第5話 祝祭は壊れる――「新聖女」の無価値な叫び
扉の外へ出た、瞬間。
背後から、重い金属が軋む音がした。
ぎ……、という嫌な粘り。次に来るのが分かる気配。
ガシャン――!
巨大なシャンデリアが床を砕いた。
金属と硝子が散る音が、遅れて広間中に跳ね返る。
悲鳴が遅れて来る。
驚きではない。生存本能が叫ばせる、逃げるための悲鳴だ。
扉へ向かう人の流れが、巨大な一本の圧力に変わる。
「押すな!」という叫びは、後ろからの波に飲み込まれて消えた。
戻ろうとした肩は弾かれ、個人の意思とは関係なく、身体が勝手に出口を選んで動き出す。
「下がれ! 道を開けろ!」
アルベルトの怒鳴り声が上がるが、護衛の隊列はもう作れない。
「道を開けろ」という号令に、返事がない。
兵たちの目は王子を見ていない。
床へ落ち、扉へ吸い寄せられる。
命令を待たずに、護衛同士が肩をぶつけ合い、我先にと扉へ殺到する。
そこにあるのは「騎士」の整った形ではなく、崩れた人の流れだけだった。
その波の中で、リュミナだけが“立場”にしがみつこうとした。
豪奢な杖も、誇らしげな胸も、もう役に立たない。
「アルベルト様っ……! 王子様、私を――!」
叫びは悲鳴に飲まれる。
彼女は必死に前へ掻き分け、ようやく王子の袖に指先が触れた。
救いに触れた、と思った瞬間。
アルベルトは振り向かない。
「邪魔だ! 私を先に通せ!」
払ったのは、助けを求める指先だった。
リュミナの指が、袖から無惨に滑り落ちる。
引き剥がされたのではない。――明確に、置いていかれたのだ。
「ち、違っ……! 私は、新しい聖女で……っ!」
言い終える前に、逃げる貴族の肩が彼女を突き飛ばした。
守るべきものの優先順位が、剥き出しの力で示される。
さっきまで「リュミナ様」と崇めた口が、今は罵声に変わる。
「邪魔だ、退け!」
「足が止まるだろうが!」
叫びが飛ぶたび、拍手の手が押し返す。
十倍の測定値は、今や邪魔の烙印だ。
リュミナが膝をつく。
裾を踏まれ、引かれ、体が崩れる。
杖が滑り落ち、床で乾いた音を立てた。
誰も見ない。
次の瞬間、靴底が杖を踏み砕いた。
宝石が散る。欠片が跳ねる。
誰かがわざと踵で押し潰す。光を、価値を、形のまま残さないために。
「聖女だろ!」
「なら守れよ!」
罵声が肩書きだけを残し、意味を引き裂く。
彼女の“証明”が、言葉で剥がれていく。
リュミナが手を伸ばす。杖へ。助けへ。
指先が床に触れた瞬間、踏まれた。
声にならない息が漏れる。だが列は止まらない。
踏み越えられ、押し流され、視線も与えられない。
彼女の「助けて」は、形になる前に消えた。
見捨てるのに、理由はいらなかった。ためらいもいらなかった。
必要なのは、ただ――自分が先に生き残るための、空いた通路だけだ。
バキッ。
天井を支える装飾の支柱が裂けた。
硝子が跳ね、床へ散る。
扉の向こうでアルベルトが叫ぶ。けれど声は届かない。
もう命令じゃない。ただの声だ。
崩れる音が先に膨らみ、言葉を押し潰していく。
ジジ……ッ。
【結界崩壊まで 02:11】
足元の魔力回路が焼けた。短く、鋭い。
焦げた匂いが鼻を刺す。結界が落ちる音じゃない。
この国が信じてきた「安全」が、音を立てて断たれていく。
私は止まらない。
背後で誰かが転び、その指先が私の裾を掠めた。
振り返らない。歩幅を落とさない。
靴底が硝子片を踏み、乾いた破片音が走る。
叫びが遠ざかる
ゴ……ゴ……ゴ……!
警鐘がもう一段、低く沈んだ。
重低音が骨に当たり、喉が震える。
周りの口が動く。だが音にならない。
揺れが先に来て、声を奪う。
扉を抜けた瞬間、夜風が肌を刺した。
冷たい。結界の内側の冷え方とは違う。
指先がすぐに痛くなる。
数年間、内側で保たれてきた温度が途切れる。
薄い膜が剥がれた感覚だけが残る。
背後で大きく崩れる音。
誰も命令を聞かない。
灯りも壁も、そして人の振る舞いも崩れていく。
扉の向こうで灯りが一度だけ瞬いた。
祝祭の熱気がひび割れて漏れ、冷たい空気が追いすがる。
私は荒くなりかけた呼吸を押さえきれず、反射で息を吸い――
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