アッシュ -復活の剣-
アッシュという男がいた。
幾本もの剣を身に帯び、昨日の味方を斬り、数多の血溜まりと屍を築いた傭兵だ。その戦いぶりからも地獄の鬼とも言われている。
ペレサは中央の小国であった。四方の国々からの脅威と猛攻に耐え、今は形勢が逆転し西の国と南の国とを支配下に治め一大勢力へとのしあがっている。
その活躍はペレサが抱えた傭兵団「辻風」の働きによるものだと誰もが認めていた。
辻風の若い小隊長、エドガー・バリシュタインは、かつて戦場で地獄の鬼アッシュと出会い、辻風に引き抜こうとしたが失敗した。
だが、この二、三年、アッシュの名は聞かなかった。ピタリと封をされたように地獄の鬼は戦場から姿を消したのだ。
とうとう地獄の鬼も戦場の塵となったのだろう。そんな噂ばかりが流れていたが、エドガーは信じていなかった。アッシュは生きている。エドガーはもう一度彼に会いたかった。会ったところでどうなるかも分からなかったが、無性にアッシュに会いたかったのだ。
ただ一度の、それもほぼ一瞬の出会いだったが、自分がアッシュという男に魅了されていることをエドガーは認めていた。
「それほどの男なら、我らの志に賛同して欲しかったな」
黒いベールを被った辻風の傭兵団長は低い女の声でそう言った。
アッシュは生きている。この大陸のどこかで。
今日もペレサと辻風は軍勢を東のラッピアへ向けて侵攻し転戦した。
だが、とある街道で事は起きた。
周辺一帯を支配したことを触れ回る使者の部隊が、帰って来なかった。もう三部隊送っても何の音沙汰もない。
「この先にあるのは何だ?」
同僚の小隊長が案内に雇った現地の猟師に尋ねる。
「村が一つあるだけです。ハイデンと言います」
「ふむ、村の抵抗が激しいと見て間違いは無いだろう。だが、ラッピアに義憤に駆られる者達がいるとは意外だな」
傭兵団長は黒いベールの下から言った。
エドガーは後ろに一つに縛った己の短い髪の毛を弄びながら同僚達と、団長の指示を待った。
ベールの切れ込みに隠れた団長の目がこちらに向けられた。
「エドガー、アイザック、五百人を連れて行って来い」
「はい、団長」
同僚のアイザックが応じる。
「抵抗する者には賊として容赦するな。だが、そうでない者は我が国ペレサの民として受け入れろ」
いつもの団長の言葉だった。
エドガーとアイザックはその日のうちに進発した。
「実際何が起こってるんだろうな?」
エドガーが同じく先頭で馬上の人となって並走するアイザックに尋ねた。
「そんなの村人の抵抗が激しいんだろう。一気に雪崩れ込んで制圧してしまえば良い。こちとら戦い慣れた傭兵だ。烏合の衆とは違う。さっさと終わらせて、侵攻戦の続きをしないと。ラッピアに回復させる隙を与えたくは無いだろう?」
アイザックはそう応じた。
エドガーは頷いた。だが、彼は言い表せない妙な気がしていた。本当に村人の抵抗が激しいのだろうか。
太陽が正午付近になった時、前方に立ち塞がる人影が見えた。
その数一人。だが、右手には剣を握っていた。
さすがに見過ごせずエドガーとアイザックは部隊を止めた。
「そこのお前、我らは今大陸に名を轟かせるペレサを主人と仰ぐ傭兵団、辻風だ。この辺り一帯は既に我がペレサの領土となった。その旨、村に伝え帰る様に! 安心しろ、民衆には手を出さん。手向かわない限りだがな!」
アイザックが言うと相手は応じた。
「そのペレサの運が尽きたらどうなる? 俺達村人は下手をすればラッピアから逆賊に加担したと言われて、潰されちまうかもしれねぇ」
ん?
エドガーはその声をどこかで聴いたことがあった。
「だから我らの再三にわたる使者を殺したというのか?」
アイザックが声を鋭くして尋ねる。
「悪いが、殺しはしてない。俺達はもう戦争に巻き込まれるのはうんざりなんだ。のんびり作物や花を育てて、のんびり生きる。そんな平和を維持できる国があるかどうか、お前達の使者と手合わせしたが手応えが無かったな。そんな弱兵じゃ形勢を盛り返される可能性があるだろう。そうすれば、ラッピアのことだ。お前達の軍門に降ったとして誰かが咎を受けるかもしれない」
「ペレサの、それも辻風の傭兵を弱兵だと? 面白い、俺がお前の目を覚まさせてやる!」
「来いよ。これ以上先には進ませねぇぜ」
「ぬかせ!」
馬から下り立ち長剣を引き抜いてアイザックが相手に襲い掛かる。
「アイザック!」
エドガーは止めたがアイザックは頭に血が上っているのか、慢心しているのか、彼を無視して敵へ挑んだ。
アイザックは実際強い男だ。剣の腕前は一流だ。だが、一撃も相手に当てられない。
「直情的な剣だな。嫌いじゃないぜ」
相手は剣の平でアイザックを殴りつけて吹き飛ばした。
「ぐあっ!?」
「さて、次はお前か? それとも背後の五百をぶつけて来るか?」
威圧する瞳をエドガーは感じた。この男は殺戮を楽しんでいるわけではなさそうだった。
エドガーは説得に出ることにした。槍を捨て両手を上げ相手に迫る。
「ほう」
相手は感心したのか、あるいは意表を衝かれたのか、そう声を上げた。
「俺の名は……」
エドガーが名乗ろうとした時だった。
相手の姿が良く見えた。
左右の腰に二つずつ、後ろにも二つ。背中には四本の剣を帯びていた。
答えが出た瞬間、エドガーはあっと驚き、感動で涙が流れ出そうなほど、心打たれた。
「アッシュ!」
「俺を知ってる奴がいたか」
溜息混じりに相手は応じた。
「アッシュ、忘れたか!? 俺は傭兵団、辻風の小隊長、エドガーだ。エドガー・バリシュタインだ! ある攻城戦で組んだことがあるだろう? お前に旌旗を降らせた」
「……覚えてるぜ。忘れもしねぇ、運命的な出会いの一つだった」
アッシュは表情を崩すことなく淡々とそう言い、続けた。
「それで正義の傭兵団はペレサにそれを見出したのか?」
「その通りだ」
「実際、立派になったもんだな」
アッシュは応じた。
エドガーは今こそ、もう一度、声を掛けるべきか悩んだ。戦場とは縁を切った男を再び血に塗れさせるのか。答えは応だ。
「アッシュ、いつぞやは振られたが、もう一度頼む。俺達、辻風について来ないか?」
アッシュは口元を歪めた。
「俺には守らなければならないものがあってな」
アッシュはそう返した。
だが、エドガーは諦めなかった。
「この戦いがお前の守らなければならない者達のためになるかもしれない。お前も言っただろう。ラッピアがここを取り戻したら、ペレサに通じたとして罪を着せられるかもしれない。アッシュ、大陸は一つに統一しなくてはいけない。ペレサに、辻風に賭けて見ないか? お前の望む未来永劫の平和と安寧をお前と俺達で掴み取るんだ」
エドガーは肩で息をしながら必死に言った。
アッシュは呆けたような顔をすると応じた。
「平和を掴み取るか……。俺を救ってくれた坊さんと神に逆らうようになるが、このまま看過はできないな。神様じゃなくてカミさんに相談してくる」
「だったら伝えてくれ、お前の命は辻風が責任を持って守ると!」
「ああ。とりあえず、明日の朝、ここで答えを出そう」
アッシュは背を向けて歩んで行った。
そして明朝、たった一人で街道に佇んで待っていたエドガーの元にアッシュは現れた。
「アッシュ!」
アッシュはニヤリとした。
「説得には時間は掛かったが、自分の住むところぐらい自分で守らなきゃな。野盗にゴロツキ、今までだってそうしてきた。エドガー、辻風に手を貸すぜ」
「アッシュ!」
エドガーは驚き、あるいはこれを狂喜というのだろうか、相手の前に駆け寄り、その手を握って相手を見上げた。
「行こうぜ。こんな戦、とっとと終わらせる」
アッシュが真剣な眼差しを向けて言った。
「そうだな」
エドガーは先に歩んで行く新たな仲間の後を追いかけたのだった。