俺とあの子とチョコレート。
昼休み早々に弁当を食べ終わった俺は、いつもの場所で昼寝をしていた。
午後の授業はただでさえ眠くなる古文だし、今のうちに少しくらい眠気を発散させておかないと。まあそれでも、先生の声を子守唄に寝るだろうけど。
気持ちよく微睡む俺の耳に、突如キャピキャピした声と凛とした声が届いた。
「あのっ、これ受け取って!!」
「私も!!」
「いつもかっこよくて、優しくて、王子さまみたいに素敵!!」
「ありがとう。美味しく頂くね」
「「「きゃー!!!」」」
俺がいる位置は屋上に続く扉の前、彼女たちはその下の階段の踊り場にいるようで、ちょうど姿が見えず死角になっている。
ふわぁ、リア充してんなぁ。そうか、今日はバレンタインデーか。
「じゃあこれから人と待ち合わせてるから。またね」
凛とした声の持ち主は話を切り上げ、パタパタと数人の足音が遠ざかった。誰かがゆっくりと階段を登ってくる気配がしたが、俺は起きずに寝転んだまま声をかけた。
「相変わらずモテるなぁ、『王子さま』」
「ふふ、うらやましい?」
「女が女にモテるのを羨むほど、心は狭くないよ」
俺のからかいをクールに受け流すのは、きれいな顔立ちに切れ長の瞳、短く揃えた黒髪の、女子生徒だった。
彼女はふふんと鼻で笑い、寝ている俺を見下ろす。
「モテないからって盗み聞きしてまでひがまないで」
「俺の方が先にここにいたんだよ。それに、バレンタインデーだからって、好きでもない子からチョコもらっても、全然嬉しくないし」
本心からの言葉だった。男がみんな、バレンタインデーに誰でもいいからチョコレートを欲しがってるなんて思うなよ。モテないのは否定しないが、俺なりの矜持があるってもんだ。
しかし途端に彼女の表情が曇り、俺の隣に腰をおろした。いつも堂々として凛々しく明るい彼女の初めて見る表情に、俺は少し戸惑った。
「……そっか」
「どうした?」
「別に! きっとあんたみたいな無気力男は、一つもチョコもらえないだろうから、私からお情けであげようと思ったんだけど、好きな子のしか欲しくないワガママ男だったとはね。こんなの欲しくないで……」
彼女は泣き笑いのような複雑な表情で、手元を隠した。紺の包装紙に金色のリボンというシックな色合いの箱がチラリと見える。
先程彼女自身がもらっていたようなピンクや赤のかわいらしいラッピングではなく、彼女好みの、色の組み合わせだった。
俺はガバリと身を起こし、彼女の言葉を遮る。
「いる」
「はあ? さっきの言葉は何なの? 誰からでもいいわけ?」
「何言ってんだよ。お情けでも義理でも何でも、好きな女からのチョコをもらわない男がどこにいんだよ」
「……へ? 好きな、女……? それって、私の、こと……?」
俺の言葉に呆気に取られていた彼女は、時間差で顔どころか耳や首まで真っ赤にさせた。
女子たちは、こいつがかっこいだけでなく、こんなにかわいいなんて知らないのかな。男共に見る目がないのが幸いだ。俺だけが、こいつの良さを知っていればいい。
震える手で箱を手渡され、どうみても義理には見えない高級さに、俺は笑った。
「なんだ、俺たち両思いだったのか。なあ、そろそろそのかわいい顔を見せてくれない?」
「馬鹿! からかわないで! あんたみたいな美少女顔に言われたって、信憑性ないんだから!」
「本当にかわいいよ。チョコありがと」
赤い顔を両手で覆って隠している彼女の耳に、軽くキスをした。
次の日、通称「眠り姫」と呼ばれる俺は、頬に手形を残したまま、左手に真っ赤な顔で俯く「王子さま」の右手をしっかり握り、周りのどよめきなど意にせずに、いつも通り登校したのだった。