俺の意思は何処?
「久遠寺君、ちょっと聞いてる!?」
俺の耳に委員長の声が聞こえてくる。もう何度この台詞を聞いただろうか。東小松市一の観測者といわれた俺でも両手の指で数えることが出来なくなってからは数えることを諦めた。俺が本気を出せばもう少し数える事が出来るのだが、何故か昨日の疲労感が抜けておらず、その状態で同じことを何度も言われては流石にたまったものではない。
昨日は委員長が散々事態を引っ掻き回したかと思えば急に家を飛び出して行ってしまい、残された俺たちは微妙な空気が流れる時間を過ごした。その微妙な空気も夕飯と共に……というかレトルトのカレーを見たレンのお馬鹿な行動により吹き飛んだといったほうが正しいが。
世界屈指の技術大国である日本の技術力をもってしてもお湯で温めるだけと書かれたレトルト食品が本当に温めただけでおかずになるなんて事は無理だ。いくら見出し文字に温めるだけと書かれていても封を開ける手間ぐらいはあるに決まっている。俺は忘れない、カレー皿に盛られたライスの上に鎮座する銀色のカレーパックという衝撃の光景を。
そんな食事をしながら腹筋を鍛えるという不思議な時間を過ごした後、フーコメリア達に使ってない部屋の掃除をした。掃除が終わるとかなり早い時間であったがそのまま就寝。自分では気が付いていなかったが身体は疲れていたようで朝まで一度も目が覚めることはなかった。
本当に午前中は地獄だった。頭は少々痛いわ寝ぼけて弁当を作っていたら指を包丁で切ってしまい、その痛みが後からだんだんと大きくなってきたりと。あれ、今思えば頭が痛いのは散々昨日レンにシェイクされた後遺症というやつではないか? くそ、許せん。後で復讐だ。
そして騒動の中心人物のフーコメリア達はというと家でお留守番。それも当然か。二人を連れて学校なんて来れるはずが無い。外国に住んでいた従兄弟がーなんて言い訳が通用するとはとても思えないしな。二人には学校に行く前に近隣の迷惑にならないように過ごせと言ってあるから多分大丈夫……いや、正直な話、二人というか主にレンに向けて言った台詞なんだが、きっとレンが騒がしくしてもフーコメリアが止めてくれているはず。俺にはそう願うことしか出来ないのだ。
一応まったくないとは思うが、念の為にハンコとキャッシュカードは制服の胸ポケットに入れて持って来ていて、東小松市一の防犯意識の鬼久遠寺久喜の面目躍如だ。
なんだかんだで騒がしかった我が家から開放され、学校に居る間だけはいつものように過ごせるだろうと思っていたのだが、甘かった。休み時間ごとに委員長が俺の元まで来て、昨日の話の続きを始めるのだ。
「聞いてるって。つか掃除時間。委員長が真面目に掃除しないと他の奴もきちんとしないぞ? ほら、自分の担当掃除区域に行けよ」
「いや、わたし委員長じゃないし……それに掃除よりもよりも久遠寺君にとっては昨日の件の方が大事なんだって! ホント関わらない方がいいって、絶対に危ないわよ?」
目の前で激しく揺れるツインテール。今日だけでこのツインテールの動きを何度見ただろうか。流石にこれだけ見せ付けられればツインテール過食症で吐き気まで……するわけないよな! ツインテールは男の桃源郷なのだ。
「大丈夫だって危なくなったらその時考えるって」
委員長にはそう答えるが、俺の中では既にフーコメリア達の周囲が落ち着くまでは関わると心に決めているので、危なくなっても関わらないなんて選択はない。
「危なくなってからじゃ遅いんだって!」
怒鳴るような感じで委員長が声を荒げてしまい、教室の掃除を適当にしていた他のクラスメイト達の視線が俺と委員長に注がれる。
クラスメイト達の視線に気が付いた委員長は顔を真っ赤にして俯く。昨日のそうだったけど委員長って実は集中すると周りのことが見えなくなるタイプなんじゃ? 注目されて恥ずかしいなら普通はあんなに声を荒げないだろうに。
「で、どうしたの委員チョー? 今日は朝からずっとクッキーに付きまとってるみたいだけど?」
軽い調子でクラスメイトの岸枝、もしくは東小松市一の悪友の岸枝が委員長に声を掛ける。
「な、ナンデモナイワヨー」
「なんで片言なんだよ……」
片言でごまかす委員長に思わずツッコミを入れる。誰がどう聞いたって何かありますと白状しているようなものだ。
「ま、クッキーがバイトしてるの見つけたとか、そんなんでしょ?」
岸枝はやれやれと言った様子で俺の肩を叩いて「ドンマイ」っと親指を立ててウインク。
俺の通っている小松東高校はバイトは許可さえ貰えばしてもいいのだが、許可を貰うためには条件があって、それをクリアしないといけない。条件と言っても、中間テストなどで全教科の点数が平均点以上を取れば良いだけなのだが、数学と英語の理解力に問題を抱える俺には厳しいラインだ。どうしてもバイトをしたい奴は無許可でバイトをやっている。働いている所を生活指導などの先生が見つければ、即停学というリスクは背負っているが。
岸枝は俺が無許可でバイトをしている所を委員長に見つかったんだと勘違いしているようだ。流石に本当の事は俺や委員長の頭を心配されそう言えないので、バイトが見つかった事にしておくか。
「そうそう、久遠寺君がバイトしているとこ見つけちゃってさ……」
委員長もややぎこちない笑みを浮かべつつも岸枝に調子を合わせている。
「委員長も物好きだなぁ。ま、そういうおせっかいな所が委員長らしいけどさ。クッーキも先生より面倒な奴に見つかっちまったな」
岸枝はそう言って俺の肩を何度も叩く。ちなみにバイトの件、岸枝は嘘は言っていない。時々こっそりバイトしていることを岸枝には話している。
「まぁ安心しなって委員長。クッキーのバイトって定期的に人手が欲しい時に召集される猫の手バイトだから数日もすればまたアルバイト部から帰宅部になるって」
勿論学校にそんな部活はない。バイトをしている連中が部活動をしている連中みたいに連帯感を出すために勝手に言い出した事で、割と学年にアルバイト部という存在は浸透している。
「それはそうと、もうすぐ掃除始まるぜ、委員長。掃除場所行かないと不参加にみなされてペナルティ喰らうかもしれないよ?」
「そ、そうね……」
流石に第三者にそう言われては委員長も引き下がるしかない。委員長はしぶしぶといった様子で自身の掃除場所へと向かい始めた。
助かった。感謝する岸枝。これでまた少しの時間委員長から解放された。このままマッハで掃除を終わらせて帰れば委員長から更に逃げられるはずだ。
思わぬ助け舟となった岸枝に心の中で合掌。
「じゃあ先生呼んでくるからなー」
そう言って岸枝は職員室に先生を呼びに行く。容姿から軽い調子でチャラチャラしているかと思いきや、以外に真面目である。
小松東高校の掃除の時間はちょっと変っていて、帰りのSHRが終わるとそのまま掃除となるのだが、この掃除に時間というものは決まっておらずテキパキとやれば五分で帰れる。
基本、掃除場所担当の先生が来て参加者のチェックを行い、掃除を開始する流れだが日によっては先生の都合が悪くすぐに来れない事もあってか掃除完了後にチェックを受ける為先生を呼びに行くこともしばしば。
何故か掃除に並ならぬ情熱を持つ掃除隊長岸枝が必ずこうやってすぐさま担当の先生の元に本日の状況を聞きに向かうため、俺たちの掃除担当の先生……副担任だが、彼は絶対にSHR時に教室に居なければ職員室から掃除場所に向かうということはしない。
ある法則があってSHR時に副担任が居ない場合は何かしら用事があるか、単に面倒なだけなのか、掃除完了のチェックは俺たちが帰った後行われ、参加者の申請は岸枝が行ってくれているというものだ。今回もおそらくその流れになるだろう。
「クッキーいるー?」
岸枝が戻ってくる前に少しでも進めておこうと気合を入れている途中、外周の掃除担当である女子クラスメイトが俺を探しているみたいで教室の入り口で俺の名前を呼んだ。確か苗字は安立。
「あいあーい、此処に居るぞー」
箒を教室の掃除用具入れから取り出しながら安立さんに手を振って答える。
何か用事でもあるんだろうか。もしかして告白か? 急にそれは困るな。前髪の行方は大丈夫だろうか、俺。
「校門のところでクッキーの知り合いっぽい人達が久遠寺久喜は居るのかって探してたよ? ねぇ、誰?」
安立さんがそう答えて廊下の窓を指さす。
まったく心当たりの無い俺は箒を片手に教室の入り口に向かい、安立さんと合流。そのまま二人そろって廊下の窓に張り付いた。
掃除をサボって足早に帰宅する生徒達で校門がごった返しており、二人組みを探すのは容易ではない……と思いきや、校門のところに人が二人誰かを待つように立っているのが解る。流石東小松市一の『W』発見者久遠寺久喜だ。
「ほらほら、あの人達……解る?」
安立さんは俺の薄い反応を見てまだその二人が何処に居るのかわからないと思ったのだろう、二人を指さしながら教えてくれる。。
『えーなになに? どれどれ?』
俺と同じように掃除に勤しもうとしていた教室掃除担当だけでなく、廊下掃除担当のクラスメイト達も興味津々といった様子で窓に張り付く。
「おぉう!?」
指差された方向を見て思わず声を上げてしまう。なんで居るのよ?
校門で俺を呼んでいる人物はフーコメリアとレンの二人だった。フーコメリアの格好は昨日と変わらないのだが、レンの格好がちょっと違う。鎧などは身につけておらず、着ているのはワンピースのような服だけだ。
そんな二人が学校というプリズンから開放された生徒達の視線を集めながら二人で仲良く並んで校門の所に立っている。
「ちょっと、あれ誰だよ。遠目だけどすっごい美人じゃないか!」
「俺は背の大きい方よりも小さい方が好みだな。お兄ちゃんって呼ばれたい」
「久遠寺前髪なげーよ!」
何か色々と危ない発言が聞こえて気がするが、スルーしておこう。このクラスにもロリコンは存在していたか。それと今、俺の前髪って関係あるか?
「あの二人クッキーとどんな関係?」
安立さんがそう聞いて来て、軽く知り合いだと答えて帰り準備もとい、逃走準備を始める。委員長じゃないけどこの先の未来が解る。
「ねぇねぇクッキー。あの二人どこの学校通ってるの? メルアド教えてよ」
「そうそう、というか二人に紹介してよ」
「久遠寺前髪なげーよ!」
予想したとおりクラスメイトの男達が俺を逃がさないための壁を作り始めた。日頃あまり話したことのない隣のクラスの奴までフーコメリア達の事を聞こうと帰り支度を進める俺の周りを囲みだす。
あぁ、うざったい。つか、誰だ。さっきから俺の前髪について不満を持っている奴は。前髪は今関係ないだろ。
「お、クッキー、今日のチェックは後で……ってどうしたこの人だかり?」
丁度副担任の元に向かった岸枝も戻ってきて普通ではありえない人口密度に驚いているようだ。
「わ、悪いちょっと俺……先に帰るわ」
岸枝に手を合わせると一度教室に戻ると鞄を掴んで廊下に飛び出す。
「俺、あの背の高い方に踏まれて罵られたいな」
「馬鹿、それは小さい方にさせてこそだろ。大きい方はそうだな……甲斐甲斐しく尽くしてほしいかな」
俺が机から鞄を持って来るという短時間の間に廊下に集まったクラスメイトの男達は妄想話に華を咲かせている。逞しい奴らだな、本当に。思わず俺も妄想談義に加わりたいと思ったが、今はそれどころじゃない。
「名前だけでもいいから教えろって、久遠寺」
「そうそう、狙ってない奴だけでもいいからさ」
「久遠寺前髪なげーよ!」
くっ、予想していたとおり次の目標は俺にチェンジして俺から何とか情報を聞きだそうと躍起になっていやがる……あとさっきから俺の前髪について文句を言っている奴は出て来い。後日、停学覚悟で相手になってやる。
何とか男達の壁の隙間を見つけて包囲網から逃れると、急いで昇降口に降り学校指定のスリッパから下足のスニーカーに履き替え、駆け足で校門へと急ぐ。我が教室の窓がある方向から無数の視線を感じるのだが振り返るのが怖い。
「お、来た来たクキー」
「お疲れ様、クッキー」
そんな俺の恐怖感など露知らず、暢気に俺の姿を見てぱたぱたと手を振るレン。その横にはフーコメリアが静かに立っている。これはまるで駅まで会社帰りのお父さんを迎えにきた妻と子供のようではないか。これが父親の心境なのか。これさえあれば背後で聞こえる人の話し声なんざ気にならないね。
「お前ら……なんで?」
とりあえずシンプルに気になった事を聞く。
「地理を覚えるには地図を見るよりも実際に自分の足で歩いた方が早いわ」
まあそんな事だろうとは思っていたが。別に行動を制限したわけでもないのだが、街とか見て回るなら俺も誘ってほしかった。学校? 勿論エスケープ。
「ふん、いくら『鋼の都』といえども、そう大したことはないな」
レンはふふんと鼻を鳴らし、勝ち誇った表情を浮かべた。
「赤信号で横断歩道渡ろうとして車からクラクション鳴らされて驚いていたのは誰だったかしらね?」
「そっ、それは側面死角から不意を突かれたから驚いただけに過ぎん。正面から奴が向かってくれば立ち向かってくれよう!」
「立ち向かうのはやめようぜ!? 普通に事故だ!!」
レンには致命的にこちらの知識がかけている。そのうち本当に事故に巻き込まれかねない。近くフーコメリアと一緒にレンに教育を施さなければならないようだ。
「それはともかく、ここから動こうぜ」
俺は背後に感じる視線に殺意というものが加わってきた気がして足早にここから離れたかったのだが、レンは制服の袖を引っ張ってきた。殺気は約二倍ほどに膨れ上がった気がする。
「何故だ? 私はあの中を見てみたいのだが」
校舎を指差してレンがつぶやく。校舎を見るのが恐ろしくて俺はレンの指先しか見ていない。
簡単に見てみたいと言われても無理。校門前で立っているだけでかなりの騒ぎになっていたんだぞ、これでお前達が校舎に乱入してみろ、大変な事になるだろ。主に俺が。
「部外者以外進入禁止」
そう答えると足早に校門から離れると、背後からレンが不満を口にしながら追って来る。
「クッキーは今日一日何やっていたの?」
フーコメリアが俺の横に並ぶようにして聞いてくる。
「別に特別なことやってない。二人は?」
「私はクッキーの部屋に置いてあった雑誌を読んでいたわ。レンは朝からずっとテレビに齧り付いていたわね」
「失礼な、私はてれびに齧り付いてなどいない。ずっと見ていただけだ」
それを齧り付いていたって言うんだよ。
「午後からはクッキーが用意していたご飯を食べて、街を見て回ったわ。あ、ご飯おいしかったわ。ありがとう」
おにぎりと軽いおかずだけを用意していたのだが、喜んでくれて何よりだ。
「あまり美味くはなかったがな」
レンが腕を組んで鼻を鳴らしながら言う。
あぁ、そうですかい。明日からはお前の分は用意しないようにしよう。
「人の分まで欲しがっておいて何を言っているのよ」
「それはフーコメリアが食べるのが辛そうにしていたから仕方なく私が……」
「別に辛くとも何ともなかったんだけど。明日からは自分の分は自分の分をきちんと食べるようにしましょうか。目の前で物欲しそうな顔している人が居たとしても」
「すまん、私が悪かった!」
レンはジャンピング土下座をしそうな勢いでフーコメリアに謝る。流石同じ部屋で共同生活をしている訳じゃないな。昨日以上に二人は親密になっているようだし、上下関係が着々と構成されてきているようだ。
交差点の信号が赤に変わり青になるまで待っている時にふと気になったことを聞いてみた。
「そう言えば動き回って大丈夫なのか?」
確かフーコメリアは逃げてきたと言っていた。そんな人物が隠れることなく白昼堂々街中を歩いていいのだろうか。
「見れる時に見れる物を見ておきたいだけよ。もし追手に見つかってもなんとかなると思うわ」
そう言ってフーコメリアは交差点の周辺の建物を目に焼き付けるようにして眺めている。通行人と比べ長い耳がやはり目立つ。
「その耳は隠さなくて大丈夫なのか?」
通行人と何人かすれ違ったのだが、誰もがすれ違いざま振り返ってこちらを見ている。
「耳?」
「さっきから通行人が振り返ってこっち見てるからさ」
「大丈夫よ。耳には視覚変化の魔法掛けてるから」
フーコメリアが耳を弾きながらそう言う。
「視覚変化?」
「他の人から見れば私の耳はクッキー達と同じように見えてるわ。余計な騒ぎは起こしたくないもの」
じゃあ通行人が振り返っている理由はフーコメリアが奇麗すぎるからか、それとも根っからのロリコンでレンに見とれているかだな。俺は前者であって欲しいと切に願う。後者なら東小松市はもうおしまいだ。
「って、俺には普通に長い耳が見えてるけど」
「クッキーは視覚変化の魔法を掛ける前に私の耳を見てるじゃない。そういった相手には意味がないのよ」
「居た居た! ちょっと待ちなさいよ!」
背後から委員長の声。振り返ると委員長がツインテールを揺らしながらこちらに向かって走って来ている。
「どうした委員長? 岸枝の伝言? 掃除のやり直しだったら今日はサボる。残りの連中で頑張ってくれ。埋め合わせは明日、いつもの倍がんばるからと伝えておいてくれ」
委員長に手を合わせ頼み込む。
「ん? おぉ、イインチョーじゃないか」
レンが振り返り委員長の顔を見て手を上げる。
「委員長じゃないって……レンちゃんまでそう言うのね……」
鞄を片手に委員長は盛大な溜息をつく。
「いや岸枝君の事はよく解らないわよ。私も二人組の美人と子猫ちゃんとあの前髪って話を聞いて鞄持って抜け出してきたし」
「委員長失格だな。それでも委員長?」
失格以前に前髪でどうして俺になるのかという事も非常に問い詰めたい。
「失格になるならそれでいいわよ……別に委員長なんてやってないし。というか、あれほど言ったのにまだ解ってないの?」
またそれかよ。いい加減聞き飽きたぞ。
げんなりとして委員長の顔を見つめると委員長もじっと俺を見つめてくる。なんでそこまでこの件にこだわるかなぁ?
「クッキーのその様子だと一日中言われてましたって感じね。私が関係してこうなっているところで、他人事のように意見を言うのは変だと思うけど言わせてもらうわ。昨日からそうだけど、クッキーが決めた事にあなたが口を挟む方がおかしいんじゃない?」
フーコメリアはそう言って髪を指に巻きつけている。時々そうやって一人遊びをやっているが、楽しいのだろうか? 試しに前髪で……ぎゃっ、数本絶対これブチった!!
「それは……そうだけど……でも絶対に危ないんだって。あなただって解っているんじゃない? 自分と久遠寺君が一緒に居る事によってどれだけの危険があるかなんて」
「ええ、そうね。最悪の事態も考えてはいるけど、クッキーの決断はそういった危険があっても構わないとした上での決断よ?」
「でも……」
フーコメリアに論破された形で委員長は黙り込む。なんか一番の当事者である俺は二人の話に口を挟むタイミングを失ってしまった。前髪数本と共に……。
最近俺の意志を無視して事態が進むってパターン多くない?
「クッキーが危ないって言うんなら、あなたが盾になれば?」
ダメ押しにとフーコメリアが意地悪な提案を口にすると、委員長は黙り込む。
きっとフーコメリアはそう言えば委員長は諦めざるを得ないと思っての行動だろうが、委員長の反応は違った。
「ええ、そうね。久遠寺君に何を言っても意思は曲げそうにもないし、それだったら私が何とかするしかないわね。いいわよ、付き合うわよ」
自棄気味に委員長はそう言うとフーコメリアを睨みつけて俺達と並んで歩こうと横に並ぶ。
え、え? 一体何がどうなってこうなったの?
「ちょ、委員長……自分で危ないって言っておきながら……」
「いいの。私の決断だから。久遠寺君が何を言っても私は聞かないわよ」
委員長の意思は固いようでなにを言っても私が決めた事と決して譲ろうとしない。ほら、やっぱり俺の意思はまたも無視。というか最初から眼中にないようにも思えてくる。
「うーむ……」
レンが腕を組み、俺と委員長の顔を交互に見たと思えばまたうなり始める。
「どうしたレン?」
一度だけならまだしも、何度も同じ行動をするレンの頭を心配した俺はそう聞いてみると、もう一度レンは俺と委員長の顔を見て口を開いた。
「イインチョー、お前クキが好きなのか?」
腕を組んだレンが委員長を見上げるように委員長に問いかける。
「んなっ!? そんな事あるわけないじゃない! ないない、絶対ない!」
委員長は顔を赤くして顔を勢いよく振る。顔の動きに合わせてツインテールも動く。赤ちゃんのおもちゃでこんなのあったな。そしてなにもそこまで否定しなくていいだろ、結構ショックだ。
「でもな、イインチョーの行動はどう考えてもそうとしか思えないんだが?」
レンは納得がいかないのか、首をかしげながら委員長に問いかける。頭の動きに合わせて動くポニーテールがおもしれぇ。
「違う! 私はただ見えた未来を変えたいだけなの!」
委員長は顔を真っ赤にして半ば叫ぶようにそう言うと肩で息をしながら点滅を始めた対角線上にある信号機へと視線を向けた。
「うーむ、よく解らんなぁイインチョーは」
レンがそう言って首をかしげるのと同時に横断歩道の信号機がパッと青信号に変わる。誰ともなく一斉に横断歩道を渡り始める。
「……それと、そのイインチョーってやめてくれない? わたしを呼ぶなら春日野か桜花で呼んでよ」
しばらく無言のまま進む俺達。流石に場の空気が重く感じ、何か話題を振ろうと考えていた矢先、委員長が口を開いた。
「イインチョーはイインチョーじゃないのか?」
レンは首を傾げて不思議そうにする。委員長は委員長だよな。
「私は桜花よ!」
「そうか? ならしょうがない、イインチョーオーカでどうだ?」
「そこまで譲歩するならいっそオーカって呼んでよ!?」
「私はそうね、桜花さんって呼ぶけど良い? 委員長」
フーコメリアがレンと委員長の会話に口を挟む。
「もう、フーコメリアさんまで……」
額に手を当てて呻く委員長。
「それと私の事はフーコメリアでいいわ」
「うーん、私の癖って言うか……私人の名前だけを呼ぶってしないのよね。さん付けでもいい?」
「桜花さんがそれでいいのなら強制はしないけど」
フーコメリアはさんは付けなくていいと言ったのだが、委員長にも何らかの拘りがあるようでフーコメリアはさんを付けて呼ぶ事に。
「名前だけを呼ばないのなら、私の事はレンさんと呼ぶように」
「え、それはちょっと。レンさんなんて呼び辛いし……」
「何故だ!?」
レンは委員長の中ではまだ十三歳説が生きているのか、レンちゃんとなった。レンは不服そうな顔をしていたが、どうやら諦めたようでちゃん付けを許した。
「ところでクッキー。これからどうするの?」
「まさかこんなに住人が増えるとは思っていなかったからな。冷蔵庫の中は空っぽだし、店に寄って食料品とか買って帰ろうって思ってるが……」
「解ったわ。居候の身としては荷物持ちぐらいしないといけないわね」
フーコメリアはくすりと笑うと肩を回し始める。気合十分、すごく頼りになるぞ。
そして俺の意識の大半を持っていた部分が二つほどあるが特に言うべき事ではないよな、おっぱい。
「うむうむ、頑張るのだな、フーコメリアよ」
頷きながらフーコメリアの肩を叩くレン。いや、お前自分の立場って理解してる?
「勿論レンもよ」
フーコメリアはレンの頭に手を置いて言う。
「痛たたたっ! な、なにをするフーコメリア!」
一見ただ頭に手を置いているだけのように見えるが、よく見れば親指と小指がレンの頭に食い込んでいる。
「あら、どうしたのレン?」
にっこりと笑って何故痛がっているのか解らない、といった様子でレンに問いかけるフーコメリア。
「ど、どうしたのレン? じゃないだろう! 頭、頭が痛たたたっ!」
レンはフーコメリアの手を頭から外そうとしている。それにしても親指と小指で頭を掴んでいるだけなのにレンのあの痛がりよう。すごい握力だな……。
あの痛がりよう、あれが万一、俺のデリケートゾーンに襲い掛かってきたら、考えただけでも縮む……。
「……」
そんな二人のやり取りを呆れて見つめているわけでもなく、微笑ましそうに見守っているでもなく、ただ呆けたように見つめる委員長。
「どうした、委員長?」
学校とかだったら真っ先にうるさいからとか、ほんとに痛がっているみたいだからやめろと止めるはずの委員長なのだが、ただ眺めているだけで何もしない。違和感を覚えて委員長を呼ぶと、意識がたった今戻ったかのように周囲を見渡す。
「え、あ……どうしたの久遠寺君?」
「いや、あれを止めないでいいのか? 通行人の迷惑になるレベルの騒ぎ方だと思うぞ」
フーコメリアとレンを指さして委員長にそう言う。レンの痛がり方が愉快なのか、フーコメリアは満面の笑みを浮かべながらも更に力を入れているようで、レンは必死にフーコメリアの手を振りほどこうともがいている。
「普通、久遠寺君が止めるべきじゃない? はぁ……しょうがないわね」
ため息をひとつ。
「いい加減にしなさいよ、騒ぎすぎよ」
そう言いながらレンとフーコメリアを止めに入る。うん、これが委員長らしい姿だな。
「流石委員長ね」
「うぅ、イインチョー助かったぞ」
フーコメリアの手から解放されたレンは両手で頭を撫でながら委員長に礼を言う。
「フーコメリアさん私の事は気にしないで続けて」
「ふふっ……解ったわ」
「オーカ! 貴様私の味方じゃ……痛たたたっ、オーカ……私が悪かった。だから早くこの馬鹿力を止めてくれっ!」
止めるどころか一緒に騒いでどうすんだよ。迷惑な奴らだ。
「……」
目の前で楽しそうにしている三人をただ眺めているだけでは面白くない。
「ちょっと待て、俺も仲間に加えろ!」
疎外感を覚えた俺は腕を回しながら三人の輪の中に入っていった。
すっかり夕焼け色に染まった空の下、目の前の道には四つ仲良く並んで歩く影。そのうちの中の一番小さい影がしきりにもぞもぞと動いている。
「うぅ……重いなんで私がこんな事を」
両手にスーパーの袋をぶら下げたレンが呻く。袋の中身は米袋五キロが二つ。
「店の中で騒ぐからじゃ、ボケ」
お菓子のいっぱい詰まった袋を一つぶら下げた俺はレンを反眼で睨む。
「当然ね、店の中で騒ぐからよ」
両手で抱えるようにしてスーパーの袋を持ち涼しそうな表情で言うフーコメリア。
事態は二十数分前にさかのぼる。
『いらっしゃいませー』
「ぬぁっ!? 勝手に扉が!」
スーパーの入り口でレンが驚きの声を上げた。普段どおりに店に入ろうとしていた俺や委員長、そして異世界の人間とは思えない知識人のフーコメリアは平然と自動ドアを潜ったのだが、レンだけは違ったらしい。
「クキー、今どうやってこの扉は開いたのだ? 何処にも扉を開けてくれるような人が入れる場所などなさそうなのだが……」
キョロキョロと辺りを見回すレン。
「やっぱりこういう機械って珍しいものなのかしらねぇ?」
委員長が微笑ましそうにレンを見ながら言うと、
「あなた達が魔法を見ればきっとレンと同じような反応をすると思うわ。だからレンのちょっとしたお茶目な行動も笑って見過ごしてくれると助かるわ」
フーコメリアが落ち着いた感じで答える。本当にレンのお姉さんのような感じがするな。アホの妹に頭のいいお姉ちゃん。バランスの取れた姉妹じゃないか。
「大丈夫、それぐらいお安い御用よ」
委員長とフーコメリアが穏やかに話しているが、ちょっと離れた場所でハッスルするアレはちょっとしたお茶目で済むレベルなのだろうか?
「なぁ、二人とも、あれ……お茶目?」
俺が指差した先には自動ドアの前で足を出したり引いたり、時折フェイントを交えて自動ドアが失敗しないかと試しているレンの姿。扉が開くたびに来客を知らせるチャイムが鳴り響いている。
『ちょっとレンッ!』
二人はダッシュでレンを回収に。入り口とレジが離れた位置にあって助かった。絶対に店員さんが迷惑そうな顔して俺たちを見ると思うぜ……。
「うぅ、何故……」
「まー気持ちはわからなくは無いが、ちょっとやりすぎだな」
二人に鉄拳制裁を喰らったレンは頭を押さえて涙目になりながら俺の後ろをチョコチョコと付いてきている。俺もちょっとは叱ろうと思ったが、レンの姿を見てその気が失せた。これってやばい兆候?
「で、クッキーどういった買い物するの?」
委員長が買い物カゴを片手に聞いてくる。
「まずは食材にお菓子とかかなぁ。とりあえず順番に見ていこうぜ?」
「了解っと」
「これは結構便利ねぇ……こうして一つの建物に様々な種類のものを集めて売る。買う方は何軒もはしごせずとも必要なものがすぐに揃う。売るほうは仕入れの値さえ気をつければかなりの利益を上げることが出来る……」
フーコメリアは感心したようにあごに手を当ててしきりに頷いている。ぺしんぺしんと頷くたびに一つに纏めて編んだ髪が背中を叩いていてちょっと面白い。
「クキーこれはなんだ!?」
「それは買い物カート。重くて手で持つのがつらい買い物カゴとか乗せて楽に買い物できる便利道具だ。コラコラ乗るんじゃねぇよ!」
「クキー! これはー!?」
「乾電池。電池とは何かは委員長に」
「ちょっ!?」
「クキーこれは?」
「洗剤、飲むと死ぬぞ」
「ひっ!?」
とまぁ、レンの質問に答えながら買い物を続ける俺、超すごくね?
あれもこれもと買い物カゴに必要なものを入れていればすぐにカゴは一杯になり、買い物カートまで使用する状態になってしまった。
「クキーこの箱は?」
「あー、それは冷たくして保存しなきゃいけないものを冷たくして保存できる道具だ。触ってみ、冷たいから」
「おぉ、雪のように冷たいな!」
冷凍食品がずらりと並ぶコーナーでレンの興味は冷凍食品を入れておく冷蔵庫みたいな奴が気になるらしい。ぺたぺたと霜を触ったりしているようだ。
「クッキーこっち特売品があるみたいね」
フーコメリアが少し離れた場所でワゴン積みされている特売品を見つけたようだ。何が安いか解らんが一見の価値はあるな。
買い物カートを押してその場に向かうと日頃の安売り時よりも更に安い、水だけで出来る中華春雨料理が売っていた。これは迷わず買いだ! 他にも色々と安くジャムとか売っているじゃないか。
……ふう、特売コーナーだけでも結構買っちまったな……。
「あれ、さっきからレンが大人しいけど……」
フーコメリアがさっきから存在感の無いレンを気にして辺りをキョロキョロと見回す。
「流石に迷子とかはないよね? あ、あれじゃない?」
委員長も辺りを見回しレンとおぼしき人物を見つけて指を向ける。
「何か奴は運んで無いか?」
「そうね……赤いもの? 刺身?」
俺と委員長はレンが手に持っているものを見ると魚の刺身を手に持っていた。そしてそれを……
「あ、今別の所に入れたわ」
レンが刺身を冷凍食品のコーナーに入れた。
「うおおぉぉいッ!? 何やってんだあいつは!? フーコメリア、回収!」
「わ、わかったわ……」
フーコメリアもレンの行動の意味が解らないまま戸惑いを浮かべながらもレンを回収。俺たちも急いで合流するとそこには目を覆いたくなるような惨状が……。
冷凍食品コーナーに並べられた刺身のパックの山。何これ?
「君はいったい何をしているのかなぁ、レン君……」
「おう、クキ! 見ろ、こちらの方が長持ちするんじゃないか?」
胸を張り冷凍食品コーナーに並べられた刺身を指差し胸を張る。
「フーコメリア、委員長、すまん、戻すの手伝って……」
「……解ったわ」
「……了解」
言葉を失った俺達は刺身をカートに入れなおし、刺身コーナーへと向けて歩き出した。
「ちょ、なんで戻す? そっちの方が保存できて……」
「フーコメリア、レンにレッドカード」
「……退場ね」
口に出して委員長に言えば良かったかと思ったが、どうやら杞憂で終わったようだ。サッカーの知識もあるフーコメリア。この知識の半分……いや一割でもあればなぁ……。
と、言うような事があったのだった。騒いだ罰として一番重い米をレンに運ばせることにしてスーパーを後にした。
それにしても魚コーナーの店員のあの迷惑そうな顔は忘れられそうにもない。事務所に連行されなかっただけラッキーだ。もしかしたら制服を覚えられ学校に連絡が行っているかもしれないが、気にしないでおこう。
「レンちゃんやフーコメリアさんが荷物を持つのはいいとして、なんで私まで……」
両手にティッシュペーパーやトイレットペーパーの束をぶら下げた委員長が呻く。
「ノリノリで買い物付き合ってくれてたくせに」
事実を指摘すると「それはそうだけど……」と困った顔をする委員長だった。
それにしても人手が多いって素晴らしいね。
いつもなら一度の買い物の量は精々自分が楽に持てるぐらいの量だけなのだが、俺の他に三人も人手がある。予定では買うつもりのなかった米やティッシュなんかも買う事が出来た。
「まぁまぁ、人手は無駄なく使うべきじゃないか。これぞエコ」
「エコ違うわ、それは! むしろエゴ」
「お、巧い! ま、冗談はおいておいて、晩飯ぐらいだったら御馳走するからさ。食事が報酬のアルバイトと思ってくれよ……な?」
すかさず俺にツッコミを入れてくる委員長をなだめる。
「なんか体よく利用された気がするけど、まぁそれで納得することにするわ」
晩飯を御馳走すると言っておきながらちょっと後悔。委員長宅では晩御飯の準備が既に始まっているのではないかと思い、委員長母には悪いことしたかな、なんて考えが浮かぶ。
「うぅー、クキー家まであとどれぐらいだー?」
よろめきながら俺達の後を追うように歩いているレンが聞いてくる。
「あともう少し」
まだ家の周辺の地理を覚えてないのか、レンはしきりにまだ家にはつかないのかと言ってくる。
「先ほどからそればかりじゃないか」
ドライブに飽きた子供のように少しも進まないうちにまだか、まだかと聞かれれば、もう少し。としか答えようがない。家まではあと十分ぐらいの距離である。
「流石に手が痛くなってきたぞ」
そう言いながらレンは袋を持ち直す。レンの両手は赤くなっていて嘘はないようだ。
こいつ剣を振るんだよな? こんな情けない体力で大丈夫か?
「ったく、情けないなぁ。ほら、荷物交換」
俺はレンの手から袋を二つ奪うとお菓子のいっぱい詰まった袋をレンに手渡す。
「おぉ……軽い、軽いぞクキ! その袋を持って鍛えられたのか、こんなにも軽く感じるなんて!」
いや、それ違う。こんな短時間で身体が鍛えられるわけない。
単に米十キロが群を抜いて重かっただけだから。お菓子がいっぱい詰まってるとはいえ、重さからしてみれば二キロ満たないぐらいで、米十キロと比べれば重さは約五分の一ぐらいだからそう感じて当然だ。
最初はこれぐらいと思っていたが、ビニールの取っ手が容赦なく俺の手の平に食い込む。持ち方ミスったな。抱えるように持てばよかった。まぁ家までの残りの距離はそうたいした事は無い気合を入れて運びますか。
「ふう、ようやく到着か」
アパートの階段を上りきり部屋の前に到着したレンは達成感に満たされた瞳で玄関の扉を見つめる。
荷物が軽くなってレンの歩くスピードは上がり、先頭に立って歩いていた。途中曲がらなきゃいけないとこをそのまま直進しそうになっていたりはしたが。
「お疲れ様。ちょっと慣れない道を長く歩いたせいか足が疲れているわね」
涼しげな顔でそう言うフーコメリア。言うほど疲れているように見えないのは気のせいではないよな。
「すぐに飯の用意するから、テレビでも見て待っててくれ」
ポケットからアパートの鍵を出し玄関の扉に挿して鍵を回し扉を開ける。
「あれ?」
鍵を開けたはずなのに扉が開かない。
「あ、ごめんなさい家を出る時鍵掛けてなかったわ」
バツが悪そうにそう言うフーコメリア。そう言えば鍵なんて渡してなかったもんな。まさか二人が出歩くなんて考えてなかったし。
「いいよ、気にすんな。取られて困るもんなんてないしな」
笑って答えるともう一度鍵を回す。今度は扉が開いた。
「っと、靴は脱がなきゃな」
レンは玄関先に靴を脱ぎ散らかしてそのままスタスタとリビングに消えてゆく。
「久遠寺君、ほんとに晩御飯を御馳走して貰っていいの?」
フーコメリアもレンの後を追うようにリビングへ向かい。玄関先には戸惑った表情を浮かべている委員長だけが残った。
「ここまで荷物持って貰っておいて「ありがとう。はいバイバイ」じゃ流石にな。家の都合とか考えてよければ……の話だけどな。無理して付き合わなくてもいいよ。そん時は学校でジュースでも奢るよ」
「都合とかは別にいんだけど、迷惑じゃない?」
「いいっていいて、三人分作るのも四人分作るのも大して手間変わらねーし。まぁ味の方は保障できないけどな」
遠慮深い委員長を気遣いながらそう言うと、委員長は頷いた。
「じゃ、久遠寺君のお手製の晩御飯を超馳走させてもらおうかしら。これはどこに置いておけばいい?」
両手に持ったトイレットペーパーとティッシュペーパーを掲げて言う委員長。
「玄関先でいいよ。後で片付けておくし」
「そう。じゃ、お邪魔しまーす」
委員長は靴を揃えて脱ぐとペタペタとリビングへと向かった。
「さてと。晩飯の準備でもしますか。久しぶりに気合いを入れるかね」
レンの靴を奇麗に揃えてやって、米十キロを置くためにリビングへと向かった。
「クッキー、荷物そこに置いておいたわよ」
フーコメリアがダイニングテーブルの上を指さして言う。
テーブルの上にはフーコメリアが運んできていた食材とレンが運んだお菓子の詰まったスーパーの袋が置いてある。
「サンキュ」
キッチンの戸棚に米を収納しながらグラスを三つ取り出し、買ってきたばかりのジュースの栓を開ける。
「喉渇いたろ、とりあえずこれでも飲んでおいてくれ」
ソファーに腰掛けている三人にグラスを手渡し、お茶菓子にとクッキーを一箱テーブルの上に置いた。
「あ、ありがとう」
お礼を言いながらグラスを受け取る委員長。
「これはなんだ?」
黄色い液体が注がれたグラスを受け取って不思議そうに眺めているレン。
「飲めばわかる。なんの味か解るかな?」
「それは私への挑戦だな!」
レンはまず匂いを嗅いでなんの味なのか考えているようだ。
「フーコメリアどーした?」
今日初めて入った部屋でもないのに、今更部屋の中をキョロキョロと見ているフーコメリアに問いかける。
「いえ、なんでもないわ。ありがとう」
何事もなかったかのようにグラスを受け取るフーコメリア。俺もつられて部屋を見渡すが変わったものなんてない。こっちに来てまだ二日目だ。色々知識は知っているとはいってもやっぱり実際目にすると違うから俺が当たり前と思っている物とかにしても気になっちまうんだろうな。
「食事の準備手伝わなくていいの?」
一口オレンジジュースを口にしたフーコメリアが聞いてくる。
「気にしなくていいよ。昨日の飯がレトルトだったからな、今日ぐらいは気合入れないとな。ゆっくりしてていいよ。歩き回って疲れたろ?」
フーコメリアにそう言って制服から部屋着に着替えるために自分の部屋に戻る。そのときに戸が開けっ放しになったフーコメリア達の部屋の中が窺えるが昨日奇麗にしたはずなのにいきなり部屋の中が散らかっている感じがする。よく見てみると散らかった感の原因は部屋の中で脱ぎ散らかされたレンの鎧だ。
「たく、靴もそうだがもう少し奇麗に置けよな」
やれやれとばかりにため息をつくと、ちょっと背徳感を胸に二人の部屋に足を踏み入れ、レンの鎧を部屋の一角に奇麗にまとめておく。
手に持った感覚としてはずっしりと重く、この鎧がレプリカではなく本物なんだなと改めて理解させられる。剣も壁に立てかけて、よし大分片付いたな。奇麗好きというわけではないが、すぐに奇麗になるような場所ならちょっと手を出して奇麗にしたくなるのが俺の性格だ。
だからこそ一人暮らしで汚くなりそうなこの家もいつ人が来ても恥ずかしくない状態に保たれている。
あんまり二人の部屋に居続けても悪い。そそくさと部屋に退散し、制服をハンガーに掛けて部屋着にしている上下色の揃ったジャージに着替え、いざ戦場へ。
買ってきたばかりの食材を冷蔵庫に収納する。スカスカだった冷蔵庫の中が食材で一杯になる。こんなに冷蔵庫の中が満たされるのは何か月ぶりだろうか。日頃どれだけ冷蔵庫のスペックを無駄にしているか再確認できた。
冷蔵庫で感動するのはこれぐらいしにて、晩御飯の準備を始めようか。
まず米は何合炊くべきか。フーコメリアや委員長はともかく、レンがどれぐらい食べるのかまだきちんと把握していないからな、多めに炊いておいた方がよさそうだ。フーコメリアの話では今日の昼だってフーコメリアの分を貰うほど食べたって話だしな。おかずの方も少し多く用意しておくか。どちらかが余ったとしてもどうにでもなるしな。
そして肝心の料理だが、自分から言い出すだけあって少しは自身がある。元々俺ん家は親父が家に帰ってくることが少なく、中学生の頃から自炊をやっているから、気が付いたらある程度の料理の腕を持っていた。当然勉強とか研究を怠らなかったからだけど。
今日の晩御飯はから揚げである。スーパーで鶏肉がかなり安かったからな。買い物をしている時にはもう既に唐揚げを作ると決めていたのだ。
油を温めつつ、味噌汁の準備を始める。リビングの方ではフーコメリア達の笑い声が聞こえてくる。一体何の話で盛り上がっているのやら。
「クッキー、本当に手伝わなくて大丈夫?」
下準備が終わったぐらいのタイミングで、フーコメリアが手伝う事はないかとキッチンを覗き込む。
「大丈夫、俺一人で何とかなる。出来上がるまでゆっくりしてていいよ」
「クッキーがそう言うならいいけど……あ、食器を出すのぐらいは手伝わせてよ。すべてクッキー任せだと悪いわ」
別に気にしなくてもいいのにな。料理とか作るの結構好きだから全然苦じゃないし。ま、折角手伝ってくれるって言っているんだ、皿の準備とかは任せようか。
「オッケー。あと二十分ぐらいしたら呼ぶからそれまでゆっくりしててくれよ」
「わかったわ。ふふ、でもさっきからずっと「ゆっくりしててくれ」ばかり言ってるわねクッキーは」
「そうか?」
自分じゃそんなに言っているつもりないんだがな。
「なら、出番が来たら呼んでね」
「了解っと」
フーコメリアにそう答えると残りの調理を終わらせるべくコンロへと向かった。
宣言したとおり二十分も経つ頃には大皿一杯に揚げあがった唐揚の山。サラダも準備完了。少し味噌汁を温め直せば、あとは白米が炊けるのを待つだけだ。
「とてつもなく良い匂いが……」
匂いに誘われてか、レンがふらふらとキッチンにやってくる。
「おおっ、これは今から食べるものなのか?」
目を輝かせて大皿に山盛りになった唐揚げを見てレンが言う。
「一ついいか?」
唐揚の山にそおっと手を伸ばしながらレンが聞いてくる。
普通は聞いてから手を伸ばすべきだろ。
「だーめ。もう少しで食べられるんだから我慢しなさい。それよりも、早く手を洗って来いよ」
「う……私が手を洗って来ている間に食べるなよ?」
誰がそんな事するか。お前じゃあるまいし。
レンがぱたぱたと駆け足で手を洗いに行くと、俺はフーコメリアを呼んだ。
「準備終わったから手を貸してくれー」
「解ったわ。お皿を出せばいいのね」
フーコメリアがキッチンまでやってくると、戸棚から皿を八枚取り出してダイニングテーブルの上に並べ始める。
「台拭きはこれでいいの?」
キッチンの脇に置いていた布巾を手に取り聞いてくる。
「それでいいよ」
フーコメリアが台拭きで机を拭き始めるのと同じタイミングで炊飯ジャーが炊きあがりを知らせるアラームを鳴らした。
「うわ、いっぱい作ったわね……味噌汁運ぶわね」
一人待っているのもつまらなかったのか、委員長がキッチンまでやって来て器に注がれた味噌汁を手にする。
「お、サンキュ」
白米は少し蒸らした方がいいのだが、レンが煩そうだから今回はやらないでおこう。
茶碗にご飯をよそい、フーコメリアに手渡す。
サラダや唐揚げをテーブルの上に運んで、冷蔵庫の中から麦茶とドレッシングを取り出して準備完了だ。
おっと、箸を忘れていた。人数分箸を取り出してテーブルに持っていく。一応取り分け用の菜箸も出しておくか。
一通りの準備が終わって、キッチンシンクの方で手洗いを済ませてレンが戻って来るのを待つ。
「私の準備は出来たぞ。お前ら手を洗わんか、汚い!」
席には既に俺と同じようにキッチンシンクで手洗いを終わらせたフーコメリアと委員長が座っている。
「私達も洗ったわよ、そこで」
フーコメリアがキッチンシンクを指さして言う。
「そこにもあったのか……わざわざ離れた場所まで洗いに行った私は一体……」
肩を落として空いていた最後の席にレンが座る。
「本当に美味しそうに出来たわね、クッキーって料理もできるのね」
俺の真向かいに座ったフーコメリアが机に広げられた料理を見て感心したように言ってくる。
「一人暮らしに近い状況をずっとやってればな。自然に覚えるさ。味は保障できないけどな」
そう答えて自嘲気味に笑うが、味の方も自信はある。唐揚げだってただ揚げただけじゃない。肉の方にきちんと下味まで付けているからな。
「これだけ良い匂いしながら不味かったなんて詐欺よ」
ふふっとフーコメリアが笑う。
「そんな事よりも早く食べようではないか。冷めてしまっては勿体ない!」
まるで自分が作りましたと言わんばかりのレンの態度。お前だけ何にもしてねーよ。
「それもそうだな、じゃ食べようか」
ぱんっと顔の前で手を合わせて、いただきますと委員長と二人で声を上げる。
「なにを言っているんだ、お前達は?」
俺と委員長の不可解な行動に首を傾げるレン。
「食事の前の挨拶みたいなものよ。さ、レンもやるのよ」
フーコメリアも手を合わせていただきますと言うと、レンも戸惑いながらもいただきますと唱えた。
食事を始めて気が付いたのだが、フーコメリアとレンは箸は使えるのだろうか。箸文化がフーコメリアたちの世界にあるのだろうか? レンとかの鎧の造りとか雰囲気からして中世ヨーロッパみたいな雰囲気だよなぁ。
「……クッキーごめんなさい、この二本の棒を使って食べるのは知っているんだけど、いざ使おうと思っても難しいものね」
右手にたどたどしく持たれた箸がフーコメリアが箸に不慣れであるという事を物語っている。
「すまん、気が付かなかった。フォークとスプーンで持ってくる。レンも要るよな?」
「心配無用だ」
自身たっぷりに言うレン。なるほど、種族によっても食事などのスタイルが変わるのか。って、早くスプーンフォーク持って来よう。
フーコメリアにスプーンとフォークついでにナイフを渡して仕切りなおし。いただきます。
「あら、お世辞抜きにおいしいわね」
「ほんと、すごくおいしいじゃない。調理実習の時とか遊んでる事が多いからちょっと不安だったんだけど、真面目にやれば出来るじゃない。ここまで美味しいとなんか敗北感が浮かんでくるわね」
唐揚げを一口食べてのフーコメリアと委員長の感想。口に合ったようで何よりだ。
調理実習に関してはまぁ、真面目に作る気なんてないからな。時間が少なすぎるし、レシピに沿っての共同作業ってのが自分の思うように出来ないから真面目に作る気なんて起きないんだ。
「これは不味いな……」
レンだけは不味いという感想を口にする。
嘘だろ、自分ではよく出来た方だと思うんだが。首を傾げつつも唐揚げを一つ口に運ぶ。うん、美味い。会心の出来だ。
「言葉と行動が一致してないわよ、レン。作って貰って不味いなんて言っちゃ駄目じゃない。美味しいんだったら美味しいって素直に言わないと」
フーコメリアが溜息交じりに言う。
隣に座っているレンの方を見ると、次から次へと口に詰め込むように箸を動かしている。メッチャ食べてますやん。不味いんだったら此処まで食欲旺盛に食べられないよな?
「というかレン、なにその箸の持ち方?」
レンは箸を一本ずつ手に持ち、から揚げを突き刺して食べている。
「てれびでやっていたぞ、こうやって食べれば国際社会でも通用するって?」
何を言っているか意味不明。思わずフーコメリアに助けを求める視線を求める。
「おそらく、昼にやっていたテレビで外国での食事の仕方を見て真似てるみたいね」
残念だ、実に残念すぎる。食べ方を真似る以前に食器を間違えるなんて。その箸の使い方、ナイフとフォークの使い方だ。
「無理するな……フーコメリアと同じもの持って来る」
そうレンに告げて俺はまたナイフとフォーク、スプーンを取りに台所へと向かった。
三種の神器を持って戻ったときまだから揚げをほおばる手を止めておらず、他の二人と俺がジト目でレンを見つめていると視線に気が付いたレンの箸が止まった。
「こ、これは中毒性があるというか……そう、まずくとも次のに箸を伸ばさなければならん衝動が……」
俺の作った料理は青汁か。不味いもう一杯! もとい、まずいもう一つってか?
「中毒性ねぇ……身体に悪そうだからそれぐらいにしておけば?」
大皿をレンから遠ざけるフーコメリア。大皿はレンから対角線上の一番遠い所に移動されて、レンのリーチの短い腕じゃ届かない。
「なにほふる! とどかふへぁふぁいか!」
「飲みこんで喋ろうぜ!?」
なにを言っているかまったく解らない。
「ま、不味いって言うレンは置いておいて、私達だけで食べましょうか」
委員長と俺にフーコメリアは笑い掛けると、フーコメリアは唐揚の番人となった。
「はい、クッキー。あ、桜花さんもどうぞ」
「ふっ、フーコメリア!」
レンも私にもくれと言いたげな表情でフーコメリアを見つめるが、フーコメリアは無視。
「ほんとおいしいわね。肉の方にも味が付いてるみたいなんだけど」
「あぁ、それか? その通り。肉の方に味付けて揚げたからな」
「へぇ、なるほどね」
感心した様子で唐揚げを口にするフーコメリアと委員長。
「わ、私にも……」
泣きそうな眼で唐揚げを見つめているレン。その視線に当然気が付いているフーコメリアは見せつけるように唐揚げを口に運ぶ。
「ご飯と合うわね。私あまり食べない方だけど思わず食べ過ぎちゃいそうだわ」
「わ、私が悪かった! 本当にクキの作った料理は上手い! こう、恥ずかしくて素直に美味いって言えなかっただけなんだ!」
テーブルを叩きながらレンは正直な感想を言う。
「最初からそう言えばいいのに。変に意地を張ると碌な事にならないわよ」
「うぅ、身を持って理解した……」
しょぼーんと肩を落として言うレン。二人のやり取りは姉と妹みたいな感じがして微笑ましく思う。
「クッキーに桜花さん、ごめんなさいね食事中にこんな事して」
「いやいや、わたしは気にしてないわよ。レンちゃんの反応面白かったし」
委員長は手を振って答えると食事を再開させた。
「ちょっと久遠寺君、さっきから野菜食べてないじゃない。栄養偏るわよ?」
「いや、そこそこ食べている気はするんだけど……」
「私も見ていたのだがクキが草を食べるところは見てはいない」
唐揚げをひとつ口に運んで咀嚼しながらレンが言う。
「レンも人の事言えないわよ。ほら、きちんと野菜も食べて」
フーコメリアがレンの取り皿に野菜を山盛りによそう。
「ぬぁっ! 私が取っておいた肉に草の汁が付着したではないか! なんという事をしてくれたんだ!」
山のように皿に盛られた野菜達が鶏肉を侵食する様子を見て憤りを露にするレン。
つか、野菜を草って言うのはやめろ。全国の農家の方々に失礼だろ。
「何故私だけなのだ、クキだって草は食ってはおらんだろ、不公平だ!」
「うわ、やめろそこに盛るな!」
なにを思ったかレンは俺の茶碗に野菜を盛り始める。慌ててレンを止めたのだが、既に時遅し。俺の茶碗は野菜丼へと姿を変えていた。
「なんてことしやがる……」
取り皿に野菜を移すのも面倒でそのまま野菜の層を切り崩しに掛る。
「何故クキは平然と草を食えるのだ! てっきり私と同じで……」
「別に野菜が食えないとかないからな。どこかの誰かさんが肉ばっかり食うから、野菜を食ってたら肉がなくなるので先に肉食ってただけだし」
「う、裏切り者ぉ……この策士、馬鹿、阿呆、前髪!」
野菜を食べない同盟なんぞ結んだ覚えはない。
ただ野菜を食べられるだけで、こんなにも罵倒されなければならないのだろうか。あと前髪って……学校でもそうだが、そんなに俺の前髪はおかしいのか? 少し伸ばしているだけなのに。
「人の事は気にしないで、レンも早くそれ食べないと。それ食べないと片付け出来ないわ」
「はっはっは、そんなの気にするな、私の皿ごと片付けてくれてもいいぞフーコメリア」
どこまで野菜食いたくないんだよお前は。
野菜の盛られた皿をキレのある動きでフーコメリアに差し出すレン。
俺の方はとっくに野菜の処理は完了している。まぁ、ドレッシングで味付けされてしまったご飯は嫌な味ではあったが。
自分でも食いきれるかどうか不安になるほどの料理を用意したつもりだが、机に広げられた皿はレンの取り皿を除いて奇麗に片付いている。
「も、もうお腹一杯……無理」
膨れているようには見えない腹を叩いてレンは言うが、フーコメリアは目を細めて睨みつける。
「そ、そんな顔したって無理だぞ? は、入らないものは入らない。なぁ、クキ!」
そこで俺に何故振るのか疑問だが、俺は笑顔でレンに答える。
「頑張れ」
「お、おう……頑張るけれどもこの量を一人では……って箸を置くな、クキ! 私に代わりこの草どもの処理を……」
箸を置いた俺の腕をレンが掴む。
流石に山盛りの野菜を一人で食わせるのはどうかと思うから少しぐらいは手伝ってもいいか。
「どれぐらい処理させる気だ?」
「これぐらい?」
レンが取り皿の上でフォークを丸く動かす。範囲は取り皿全部。
「さあ、がんばれクキ!」
手を合わせてフォークをテーブルの上に置くレン。
「食べる気どころか、挑戦する気ゼロだな!?」
「レン?」
にっこりとフーコメリアが微笑む。優しい笑顔なのだが、背後にはどす黒いオーラを纏っていて、関係のない俺まで身震いしたくなる。
「わ、私は草が苦手なんだ……噛んだ時に口の中に広がるあの苦みがだな……こ、今回は見逃してくれまいか?」
両手を合わせてフーコメリアに頼み込むレン。よっぽど野菜が苦手なんだな。
「ダメ」
見惚れてしまいそうな笑顔でさらりとフーコメリアは言ってのけると、大皿などをキッチンシンクへと運び始める。
それを見た委員長も席を立ち食器の片付けの手伝いを始める。
「く、クキ……どうすればいい? このままではフーコメリアは私が草を食うまで開放する気はないようだぞ?」
テーブルに取り残される形となったレンは声のトーンを落として俺に聞いてくる。
「じゃあ早く食べればいいだろ?」
「お前は何故こんなのを平然と食えるのだ! 私にはあの苦みを前に平然としていられるお前らの感覚が解らん」
それは俺も一緒だ。レタスやキュウリのサラダを何故食えないのか、俺には解らんぞ。
「やはり此処はクキ、お前が代わりに処理をするというのでどうだ?」
「あまり栄養に気を使わない俺だけど、やっぱり何かしら野菜は口にしておいた方がいいぞ? 唐揚げは脂っこいから、明日胃がもたれるぞ?」
胃もたれという感覚が解らなかったのか、レンは首を傾げる。
俺自身も胃もたれを何と説明しようか言葉に迷い説明するのはやめた。
「明日の事はどうでもいい、大切なのは今だ。それにクキが私の代わりに草を食べればその胃もたれとやらも何とかなりそうな気がするし」
なんともならねぇよ。
俺がレンの代わりに野菜を食っても野菜の栄養を得られるのは俺だけだ。誰かの代わりで飯を食って自分じゃない他の誰かに栄養や満腹が伝わるというのなら、世界は平和だろうよ。
「大丈夫、そんなに苦くないって。ドレッシングもかけてるから苦くないって」
ドレッシングはしそ風味のドレッシングで草である事は変わりないが、説明する必要もないだろう。
「でもなぁ……」
「わかった。この野菜を食えば俺のとっておきのモノを食わせてやろう。どうだ?」
なかなか野菜を口にしようとしないレンを食べ物で釣ってみた。
「とっておきのモノ? それはなんだ?」
「噛んでも噛んでも味が長続きする不思議な食べ物だ」
「そんなものが存在するとは思えんが……」
通学カバンの中に学校で食っているフルーツ味のボトルガムがまだあったはずだ。
「ま、信じないなら信じないでもいいけどな。これ以上モタモタしていると片付けを終えたフーコメリアが監視に戻ってきて俺が代わりに処理するって事もできなくなるな。さあ、どうする?」
「う、うぅーむ……」
レンは皿の上の野菜を見つめ悩んでいる。こいつ揺れすぎだろ。物につられてそのうち誘拐されるんじゃないか?
「どう? レンは食べた?」
キッチンから戻ってくるフーコメリアの足音を聞いてレンの中で意思が固まったようだ。
「この程度の草、無事に処理してみせる。クレックスの名において!」
野菜を食べるのになんで戦場に向かう武士みたいに気合いを入れる必要あんの?
レンは『南無三!』と言いだしそうな勢いをもって皿の上にある野菜をすべて口の中に詰め込んだ。
咀嚼すること数回。まだ飲みこめるほど噛んでないのにも係わらず、レンは涙を浮かべて口の中の野菜を飲み込んだ。本当に嫌いなんだな。
「や、やはり苦い……」
舌を出してコップに注がれた麦茶に舌を漬ける。行儀悪い事この上ないのだが温かく見守ってやろう。ひとつの試練にレンは打ち勝ったのだから。
「ちゃんと自分で食べたのね。偉いわ。クッキーに食べさせるんじゃないかと気が付かれないように見張ってたけどそれもなかったようだし」
見張られていたのか。もしレンが俺に野菜を食わせていた場合どうなっていたのだろうか。
笑顔でレンに詰め寄るフーコメリアの顔が脳裏に浮かんで、身震いと共に頭からその映像を消しさる。
「や、約束は守ってもらうぞ……守らなかったらお前に草を食わせてやるからな……」
草って野菜? それとも雑草?
「解った解った。持ってくるよ」
引き伸ばしてもレンが煩そうなので通学カバンの中からボトルガムを取り出して来る。
「なんだそれは?」
俺の手に握られた白い容器を見つめてレンが聞いてくる。
「適当にこの中から好きなの選んで食えよ」
ボトルガムの蓋を開けレンに差し出す。
「果実の匂いがしたが……」
蓋を開けた時に広がった匂いを嗅ぎつけたレンが恐る恐るボトルガムの中に指を入れる。一瞬このまま蓋を閉めようかと悪戯心が浮かんだが、レンが暴れ床にガムをばら撒く結果になるんだろうと容易に想像がついてやめておいた。
「うーん、見るからに変なものだな」
レンの手には橙色い粒が握られている。確か橙色はオレンジ味か。
「そんなもんだって」
「そう言うものなのか?」
警戒感なくガムを口にするレン。毒物とかで暗殺するのが簡単そうな奴だな。
「お……おおおっ!」
ぱっと表情を輝かせてレンは俺を見る。
「何だこれは? 弾力があって、酸味はないが蜜柑の味がする……なんか不思議な食べ物だな」
口をモゴモゴと動かしながらレンは口の中に広がるガムの独特な触感を楽しんでいるようだ。
「久遠寺君、なにあげたの?」
俺が答えるよりも早く、委員長は俺の手に握られているボトルガムの容器を見て「あぁ、ガムね」と納得した。
「よかったわね、レン」
ガムを噛んで幸せそうな表情を浮かべるレンを見つめ、フーコメリアが微笑む。
「羨ましいか? これは弾力があってだな、割とよく伸びる」
レンは口からガムを取り出して伸ばし始める。汚ねぇ事すんな。
「おぉ、予想の以上に伸びるな、これ!」
十数センチ伸びたガムを何度も引き伸ばして遊び始めるレン。そしてそのガムをまた口の中へ。汚ねぇ……。
「そ、そう……それはよかったわね」
「え、衛生的に手で弄った食べかけのガムを口にするのは危ないわよ?」
フーコメリアも委員長は少し引いた様子でレンに話し掛ける。
「ひがみか? ほれほ……あっ!」
レンは再び口からガムを出して手で弄っていると、手を滑らせガムを床に落としてしまう。
「……まだいける!」
「やめようぜ!? 何を根拠にいけると言ったか解らないが、確実にアウトだ!」
落としたガムを拾い口に運ぼうとするレンを慌てて止めた。
「クキ、何をする! えぇい放さぬか!」
「クッキーの判断の方が正しいわ」
レンが拾い上げたガムをフーコメリアが取り上げる。
「フーコメリア、羨ましいからと言って私の取るでない! 食べる気か!」
「しないわよ……」
呆れた表情を受けべてフーコメリアが取り上げたガムをそのままゴミ箱へ。
「あ、あぁ……フーコメリア貴様!」
なんて事をしてくれたんだと語気を荒げフーコメリアに詰め寄るレン。
「あれはもう食べられないわよ」
「そんな事はない!」
もう食べられないと諭すフーコメリアと、まだ食べられたと主張するレンがダイニングテーブルをはさんで口論を始める。
口論と言っても一方的にレンがフーコメリアに突っかかって行っているだけなのだが。
「もうほら、レンちゃん、これあげるわよ」
委員長が見ていられなくなりポケットからガムを取り出し、レンの手の平に乗っける。
「ほ、本当にもらってもいいのか、オーカ?」
「あ、あれぇ、これってそんなに高価なものだっけ……」
キラキラと目を輝かせるレンを見て委員長の中で一粒のガムの価値がわからなくなっているようだ。しかし安心しろ委員長俺もそうだ。
「はい、フーコメリアさんも、あとクッキーもいる?」
「あら、ありがとう」
「もらえるものは貰っておく」
委員長から手渡されたガムはフーセンガムを作るのに最適な種類のガムで真面目な委員長がこんなものを持っているなんて忌々しき事態だ!
「コウラ系のガムがこれしかなかったのよ」
俺の意識を読んだのか、委員長がすばやくそう付け加える。
「コウラ好きなのか委員長?」
「いや、なんとなくそんな気分だった? ほら、時々あるじゃない、いつもは四ツ谷サイダーを飲まないのになぜか飲みたくなるときが」
なるほど、それは解る。って例えも炭酸かよ。委員長炭酸系が好きなんじゃね?
それはそうと、俺もガムの味を堪能するか。
委員長にもらったガムを口に入れかみ締める。数回かみ締めるとうん、この味コウラの味だ。って、二人はこの味大丈夫なのか?
独特な風味を持つコウラ。その味を模したガムでもその独特な風味に近付けるための努力がなされている。オレンジジュースとかオレンジガムならまだしもコウラは……。
委員長も同じ事を考えたようで二人を見ている。視線を感じた二人は俺たちの視線の意味を感じ取ってくれたようだ。
「大丈夫よ、今まで口にしたことの無い不思議な味だけれどもこれはこれでいいわね」
「オーカ、これはなんという食べ物の味なのだ?」
「それはコウラって言う飲み物の味よ」
「近いうちに実物飲ませてやるよ。本物はそれよりもっときっついぜ?」
「望むところだ」
うーむ、それにしても久々にコウラ味のガムを食べたが確かに久々食うとこの味は良いよな。
「……ッ! クキ、今一体何をした!?」
「は? 何もしてないけど?」
唐突にレンは俺の腕を掴んでそう聞いてきた。興奮状態にあるせいかポニーテールの動きが激しく思える。
「クッキー、フーセンのことよフーセン」
あ、あぁ……無意識にやっちまっていたか。フーセンが出来るガムだと無意識にやっちまうよな、これ。
「今のね、今のは……」
もう一度フーセンを作ってみて自分なりに作り方を整理してレンに教えてみる。
「ふーっ……」
初めて作るときはコツが掴めず苦労するんだよなぁ。フーセンを作ろうと奮闘するレンを見て昔の自分の努力を思い出し頬が緩む。
「あ、フーコメリアさん出来た」
なんだって!? いとも簡単に!? くそ、これだから高スペックは……。
驚いてフーコメリアを見ると確かに立派なフーセンを作っていた。うーん、確かに初心者とは思えない綺麗な風船だ。それは対象に二つあり……高スペックでも許す!
「くっ、フーコメリアに出来て私に出来ないなどと……」
レンが気合を入れてフーセンを膨らまそうと息を吹くと……。
『あ……』
俺の頬に何か生暖かいものがぶつかった。咄嗟にそれを手に取るとなんかぺとぺとして水っぽい。そしてコウラの香り。これレンのガムだ。
「……これは無理だな」
「やってみようぜ!? 何を基準に無理だかは解らないが、絶対いける!」
手の中にあるガムをレンの口に戻そうとレンの顎を開いている手で掴む。
「クキ、何をする! えぇい放さぬか!」
二人でばたばたとつかみ合いガムの行方を決めかねていると、
「二人とももう結構遅い時間よ?」
フーコメリアにそう言われて俺は我に返る。
「確かにそうだよな」
フーコメリア達が来てからというもの、いつもの三倍は騒がしくしている気がする。そろそろ隣の住人が目を吊り上げて文句を言いに来てもおかしくはない。
「それは大丈夫よ」
委員長がレンをなだめながら口を開く。
「委員長の家じゃないから騒がしくしたって委員長は文句言われないもんな! 文句言われるのは俺なんだよ!」
「いや、そんな意味じゃなくってね……隣って言っても201号室の人だけでしょ? それだったら文句は言われないわよ」
「なんでそう言い切れるんだよ……」
「201号室に住んでるの、わたしだもん」
委員長は自身を指差しそう言った。
「は?」
ぽかんと口を開けて委員長の顔を見つめる。
「わたしも一緒になって騒がしくしてるし、わたしは一人暮らしをしてるから他に文句を言う人なんて居ないわよ?」
「ちょっと待った、ちょっと待って」
隣の201号室に人が入ってきたのは確か一年ぐらい前で、引越しの挨拶に家に来たらしい。俺その時は岸枝と遊びに行っていて、顔を見ておらず、隣人の存在もその時に知ったぐらいだ。
親父は隣に越して来た人はしっかりとしたお嬢さんだったなんて言っていたから、てっきり大学生のおねーんが越して来たとばかり思っていたが、まさか委員長だったとは。
「へぇ……桜花さんはやはり隣に住んでいたのね」
一人納得したかの様に頷きながらフーコメリアは言う。
「待て、やはりって……なんでフーコメリアは解ってんだよ?」
「だってそうじゃない。昨日、桜花さんがこの部屋に現れた時、クッキーが「一体どうやってベランダに?」って聞いた時桜花さんは隣からって答えたじゃない。まぁ、それが確証になるとは限らないから深く考えてなかったけど」
言われてみればその通りだ。昨日はフーコメリアとレンの事で頭の中が一杯だったからその事に気が付けなかったが。
「しかしなんでまた一人暮らしを……家庭の事情かなにか?」
俺達の通っている高校はこれと言った特徴もなく、わざわざ一人暮らしをしてまで通う学校じゃない。となると、何らかの事情で一人暮らしをしていると考えるのが妥当だ。俺も探偵になれるんじゃないか?
「そんなとこかな。ま、そう言う事だからちょっと騒がしくても大丈夫よ。でも騒がし過ぎるのは勘弁願いたいけどさ」
委員長は苦笑を浮かべながら言う。委員長が何で一人暮らしをしているか気になったものの、あまりその事には触れられたくないという雰囲気があり、俺は言葉を飲み込んだ。
「でも、久遠寺君は大丈夫なの? ご両親とかになんて言うつもり? 猫や犬を拾ってきたのとは訳が違うわよ?」
「その点は大丈夫。親父は滅多に帰って来ないし、困っている人が居たから手を貸してるって言えばなんとかなるし」
「いや無理でしょ!?」
目を丸くして委員長がツッコミを入れてくる。
「普通の家庭なら無理だが、家なら大丈夫。以前にも親父が住む所を追い出された外人をしばらく家に住ませるとか言って連れて来た事も何度かあるし」
片言の日本語で気さくに笑う外人だったなー。元気にしてるかな、ジョン・B・Jr……。
「親子ね」
母国に帰った友の事を思っているとフーコメリアはそう答えて笑った。その笑顔がとても印象的だった。