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其ノ弐 田上-タガミ-


「…で。何だこれは」


 机の上で申し訳なさそうに佇んでいた資料を、まるで汚い物でも触るかのように指先ではじき、一言そう言った。


 "何だこれは"も糞も無い。

 10年間で調べ上げた全ての情報を、1日で分かり易く簡潔にまとめよと命令したのは、目の前に居る顔のいかつい男"田上"本人である。

「何だと申されましても…それが全てです」

「…これで…全てだと?」

 田上の手にあるレポート用紙はおよそ50枚前後。しかも理解不能な図や再現写真が枚数稼ぎの如く幅を利かせていて、実際使える情報は10枚程で事足りる。

 この資料を作成した"22名の研究員達"も、敢えて言われなくとも分かっているのだろう。頑として田上と目を合わせない。

「…分かった。有り難う、下がっていいぞ」

 その一言を合図に蜘蛛の子を散らしたように退散する研究員を見送りながら、大きな溜め息をついたその時。



「相変わらずはかどってなさそうだなぁ」



 真後ろにある窓の外から聞こえた声に振り向くと、案の定見知った男が居た。

「…榊」

「背中に哀愁が漂ってる。いいのか?第一支部のヘッドがそんな情けない風体で」

 "榊"と呼ばれた男は右手に煙草を揺らし、ニタニタしながらそう言った。

「悪かったな、情けない指揮官で。それよりお前、ここが何階だか分かってるか?」

「当たり前だろ。毎回わざわざ木を登ってここまで来てるんだ。流石に一階では無い事位気付く」

 三階に位置する樹齢百年の木の枝に乗って飄々と言ってのける榊に、田上は心底呆れたとばかりに目を細める。

 肩辺りまで伸びた髪を無造作に束ね、浴衣を着崩しているこの男。一見年齢不詳だが、田上とは小学校で同級生になって以来腐れ縁が続く同い年であった。

 三十代後半という年で実行する、毎度毎度の木登りにはある意味脱帽である。

「いい加減正面から入って来いよ。腰痛めて落下しても知らんぞ」

「そりゃおたくの部下が歓迎してくれるなら、の話だろ。正面からなんて嫌な顔されて追い返されるのが関の山だ」

「……それは、」

「お。"調査報告書"…?これ見て凹んでたのか?」

 田上の言う言葉に耳もくれず部屋に侵入すると、デスクにある書類をひょいと拾い上げた。

「あ、おいっ、勝手にっ…」

「…簡潔にまとまってて良いじゃないか。若干無駄な情報が多いけど」

「…若干どころか、五分の一が蛇足だよ」

 落胆したかのような田上の台詞に、榊が小さく笑った…その時だ。



ジリリリリリリリリリリリ



 けたたましい内線のベルに、田上の肩と顔がビクッと引きつる。

「…ちょっと失礼」

「…どうぞ」

 田上を気の毒そうに見つめた榊は、会話の聞こえぬ部屋の隅へ移動した。

「はい」

『本部指揮官の鈴木だ』

「…おはようございます」

 よりにもよってこの男かと、内心舌を打った。特に榊が居る今聞きたい声では無い。

『調査書の状況を聞こうと思ってな』

「それが…やはり前回から、さほど進展は見られません」

『…』

「…申し訳ございません」

 無言の間が痛い。こういう時はさっさと謝ってしまうに限る。

 鈴木という男は見た目爽やかそうな風体をしている癖に、腹の中は恐ろしく陰湿だ。

 殴られて終わり、怒鳴られて終わり、等を期待しては痛い目を見る。精神的にぐちぐち差し込まれる前に、言い訳せず謝るのが経験上最良の選択だった。

『…まぁ、それでも一番結果を出しているのは第一だからな』

「有難うございます」

 案の定上手く流せそうな空気に一瞬ホッとしたが、やはり一瞬だった。

『ところで…だ』

「はい?」


『第一支部の監視官について、だが…』


 とっさに榊を確認する。幸い棚にある茶菓子に夢中で、こちらには気付いていない。

『監視官の"榊"は君の友人だそうだな』

「はい」

『しかも幼い頃からの』

「ええ…まあ」




『君から見て、彼は信用出来る人間かい?』




 一瞬、不快感からぞわっと背中がざわつく。

「どういう意味でしょう」

『今までの調査報告会議を通して、おかしいと思わないか?』

「…特に」

『第一以外の監視官は、Pとの意志疎通すら難儀している。相手からの意志伝達をひたすら待っている状態だ。そんな状態で生態調査など不可能に近い』

「……」

『実際第一以外の報告書はいずれもほぼ進展は無い』

 この糞じじぃは何が言いたいのか、と、相手の姿が見えぬのを良い事に、近くに置いてあるクッションを思い切りつねった。

 ふと顔を上げると、今度はこちらをジッと見ながら、戸棚にあった中でも一番高価な和菓子にかぶりつく榊と目が合う。


 全く、どいつもこいつも糞ばかりだ。


『それなのに第一の情報はどれも具体的なものばかりで、その情報元の殆どが監視官の榊だと聞いた』


 田上の何かがプツンと切れた。


『第一の調査結果の殆どが榊の虚言だという可能性は…』

「お言葉ですがっ」

 鈴木の言葉を遮り発した言葉に、一瞬で空気が止まる。

「…それは、他支部の監視官の力不足に伴う結果だと思います」

『…どういう意味だ』

 鈴木の声色が明らかに変わったが、止める気は無い。と言うより、既に沸点に到達した脳細胞が停止命令を出してくれない。

「そのままの意味ですよ。鈴木指揮官」

『他支部の監視官を選出した私には"先見の明が無い"とでも言いたいのか』

「そこまでは申しておりません。ただ、異動の多い監視官という位置を、榊は調査団立ち上げ当初から任されている」

『それは貴様のごり押しで…』



「10年前のあの日の光景をお忘れになりましたか?」



 電話の向こうで、ぐっと言葉に詰まったのが分かった。

「…もし、鈴木指揮官が我々の調査結果よりも確たる情報を既に握っていて、我々のような胡散臭い輩の虚言が調査の妨げになっているのなら…」

『……』

「いつでも言って下さい。虚言を本部まで届ける事無く、日本第一支部の調査結果としてWPP(※世界各国の調査団総本部)に直接伝える事にしますから」


 ガチャン。


 言い終わるや否や、電話を叩き切った。


 元々いけ好かない上司ではあったが、ここまでハラワタが煮えくり返ったのは初めてで、まだ心臓が音を奏でている。

 田上は気持ちを落ち着ける為、デスクに両手をつき大きく深呼吸をした。

 あの雰囲気だと鈴木もかなりのご立腹だろう。今後の心理攻撃を考えるとゾッとするが、それすら仕方ないと思える。

 まさか、榊を気に入らないからと言って虚言だなんて言い出すとは思いもしなかったのだ。

 こっちは他の支部の情報量には目もくれず、情報進展の無さに負い目を感じて落ち込んでいた。そこに来て虚言とは何事か。

 さっき逃げるように部屋を出て行った部下達の気持ちを考えると、言い返さずにはいられなかったのだ。


「…田上」


 突然聞こえた声に驚いて顔を上げると、すぐ目の前に高級和菓子をくわえた榊がいる。

 そうだ。コイツが居る事をすっかり忘れていた。

「今の…」

「…鈴木指揮官だ」

「…」

「…」

「…まぁ…これ食えや」

 田上は榊が差し出した高級和菓子を奪うように取ると、榊の顔面目掛けて投げつけ、見事額辺りに命中する。

「おい、何をする」

「何呑気に菓子食ってるんだ。それにこれ高いんだぞ」

「…そんな高い菓子を俺の額にぶつけるなよ」

 のらりくらりとそんな事を言うこの男にも腹がたつ。

 大体いつもそうなのだ。昔からトラブルの中心には大抵榊が居る。なのに本人は台風の目とばかりに何の害も無く、実際に被害を受けるのは田上や周囲の人間だった。

「俺は何故お前と友達なんだろう…」

「そんな事より、いいのか?謝らなくて」

「何を。ここまで来て謝るか」

「だってお前…明日は…」



 『明日』



 榊の言葉に、ばっと顔を上げる。

「会議明日って言ってなかった…か?」

「…」


 『調査団全支部合同報告会議』


 名の通り、国内の調査団所属の指揮官が集合する報告会議であり、勿論本部の鈴木とも顔を合わせる事になる。

「相変わらずタイミング悪いな、お前」

 榊の人事のような呟きを背に、田上は膝から崩れ落ちた。

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