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現在この国“ローエングリン”では、犯罪に対する処罰は異常と言っていいほど厳罰化されている。当然それは罪人を支配者たちの食料にする為でもあるのだが、そう言った実情は人間には知らされていないし、死刑になった人間の遺体が返却されないのは今に始まったことではないので、それを知る者は一部に限られている。
当然犯罪が起きない為に生活や福祉の保障は他の類を見ないものとなっているし、人口の減少した現在、稀に発生する犯罪者の厳罰は一般市民も希望するところである。
中でも性犯罪に対する罰は厳重なもので、例えば軽度の犯罪、わいせつ物陳列罪でさえも死刑に該当する。そう言った犯罪を犯すものは、のちに重大な犯罪を犯すであろう予備軍と捉えられている為だ。それは未だにこの世界に残されている、どっかのバカの遺産である「天使」を懸念している為だ。
どっかのバカが悪魔に願った世界平和。その為に悪魔は、「世界平和の為には人間は邪魔である」と提唱し、世界中にウイルスをばら撒いた。
新型ウイルス「エンジェル」。
感染経路は接触感染、空気感染、遺伝、あらゆる経路から感染し、その感染力と発症力はペストを上回る。発症した場合の致死率は100%。感染しても発症しなければ健康な生活を維持することができるが、発症した場合は2年以内に確実に絶命する。感染後、一定の条件を満たした後に発症する。
その条件は性交渉。つまり人間は性交渉により発症し確実に絶命し、また遺伝によっても感染する為その子供も罹患する。性交渉により発症するとなれば、人々は自然とそれを避ける。それにより少子高齢化は加速の一途をたどることになり、確実に人間を淘汰するという仕組みだ。
このウイルスが「エンジェル」などという名称がついてしまったのは、発症後の人間の行動によるものである。狂犬病のように脳に作用するこのウイルスが発症すると、誰もが幸せそうな笑顔で死ぬ。その人の持てる全てを人に施し、人に親切にし、それに満足した様に笑いながら死ぬ。どんな極悪人でもそんな風に死んでいく。その様はまるで、天使のようだった。
だから最初の頃はわからなかった。世の中の人がみんな急に優しくなって、世界が変わって、一気に死んだ。ある時、世界各地の政界人を初めとして、多くの人々が世界平和と世界的な援助や福祉を訴えだし、ものの数年で世界は生まれ変わった。
その後一気に人口は減少し、数年後研究者によってウイルスが発見されたが、その後長い時間をかけてもわかるのは影響ばかりで、治療法どころか防疫策すらも見出せずにいた。
悪魔は言われたとおりに願いを叶えた。どの国も国連に加盟し、核廃絶を有言実行し、ウイルスが発症した人間によって、平和を乱す不穏分子は大量に粛清された。
世界平和は成立した。悪魔に願ったバカが死ぬ間際に言った。
「ウイルスは悪魔によってもたらされた。ならばこのウイルスを治療するのは、神の奇跡しかないのだろう」
そう言って謝罪しながら、悪魔に魂を奪われて死んだ。
その言葉を信じた一部の人たちは、神を信仰し足しげく教会に足を運んだ。集団強姦されたシスターが発症し、毎日神に祈りを捧げていたら治癒され何年経過しても死亡しなかった、と言う噂も流れ始めた。
今現在宗教を問わず、人々は信仰によって生きている。信仰により発症を免れた人間たちが、連綿とその血脈を紡いでいる。今尚ウイルスはその猛威を振るってはいるが、その信仰とその教義と、ウイルスの影響もあって、世界は平和を維持し続けている。
支配者階級の者達にとって神への信仰は恐るべきものであるが、人間が絶滅してしまう事に比べれば、自分たちの正体を隠してさえいれば済むことだ。だから人間と信仰と自分たちの都合の均衡を取り計らいつつ、今のところ世界は安定している。
しかし時には異常犯罪者もどこかで出てくるもので、どうしても犯罪をゼロにすることは不可能だ。だからこそ魅霞みかは、ダニエルとの出会いに歓喜せずにはいられなかった。
魅霞には水萌みなもという双子の妹がいた。二卵性で顔は似ていなかったが、仲の良い姉妹だった。12歳の時、水萌が服をぐちゃぐちゃにして、ボロボロになって帰ってきた。何があったのかと両親が聞いても答えなかったが、魅霞にだけは話した。近所に住む18歳の少年に、乱暴されたのだと。普段は親切だった「近所のお兄さん」に魅霞も水萌も懐いていたから、家で遊ぼうと誘われて疑いもせずについて行った。
水萌は誰にも言わないでと言った。魅霞の両親も薄々は気付いていたようだが、裁判などになった際にはその状況を水萌自身が克明に語らなければならない。そうなると水萌が余計に辛い思いをするから、そう判断して泣き寝入りすることになってしまった。
それから水萌は神に毎日祈りを捧げた。魅霞も祈りを捧げた。どうか水萌が救われますように。だが水萌は再びその少年に乱暴されてしまって、ついに自殺した。
許せなかった。魅霞の両親もとうとう少年を告発することに決めた。しかし水萌が死んでしまって、本人の証言も証拠も何もない。この国は犯罪に対する処罰が厳罰である分、裁判は厳正で厳密に執り行われる。この国では性犯罪に関しては10歳以上なら成人と同様に処罰が下される。せめて水萌の証言があれば、少年を死刑台に送れた。
なのに、水萌の方が死んでしまった。あの時泣き寝入りしなければ、水萌は死なずに済んだかもしれないのに。確実に少年を死刑台に送ることができたはずだったのに。
少年を恨んだ、両親を恨んだ、願っても聞き届けてくれなかった神を恨んだ。