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恋愛皆無

ホテル

作者: 真麻一花

因果応報

結果には必ず原因がある。

原因は、新たな結末につながり、その結末は新たな原因となる。

全ては、その因果に応じて報いが訪れる。

厚意が悪意となり報われ、悪意が厚意となり報われる。

厚意が厚意となって報われ、悪意が悪意となり報われる。

あらゆる事象に起因して、一つの結末は生まれる。

全ての事象は、因果応報である。



「でもと言われてもねぇ」

 ねちねちとした男の声に困った風な女の声が重なる。

「そこをなんとか。今までそんなことはまったく……」

「それは先代の考えでしてねぇ。まあ今の時代、分かるでしょう。こちらとしてはこれまでのような考えでやっていくと経営が成り立たないんですよ」

「でも、こんなに突然ですと、とてもそんな金額は用意できません」

「出来ないと言われても、支払ってもらう分は、支払ってもらわないと困りますよ。ボランティアじゃぁないんです。出来ないなら、この託児所をたたんで土地を返してくれればそれでいいじゃぁないですか、ねぇ?」

「とにかく、もう少し時間を下さい」

 彼女はひとまず男に引き取ってもらおうと言葉を切った。

「よいお返事をお待ちしておりますよ」

 男がにたりと笑って彼女に背を向けた。

 辺りに幼児達の元気な声が響いている。

 歩いていく男の背から目をそらし女は深いため息をついた。

「園長、また、あの男ですか?」

 男が建物から出たのを見計らって若い女の保育士の一人が園長室へと顔を出した。

「ええ。先代の鈴木さんが亡くなって間もないというのに、もうこんな話になるなんて……」

「園長」

 若い保育士は痛ましそうに顔を歪ませる。

「鈴木さんのご厚意だけで経営がようやく成り立っていたくらいですからね、今までただ同然にお借りしていただけに……」

 園長は深いため息をついた。その顔には深い疲労の色が刻まれている。

「それでも、ちゃんと支払いはしてたのにっ お金はいらないって言って下さってもちゃんと園長はお支払いし続けていたじゃないですか! 先代の鈴木さんだって高い保育園料が払えない家族の力になりたいっていう園長のお気持ちを分かって下さっていたのに! だいたい、あの男の請求金額自体がおかしいじゃないですか!! ここを潰そうとしてるのが見え見えのことをして……!!」

「平田さん」

 言わなくていいから、とたしなめるように園長は若い保育士に首を振った。

 保育士は悔しげに唇を噛みしめた。なんの力にもなれない悔しさだったのかもしれないし、園長の気持ちを思いやってかもしれない。

「本当に、どうすればいいのかしら……」

 途方に暮れた呟きが、園長の口から小さくこぼれた。


「フン」

 鈴木は走り回る園児を横目に鼻で笑った。

 こんな金にもならない託児所なんぞさっさと潰して1日も早く事業をはじめなければならない。

 ずいぶんここまで来るのに時間がかかった。先代である義父ががバカげた遺言を残したせいでそれが公開される前に握りつぶすのにずいぶんと散財させられた。

 だいたい、立地条件もいいこの土地を託児所なんぞにくれてやろうとかいう考え自体がおかしいのだ。

 鈴木は不快感をあらわに託児所を振り返る。

 資産はあるくせにろくにそれを活用せず、まるで金をばらまいてるようなことばかりをする義父には、ずいぶんとイライラさせられたものだった。

 しかもよりにもよって、裏から手に入れた遺言を開けてみれば男には何一つ財産分与はなかった。

 鈴木にとって、あの義父などくたばって当然だった。

 まあ、今回は自分の手を汚さずにすんだだけでも楽だったかもしれない。

 鈴木は義父に似たつまらない女だった前の妻をちらりと思い出す。

 あの時は、ずいぶん神経と金を使った。

 とん。

 突然足元に小さな衝撃が走り、鈴木はハッと考えを打ち切って下を見た。

 たった今転んだばかりの幼児の姿が目にはいる。

「かずくんだいじょうぶー?」

 一緒に遊んでいたらしい幼児が甲高い声をあげながら転んだ男の子に駆け寄って来る。

 一拍置いて「うえーん」という大きな鳴き声があがった。

 ろくに前を見ず勝手に当たってこけたくせにまるで男のせいだと言わんばかりに泣きわめく姿を見て、鈴木は忌々しげに舌打ちをした。

 今の内に騒いでいればいい。

 鈴木はちょうど足元にあった、プラスチックでできたトラの乗り物を腹いせ混じりにがつんと蹴り上げる。

 日頃幼児達が乗って遊ぶ置物のトラの顔が靴の土で汚れた。

 鈴木は後ろで聞こえる幼児の泣き声に振り返りもせず保育園を後にした。


 夜も更けた。

 鈴木はほろ酔い加減になって、夜の街を少し危うげな足取りで進んでいく。

 いい気分だった。

 ついこの前の取引がようやくまとまった金になって今日男の元にはいったのだ。

 これは上手くいった。小さい会社だったが、前々からいろいろと手を回していた成果が上手く効を成して、あっという間に経営者が自殺した。後はトントン拍子に進み、鈴木の元へと転がり込んできた。

 あの役にも立たない託児所ももうすぐだ。どんなに粘ろうとも先は見えている、またそうなるようにしむけてきた。

 あの義父が死んでからはおもしろいぐらい物事が思い通りに進んでいる。

 前の妻はつまらん女だったが、あの男の娘だったというその一点だけは役に立った。つまらん勘ぐりさえしなければ殺しまではしなかったものを。まあ、どちらにしろ邪魔にはなっただろうから、結局殺していたかもしれない。

 止めどなく今の成功に至るまでを思い出し、鈴木は悦に入っていた。

 そうしてどのくらいの店を渡り歩いたか、気がつけば夜中をとうに過ぎていた。帰ろうと通りかかるタクシーに手を挙げて見せるがつかまらず、鈴木は小さく舌打ちをした。

 仕方がない。今夜はどこかで宿を取るか。

 わずかによろめきながら、一番近いビジネスホテルに向かって鈴木は歩き出した。

 何メートルも歩かない内にふと、鈴木は立ち止まる。

 いつの間にこんな建物が出来たのだろう。

 見覚えのない小綺麗なビルが目の前にある。ここにはよく来ていたが、こんな建物が建っていたことに今まで気付かなかった。

 建て直したのか改築したのか、真新しい建物だった。

 よく見るとそこがホテルであることに気付く。

 ああ、ちょうどいい。ここに泊まるか。

 鈴木は足をふらつかせながらホテルに入っていった。

 シンプルで小綺麗なエントランスの奥にフロントが見える。

「いらっしゃいませ」

 黒服に身を包み、眼鏡をかけた男が恭しく頭を下げた。

「泊まれるか?」

 鈴木は歩み寄りながらおもむろにたずねた。

「お客様、申し訳ありませんが本日はほぼ満室となっておりまして、特別室しか空室がございません」

 フロントの男は申し訳なさそうに言葉を返した。

「かまわん。そこに泊まらせろ。」

「しかし、お客様、特別室は少し変わった趣向のお部屋となっておりまして、入室されてからの苦情はお受け致しかねますが、それでもよろしいでしょうか?」

「なんだ、どんな部屋だ?」

 いぶかしげに眉を寄せると、男が鷹揚に頷き説明をする。

「自然がテーマになっておりまして、樹木が多く、野性的な部屋となっております」

「ふん。かまわん」

 くだらないと思いつつ、今更他のホテルに行くのも煩わしく思い、鈴木はめんどくさそうに頷いた。

「この時間帯からの入室になりますと、前払いになりますがよろしいでしょうか」

「どのくらいだ」

「特別室ですので十三万円になります」

「なんだと?」

 怒鳴り声に近い鈴木の声に、男は申し訳なさそうに言葉を付け足す。

「特別室は最上階をワンフロア貸し切りとなりますので」

 鈴木は舌打ちをしながらカードを取り出す。

 気に入らなければ明日の朝にでも支配人を呼びつければいいだけの話だ。

 部屋の金額もさることながらフロントの態度にも不満を感じ、鈴木は明日呼びつけるために男の名札を見る。「佐藤」と書かれた名札を目の端で確認し、顔も確認しておく。

 眼鏡で気付かなかったが今まで見たことのない灰色をした瞳に、鈴木はいいようもない気味悪さを感じた。

「それではお部屋にご案内いたします」

 フロントの男は精算をすませるとエレベーターに鈴木を招く。

 13階でエレベーターは止まり、鈴木はフロアに足を踏み入れる。

 観葉植物が両脇に並んだ廊下の向こうに扉が一つあった。

「あちらでございます」

 鈴木に付き従うように男も歩き、そして、ドアを開けた。

「……な、に……?」

 鈴木は言葉を失った。

 闇ではっきりとは見えないが密林のように木々や蔦、そして草木が生い茂っているのが見える。部屋の中、という様子ではない。

「これはなんの冗談だ」

 怒りにふるえる鈴木に男は答える。

「特別フロアと申し上げました。先に申しましたように苦情は受け付けることが出来ません」

「ふざけるな!」

 叫んだが、男は笑顔で「ごゆっくりどうぞ」とそのまま扉を閉じた。

「おい、キサマ……」

 鈴木はドアノブをつかみ怒鳴りかけて、後ろに何か気配を感じ振り返った。

「ぐるるるる……」

 目の前に、自分より遙かに巨体の動物の姿を見つける。

「……ひっ」

 密林としか言いようのないその空間にいたのは密林の王者と称される虎の姿だった。

 虎の顔は少し土で汚れていた。

「因果応報という言葉をご存じですか」

 扉の向こうでかすかに声がしたが、鈴木の耳に届くことはなかった。

 喉を鳴らす獣の息づかいと己の悲鳴。それが鈴木が最後に聞いた音だった。

「鈴木さん、人にした仕打ちはね、それに応じて必ず自分に返ってくるものなんですよ」

 フロント係の眼鏡の男が、灰色の瞳を細めて薄く笑った。



「ひ、ひぃぃ!!」

 夜の町が眠りにつこうとした頃、町をたたき起こすような若い男の悲鳴が人気の少ない通りに響いた。

 まるで猛獣にでも食い荒らされたかのような男の死体が、2階建ての古びた空き店舗の前に転がっていた。

 いつからその死体があったのか、どうして誰も気付かなかったのか。



 園児もほとんど帰宅し、辺りは西の空をのぞいて夕闇に変わり始めていた。

『本日未明、こちらの歓楽街で男性の死体が発見されました。遺体には獣のものと見られる傷跡が多数……』

 職員室には数人の職員と園長が残っている。テレビから流れるニュースに、一人の保育士が駆け寄った。

「え、園長……」

「どうしました?」

 これからの園の行く末を思い奔走して疲労を顔ににじませた園長が、ゆっくりと振り返る。

「この被害者……あの男……ですよね」

「……え?」

 意味がよくつかめないまま、園長は保育士の指したテレビを見る。

「……っ」

 テレビには被害者の写真と名前が映されている。その顔はまさしく園長を悩ませていた男の写真だった。園長は言葉を失った。

 園の教職員が一様に押し黙り、異様な空気が流れているときだった。

「こんばんは」

 若い男の声が割り込んできた。

 振り返ると眼鏡をかけた黒服の男が職員室の入り口の前でにこやかに佇んでいる。

「はい、どちら様でしょう?」

 若い保育士が歩み寄ると、男はおもむろに名刺を差し出した。

「弁護士の佐藤と申します。この度、鈴木様の遺言が見つかりまして、そのことについてお話をさせていただきたいと……」

 保育士は園長を振り返り、園長は頷いて佐藤と名乗る弁護士の下へ歩み寄った。

「はじめまして園長の園田でございます。ところで鈴木様と申しますと、今朝お亡くなりになった……?」

「いいえ。鈴木浩一郎様の遺言です」

「先代様の……?」

「はい、この土地の権利についての遺言が残されておりまして」

「え……」

「鈴木浩一郎様は、この園が使用している土地の全ての権利をこの園に寄付する旨を、遺言に記されており……」

 佐藤はおもむろに淡々と事の説明を始めた。

 鈴木の死亡により次々と彼の行った罪が発覚し、そして半年前には見つからなかった先代の遺言書が鈴木の書斎から発見されたこと。

 説明される事実に呆然と、しかし、これからも園を存続させることのできる事実に園長は感謝の涙を浮かべながら声もなく頷いていた。


「それでは」

 ひとしきりの説明を終え手続きをまた後日に残し、佐藤と名乗った弁護士は挨拶をして園を後にした。

 その直後、職員室では保育士達の歓声が上がった。

 歓声を背に運動場を横切りながら佐藤がちらりとプラスチック製の動物たちを見た。

 トラをかたどった遊具の口元に赤黒いねっとりとした汚れが付着している。

 佐藤はそれを何気なくそっとふき取ると何事もなかったように再び歩き始めた。その眼鏡の奥の灰色の瞳がうっすらと微笑んでいた。


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― 新着の感想 ―
[一言] …カッコイイ… グレー アイの佐藤さん とても イイです( ̄▽ ̄)好みです。 佐藤さんの シリーズ物 読みたいです。 必殺? 御助け? 喪黒さん? みたいな シリーズ 楽しみに、おと…
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