ピオニア
先代の祭祀王である父は、女好きで有名な男であった。
浮気性と言うよりは、女という存在そのものを溺愛している節があり、また別れ上手でもあったため、そちらの方面で関係が拗れた事はなかった。
婚姻関係を重視しないテキラナであっても、父の女好きはかなり異常な趣味ではあった。しかし…父は何しろ甘く色気のある顔立ちをしていて、それが女を虜にしていくため、双方の合意があるのならと仕方なく見過ごしてもらっていたのは確かだ。
父に魅入られた女たちは皆幸せそうだった。自分以外に女がいても、父は囲った女たちをとても大事にしていたので、それで満足だったのかもしれない。女同士の諍いなども記憶にないので、上手くやっていたのだろう。
ピオニアの母は、祭祀の館で働く平民の文官である。
統治王の元で文官を目指していたが、他国との関わりが多い祭祀王側の仕事に興味を持ったのがきっかけで、転属したと聞いている。
テキラナ国民の義務である子を作ることは頭に無く、文官の仕事を退いたら、子ども院で教師をするつもりでいたらしい。子どもは苦手だったが、子ども達の将来の為に働く事を使命としていた女で、とにかく仕事を愛している女であった。
そんな父と母がどういった流れでそうなったのか、産まれたのがピオニアである。
テキラナの有力家門の御曹司で病的な女好きの父と、仕事しか見えていない平民の母が意気投合するはずもなく、ピオニアが生まれてまもなく二人は別れた。
ピオニアの養育は母が請け負ったものの。元から子どもが苦手なのだ。任された仕事の進行に差し障りが出はじめた時点で、母はギブアップした。
自身が関わる子ども院の保育施設にピオニアを預け養育を丸投げしてしまう。ピオニアが五歳になる頃の話だ。以降、母とは疎遠になった。
十歳になる頃、父の実家の家門から迎えが来た。わけも分からずに連れていかれたそこには、年齢も性別も様々な子ども達だった。ピオニアはそこで初めて父の存在を知った。
ピオニアが初めて見た父は、満面の笑みを浮かべていて、一人ひとりの名前を呼び、嬉しそうに抱きしめてまわっていた。ピオニアも呼ばれたが、初めて大人に抱きしめられた温かさに、少しだけ衝撃を受けた記憶がある。
父はピオニアを見て少し涙ぐんでいた。そして、済まない。と謝っていた。謝られる理由がわからず、ぼんやりと父を見上げていると、父は微笑んで頭を撫でてくれた。
子ども達が集められたのは、血統能力の継承を確認するためだった。水の入った盃を配られ、名前を呼ばれた順に父に渡していく。大勢いた兄弟姉妹達が渡し終えて部屋を出ていく中で、祭祀王の血統能力を継いだのはピオニアただ一人だけであった。
その日のうちに、父はピオニアを次代の祭祀王とする指名の宣言をテキラナ中に発布した。
以降、ピオニアは祭祀の館に居を移し、父の傍で次代としての教育を受けることとなった。
最初に教わったのは両親のことだった。
父の名前はクリスチャン・エドムンド・グアナファトと言う。グアナファト州を管轄する有力家門の次男だとも。母の名前はマリア。平民なので家の名は無い。親子の情というものを知らずに育ってきたので、ピオニアはどこか他人事のようにそれらを聞いていた。強いて言うなら、自分にピオニア以外の名がつかないのは平民だからなのか、と思ったくらいのことであった。
父は、祭祀王としては優秀な人間だったと思う。女神アガベピニャを敬愛しており、神事においては特に丁寧に執り行っていた。一つひとつの所作の意味をきちんと理解し、手順を踏んで進行する大切さを繰り返し刷り込まれた。他国における祭祀の執り行いについても詳しく、大陸の神々の関係性についてもよく勉強してきたのだろう。他国の神殿から意見を求める書簡をよく受け取っていた。
他国の情勢を把握するようになったのは、帝国での神事に同行するようになってからだった。
当時、帝国の皇帝はベネディクトの父であったが、皇后と側妃の支持派閥がそれぞれに国内に強い影響を及ぼしていた。宮城内においても不穏な空気が漂っており、少年だったベネディクトの暗い表情は今でもよく覚えている。(対して、当時8歳くらいだったディノの人を小馬鹿にしたような顔つきは今でも腹が立つ)
統治王と祭祀王、それぞれを擁立させているテキラナでも、いつ何が起こって両王が対立関係にならないとは限らないと、ピオニアは思っていた。
(それも杞憂に終わったことだが)
帝国の書庫で帝国史を閲覧しながら、ピオニアは過去の事を思い出していた。
帝国はすったもんだがあってようやく、ベネディクトの代で落ち着きを見せ始めたと言っていい。テキラナは巻き込み事故のような事はあったものの、表立って対立するようなことは双方の合意で避けた。
国交はないが平和である。
本を片付けている最中、皇后のリリーマリーが書庫にやってきた。ピオニアの顔が曇る。
「茶飲みならもう結構だぞ」
「そんな事仰らないで。ピオニア様とおしゃべりしたくて、仕事を巻で片付けましたのよ?」
「毎日毎日、何が楽しいのやら…」
「ピオニア様は、わたくしの憧れのお姉様なんですもの」
「それよ。なぜそうなった」
侍女に書簡の片付けを命じて、リリーマリーはピオニアの腕をとって歩き始める。鼻歌でも始まりそうな雰囲気だ。
リリーマリーは、幼い頃からベネディクトと婚約関係にあった。そのため、帝国での神事の後に皇帝一家とお茶飲むひと時には、リリーマリーもいつの頃からか同席するようになっていた。
今でも怜悧な雰囲気のピオニアだが、それは昔から変わらない。麗人という言葉を体現しているピオニアに、美しいものが大好きなリリーマリーはずっと憧れの眼差しで見つめてきたのだった。
ピオニアが持つプラチナブロンドの髪と金色の瞳は、父から受け継いだものである。グアナファト家に多い特徴らしい。表情の乏しさは母譲りなのだろう。何を言ってもあまり笑わないピオニアを見て、父は懐かしそうに目を細めてそう言っていた。
「御髪は結い上げませんの?」
綺麗なのにもったいないと呟くリリーを横目に、ピオニアは苦笑する。ひとつにくくるだけにしていた。
「面倒だ。それに重くなるだろうよ」
「長さがありますから、そこはどうしてもそうなりますわね」
「だから切りたかったんだが」
「それはダメです」
帝国に滞在してすぐの頃、髪を切ろうと思って侍女にハサミを要求したら、リリーマリーがすごい勢いでやってきて泣かれた。お願いですからやめてくださいませ、と。以後、髪はそのままにしている。
ガゼボに準備されたささやかなお茶会会場には、ベネディクトが先に到着していた。健康状態はあの頃よりしっかりと回復させたらしく、生気がすっかり蘇っているようだった。
「遅かったじゃないか」
「ピオニア様が渋ったのですわ」
「当たり前だろう、毎日昔話を聞かされる身にもなれ」
「わたくしたちは楽しいですわ」
ねえ?と同意を求められたベネディクトが頷く。
「まぁ…今日は昔話より、ちがう話がしたいんだが」
「ほう??」
興味深そうな表情のピオニアを座らせてからベネディクトは、チラリとリリーマリーを見た。
「…なんの話だ」
「あー、その…なんというか」
煮え切らないベネディクトをリリーマリーが応援するように見つめている。わけがわからず出されたお茶に口をつけると、
「ピオニア殿、俺の子を産んでくれ」
ブッ!!!
「あなた、言い方」
リリーマリーがピオニアの吹き出したお茶を拭きながらベネディクトを睨む。睨まれて頭を搔くベネディクトだったが、ピオニアの愕然とした顔を見て今度は頬をかく。照れているようだった。
「この前、言っていただろう??隠居したら、子でも作ろうか、あるいは子ども院の教師になろうか、とか」
確かに言ったが。
「子でも作る気があるなら、相手は俺でも良いのではないかと思って。ほら、ピオニア殿とは知らぬ仲ではないし」
ガゼボのテーブルに視線を落としながら、ツラツラと話すベネディクト。リリーマリーはピオニアにお茶のおかわりを注ぎながら黙っている。妻のいる前でそんな事を話す気がしれない。チラリとリリーマリーを見ると目が合った。不思議なことに、リリーマリーはピオニアと目が合うと、にこりと微笑んで見せた。
「リリーマリー。この男はなんの話しをしている?」
確かめるように聞くと、リリーマリーは笑った。
「ピオニア様と契りを結びたいという話ですわ」
「あ、そう、それ。それだ」
「あなたは言葉が足りなさ過ぎますし、デリカシーも無さすぎです!」
「しかし、言葉を飾り立てても、する事は同じだろう?」
「雰囲気です!!雰囲気から作らねば何もかも台無しですわ!リモーン卿を見習いなさいませ。実績を作り!皇帝の後ろ盾を堂々と手にし!観衆の前でアココトリ陛下を口説き落とす手腕!全く見事でした。お手本のような告白でしたわ?」
それに比べてあなたという人は…!!!
怒りに震えるリリーマリーと、イマイチ何が良くなかったのかわかっていないベネディクト。
そんな二人に挟まれ、ピオニアは眉間を揉んだ。
「二人とも落ち着け」
やいやいと言い合っていた二人が、ピオニアの一言で黙り込む。
「怒らせたか?」
不安そうにこちらを見るベネディクトが、ピオニアの手に自身の手を重ねる。
「怒らせるつもりはなくてだな、その…」
「怒ってはいない。唐突な話についていけてないだけだ」
「そうか、なら良かった」
「良くはない」
重ねられた手を振り払って、ピオニアはひとつ大きく息を吐いた。
「貴殿は皇后の前で、なぜそんな話をする?」
振り払われた事がショックだったのか、ベネディクトが少ししょげた顔をした。
「実はリリーからそんな話をされて、だな」
「それは本当なのか、リリー」
愛称で呼ばれたことが嬉しいリリーマリーは、はいと微笑む。
「ではリリーが説明してくれ。ベネディクト(これ)に任せればいつまで経っても内容がわからんままだ」
リリーマリーは帝国の友好国のひとつ、ジュネヴァ国の公爵家の娘だ。
ベネディクトとの婚姻は、両国間の友好を目的としたものであり完全な政略結婚である。十歳で婚約が結ばれると、リリーマリーは数名の侍女と共に帝国へ送り出された。
勝気なロマンチストのリリーマリーと、言葉が足りないベネディクトは、婚約自体が間違いだったかもしれないと周囲を不安にさせるほどに、反りが合わなかった。とにかく全てが合わず、合えば反目し合うような関係性だったのである。
リリーマリーを戻して、違う姫をベネディクトにあてがうか。本気でそんな話し合いをしようかという頃、二人の仲が激変した。とてもいい方向へ。
その原因がピオニアだったのである。
美しいものを好むリリーマリーが、ベネディクトの初恋相手を忌避するどころか、一緒になって好きになったおかげで、二人はいわゆる同担仲間として仲が良くなったのだった。
故に、リリーマリーはベネディクトの恋を応援する同士でもあるし、ピオニアを崇拝する敬虔な信者でもあるので、二人がなるようになるのはむしろ大歓迎なのである。
これが例えばそこら辺の姫が相手だと、当然リリーマリーは激怒するし、最悪息子を連れて離縁も辞さないところなのだが。ベネディクトにその気はなく、あるとすればピオニアただ一人に対して想いを募らせているばかりなので、だったら玉砕覚悟でそう話したら良いのでは?
というのがマリーの言い分であった。
「なるほど。わからん」
意味がわからない。
「ベネディクトに好かれている事は知っていたが」
「まぁ、そうでしたの?」
「昔から直球だったのでな」
物を言わずとも、ピオニアをずっと目で追っているのだ。嫌でもわかる。
ベネディクトは開き直ったのか、ははと笑っていた。
「だからといって二人がかりで、子を作れとはならんだろう」
「わたくしがそうしていただきたいのですわ」
「まて。まてまてまてまて……。あのな、子どもはリリーが産むべきだ。ベネディクトの妻なのだから、その権利はあるし、何より国のためにもなるだろう」
「でも、ピオニア様が夫との子を産んでくださったら、我が家は一層幸せになれるのですわ」
だからなんでそうなる。
話が噛み合わずに思わず額をおさえると、ベネディクトが顔を覗き込んできた。
「ピオニア殿……ダメか?」
「ダメに決まっとろう」
話を聞いてたのか?
そう突っ込むと、ベネディクトはまたしょげた。
リリーマリーが苦笑しながら夫を見つめている。
「玉砕してしまいましたわね、あなた」
「…拒絶されたわけじゃない」
「あのなぁ?ベネディクトよ」
肩を掴むピオニアを見つめながら、ベネディクトは眉を下げた。
「俺にとっては、貴方は光そのものなんだ。お互いの立場故にずっとあなたを諦めてきたが、親睦を深めて、こうして気の置けないやり取りができるようになってきて、それでも尚、俺は貴方が眩しくてたまらない」
「…」
「俺の理解者はリリーだけだ。俺が昔からどれほど貴方を想っているか、それはリリーだけが知っている。誰にも告げられない苦しい気持ちを、リリーがいつも汲んでくれていた。だからリリーも背中を押してくれたんだと思う」
リリーマリーを見れば、彼女は少し涙ぐんでいた。
ベネディクトは続ける。
「ディノの差し金で命を奪われそうになったが、それは今後も付きまとう事でもある。皇帝だから死はより身近なものだ。だから命があるうちに後悔はしたくないと思うようにもなった。あの頃、病床で考えていた事は家族のことや国のこともあるが、最後にはやっぱり貴方の事ばかりだったよ」
ベネディクトがまたピオニアの手に自分の手を重ねた。少し戸惑いが感じられるのは、振り払われた事を気にしての事なのだろう。
「子どもをダシにしたが、俺が言いたいのはただ、皇帝でもない皇族でもない、貴方にずっと恋をしている一人の男と、一晩だけでもいいから…共に過ごしたいという事だけなんだ」
「…」
「貴方がこれで俺に嫌悪感を持って今後一切の関係を断つと言うなら、甘んじて受け入れる。死ぬより辛いけどな」
「あなた」
リリーマリーの声がかすれている。ピオニアは大きくため息をついた。ベネディクトがそれに肩を揺らした。緊張が伝わってきた。
「まったく。執念深い男だ」
「…」
「とりあえずその顔はやめろ。貴殿は罪悪感をくすぐる天才か」
顔を上げたベネディクトが、不安気にこちらを見ている。ピオニアは頭を抱えた。
「貴殿の覚悟はわかった故、私は時間くらいはもらえるのだろうな?」
「じゃあ…?」
「善処はするが、過剰な期待はよせ。閨事はチトニアを産んでから一切ないのだから、いきなり抱かせろと言われても困る」
ベネディクトとリリーマリーが顔を見合せて、歓声を上げた。
「まて、承諾はしておらん」
「してくれたも同然だ!!そうだよなリリー?!」
「そう受け取りましたわ」
抱き合う二人を前に、ピオニアは頭を掻きむしりたくなった。
帝国の滞在は長引きそうだった。




