2-1
魅霞みかの話を聞いてダニエルは「そうか」と呟くように言った。
「ヴェロニカは、逝ったんだね」
「はい。この指輪をあたしに託してくれました」
ルビーの指輪。魅霞には少し大きくて、中指の付け根で浮いている。それを外してロケットを開け、ダニエルに差し出した。中の写真を見て、ダニエルは目を細めて指輪を受け取る。
「懐かしいな」
森の奥の廃屋、雨上りの新緑が綺麗で、木漏れ日の差し込む森に感嘆した彼女が写真を撮ろうと言った。写真は嫌いだと何度言っても聞いてくれなくて、後生大事にするとまで言い出して余計に嫌になったのだが、渋々折れて写真を撮った。満面の笑顔の若かりし頃のヴェロニカと、今と全く姿形の変わらない、苦笑気味のダニエル。
写真を見つめるダニエルの瞳には彼女との思い出も蘇っているのか、懐かしさと少しの楽しさと、幾分かの悲しみが揺蕩っている。
「ダニエルさん」
「うん?」
名前を呼ぶと魅霞の方に顔を向けた。
「その指輪、ダニエルさんが持ってて下さい。その方がきっとヴェロニカばあちゃんも喜ぶから」
「君が譲り受けたのなら、君の物だ」
「じゃぁあたしがダニエルさんに譲ります」
ダニエルの手から指輪をつまみ上げて、彼の細くしなやかな小指に指輪をはめた。予想していた通り、彼の白い肌にはルビーの赤が一層映えて、蝋燭の光を映したルビーが濡れたような光をゆらりと反射させた。
「うん、やっぱりダニエルさんの方が似合います」
満足してダニエルに笑うと、「そうか」とダニエルも笑った。
ふとダニエルの体がゆらゆらと揺れた。ダニエルが座っていた膝を上げてがつっと踏みしめると、その揺れは止まる。
「それで、魅霞はどうしたい?」
ダニエルと出会って彼の力を以て、あるいはその力を以てして同族になり、敵討ちを遂行する。もし彼に出会えたら、伝説にある様な「吸血鬼の呪い」も引き受けるつもりでいた。それが過酷なものであっても、その業を背負うには十分すぎる事をする予定があったから、それでもいいと思った。
魅霞が彼に出会ったのは、偶然だった。買い物の帰りに、桜の木の下でキスしているカップルを見かけた。病の存在が恒常化しているので、カップルや夫婦者は性交渉が出来ない代わりに、他の行為で愛情を示すしかない。抱きしめたり手を繋いだりキスをしたり愛を囁いたり、どこにいても街のあちこちでそう言う光景を見かけるのは現在では万国共通で、魅霞の両親もそうであったから見る方も慣れている。
特に気にも留めずにそのカップルの方向に足を向けた時に、女性の方が突然、一瞬で砂塵と化した。
何が起きたのか理解するのは後回しでよかった。魅霞の上げた小さな悲鳴に反応し、横目で見やったダニエルの赤い瞳に萎縮してしまった体を、どのように稼働させるかが問題だった。必死で足に力を入れた。
逃げろ。
逃げろ。
次はあたしが殺される。
が、脚は硬直して微動だにしない。とうとう彼が魅霞に振り向いたとき、その顔を見て一瞬で思考は別方向に追いやられた。
あの人だ。
指輪の写真の、ヴェロニカばあちゃんの友達の ――――吸血鬼。
彼がその人であることを気づき逃げるのをやめた途端に、金縛りから解放された。魅霞の思考は更に急いて、脳内で激しく演算を繰り返す。
どうにかして なんとかして 、今から魅霞を殺そうとするダニエルを止め、尚且つ彼の気を引く言葉を。
考えてようやく絞り出した。
「ずっとあなたに会いたかった」
必死に考えて紡いだ言葉は功を奏して、ダニエルは表情を変えた――――と言う、2時間ほど前の裏話だ。