。世間一般で流行病のような五月病も半ばに差し掛かり、挫けそうな心を押し留めた新入生は我慢の限りを尽くしながら毎日を過ごす。

「あ〜ダルすぎ……」

 何とか学校にカムバックを果たそうと懸命に歩みを続ける雅毅。凛々しく制服を整えているにも関わらず、朝から襲う急激なダルさに心も体も弛み、体全体に及んで力が入らない。

『何なんだよこのダルさ。頭も痛てぇし、胸も苦しいし、どうなっちまったんだオレの体

……』 

 お喋りしながら登校している生徒にも追い越され、近いと思っていた学校がこんなにも遠いと実感したのはこれが初めてだった。

「はぁ……はぁ……休んでばっかいられねぇし、早退してもいいから、学校に来たっていう事実だけあれば出席にはなるもんな」

 筋肉痛よりもきつく重い足取りのまま、活気に溢れる校門を抜け生徒玄関へと向かう。どんどん構内へ入っていく生徒の中、一人見慣れた生徒が玄関付近の流れの中に佇んでいた。長い黒髪を垂らし俯く姿は、現代のチャラチャラした女子高生も見習えと宣言したくなるほど落ち着いている。

「せっ、先輩……」

 重い足取りで近づくと、向こうも存在に気づき顔を向ける。

「水海道、おはよう」

「どうしたんですか? 誰か待ってるんですか?」

「あっ、ああ、まぁな……」

 何か照れのようなものをひた隠すように俯き、ポケットからしっかりアイロンを掛けたハンカチを取り出す。

「……これ、返す。恩はきっちり返すのが、自分のポリシーだ」

 無理矢理雅毅に返すように渡すと、今度はカバンの中から小瓶を取り出す。

「何ですかそれ?」

「これは、代々久無家で継承され続けてきた『蘇力錠』というものだ。鍛錬後など、急激な体力の消耗時に一錠飲むだけで活力が戻る代物だ。お前、まだ体調が悪いのだろう?」

「どっ、どうしてそれを知ってるんですか? 担任と友達しか知らないことを」

 核心を突いてしまった自分の失言に、真琴はかーっと顔が上気してしまう。

「……りっ、リッドから聞いたんだ。昨日、学校を休んだということを」

「そうなンすか……」

 全てを熟知していると豪語していただけあって、身近のある生徒が学校を休んだことなど瞬時に分かるのだろうと雅毅は思った。

「これを一錠飲めば、体調は回復するにはするんだが……」

 蘇力錠の入った瓶を渡そうとする手に躊躇いがあり、雅毅の手に置いても離そうとはしない。

「するんだが?」

「……これには独特の副作用があって、激しい泣き笑いが出て止まらなくなってしまうんだ」

 彼女がどうして躊躇っていたのか、これではっきりとする。

「うっ……激しい、泣き笑い……」

「短くて一日。長くて三日だ……」

 飲んで体力が回復しても、引き起こるとてつもない副作用を耳にして一気に飲む気は減退する。

「……でもだ、飲めば瞬時に体力は回復する。それは保障する」

「うっ……まっ、まぁ、すっごく必要だって思う時に飲みますよ……」

 人の善意を無下に断れず、雅毅は渡された『蘇力錠』をもらうことにした。

「……元気になれよ。顔を見せないだけで、近くにいる奴らは気になるんだからな」

 自分のしたことがとても恥ずかしかったようで、真琴は呟くと足早に生徒の中へ消えていった。


 雅毅を襲うダルさは治まる気配などなく、机に向かうにしても頬杖をしていなければすぐにグタッとしてしまうほど深刻なものだった。周囲の目も次第に哀れみを含むようなものになり、痛々しい視線がチクチクと刺さる。

 真琴から渡された『蘇力錠』を飲む気にはならないが、出席したという気力だけで授業に参加し、現在、枯れ葉に火を点けるということをしている。

『あ〜ダリぃ……この時間終わったら、医務室でも行くか』

 フラフラな状態のまま、雅毅は頬杖で堪えながら小枝を握り強化ガラスの皿に置かれた枯れ葉に火をつけようとする。

 周りの生徒は、いつものように熱心に真剣に話を聞きながら実践している。しかし、成功するものは少なく、焚き火のような焦げ臭さが室内を充満している。

「え〜っと、空気も焦がす業火の炎よ、我が前に姿を示せ」

 何にも真剣みもなく呪文を唱え小枝を振るう雅毅。努力しなくても魔術を使いこなせるという自覚があり、今日も授業を終わらせようとした瞬間、

 ぐおぉぉぉっ! 

 獣の咆哮のような轟音が発生し、同時に圧縮された質量の多い火柱が立ち上がる。教室にいた誰もが気づき、けたたましい轟音と熱波が室内を覆う。

「なっ、何だこれはっ!」

 事態の確認しようと近づいてきた男性教師は、黒煙が立ち込めるガラスの皿をのぞく。

「おい! 水海道、お前はどういう魔力のコントロールをしているんだ! 枯れ葉を焼くどころか、学校中を火の海にする気か!」

 今までガラスの皿に置かれていた枯れ葉は無残に炭化し、机、皿、天井まで至る所を煤だらけにする。

「そっ、そんなつもりないっスよ……」

 持っていた小枝も無残に焼け焦げ、半分までの長さになってしまっていた。

『完璧に魔力をコントロールできるはずのマーくんが、こんな失敗するなんて……』

 クラス中の生徒が慌てふためく中、海涼は冷静にいつもの雅毅とは違うということを見抜いていた。


 あまりのダルさに、雅毅は午前の二時間を医務室で過ごした後、昼食を摂るため教室に戻っていた。それでも体調は回復せず、ダルさを引きずった状態の彼は動く気力すら起きず、そのまま机に突っ伏していた。

「お前、ひでぇ顔してるな」

「ホント、元気がないですね」

 午前中の二限を休んだ雅毅の体調が気になり、心配していた翔馬、礼央奈、そして海涼が席の周りに集まる。

「やっぱり無理しちゃだめだよ。早退して、お家に帰った方がいいよ……」

 家まで押しかけ、雅毅の体調の悪さを熟知している海涼は、悪い状況を押してでも学校に来ている姿に哀れみを感じていた。

「だっ、大丈夫だ、さっきよりもちょっとは良くなったから……」

 重たそうな体をもたげ顔を上げて見せるが、目は死んでいて覇気をまったく感じない。

「無理すんなよ。学校来ただけでも辛そうだってのに」

「分かった。昼休み休んだら早退するよ……」

 辛い中で必死な苦笑いを浮かべ、雅毅は微量ながら元気であることを見せつける。

「水海道雅毅はいるか!」

 突然、気が抜け切っている教室に響く緊張感。たわいのない会話で満ち溢れている教室内を見渡した、独特の格好をした女性は室内を見渡し目的の人物を探し当てる。

「時間がない、急ぎ来てくれ」

 他に目もくれず、女性はぐったしとしている雅毅の手を取り無理矢理連れ出す。

「ちょっ、ちょい……」

 あまりの一瞬の出来事に誰も対応しきれず、翔馬達は立ち尽くすばかりだった。


 強引に連れ出された雅毅は、見ず知らずの女性に腕を引っ張られた後、学園の教師達が使用している研究室に連れ込まれた。

「はぁ、すまない。こんな強攻策を取ってしまって」

 周囲をくまなく確認した後、女性は研究室のドアを内側から施錠し誰からも邪魔されないようにする。

「なっ、何ですか、いきなり連れてきて。オレ、何か悪いことしました?」

 グタッとしてしまっている雅毅を手近な椅子に座らせ、連れ出した女性はキャスター付の椅子に持ち出し座る。

「君には何の罪もない。だが、君の体に起きていることはとても重要なことなのだ。自己紹介しておく。わたくし、アンリ・ペッテンバウアーという教師だ。専攻はフランス語と星座学をして……前置きはいい、わたくしは上からの命で、この学園にあるといわれる魔術をこの世から葬り去る任に当たっている。わたくしには分かっている、学園内で起きていること、皆が探し求めているもの、そして、君の身に起きている不可解な現象も」

 脚を組み直しながら、アンリは度の強いメガネを直す。

「だったら、もったいぶらずに教えてください。オレの身に何が起きているんです?」

 自分の身に起きていることを何としても聞き出すため、ダルい体に活力を漲らせる。

「君の身に起きた一連の現象は、全て皆が求めている禁術を記したレポートに起因している。異常な魔力の上昇、不可解な倦怠感。全て、陣馬浩二郎が仕掛けたことなのだ」

 前に聞いたことのある名前だった。

 陣馬浩二郎。

その人物が、入学してからの雅毅の良し悪しを定義し、レポートにも関わりを持っている。

「でも……何で、何でオレなんですか? 魔法に興味も関心もない、オレなんかを選んだんですか?」

「その理由に関しては分かりかねるが、君の身に起きていることは一刻を争うのだ。君は、レポートの封印を解く鍵だ。このまま放っておけば、倦怠感は深刻化し、命を落としてしまう。その前に、レポートの封印を解き、君の命を救い、禁術をこの世から消す手助けをしたいのだ。協力してほしい」

 メガネをしていても伝わる眼光の鋭さに一瞬気圧される雅毅。全て身の知らないうちに展開していただけあり、理解のスピードを遥かに超えている。

「勝手なことを言わないでくださいよ! オレ、何にも関係ないじゃないですか! 巻き込まれた上に協力してくれなんて、ムシが良すぎますよ!」

「何と言おうが、君はただ協力してくれさえすればいい。自分の命を捨ててもいいのか? 助けられるのは、わたくしだけだ」

 右手を胸に当て、アンリは自信ある所を見せつける。

「もう、後戻りはできないのかよ……」

 力なく呟いた雅毅。改めて、自分という存在が嫌になり、この世の理全てが敵であると悟るのだった。


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