祭祀王夫妻のある朝の光景
チトニアを自分の仕えるべき姫と認定したのは、初対面の時だった。
というかぶっちゃけると一目惚れだ。
しかし、ラウルの名誉のために言葉を重ねる。
不躾に全盲が不便でないのか尋ねても、穏やかに笑いながら首を振った姿が神々し過ぎて、神への冒涜罪で死ぬかもしれないと思った。それと同時に、この姫の清廉さと神秘性は絶対に失わせてはならないと決意し、勝手に専属騎士のつもりでいたし、何かにつけて話し相手になり、祭祀殿に通ってみたりもしていた。
出会った頃、チトニアは15歳で、ラウルは24歳。
生まれ育った帝国を捨てて、メスカルで騎士となり男爵位もらった翌年の話である。
強引に拝み倒す勢いで王配の座を手に入れたラウルは、毎日が幸せだが、同時に毎日が欲求不満でもあった。
祭祀王となったチトニアがとにかく忙しい。
日により季節により、祭祀王の取り仕切る神事が夜を徹して行われるものがあったり、あるいは地方や他国に赴いて行うもの、国内ではアガベの産出量やスピリッツの出来栄えのための試飲、女神にまつわる神話の新しい研究発表を聴くこと、など枚挙に遑がない。
小さな身体で、そして目が見えない中で良く動いている。
ラウルも、もちろん随行する。
チトニアが拐かされた経験は、ラウルのトラウマでもあった。だから、同じ事が起きないように目を光らせるのは当然である。
祭祀殿の外において、チトニアの後ろに立つラウルは威圧感の塊であった。
「ラウル卿…顔が怖いです」
チトニアの護衛任務は、護衛女官のロゼリアと共に行っている。夫であっても同行できない場所などがあるし、夫ができない身の回りの世話なども。どうしても女性の護衛は必須であった。
そんなロゼリアが小声で指摘してくる。
ロゼリアの言葉ににこりともせず、ラウルは前方を見据えたまま小声で返した。
「笑える状況じゃないでしょ」
「確かにそうですけど」
本日は祭祀の館がある王都から少し離れた女神の神殿での祭祀のために来ている。
殿中での言祝ぎの奏上はチトニアがひとりで行うため、扉に近いところで神官たちと待機中である。
神殿の前の広場では、チトニアの姿をひと目でもみたい国民が詰めかけていて、油断ならない状況であった。
奏上が終わったらしい気配を察知した神官たちが数名、楚々と殿中に入っていく。執り納めの段取りに入るらしい。それを見送ってから、ラウルとロゼリアは扉の前でビシッと背筋を伸ばした。
残された下級神官たちが群衆にわけいって道を作り始める。ロープをを伸ばして左右に別れるように分割させていくと、神殿と門まで瞬く間に通路が開かれた。
「ピオニア様の時も大賑わいでしたが、チトニア様への熱狂ぶりは別格ですな」
古参の神官がそっと呟く。
「人気があるからでしょう」
前方を見据えたままラウルが返すと、神官は少し笑って首を振った。
「人気もありますが、祭祀王陛下が王配殿下を迎えた影響もありますな」
過去の祭祀王が伴侶を迎えたのは、実に150年も前の事らしかった。
「近頃は、若い伴侶たちが婚姻を考えるようになってきてましてな。相談などもよく受けるようになりました」
ラウルが口元を綻ばせる。
「なるほど。ならこの人だかりな仕方ないですね」
「王配殿下、チトニア陛下をどうぞよろしくお願い申し上げます」
「任せてください」
ラウルが頷いたところで、背後の扉が開け放たれた。
神官たちの後から、チトニアが杖で床を触りながら出てくる。老いた神官の肩に乗せていた手を、ラウルが声をかけて受け取る。
ラウルの手の感触を確かめたチトニアが微笑んだ。
「ラウ…」
つめかけた群集から歓声が上がった。その大きさに肩を跳ねあげたチトニアだったが、ロゼリアが耳元で手を振るように促すと、ぎこちなく方望へ杖を握りながら振って見せた。
「陛下、帰りましょう」
ロゼリアの一言でチトニアが頷き、ラウルと共に階段をゆっくり降りてゆく。
階下で待っていた神官長に挨拶をしている間も、チトニアを呼ぶ声は止むことなく、興奮が大きな波紋を広げていく。
群衆を押しとどめている神官達が押され始めていた。
「ラウル卿!!撤収しましょう!」
「チトニア、抱き上げるよ!」
チトニアに返事する間を与えず、ラウルはチトニアを横抱きで持ち上げると、狭まり始めた通路を駆け抜けた。歓喜の悲鳴が周りから上がったが、そんな事に気を止める余裕もない。
待機していた馬車に駆け込むと、勢い良く走り出した。
群衆の興奮した声はしばらく聞こえていた。
夕方。祭祀の館にある、ふたりの居室に戻ってきた。
ロゼリアと侍女たちがチトニアを着替えさせている間、ラウルは居間で茶とスピリッツの割り物を作って待つ。食事もそろそろの頃合いだが、その前に少しだけ酒を身体に入れておきたかった。
ロゼリアと侍女たちが寝室を出てくる。食事の準備ができたら呼びに来る事をラウルに伝えてから、全員が出ていった。
「チトニア」
呼びかけながら寝室に踏み入れると、チトニアは床を手で探っているところだった。
祭礼服から普段着になったチトニアは、化粧を落とされたこともあるが、年相応の少女と大人の間の美しさを纏っている。
ラウルはそんなチトニアのふとした美しさを見る度に、しばらく動くことを忘れて見惚れてしまうのだった。
が、そんなチトニアは床にへばりついている。
「…何してるの?」
「ラウル様、いただいたネックレス落としてしまいましたの」
自分でつけようとしてみたらしい。手探りで金具を外したら、手が滑って飛ばしてしまったのだと。
「どうしましょう、無くしてしまったら立ち直れませんわ」
困り顔で必死に腕を動かしながら、チトニアが呟く。
「無くしてもまたプレゼントするけど、その前にちょっと待って」
チトニアを立たせてから、服に着いたホコリを払ってやる。
立たされた意味も分からず、されるがままになってるチトニアを正面から見つめたラウルは、思う存分にチトニアを堪能してから、チトニアが探していたのとは反対側に落ちていたネックレスを拾った。
「はい、見つかった」
首にかけてやりながら言うと、チトニアがようやく安心したように微笑む。胸元に下がるペンダントトップを指で触って「ありがとうございました」と言った。
ペンダントトップをいじくりまわすチトニアの手を取って、ラウルは自分の耳たぶを触らせる。
「ラウル様?」
「俺のプレゼントより、俺を触りません?」
ラウルの言葉にチトニアが吹き出した。
「それがなぜ耳たぶですの?」
「柔らかくて触り心地がいいでしょう?俺、自分の耳たぶ好きなんですよ」
自慢気に言うラウルは、笑い転げるチトニアをガン見している。チトニアはそれを知るはずもないが、いつもラウルはチトニアが目の前にいると、穴が開くほど見つめているのである。
チトニアのもう片方の手をとり、自分の顔を触らせる。
「ラウル様は笑っていますわね」
頬と口元をそっと触るチトニアを、そっと腕の中に閉じ込める。がんじがらめにすると、距離が近いことに気づいたチトニアが、パッと手を離した。ラウルの野心に気づいたためである。
「…お腹が空きましたわ」
「呼びに来るのでもう少しこうしてましょ?」
ラウルの顔が近くにあるのを感じて、チトニアが顔をまた触り出す。
唇に指がかかると、ラウルはそれを優しく食んで、もの言わずに自分のしたいことをチトニアに理解させた。
チトニアが首を伸ばして顔を近づけて来るのを、ラウルはジッと見つめながら待つ。
軽く触れられたキスに満足できるはずもなく。チトニアの後頭部に手を当てたラウルは、貪るようなキスをしながら、妻となった美しい妖精姫を味わい、そして目でも堪能した。
その晩は久しぶりの閨となった。
明け方近くにようやくラウルから解放されたチトニアが、丸まって眠っている。
抱き抱えるようにしながら、ラウルはやはりチトニアをずっと眺めていた。
乱れた銀色の髪を撫でながら、汗の浮かんだ額をそっと拭う。そして滑らかな頬を指の背で触れながら、やはり飽くことなく安らかな寝顔を見つめていた。
ラウルの胸中はいつも忙しい。常に正反対の感情がせめぎ合っていて、こうして欲しい欲望と、そのままでいいという安寧を行き来している。
目覚めて欲しいし、眠っていても欲しい。
チトニアの唇を弄びながら、寝かせてあげたい。けどもう少し戯れていたい。
散々逡巡して、ラウルは寝ることにした。
寝てる間にチトニアが減ってしまう気がして、それがもったいないと思ってしまう自分に呆れながら。
翌朝のチトニアは、少しむくれていた。
朝ごはんのテーブルで、むっすりと黙り込んでるのを見てラウルは微笑む。
チトニアがどんな表情をしていても、ご褒美でしか無かった。
「なんでご機嫌ナナメなんです?」
閨後の朝は、ラウルの機嫌はすこぶる良い。ニコニコしながらチトニアを見ると、顔が赤くなった。おそらく昨夜の文句だろう。
給仕の侍女たちに目配せをして人払いをする。
「なんか不満でもありました?俺は最高に良かったですけど」
「ふ、不満とかでは…!!」
「では…なんでそんなに怒ってるんです?」
シレッとききながら、チトニアの膨らんだ頬を触った。
恐らく今、とんでもなくニヤけきった顔をしている。
そんな自覚はあった。
「やめてと申し上げましたのに、なんで、あんな…いつもいつも……」
「あんなって?」
「とぼけないでくださいませっ」
「ああ、全身舐め回したことですか。それとも」
「ラウル様っ」
真っ赤になったチトニアが顔を覆ってテーブルに伏せる。
「チトニア?顔が見れないんですけど」
「恥ずかしいので無理ですっ」
「でも夫婦なんだし、それくらい普通ですよ?」
他の家の閨事情など知ったことではないけど、と思いつつ、チトニアの頭を撫でながら機嫌を取る。
緩みきった顔をしている自覚はある。
顔を伏せたまま、何かを喚いているチトニアの文句を聞くふりをしながら、ラウルは幸せな朝を満喫していた。
「ラウル様、聴いてまして?!」
顔をあげたチトニアの唇をキスで塞ぐ。
長く長く塞ぎきってから、チトニアがぐったりした頃に唇を離した。
「ごめんなさいチトニア」
「…む。理解していただけたのなら許…」
「やめませんけどね」
ははは、と笑うラウルをチトニアが叩く。
その手を捕まえて腕に引っ張り込むと、その重みをしっかりと堪能した。
おわり




