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#05依頼

『猫』に出会ったその夜、『野良犬』は久しぶりにその夢を見た。

むせ返るような血の匂い、辺りに響き渡る笑い声。

抱きかかえた身体は次第に重く冷たくなっていく。

「……テ」

差し出されたその手を強く握りしめると、その人は微かに笑った。

「…最後の命令だ」

低く響くその声に身体が震えるのを感じる。



ああ、どうか。



どうか一言、命令して下さい。



そうすれば、私は全てをかけて、それに従います。



口唇がゆっくりと動き、残酷なその命令を紡ぎだす。


「   」


** * * * *


溺れかけた人間が最後の一息を吸おうとするように、息を深く吸い込んで『野良犬』は目を覚ました。ひどい息苦しさだった。胸は激しく脈打ち、首にべったりと汗をかいていた――熱を出したかのように手足が熱い。

起き上ろうと身体を動かして、『野良犬』は焼けるように首が痛むことに気が付いた。

首に手をやれば、包帯に滲んだ血が手を汚す。

ああ…そうだ…俺は…

昨夜の記憶が一度に蘇り、そのままゆっくりと『野良犬』は身体を起こした。

「あら、お兄さん目が覚めた?」

ベッドの端に眠っていた女が、起き上った野良犬を見て言った。

「うなされてたみたいだけど、大丈夫?」

そう言ってしなだれかかってくる女に、『野良犬』は黙って懐から金を差し出した。女は鬱陶しそうにそれを払いのけると、『野良犬』の顔へ手を伸ばし、そっと両手で包み込む。くすくすと笑いながら、そっと口唇にくちづける。最初は軽く、だんだん深く口づけるが、『野良犬』は求めてくるどころか、抵抗すらしない。不思議に思った女がそっと目を開くと、彼は瞳すら閉じず、薄茶の瞳でぼんやりとこちらを見つめていた。

その瞳には情欲の炎どころか、嫌悪の色すら浮かんでいない。その瞳がまるで何も知らぬ少年のように悲しげに澄んでいることに気付いて、女は急に恐ろしくなって身体を離した。

『野良犬』は黙って懐に手をやり、先程女に差し出した金の二倍を取り出すと、女へ渡した。

女は最初、それを不服そうに眺めていたが、ため息をつくと黙ってそれを受け取った。

「…全く、ココはビジネスホテルじゃないのよ。眠りたいだけなら、余所に行ってちょうだい」

女が細く長い指で金を数えるのをぼんやりと眺めながら『野良犬』は呟いた。

「…ここの方が色々と都合がいい」

「都合って?」

「記名が要らない。身分の証明も。…余計な詮索をされずにすむ」

「それだけ?」

「部屋に突然押し入ってくる人間もいない」

それを聞いて女は笑い出した。

「お兄さん、無愛想な人だと思ってたけど、冗談も言えるのね」

女の言葉に『野良犬』が不服そうな顔をしたその時、階下がざわめくのが聞えた。

「…なんだか下が騒がしいな」

『野良犬』が眉を寄せて言った。

「やだわ、酔っ払いかしら…」

女がそう呟いた次の瞬間、鍵をかけたはずのドアが音を立てて勢いよく開いた。

「きゃ…!」

驚いた女が小さく悲鳴を上げ、とっさに『野良犬』の後ろに隠れる。

破られたドアの前にいたのは、昨夜『野良犬』が殺そうとした少年だった。

『猫』はゆっくりとこちらを見上げると微笑んだ。赤茶色の瞳がきらめき、『野良犬』の姿を捕える。硝子玉のような瞳が驚きに見開かれ、それからゆっくりと細められた。

「…見ぃつけた♪」

獲物を見つけた時の肉食獣のようなその眼に、『野良犬』の背中がぞくりと震えた。なんて妖艶な瞳をする少年だろうか。

「探しちゃったよ。オニイサン、足早いんだもん。」

『猫』はにっこりと笑みを浮かべると、『野良犬』に向かって一歩踏み出した。

「ちょ、ちょっと!なんなのよボウヤ!あなた一体…」

『野良犬』は手の平で女の言葉を遮ると、『猫』を睨みつけた。

「…何の用だ」

『野良犬』は改めて『猫』を見た。昨夜は月明かりの下だったせいか、薄茶の髪と肌の色の白さばかり目立ったが、今、少年はその白い頬を紅く染め、大きな瞳は何か面白い物でも見つけたようにきらきらと輝いていた。白い首筋に巻かれた包帯は血に紅く滲み、その紅が余計少年の肌の白さを際立たせている。

『野良犬』は警戒しながら、『猫』の様子を観察した。恐らく、『猫』の首の怪我は浅いものでは無い。見たところ、応急処置が施されているようだが、いずれにせよ激しい運動には耐えられないだろう。しかし--

(それは俺も同じ、か。だが……)

「昨日の続き、って言ったら?」

「違うな。」

「なんでさ?」

「目で分かる。」

『猫』は一瞬、きょとんとした顔をしたが、すぐにけらけらと笑い声を上げると言った。

「オニイサンが、初めてだよ?俺にさあ、こんな怪我させたの」

そう言いながら、『猫』はうっとりと眼を細めた。それから、ぺろりと舌で口唇を舐める。奇妙なことに、『猫』のその動作はどこか扇情的ですらあった。

「俺さ、『依頼』しに来たんだ」

「なに…?」

『猫』は戸惑う『野良犬』の様子を見て面白そうに、にやにや笑っていたが、手にしていた黒いアタッシュケースを『野良犬』の前に置くとこう笑った。


「俺を、連れて逃げてよ」


思いもかけない言葉に『野良犬』が驚きに目を見開いたその時、ドアの方から口笛が聞えた。

「うわぁ、すっげー口説き文句♪」

聞き覚えのあるその声に『野良犬』が振り返ると、銀髪の男の姿があった。

「でも、ボーヤにお外はちょっと早すぎるんじゃないかなー?」

リュウを見て『猫』が嫌そうに顔を顰めた。

「…どっからわいたの?オッサン」

「だから、そのオッサンって呼ぶのやめろ!」

リュウと『猫』のやり取りに、『野良犬』が眉をひそめ、交互に二人を見た。どうやら、この二人はすでに面識があるようだ。

『猫』は面倒くさそうにため息をつく。

「今、オニイサンといいとこなんだけど、邪魔しないでくんない?」

「俺がオッサンで、『野良犬』はオニイサン!?」

「ちょっとあんた達!なんなのよ!?次から次へと!」

たまらず声を上げた女を、リュウの後ろにいた黒髪の青年が睨みつけた。

「女、お前は邪魔だ。外に出ていろ」

「なっ…!?」

怒りに顔を赤くした女をリュウは制止すると、

「ごめん、お姉さん!お仕事中悪いんだけど、ちょおっと席外してくれるかな?」

と両手を合わせて懇願した。

女は一瞬言葉に詰まったが、ただならぬ事情を察したのか、付き合いきれないといった様子で、

「あーもー分かったわよ!!あとはお好きにどうぞ!!」

と言って、部屋から立ち去っていった。

その後ろ姿にリュウが

「良かったら今度、俺と遊んでね~♪」

と声をかけた。

後ろにいたセイはリュウを無言で睨みつける。

セイの視線に気付いたリュウがごほん、と咳をした。

「あーはいはい。ってなわけでボーヤにお兄ちゃんから伝言でーす。『早く帰らないとおしおきしちゃうぞ☆』だってさ♪」

『兄』という単語に、『猫』は一瞬びくりと背を震わせた――がすぐに強気な笑みを浮かべると言った。

「要するに追手ってワケ?…マジ、ウゼー!」

「いやいや、大人しく帰った方がいいって。ボーヤが逃げてから荒れちゃって大変なんだってば。お兄ちゃん」

「うるせーよ!オッサン!」

「だから、オッサンって呼ぶな!!くそガキ!!」

『猫』とリュウのやり取りを無視してセイが一歩前に出る。

「『黒猫』は怒っている。早く帰った方がお前の身のためだ」

「言われて帰るくらいなら、最初から逃げ出したりしねーし」

ふいっと横を向いた『猫』にため息を吐くと、セイはリュウと目を合わせた。

「なら仕方がない…か」

そう言ってセイとリュウは身構えた。辺りに漂う緊迫感に『猫』がぴくりと眉を動かした。

「え?なになに?ヤるの?ここでヤっちゃうの?」

「おい、子供」

きらきらと目を輝かせ始めた『猫』にぼそりと『野良犬』が呟いた。

「誰が子供だよ」

「お前…それ以上動くと傷が開くぞ」

「それが何?」

「あまり動くと死ぬ、と言ってる」

「だから?」

その言葉に『野良犬』は驚いて少年を見た。澄み切った少年の瞳に、『野良犬』は背筋が震えるのを感じた。

――それは死を恐れぬ子供の瞳では無い。むしろ、死の匂いに侵された老人のような眼をしている。しかもその瞳は恐ろしいほど澄み切っていた。


――『野良犬』は、その瞳を昔どこかで見たような気がした。


「ヤりたくないなら、オニイサンは下がってれば…え?」

今まさに二人と戦おうとしている『猫』の肩を掴むと、『野良犬』はぼそりと言った。

「…お前の依頼を受けよう」

「え?」


「お前は…俺が連れて逃げる」

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