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4章

四章 絆の大切さ


 あの事件は、本当に自分の身に降りかかったものなのか……

 無残に破壊されてしまったラボ棟の屋上。今は、クレーンや業者が入り急ピッチで修理が進んでいる。壊れた理由は学園に所属している生徒に知らされていないが、学校関係者、主に地位の高い教師や理事長などには伝わっているはずである。

 誰がどのような手段で破壊行為を行ったのか。それは、時間が経つにつれ有耶無耶にされ、単なる問題行為として処理され今日も何事もなく学校は運営されている。

「ふぅ〜」

 実習室の帰り、ホームルームに戻る途中に立ち寄ったトイレ。自然な成り行きで立ち寄ったトイレは、学校のトイレは汚い・臭い・狭いの三大要因があるほど代表視され一番に近づきたくない場所として君臨している。私立校であるがゆえなのか、最近になって整備されたのか分からないが、カシミシュナ学園高等学校のトイレは清潔そのものなのである。男女共通でほのかにフローラルな香りが充満し、用を足した後などセンサーで反応し自動制御で水を流すなど配慮が行き届いている。トイレ清掃も業者が入り、常に清潔に保たれておりまさに憩いの場となっている。手を拭くための紙や、自動乾燥機など設置されトイレの悪いイメージを払拭している。

 洗面台の側に授業で使用するテキスト類を置き、雅毅はハンドソープを手に付け、匂いの付いてしまった両手を洗う。両面まで濡れてしまった手のまま鏡に映る自分の前髪を整え、引き出した紙で手を拭く。丸めてくずかごに捨てようと鏡から目を離し、再び鏡に映る自分の顔を見ようとした瞬間、さっきまでいないはずの生徒が鏡に映っていた。

「……何スか?」

 眼球だけを動かし、背後に立っている生徒に目をやる。背後の壁にもたれかかる様に腕を組んで立っている生徒は、きりっと締まった表情でじっと鏡に映る雅毅を見続けている。

「……話がある」

 事務的な口調で言ったのは、前に授業中にも関わらず無断でクラスに入ってきた生徒の一人、ユークリッド・ウェルバックだった。

 何も肯定の意を受けてもいないというのに、彼はトイレを出て行く。雅毅も、苦虫を噛みつぶしたような嫌な顔をし、テキスト類を持つと後を追うようにトイレの外へ。

 ドアを抜け廊下に出てみると、生徒が行き交う反対側に佇んでおり、雅毅はその間を縫ってユークリッドの側へ行く。

「……話って、何スか?」

「気丈に振舞うフリなんて、中々、肝が据わっているな。驚いたよ、重力を自在に操る教師の攻撃をかわし、屋上から逃げ延びるなんて」

 まるでその現場にいたかのような冷静な言葉に、雅毅は一瞬にしてあの時のことを思い起こされてしまった。

「……屋上って、何のことですか?」

 忌まわしい出来事が頭を過ぎってしまうが、持ち前の自制心をフルに使い表情に出ないよう努める。

「別に隠す必要なんてない。全部知ってるんだ、君を襲えと命令した人物や関わっている人物まで、何もかも……」

 その何もかも見透かすような視線を嫌い、雅毅は誤魔化すように俯く。

「そう言うなら教えてくださいよ、誰がオレの命を狙ってるんです?」

「君の命を狙わせているリーダー、化学担当の教師、和鍋敦史という人物だ。彼は禁術を記したレポートを手にするだめだけにこの学園に来て、夜な夜な教師達が使用している研究室を探し回っている。野心家で、目的を達成するためには手段を選ばない冷徹な男だ。そして、彼の手下のような存在の教師が数人ほどいる。君を襲ってきた教師も、多分この中に含まれているだろう」

 同じ目的を持っているだけあり、敵の情報収集に抜かりはないらしい。雅毅を狙うリーダー格の人物のについて知っているようなど、やはり優秀としか言えない。

「リーダーが誰なのか分かりましたけど、命を狙うのが分からないんです」

 自分を狙う人物がはっきりし、多少なりと疑惑は晴れたつもりだ。晴れはしたものの、物事の核となる部分がいまいちつかめない。

「そんなことは単純だ。多分、大体での君の活躍が目に入り、後々脅威になると判断して今のうち芽を刈ろうとしているんだ」

「そんな……オレは、何も関係ないじゃないか! 関わってもいないのに、どうして命を狙われなきゃいけないんですか!」

 人の目など気にする余裕もなく、雅毅は理不尽な仕打ちに対しユークリッドに胸倉をつかむ勢いで噛み付く。

「元々、この世は理不尽なことばかりさ。それを打開するには、力を持って制さなくてはならない。そうするためにも、水海道君、君の協力が必要不可欠なんだ。そうすれば、君の命を守ることだって可能だし、僕達にとっても何よりも強い味方になる。君を守れるのは、僕達だけだ」

 前回と同様、ユークリッドは仲間にならないかと誘い掛ける。しかし、前回とは異なり、彼の言ったことが現実に起こりケガ人まで出ている。これ以上の被害が出る前に、こっちから打って出る時なのかもしれない。

「ちょ〜っと、待ってぇぇっ!」

 言葉を考えあぐねている所へ、どこでどんなふうに聞いていたのか知らないが、誰もが注目するような声を上げ女子生徒が現れる。

「こそこそと先輩さんと会ってたのは、そんな理由だったんだね?」

 雅毅と同じテキスト類を持った少女、海涼は両手で抱きかかえるような格好で現れ、颯爽と雅毅とユークリッドの間に割り込む。

「またお前か。邪魔しないでくれ、話がややこしくなる」

「ぶぅ〜、話がややこしくなるって酷いよ〜、私だって現場にいた張本人なんだよ」

 あの日負ってしまった怪我がまだ完治してないようで、ソックスを履いていてもケガをした場所が不自然に膨らんでいる。

「君は確か、教師に襲われた時に一緒にいた、柴原海涼さんだね?」

 名前だけしか聞いていなかったユークリッドは、初めて海涼と対面した。

「あれぇ? 先輩さん、どうして私の名前を知っているんですか?」

「上級生ともなれば、あらゆる情報を熟知しなければならないんだよ。学園内で起きた些細なことまで、僕らにとって重要なことなんだ。生徒に危害が及ぶものなら、特にね」

 海涼の何ともしらっとした質問に対し、ユークリッドは笑みを浮かべつつも真剣さをひしひしと感じさせる。

「へぇ〜、上級生になると、大変なんですねぇ〜」

 心底間の抜けた答えを返し、海涼は進級することに生じる大変さを学ぶ。

「おい。お前は、納得するためだけに登場したのか?」

 奇妙に場の空気を壊した海涼の厚顔無恥ぶりを、脳天チョップを交えて諭してやる。

「あっ、そうだった。もっと大変なことがあったんだ」

 雅毅の左チョップを受けたまま、自分のしようとしていたことを思い出す。

「どっちの側に付こうとしなくても、自分達だけで探しちゃえばいいんだよ。そうすれば命を狙われないし、すっごい魔法使いになれちゃうかもしれないし」

 まるで遠足へ行くための算段をしているかのような口ぶりで、海涼は安易な考えを抱いている。

「ちょっと待て。自分達ってのは、誰をさしてンだ?」

 引っかかるポイントを聞き逃さず、すかさずツッコミを入れる。

「それはもちろん、私とマーくんだよ」

 無邪気というか無頓着というか、話の内容も何も考えもしないようなことを言う。話を聞いていた割に、理解する前に右耳から左耳へ抜けていった節がある。

「分かってないようだなお前は。オレは、誰に付く付かないじゃなくて、こんな事件に関わるのはゴメンなンだよ。何だか知らないレポートにだって、生徒と教師の争いだって全然興味ねぇンだ」

「だいじょぶだよ。マーくんには才能だって、すっごい魔力だってあるんだよ。屋上で先生に襲われた時は怖いって思ったけど、どんな敵だって、どんな障害だって必ず乗り越えられるよ」

 彼女なりの説得させる言葉なのだが、何の確証も根拠もなく、本人が認めない限り何の効力を持たない。

「なんて大胆なことを言うんだ。僕達が何ヶ月費やしても見つからないものを、君達二人だけで探し出すなんて不可能だ」

「あっ、あのなぁ……」

「そんなの、やってみないと分かんないですよ。さっ、マーくん、次の授業があるから教室に戻らないとね」

 会話を挟む余裕を与えず、海涼は雅毅の背中を押し強引に連れ出す。

 廊下を通る他の学生も、迫る時間にゆっくりだった歩調も幾分早くなっている。

「稀代の一年生に、怖いもの知らずの女子生徒。フッ、僕らもうかうかしてられないな」

 他人の迷惑など省みずに背中を押す海涼の後ろ姿を見送りながら、ユークリッドは不可能を可能にしてしまいそうな脅威に肩を竦めるのだった。


「う〜ん、水海道君、協力してくれないんですか〜?」

「そうらしい。クラスメートのミス・柴原が自分達だけで探し出すとか言い出して、水海道君はそのまま行ってしまったよ」

「フッ、無責任な。相手にしようとしている勢力も知らないで、おめでたい連中だ」

 相手方の動きも活発なものとなってきた今、一秒でも惜しい彼らは授業や研究などそっちのけで、禁術が記されたレポートの探索をしている。

 大体での出来事を見ていた敵。何も関係ないというのに、水海道雅毅を脅威として認定し消そうとしている。まだ自分の力を使いこなせていないというのに。

 そのような段階にも関わらず、柴原海涼は彼の力だけを頼りにレポートの探索をしようとしている。どんな不利な状況に追い込まれても、自力で打開するだけの力がないというのに。その状態のまま敵と相対しても、勝機は微塵もない。

「まぁまぁ、自分達に探索できる能力がないことぐらい、彼らだって知ってるさ。一瞬だけでも夢を見たって構わないだろ?」

 本気になって物事を見通す真琴だけあって、冗談や笑いを受け入れられないほど頭が固い。

「そうだといいんだがな……」

 窓から差し込む光だけが室内を明るくし、三人はそれぞれ分かれてレポートの探索に当たる。

 数分が経過し、それぞれ思い当たる箇所を探したものの、やはりと言うしかないくらいこの場所にもなかった。

「はぁ〜、ここにもなかったですぅ〜。このまま学園中探しても、無いかもしれないですぅ〜」

 制服やマントに付いてしまった埃を叩きながら、マリーシアは二人が待つ部屋の中央に行く。

「そう簡単に諦めちゃいけない。この学園のどこかに必ずあるはずなんだ。根気よく探さないと、先を越されてしまう。元気を出して頑張ろう」

 弱気になるマリーシアをユークリッドは、優しく肩に手を置いて励ます。長期に渡って成果が上がらないとなれば、誰だって落ち込んだり投げ出したくだってなる。しかし、ここで落ち込んで投げ出してしまえば、これまでの苦労が水の泡になってしまう。ここで踏ん張ることこそ最短の近道であり、物事の核となる重要な要因なのである。

「はっ、はい〜、マリー、ガンバって探しますぅ〜」

 会心の笑みを浮かべ、自分が立ち直ったことを示す。晴れやかになった顔を見、ユークリッドも真琴も軽く頷き了解を示す。

 この部屋の探索を終え、次の研究室に向かおうと動き出した瞬間、今までフローリングだった床は荒れ果てた荒野になり、研究室のスペースをはるかに上回る広さに変貌する。

「なっ、なんですか〜! いきなり広くなったですぅ〜」

 窮屈だった室内を覆う壁が消え、目の前に広がる広大な荒野を目にして驚きを隠せない。

「リッド、これは……」

「ああ、気をつけるんだ」

 一瞬にして事態を飲み込んだユークリッドと真琴。背を向け三角形の隊形を作り、どこから攻めてもいいよう体勢を整える。

「あなた方が敵だということは知っています。隠れていないで出てきてください」

 不意の攻撃にも対処できるよう、ユークリッドは右手の人差し指と中指を伸ばし臨戦態勢をとる。

「フッ、さすが上級クラスの中でも選りすぐりの三名だ。中々侮れん」

 発生源の特定できない声に対し、リッド達は神経を研ぎ澄まし気配を察知する。

 刹那、何もない赤茶けた大地が音もなく亀裂が走り、揺れ動く切れ目の向こう、暗黒な世界が広がる中から三名の人物が現れる。

「やはり、お前か!」

 彼らの正体を見、真琴は片方だけ見える目尻をきりっと引き締め睨み付ける。

「教師に対してお前呼ばわりとは、些か素行が悪いようだ」

 長く漆黒を思わせる黒い白衣を纏い、和鍋は余裕の笑みを浮かべる。彼の左右には男女それぞれ教師を従えているものの、魂が抜けているように虚ろな表情をしている。

「どっ、どうなってるんですかぁ〜?」

「あれは一種の催眠術のようなものを施されているんだ。立って歩いてはいるが、意識は無く術者の命令だけ聞く」

 普段の時とは違う教師の姿に恐怖を感じ、一歩身じろぐマリーシア。それに対し、ユークリッドは冷静な状況分析をして、頭の中で戦略を練る。

「さすがだユークリッド・ウェルバック。私が掛けた術を見抜くとは、やはり侮れんな」

 褒める言葉を述べるものの、心の底から賞賛しているわけではなく、どこか危機感を含んでいる。

「同僚の教師に催眠術で操るなど、どんな目的があるんですか!」

「フッ、知れたこと。学園の風紀を乱す生徒には、監督する教師が何らかの処罰を与えねばなるまい。特に、私の邪魔をする生徒ならなおさらの事」

 堂々と対峙して初めてその真意を訊くユークリッド。雅毅を襲わせた張本人から確固たる証拠を手に入れ、彼の狙いを正確に理解しなければならない。

「お前こそ、生徒の命を狙うなど教師としてあるまじき行為。理由如何によっては、例え教師だろうと許さん」

 真琴も凄みを利かせ和鍋に言い放つ。

「教師に歯向かうとはいい度胸をしている。風紀を乱す者には厳重な処罰だ」

「交渉が苦手なようですね。あなたが望む処罰、どのようなものか望むところです!」

 言葉での交渉が決裂し、和鍋もリッド達も戦闘態勢に入る。

 暗く狭い印象の研究室が消えた今、互いに思いの限り力を出せる。

「よし。上松、お前は火属性の魔法で奴らを攻撃しろ。そして、船井、お前は光の魔法でカモフラージュし時間を稼ぐのだ。いいな」

「はい、承知しました……」

「はい、承知しました……」

 事務的な魂のこもっていない言葉を呟くと、若い男性教師は電源が入ったように動き出す。中年の女性教師も動き出し、右手の二本の指を伸ばし胸に置く。

「さて、処罰の時。心して受けるがいい!」

 三人はそれぞれ動き出し、和鍋は環境に合わせた人型の生成に入り、上松は凄まじい跳躍と同時に両手に空気をも焦がす勢いの炎を具現化させる。唯一回避を命じられた船井は呪文を唱えずして自らの体を風景と同化させる。

「どっ、どうするんですかぁ〜?」

「真琴は炎使いの男性教師を頼む。君のスピードなら相手にできるはず。そして、マリー、君はカモフラージュしている女性教師を抑えて欲しい。難しいかもしれないが、彼女の動きを止めれば一気に勝機が流れ込む。僕は、和鍋を相手にする。みんな、頼む!」

 今にも攻撃してきそうな男性教師を牽制し、ユークリッドはそれぞれに指示を与える。敵のフィールド内にいる限り、無駄な行動ひとつでも負けに繋がる。

「御意だ、リッド!」

「がっ、頑張るですぅ〜!」

 敵の投げ下ろす火球を三人は瞬時にかわし、分担された相手に向かう。

「研究室では急を突かれたが、今回ばかりはそうはいかない」

 言葉を紡ぐ間に生成は続き、液状化した大地はそれぞれ腕を剣や斧、槍やハンマーといった武器に変形させる。

「どこだろうと同じことだ。今日こそ、お前の悪事を打ち砕いてやる!」

 体勢を整え、ユークリッドは和鍋の前に現れた四体の人型と相対する。そして、左手の人差し指と中指を伸ばし、右腕を呪文と共に撫で風の刃を具現化させる。

「異次元の空間で、永久に眠るがいい」

 手駒を差し向けるように腕を払うと、水を得た魚のように一斉に襲い掛かる人型。ユークリッドも刃と化した腕を前へ押し出し、走り込む。


 広いフィールド内を三手に分かれたリッド達。ユークリッドとは違い、マリーシアや真琴は広さを十分に活用した戦いを演じる。

 風さえ吹かない荒野に響く爆音と熱量を含んだ爆風。何千度にも及ぶ火球が荒れた大地に叩きつけられ、巻き上がる粉塵とガラス化した礫が飛び散る。

 炎の球を具現化させ、無数に投げつけられる中を、真琴は両足に浮遊するための力を蓄え瞬時にかわす。

『相手の攻撃はかわせる。だが、中々距離が詰まらない……』

 相手の攻撃をかわせはするものの、真琴の間合いにならない。所々、穿つ地面にできたガラスを踏みつけながら、真琴は相手の隙を窺う。意思を持たないと言っても動きは自然そのもの、違和感やぎこちなさはない。

 男性教師は空中戦を諦め、地面に降り立つと瞬時に両手に赤々と燃えたぎる炎を作り出す。

『地上戦を選んだか。こっちとしてはやりやすい』

 刹那に訪れる互いの間。鳴り止まない爆音や吹き付ける粉塵は一時収まり、離れた位置に両者が対峙する。

『前方からの攻撃ならかわしやすい。地に足を付けた状態で終わらせる』

 ここが勝機と思った真琴は、地面に転がったガラスの欠片を数個拾う。

『一番乗りは、譲らない!』

 手の平に欠片を乗せたまま、真琴は浮遊するための力を手に集める。


 攻撃を繰り出さない相手を探し出すことは容易ではない。

 二方向からは凄まじい爆音や鎬を削る凄まじい音が飛び交っている。その中において、マリーシアは箱に閉じ込められ、周囲をバンバン叩かれているような辛い状況下にいた。

「もぉ〜、どこなのぉ〜」

 周囲の風景と同化した女性教師を探し出そうと、マリーシアは荒野を走り回り奔走している。

 魔力に関しては人よりずば抜けたものを持っているが、肉体的な体力には自信がなく普通に走り疲れていた。

 周囲を見渡しても広がるは荒涼とした草木一本も無い大地。その中において、カメレオンのように周囲と同化した教師を探すのは至難の業である。

「はっ、走り回っていても、ぜっ、全然分からないですぅ〜……」

 360度見渡し、マリーシアはどこにいるか分からない女性教師の姿を探す。遠くで真琴やユークリッドが戦っている。自分でも何か役にたたなきゃという衝動に駆られるも、姿の見えない敵に対し手が打てない。

「マリーも頑張らなくちゃいけないです。リッドも久無さんも、戦ってるんです。マリーも役に立たなくちゃ」

 遠くで戦っている仲間の姿に触発され、マリーシアは両手を突き出しクロスさせると呪文の詠唱に入る。

「凍てつく氷の息吹。我が前に姿を示せ!」

 周囲の空気を取り込み、冷気として圧縮した白煙が手の平に集まる。

「ハッ!」

 気合と共に放たれた白煙は一直線に走りぬけ、後を追うように氷の道が作られる。

「きりがないですけど、この方法でいくしかないです」

 前方に続く氷の張った道を見据え、マリーシアは決心するのだった。


「ハァァァッ!」

 対峙するには遠い距離だった。しかし、自分にはプロの陸上選手よりも、地上にいるどんな生物よりも速く走れるという自信がある。非科学的な発想かもしれない。けど、自分を魔力が絶対である世界で生き抜くために、魔力と体術を組み合わせた能力が自分に必要だと。

 両足に蓄えた魔力を一気に爆発させ、真琴は男性教師目掛け突進する。相手も肉薄する敵に対し両手に溜めた火球を投げつける。

 伊達に教鞭を揮う教師だけあり、投げつける火の玉の速さは目で追えないものがある。避ける素振りさえ見せず、突進してくる真琴に対し投げつけられる火球。完全に避けきれず頬を掠め、皮膚を焼き火傷を引き起こす。それでも構わず、真琴はどんどん距離を詰め至近距離まで接近する。

「これでも受けてみろ!」

 攻撃の手が緩んだ隙を突いて、真琴は手にしていたガラス片を投げつける。避けきれないと判断した教師は、飛んでくる欠片を手に溜めた炎で防御する。吸い込まれたガラス片は高温の炎で燃え尽き、男性教師に届くことはなかった。

「少しばかり、眠っててもらおうか」

 防いだのも束の間、すぐ側まで迫っていた真琴の姿は消え見失ってしまう。心を操られていても、一瞬にして消えた敵に対して焦燥感があり体の制御が鈍る。

 致命的な隙を見逃さなかった真琴は、男性教師の左側に立つと思いっきり頬を殴りつけた。

 完全に油断していた男性教師はものの見事に弾き飛ばされ、数十メートルをのた打ち回りながらようやく止まる。

「ふぅ、こっちは片付いた」

 ヒリッとする頬を撫で、真琴は遠くで氷魔術を繰り返し唱え走り回っているマリーシアの姿を見る。

『苦戦してるな、マリー』

 一足早く一人を倒した真琴。その足で、姿の見えない敵を探し回るマリーシアの元へ向かう。

「こっちは片付いた。一緒に探し出そう」

 戸惑いながら氷魔術を放つマリーシアに駆け寄り、優しく肩を叩く。

「えっ、え〜っと……はっ、はい」

 中々できなかった自分に対しての戸惑いを覚えながら、マリーシアは心強い味方を得たのだった。


 一体の大地から分離されて作り出された人型は、剣状化した腕を振り下ろし攻撃を仕掛ける。相手の攻撃を咄嗟の動体視力で捉えると、ユークリッドは刃と化した腕を上げ攻撃を受け止める。圧縮した風の刃は、元々土だった剣を真っ二つに切り、切り離された剣先は地面に落ちる。武器を失った人型に対し、ユークリッドは体を屈め地面を蹴る反発力を利用して腹部を切り裂く。

「クッ、またか」

 確実に斬った手応えのあるユークリッド。上下に分割された人型は戦闘不能になることがなく、部品を寄せ集めては再生し復活する。

 その光景にユークリッドは見飽きていた。

 何故なら、その行為は延々と繰り返し、剣を持った人型が再生したのはこれで五度目になる。

 和鍋が生成した人型は、その場に原料となる素材がある限り半永久的に生成・再生ができる。前回、マリーシアの氷魔術のお陰で現状を打破できたが、今回ばかりは一人で相手にしなくてはいけない。しかし、これは一時の時間稼ぎに過ぎず、メインはマリーシアの働きに掛かっている。和鍋や生成された人型の注意をマリーシアから離すのが、今の自分に課せた任務である。

『頼んだぞマリー、君の働きがこの戦いのキーなんだから』

 少し息の上がったユークリッドを四体の人型はいつの間にか囲み、武器に変形させた腕を一斉に振り上げる。

「たかがゴーレムの存在で、僕に勝てると思ってるのかい?」

 四方を囲まれているのにも関わらず、ユークリッドはまったく怯まず槍を持った人型に飛び掛る。


 カモフラージュした女性教師を探す真琴とマリーシア。マリーシアは繰り返し魔法を唱え地道に捜索し、真琴は空中に舞い上がって何か違和感を与えるものを探す。

『マリーが放った氷塊で逃げるスペースは少ない。どこかにいるはずだ……』

 高い位置で全体を見渡し、真琴は目を凝らして全体像を把握する。

 懸命に氷魔術を繰り返しているマリーシア。その位置から南下した場所で、ユークリッドは和鍋が生成した四体の人型と戦っている。当の和鍋は継続的に魔力の放出を行っているためその場から動けず、味方が一人欠けたことさえ気づいていない。

「うん?」

 勘だけで魔法を放っているマリーシアの背後、数メートルの位置に氷とは異なった空間の揺らぎのようなものを見つける。

「見つけたぞマリー!」

 発見した瞬間、急降下する猛禽類のような速さを纏って地上のマリーシアの元に戻る。

「えっ! 本当ですか?」

「ああ、お前の後方にいるのを確認した。マリー手荒なマネはしたくないのだが……」

 身構えもしない無防備なマリーシアを軽々持ち上げると、真琴は腕の力だけで投げ飛ばす。

「うわぁ〜なっ、何で、投げるんですかぁ〜?」

「マリー、カモフラージュした教師はその下にいる。地面に向かって、氷塊を放つんだ」

 徐々に遠くなっていく真琴の声を信じ、マリーシアは空中でバランスを整えながら地面に両腕を突き出す。

「凍てつく氷の息吹。我が前に姿を示せ!」

 自分の放った冷気の反動を堪え、マリーシアは必死に抗った。自分のしていることがみんなのためだと信じて。

 氷柱の群れが一直線に作り出され、ある一部分だけが不自然に盛り上がっている。

「あれ〜? あそこだけ変ですう〜」

 徐々に落下していくマリーシア。人が無傷に着地できない高さまで上げられていただけあって、受ける衝撃は生半可なものではない。

「きゃぁ〜っ! 落ちるですぅぅぅぅ!」

 改めて自分がどんな状況なのか理解したとたん、マリーシアは軽度のパニックに陥りじたばたもがき出す。

「……久無さん」

 自由落下していた体が急に止まり、どこか心地良い浮遊感が包む。

「良くやったなマリー。見事命中した」

「あっ、ありがとうございますぅ……」

 真琴に抱かれながらゆっくりと下降していく二人。その最中、不自然に凍りついた氷塊が砕け中から中年の女性教師が現れ、状態そのままに崩れ落ちる。


『クッ……船井の結界が破られたか』

 研究室を包み込んでいた異空間のフィールドの揺らぎを感じる和鍋。ここでの勝負を諦めるように人型の生成を止める。

「はぁぁぁっ!」

 力を失った最後の人型を切り倒し、ユークリッドの前に和鍋の姿が現れる。

「さぁ、あなたが操っていた教師は倒れました。どうします? まだ戦いますか?」

 風の刃を腕に纏ったまま、ユークリッドはその切っ先を和鍋に向ける。

「フッフッフッ……」

 次なる行動を匂わせるような意味あり気な押し殺した笑いをする。次の瞬間、和鍋は懐から何かを取り出し投げるような仕草をする。

「イタッ!」

 何を投げたのかと思い浮かべていた最中、急に聞こえたか細い少女の声。その声の方を見ると、遠くでうずくまる生徒と支えるかのように寄り添う生徒がいる。

「なっ、何を投げたんです!」

 肝心のことを問いただそうとした瞬間、限りなく続く荒野は跡形も無く消え去り、薄暗く狭い研究室に戻る。

「フフフッ……いつまでチームプレイができるかな……」

 ユークリッドの問いに答えず、和鍋は黒衣のような黒い白衣を翻し闇へと消えていく。

「クッ……また取り逃がしたか……」

 追い詰めたのにも関わらず、逃げ出してしまった和鍋に対し臍を噛むように悔しさを押し出す。

「はっ、早く来てくれリッド!」

 真琴の危機感ある声に揺り動かされ、急いで駆け寄る。そこには、制服が黒く滲むほど左腕から出血し、苦しそうに喘ぐマリーシアが横たわっている。

「なっ、何があったんだ?」

「分からない。何かマリーの腕を掠ったと思った瞬間、いきなり倒れたんだ」

 和鍋が見せた何かを投げる仕草。

 突然出血し、倒れたマリーシア。

 二つの事象に合点のいったユークリッドは、真琴達がいる周辺を見渡してみる。

「これか……」

 壁に貼られた紙に突き刺さったナイフを見つけたユークリッド。あまり深く刺さっていないため、あっさりと抜いてみると刃先には間違いなく血痕が付いていた。

「和鍋がこれを投げたとすると、刃先に何か毒を塗っていたのか……」

「リッド! マリーの顔が青ざめていく」

 抱きかかえたマリーシアの病状の悪化に、悲痛なまでの叫びを上げる。

「どうしよう……唇もチアノーゼで、体温が異常に冷たい。何か手はないのか……」

 付けていたスカーフを使い、真琴は傷口をきつく縛る。

「いつまでチームワークができるかなと言ったのは、このことだったのか……」

 和鍋が呟いた一言を思い出し、憎しみを覚えたように手にしていたナイフを床に投げつける。

「リッド、このままじゃマリーは死んでしまう。何か治療を施さないと……」

「だい……じょう……ぶ……しっ……しんぱい……しな……いで……くっ……久無さん……」

 血の気を失った柔らかな唇を微かに動かし、悲しげに俯き真琴の顔を見上げる。

「だっ、大丈夫なものか! 君はケガを負ってるんだ、喋っちゃいけない!」

 健気に空元気を見せ付けるマリーシア。彼女の頬を触ると氷のように冷たい。

「このままじゃ、マリーは死んでしまう! 早く医務室に運ぼう!」

 体温の低下を防ごうと、真琴は自らのマントを外しマリーシアに被せる。

「……僕が、僕が、もっと注意をしていればこんなことに……」

「後悔するのはいつでもできる。今は、マリーを医務室へ」

 真琴の声に突き動かされ、ユークリッドは原因不明な病に侵されたマリーシアを背負い急ぎ医務室に向かう。


 温かなオレンジ色に染まった空。筋雲がどこまでも続き、夕焼け色の空を縞模様に彩っている。

 医務室から見える景色は日常風景に馴染んだものだった。トラックを走る女子生徒。サッカーのゴール目掛けボールを蹴り込む男子生徒。

 学校生活を謳歌し、甘酸っぱい青春をかみ締めている学生達。楽しいことも辛いことも全部、いい思い出として振り返るために。

 カーテンで仕切られたベッドに眠る栗毛色の髪の少女。普段の彼女を知る人物なら、誰もが可愛らしい女の子だと口を揃えて言うだろう。しかし、今の状況を見て感想を言うのであれば、凍死寸前の可愛そうな女の子としか言えない。

「マリー……」

 点滴の落ちる管に繋がれたマリーシアの手を優しく握るユークリッド。末梢血管に当たる指先は氷のように冷たく、血液の流れを遮断されたように青ざめている。

 ベッドの両脇には心拍計や体温計が置かれ、モニターに繋がれるように多くのコードが何重にも掛かる布団の中へと続いている。体温低下の著しいマリーシアは、これ以上症状が悪化しないよう点滴や抗生物質といったものを投与されている。

 それでも尚、彼女を苦しめる原因から開放するには至らず、ひき付けを起こしているように震えている。

「どうだ状態は?」

 囲っているカーテンを開けて入ってくる真琴。どこか疲れた表情を浮かべ、マリーシアを見下ろしながらユークリッドに近づく。

「あっ、ああ、異常……ない……」

 悲壮感と疲労感を綯い交ぜにしたようなやつれた顔を上げ、寄りそうように立つ真琴の顔を見上げる。

「先生と相談したのだが、やはりマリーの急激な体温低下の原因が分からない。ナイフによる創傷から感染したに違いないが、どのような毒を盛られたのかが不明だ」

 マリーシアの置かれた状況の説明を耳にしたのにも関わらず、ユークリッドは魂の抜け殻のように理解に至っていない。

「……クソッ、僕が……僕が……ここまで不甲斐ないなんて……」

 両手を両膝の上に置き、俯きながら自分に非があることを呟くユークリッド。ギュッとズボンを握り締め、情けない自分に対して悔しさが込み上げる。

「散々探した挙げ句、見つからない上、マリーをこんな状態にしてしまうなんて……最初っからしなきゃよかったんだ……」

 助けることも、守ることもできない自分に対して起こる苛立ちと絶望。一緒に探さないかと誘ったあの時に戻れたなら、マリーをここまで苦しめることはなかったはず。そうだというのに、自分は己の欲求を満たすためだけに無責任にも仲間に誘い入れた。一人でも責任はないと擁護しても、自分自身を誤魔化し正当化しようとするなんてできない。

「もう……止めにしよう。これ以上、真琴やマリーを危険な目に遭わせるなんて、僕にはできない……」

 消え入りそうな命の灯を、懸命に燃やし続けているマリーシア。姿を見据えながら、ユークリッドは後悔の念に苛まれる。

「そんなこと……言うな」

 膝に置かれたままの右手を取ると、真琴はこれでもかというほど左手に力を込め握り締める。

「そんなこと……言うんじゃないっ!」

 つかんだ手を力任せに引っ張り上げ椅子から立たせると、真琴はユークリッドの手を繋いだまま、空いた右手をマリーシアの右手に置く。

「一体、誰のためにここまでしてきたと思ってるんだ! 自分を何様と思っている! 最初から覚悟なくして付いて来ると思っていたのか? 止めようなどと二度と口にするな。

自分と、何よりもマリーの思いを踏みにじるようなことはするな。分かったか?」

 これでもかと手の骨を粉砕するつもりで、再度、ユークリッドの手を握り締める。

「……ああ、分かった。すまない、自分を見失っていたみたいだ。君やマリーの思い、

決して裏切らない。神に誓って……」

 ようやく本来の姿を取り戻したユークリッドの姿に、表情も和らぎ握り締める力を緩める。

「マリーの侵されている病気を何としてでも治そう。治療法を見つけ出すんだ、必ず」

「ああ、必ず見つけ出そう。大切な仲間なのだから……」

 手を繋がれた三人は、ここに誓いを立てた。仲間を見捨てず、必ずや目的を果たそうと。


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