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#04「逃亡」

「ちょっとお!セイ!どこ行くのよ?」

玄関へと向かうセイを少女が呼び止めた。

「急用ができた。夕食は先に済ませてろ」

え~っ!?と不満げな声をあげる少女を後にセイは玄関を飛び出した。

「待てよ!セイ!」

「放せ!」

後ろから捕まれた腕を振り解くと、セイはリュウを睨みつけた。

「…何を考えてる。よりにもよって『猫』の『獲物』に『野良犬』を差し出すなんて…!」

「…しょうがないだろ。『黒猫』のご所望だ。」

「…私の知らないところで、『野良犬』を売ったな」

ギリ、と自分を見つめてくる瑠璃色の瞳に、リュウはやれやれとため息を吐いた。

「『売った』とは心外だな。俺は『依頼』しただけだ。『野良犬』にちゃんと金も払ってる」

「…もういい、私一人で『猫』のところに行く」

「セイ!」

リュウに捕らえられた腕を振り払おうともがくと、逆にリュウに抱きとめられるような形になった。リュウの腕の中でセイは叫んだ。

「離せ!!」

「…あんな奴、一回死んでみりゃいいんだよ。」

リュウの声音にはっとして、セイは顔を上げた。

「リュウ…?」

それはまるで泣き出しそうな声に聞こえた。

「どうして自分で選べないんだ?死ぬことも生きることも愛することも全部」


『黒猫』は紫煙を吐き出すと、靴底で吸殻を踏みにじった。

(そろそろ…か)

腕時計を見て、一人心の中で呟き雑居ビルの二階を見上げる。

男の片手にはピザの箱とコーラ。中身はマルゲリータだ。彼の弟はひどい偏食で、ピザとパスタしか口にしない。それもトマトソースと決まっている。

こうして日に三度、ピザかパスタを持って、弟の元を訪れるのが彼の日課になっている。鍵の壊れたあの部屋で、弟は男の持って来る食べ物だけで生きている。

男は階段を上ると、鍵の壊れたドアノブに手をかけた。

ドアを開くと中から漂ってくるのはむせ返るような血の匂いと笑い声。

電気は消え、月光だけが淡く部屋の中を照らしている。部屋の隅に置かれたベッドの上に少年が寝転んでいるのが、ぼんやりと分かった。

少年は血に濡れた自分の手を見て、まるで無邪気な子供のように笑い声を上げている。

やれやれ、と男はため息をついた。食事の前に掃除が必要なようだ。

ベッドまで歩み、端に腰掛けるとスプリングがぎしりと軋んだ。

「兄貴ぃ…」

ようやく男の存在に気付いた少年が顔だけでこちらを見た。

「夕食を持ってきた。後は俺が片付ける…」

とそこまで言って、男は声を失った――ベッドのシーツは少年の首筋からこんこんと湧き出る血で真っ赤に染まっていた。

あはははっと少年が笑い声を上げた。

「あったかい…知らなかった…俺の血もあったかいんだな…」

「おい!しっかりしろ…!」

あははははと笑い続ける少年の頬を男は叩いた。

「あったかい…」

そう呟いた少年の瞳には何故か涙が浮かんでいた。


夏の夜は闇の色が薄い。

その仄白い闇の底を『野良犬』は荒い息をつきながら、頼りない足取りで歩いていた。首からとめどなく流れる血液が『野良犬』の黒いスーツを汚し、血に濡れた部分がてらてらと赤黒く光っている。

ふいに道の小石に足を取られ、バランスを崩した『野良犬』はその場に倒れた。息を荒くつきながら、首に手をやると手のひらが紅く染まる。

ふと、野良犬は先程の少年のことを思い出した。

『『生きる』ためにどうして『殺す』の?』

不思議な少年だった。赤茶色の寂しそうな瞳をして…。

どうして殺すの?どうして生きているの?

どうして…。

四肢が重く、頭ががんがんと痛んだ。思考は麻痺して、身体がゆっくりとぬかるみの中へ落ち込んでいくようだった。

そうだ、どうして俺は生きている?

生きるために人を殺し、どうして俺は生きている?

『野良犬』が意識を手放そうとしたその時、あの懐かしい声が聞こえた。


『…最後の命令だ』


美しい、残酷な残酷なその声。


『    』


『野良犬』はその声に目を開いた。ゆっくりと身体を起こすと、『野良犬』はまたふらふらと仄白い闇の中を歩き始めた。


「危ないところでしたねぇ。あと数センチずれてたら、神経が切断されていましたよ」

というドクターの言葉に『黒猫』はほっと息をついた。

夜だけ開いているこの奇妙な診療所のドクターは皆にアウル――ふくろう、と呼ばれている。

「全治一か月ってところですか。ああ、興奮状態だったので鎮静剤を打っておきました。今はぐっすり眠ってます」

とアウルはカーテンの方を指さすと、くすりと笑って『黒猫』に言った。

「それにしても可愛い子ですねぇ。どこで拾ってきたんです?」

「俺の弟だ」

『黒猫』の言葉に驚いて目をしばたたかせているアウルの背後で勢いよくドアが開いた。

「…遅かったな」

現れたリュウとセイの方を一瞥すると、『黒猫』は椅子から立ちあがりアウルに言った。

「二人に話がある。隣の部屋を借りるぞ」

「え、ええ構いませんが…ってこの子は?」

「目が覚めたら、呼んでくれ。ああ、それと荷物をここに置かせてもらう」

それだけ言うと椅子の横にアタッシュケースを置き、『黒猫』は二人を連れて隣の部屋に行ってしまった。

残されたドクター・アウルはすやすやと寝息を立てている少年の顔をまじまじと見つめた。

「これが『黒猫』の弟ねぇ…似てない兄弟っているものなんですねぇ…」

その時、少年がううん、と首を振って目を覚ました。

「おやおや、目を覚ましましたか」

「ココ…ドコ?」

まだ眠たげなとろんとした瞳で自分を見上げてくる少年に、アウルはくすりと笑うと、少年の柔らかな髪の毛をかきあげた。

「憶えてないんですか?あなた、血塗れでここに運び込まれて来たんですよ」

「…ってか誰?」

少年の訝しげな視線にアウルは笑って自己紹介をした。

「私はこの診療所のドクターです。…皆はドクター・アウルと呼びますが」

「先生…俺、死ぬの?」

ぼんやりと呟いた少年の言葉にアウルは笑った。

「危ないところでしたがね。全く一体どういう喧嘩をしたらあんな怪我ができるのやら」

アウルの言葉をぼんやりと聞いていた少年は突然身体を起こした。

「…ねぇねぇ、先生!『野良犬』って知ってる?」

「まだ動かないで!…『野良犬』ですか?ここの常連ですよ、彼は」

アウルに制止された少年は再びゆっくりと身体を横たえると言った。

「ふ~ん…どんな奴なの?」

「お金さえ積めばどんな仕事でもしますよ。仕事は選ばない。『野良犬』の名前もそこからついたんですよ。『生きるためならゴミでも漁る』ってね。」

「へ~…」

興味深げに目を光らせている少年をアウルは訝しく思った。

「どうしてそんなに『野良犬』のことを聞きたがるんです?」

その時、あ痛たたと少年が身体を折り曲げた。

「先生ぇ、なんか痛い…」

「え?どこですか?」

驚いてアウルが少年に近づく。後ろに組まれた少年の手の中でナイフが妖しく光った。


「単刀直入に言おう。『野良犬』を始末して欲しい」

『黒猫』の言葉に反感を抱いたのは意外にもリュウの方だった。

「『生き餌』にひっかかれたら、今度は逆ギレッスか」

「リュウ」

たしなめるセイをリュウは横目で睨んだ。

「…ちょっと過保護じゃなんですか?俺はあんたの言う通り、『野良犬』に『猫を始末して欲しい』って依頼しました。それで『猫』が殺されたら、それまでってことじゃないですか」

「…私は『腕の立つ者を探している』と言っただけだ。あの子を始末して欲しいなんて頼んだ覚えはない」

「だから、『腕の立つ奴』を探してきたじゃないですか。…言っちゃあ悪いですが、『猫』が弱いんじゃ」

リュウの言葉に『黒猫』がぴくりと眉を動かした。何か言いかけた『黒猫』を遮って口を開いたのはセイだった。

「――恐らく二人の腕は同じだ。…ただ、スタイルが違いすぎる」

「スタイル?」

と二人は訝しげな顔をした。

「あくまで生きるために殺す『野良犬』と、殺すのを楽しんでいる『猫』と。…『野良犬』は一撃で仕留めようとするが、『猫』は違う。急所をわざと外して、いたぶるように殺す。…逆に言えば、それは相手に反撃の機会を与えることにもなる」

「…それが今回は裏目に出た、と?」

『黒猫』の言葉にセイは頷いた。

ふむ、と『黒猫』は頷くと、その黒い瞳でセイとリュウを見た。

「弟が深い怪我を負っているなら、『野良犬』もそれ相応の傷は負っているはずだな」

「ええ、だからこそ、『猫』にとどめをささず逃げた」

「…今の『野良犬』なら、お前達でも仕留めることができるな?」

三人の間に一瞬、緊張が走る。沈黙を破ったのはセイだった。

「…そう、だな」

「セイ!?」

セイの言葉にリュウが驚きに目を見開いた。リュウを一瞥すると、セイは言った。

「…やはり、一度依頼を受けた以上、私達に責任があると思う」

「だからってお前…」

リュウがそう言いかけたその時、隣の部屋から何かが倒れるような大きな音と短い悲鳴がして、三人は顔を見合わせた。『黒猫』の表情が不安にさっと翳り、慌てて隣の部屋へと駆けていく。セイとリュウもその後を追う。

「アウル!今の音は一体…」

三人が隣の部屋に駆けつけると、アウルが肩から血を流し床に倒れていた。部屋の中は乱れ、一つしかない窓は破られていた。

『黒猫』はアウルには目もくれず、大股にベッドに近づくとカーテンを開けた。

「…これはどういうことだ」

ベッドの上はもぬけのからだった。

セイが抱き起すと、アウルは荒く息をついた。

「くっ…!」

「おい、あの子はどうした!!」

『黒猫』の怒鳴り声に「そんなに大声を出さなくても聞こえます」と、アウルは悪態をつくと言った。

「油断しました。隠し持っていたナイフでやられましたよ」

アウルの声を聞きながら、ふと『黒猫』は床にてんてんと血の跡がついているのを見つけた。

「全く…可愛い顔してても貴方の弟ですね」

血の跡は一度窓の方に行きかけ、また椅子の方に戻り、そこで途絶えていた。

「…おい。ここに置いていたアタッシュケースはどうした」

「知りませんよ。持って行ったんでしょ」

アウルの言葉に『黒猫』は深く息をつくと、椅子に腰掛けた。その様子をセイは訝しげに見つめた。

「…中には何が?」

「…お前達への依頼料だ。キャッシュで一千万」

その言葉にリュウが口笛を吹いた。

「お小遣いにしちゃ、ちょっと贅沢だな」

「リュウ」

セイに睨まれてリュウは口を噤んだ。椅子に腰掛けた『黒猫』は呻くように言った。

「いや…金のことはいい…それよりも弟はどこだ」

「…アウル、何か『猫』に話を?」

セイの言葉にアウルは首を振った。

「いや、私は何も…」

と言いかけて急に口を噤む。その様子に気付いた『黒猫』がアウルの襟首を掴んだ。

「アウル!」

「ちょ…離して下さいよ…!…私は『野良犬』のことを話しただけですってば!!」

「『野良犬』…?」

「…金さえ積めばどんな仕事でもするって…」

『黒猫』に手を離されてごほごほとアウルは咳込んだ。

「まさか…」

『黒猫』は壊された窓の方を見た。

夏の短い夜は明けようとしていた。

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