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第45話 石が届く前に、結界が揺れた

 王の命令が落ちた直後、広間の空気がさらに切り替わった。


 近侍が扉の外へ駆け、控えていた文官たちも役目を受けて散っていく。

 謁見のために残っていた者たちは順に下げられ、広間を横切るのは衣擦れと抑えた靴音だけになった。

 さっきまで王の前に整列していた人の流れが、いまは訓練場と王宮の結界を守るために組み替えられていく。


「訓練場の周辺を空けろ」

「既存の防御結界を一段強めます」

「結界担当が到着次第、外周から先に固めます」


 扉の向こうで復唱が重なった。


 王は玉座に座ったまま、動く者と残る者を見ている。

 ゼクスは一歩引いた位置で、誰がどの命を受けて動いたのかを黙って追っていた。

 命令のあとも場が乱れないのは、王が明確に指示し、ゼクスが抜けを作らせないからだ。


 私はその動きを見ながら、次に要るものを頭の中で並べた。


 訓練場の床結界だけでは足りない。

 石が青へ寄り始めているなら、普通の隔離では押し返される可能性がある。外周を固める結界と、内側で術式を押さえる補助が要る。


「陛下」


 王の視線が向く。


「私の荷の中に、結界補助の魔道具があります」

「先にバルハイムへ送っていた荷です」

「それが必要です」


 王の眉がわずかに動いた。


「どこにある」


「シュバリエ様に預けた荷です」

「王宮の倉か、受理済みの保管庫へ入っているはずです」


 ゼクスがすぐに口を挟む。


「荷の受理記録を辿れば早い」

「倉へ入ったなら記録が残っています」


「はい」

「金属箱に入っています。細長い白箱が二つ、その下に円盤型の補助具が一枚です」

「見つけたら、箱ごと訓練場へ運んでください。私が開けます」


 王は近侍へ目をやった。


「倉を開けろ」

「シュバリエ預かりの荷を最優先で探せ」

「見つけ次第、訓練場へ回せ」


 一礼が返り、また一つ足音が離れていく。


 準備は動き出した。だが、石が着くまで、少し時間がある。

 そのわずかな空白を埋めるように、広間の外から新たな足音が近づいてきた。


 王宮付きの結界技官が三人、息を切らさぬ速度で入ってくる。

 先頭の老技官は、胸元に付けた感知石へ指を添えたまま、王の前で膝を折った。


「陛下。訓練場外周の結界強化、すぐに取り掛かります」

「ただ――」


 その声が途中で止まる。


 老技官の視線が、胸元の感知石へ落ちた。

 半透明だった石の奥に、薄い青が一度だけ走ったのだ。


「……何だ」


 王の声で、広間にいた全員の視線が集まる。


 老技官は信じがたいものを見る顔で、感知石を持ち上げた。


「まだ石は王宮へ届いていないはずです」

「ですが、石が運ばれている方角の結界が……」


 言い切る前に、今度は広間の外壁に組み込まれた細い感知線が、さざ波のように一度だけ明滅した。


 誰かが息を呑む。


「反応がある……?」


 別の技官が、ほとんど独り言のように漏らした。


 私は一歩前へ出た。

 嫌な予感だった。だが、辻褄は合う。


「石は、ただ運ばれているだけではありません」

「術式が先に伸びています。王宮の結界か、人の魔力の流れに反応しているはずです」


 老技官が弾かれたように顔を上げる。


「まだ到着していないのに、ですか」


「術式が進んでいるなら、ありえます」


 ゼクスの目が細くなる。


「訓練場だけを固めればいい話ではなくなった、ということですね」


「はい」

「石が近づく前から結界へ触れているなら、通路の途中で反応が強まるおそれがあります」


 王が即座に言う。


「場所はどこだ」


 老技官が感知石を握り直し、震えを押し殺して答えた。


「南回廊側です」

「訓練場へ入る手前の結界線が、わずかに波打っています」


「案内しろ」


 王が言うより早く、私は動いていた。


「急ぎます」

「どこですか。私が見ます」


 ゼクスも遅れず続く。


「私も行きます」


 王はうなずいた。


「行け」

「残りは訓練場を固めろ」

「石が着く前に、通路で起きていることを確認しろ」


 広間を出ると、王宮の空気はもう別物だった。

 人払いされた回廊は広く、灯りはそのままなのに妙に冷える。

 先導する技官の手元では感知石がかすかな青を返し、呼吸のように明滅していた。


 南回廊へ差しかかったところで、床を走る結界線の一部がわずかに揺れた。


 目を凝らさなければ見落とすほどの変化だった。

 だが、一度見れば分かる。固定されているはずの線が、外から触れられたように震えていた。


「止まってください」


 私は短く言い、床へ膝をついた。

 指は触れない。触れれば逆に引かれる可能性がある。

 視線だけを線へ落とし、揺れの向きと、波の返りを確かめる。


 ――来ている。


 まだ届いていない石の方角から、細い圧だけが先に伸びている。

 結界を破るほどではない。だが、噛み合う場所を探すように、王宮側の線を撫でている。


「セラフィナ様」


 背後でゼクスが低く呼ぶ。


「見えますか」


「はい」

「石の術式が、先に王宮の結界へ触れています」

「無理に破ろうとしているのではありません。抵抗の弱い箇所を探っています」


 老技官の顔色が変わる。


「そんなことが……」


「ありえます」

「だから急がないといけません」


 私は立ち上がった。


「訓練場の外周を、今すぐ二重にしてください」

「南回廊から先は、既存の線を閉じずに補強だけ足す」

「閉じると、逆に引っかかった時に跳ね返ります」


 技官たちが一瞬息を止める。

 理屈は分かる。

 だが、その場で組み替えるには判断が要る。


「できますか」


 私が問うと、老技官はすぐに頭を下げた。


「やります」


「あと、私の荷です」

「補助具が届いたら、訓練場へ直行させてください」

「石が着く頃には、もう待てません」


 技官が走り、別の一人が結界線の再構築へ回る。

 王宮の回廊に、抑えた命令と駆ける足音が短く反響した。


 その時、南回廊の先で、感知石がさっきよりも濃い青を返した。


 石が届くより先に、術式の方が動きを強めていた。

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