第46話 全部が青に変わる前に
南回廊の結界線を補強していた技官の一人が、短く息を吐いた。
「南側、補強を入れました」
「揺れはいったん抑えています」
「ですが、止まってはいません」
「わかりました」
私は頷いた。
「訓練場へ急ぎます」
老技官もすぐに頷く。
「先に外周を固めます」
「中央は空けてあります」
その後ろを、一人の兵が厚い布袋を運び、もう一人が脇につく。回収された石はその中にあった。
訓練場の中央はすでに人払いが済み、周囲では結界技官たちが位置についている。灯りは十分にあるのに、中央へ近づくほど空気だけが冷たかった。
「補助具の箱は右へ」
「床の線の近くへ置いてください」
「石は中央へ。まだ袋は開けないで」
兵たちが言われた通りに動く。
金属箱は結界線の手前へ静かに下ろされた。中には白箱二つと、円盤型の補助具が収められている。
その間に、布袋を持った兵が中央へ進む。脇につく兵も、手元から目を離さない。中身がただの押収物ではないと、二人とも分かっているのだろう。
訓練場の中央で、私は布袋の前に立ち止まった。
「置いてください」
「ゆっくり」
兵が慎重に袋を下ろした。
布越しでも、中にあるものの輪郭は分かった。
拳大の石。だが、ただの石ではない。袋目の奥で鈍い色が滲み、赤の中を青が食い込み始めている。
まだ全体は染まり切っていない。それでも、さっき見た時より進んでいた。
老技官が一歩近づき、思わず声を落とす。
「……袋越しで、これほどか」
「下がってください」
私は短く言った。
「開けます」
訓練場の中央がしんと静まる。
周囲に立つ技官も兵も、誰も余計な音を立てなかった。
私は袋口を結んでいた紐へ手をかけ、慎重にほどいた。布を開き、重ねられていた端を少しずつ返していく。
中から現れた石を見た瞬間、その場の空気がさらに冷えた。
赤はまだ残っている。
だが、最初に見つかった時のような均一な色ではない。表面のあちこちにまだらに残るだけで、その間を青が静かに広がっていた。
石は濡れてもいないし、光ってもいない。
それでも、見ているだけで熱を奪われるような違和感がある。近くにいる者ほど、それを強く感じたのだろう。後ろで誰かが息を止めた。
もう一つ、石の周囲だけ音が鈍かった。
壁際の足音も、金具のかすかな触れ合いも、近づくと少し沈む。消えるわけではない。
ただ、何かを一枚隔てた向こうから聞こえるように、響きだけが鈍っていた。
老技官の喉が鳴る。
「これが……あの荷の中にあったものか」
別の結界技官が、目を離せないまま低く漏らした。
「押収品どころではありませんね……」
「ええ」
私は石から目を離さず答えた。
「進んでいます」
「全部が青に変わる前に、隔離します」
補助具の箱が結界線のそばへ運ばれる。
私は石の前を離れ、そのまま箱の前へ移った。封を解いて蓋を開く。中には薄い円盤と、細長い白箱が二つ収められていた。
円盤は両手で持てるほどの大きさで、白銀の縁の内側に細かな刻線が何重にも走っている。
飾りではない。結界の流れを受け止め、外へ逃がさず整えるための補助具だった。
王宮側の若い技官が目を見開く。
「これを使うのですか」
「はい」
「床の結界だけでは押し切られるかもしれません」
「これで流れを受けて、中央へ留めます」
老技官が円盤を見つめたまま言った。
「見たことのない刻みですな」
「外へ逃がさず、内側へ戻すように刻んであります」
「乱れた魔力を均しながら、その場に留めます」
「長くは持ちませんが、今はそれで十分です」
私は白箱の片方を開いた。中には細い結晶杭と短い接続具が整然と収められている。
もう一方には、術者ごとの魔力差を和らげるための薄板が並んでいた。
「老技官殿」
「外周の固定は、あなたにお願いします」
「承知しました」
「結界技官の方は、こちらへ」
「床の線と、この補助具を繋ぎます」
呼ばれた技官たちがすぐに近づく。だが、その表情には緊張がはっきり出ていた。
無理もない。目の前にあるのは、ただの石ではない。今この場で封じなければならない危険物だ。
私は円盤を床へ置き、その縁へ指を添えた。
「恐れないでください」
「押し返そうとしなければ、まだ合わせられます」
若い技官の一人が口を開く。
「ですが、私たちの魔力では乱れませんか」
「乱れます」
「そのまま流し込めば、反発して流れが崩れます」
技官たちの顔が強張った。
「私が合わせます」
「あなたたちは少しずつ上げてください」
「位置だけ守って、流れを揃えてください」
老技官が低く言う。
「……個々の魔力の流れを、この場で合わせるおつもりですか」
「はい」
「訓練場の床結界と、この補助具を先に繋ぎます」
「そのあとで、石の周囲を閉じます」
若い技官が息を呑む。
「そんな調整を、この短時間で……」
「理屈は後です」
私は石へ目を戻した。
「時間がありません」
青は、さっきよりも確実に広がっていた。
残っていた赤はさらに細くなり、表面はゆっくり青へ寄っていく。
訓練場の外周で、老技官が声を上げる。
「外周、固定に入ります!」
「中央、補助具を接続します!」
私は白箱から結晶杭を抜き、円盤の周囲へ順に置いていった。床の線と刻線がかみ合う位置を見極め、無駄なく並べる。
「位置についてください」
「私が合図したら、少しずつ流してください」
「強くは要りません。ずらさないことだけ考えて」
技官たちが散開する。
老技官も外周から中央を見据えたまま、いつでも補強へ入れる姿勢を取った。
訓練場の中央では、布の上に置かれた石だけが静かに色を変え続けている。
誰も触れていないのに、空気だけが少しずつ張りつめていく。
私は石を見据えたまま、はっきりと言った。
「今から隔離に入ります」
「誰も線を越えないでください」
訓練場の空気が、そこで一段深く沈んだ。
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