第43話 特級魔導技術官――王宮の謁見
王宮の石造りの控室に通されると、待機していた侍女たちがすぐに動いた。
足音は小さい。
動きは速い。
私の左右と背後に侍女が控える。
一人が半歩前へ出て、奥の扉へ手を添えた。
次に向かう場所は、もう決まっている。
案内されたのは、湯殿と着替えの部屋だった。
もてなしではある。
長い夜を越え、国境から運ばれてきた者を、謁見の場へ立たせるための身支度だ。
ただ、目的はそれだけではない。
詰所から王宮へ移る以上、毒、追跡の印、衣服に紛れた異物をそのまま入れるわけにはいかない。
丁寧だが、見逃さない。
王宮のやり方だった。
扉の向こうは広かった。
石床がひんやりしている。
天井の高い空間に湯気が薄く溜まり、磨かれた石の縁が水滴を受けて淡く光っていた。
湯船は一人用ではない。
成人が何人も入れる大きさだ。
豪華だ。
ただ飾り立てる豪華さではない。
磨き込まれた石と、広すぎる湯船。
隅々まで手が入っていることで、ここが王宮だと分かる造りだった。
「セラフィナ様、失礼いたします。まず付着物を確認いたします。異常がなければ、そのまま洗い流します」
侍女の手には、小さな魔導具がある。
金具と石が組み合わさった、簡素な形だ。
肌の上を滑らせると、触れた場所だけがひんやりとした。
髪の根元。
耳の裏。
首。
手首。
袖口の内側。
指の間。
順番が決まっている。
急いでいるのに、雑ではない。
侍女たちは必要な時だけ、小さな合図で道具を替え、別の侍女を呼ぶ。
声は短い。
それでも、手順は一つも乱れない。
湯船に沈むと、背中の力が少し抜けた。
湯は熱い。
肩まで浸かると、昨夜から強張っていた指先から、ゆっくり力が抜けていく。
私は両手を湯の中でそっと広げた。
指と指の間を温かさが満たし、息が一つ深くなる。
……気持ちがいい。
そう思ったところで、侍女の手が私の手首へ戻った。
小さな魔導具が、手首の内側をもう一度なぞる。
次に首筋。
髪の根元。
耳の後ろ。
温かい。
だが、甘くはない。
ここから先、私はバルハイム王宮の中で名を呼ばれる。
守られる代わりに、王宮の規律に従う。
風呂から上がり、鏡の前に立たされた。
髪は整えられ、爪の間まで確かめられる。
衣服は新しいものに替えられた。
ここまでに持ち込んだものが、残る余地はない。
鏡の中にいるのは、逃げ回ったままの私ではなかった。
謁見の間に立つため、王宮の手で整えられた私がまっすぐ立っている。
「お支度が済みました」
侍女が襟元を直し、一歩下がった。
私は鏡の中の自分を確かめた。
「行きましょう」
私は一度だけ息を吸って吐いた。
ここからは国境の小競り合いではない。
王宮で、国と国の言葉をぶつけ合う。
相手に先に語らせない。
言い訳の形を作らせない。
こちらが問う。
私は謁見の間へ向けて歩き出した。
謁見の間は広い。
足音が止むと、空気まで止まったように静かになる。
玉座の国王コンラート・フォン・バルハイムがこちらを見ていた。
視線を受けた瞬間、背筋が伸びる。
王は声を荒げない。
けれど、言葉が短いぶん、逃げ道がない。
「セラフィナ殿。国境での尽力、ゼクスより聞いている。我が国の要請を受け、結界構築に力を貸してくれること、礼を言う」
コンラート王が侍従へ指先で合図する。
運ばれてきたのは一通の書面だった。
縁には金糸が入り、王宮の封蝋が押されている。
紙の重さが、扱いの重さをそのまま示していた。
「貴殿を、バルハイム特級魔導技術官として正式に迎える」
その言葉で、私の立場は定まった。
特級魔導技術官。
王が直接任じる魔導官であり、身分と任務中の安全を王国が保証する。
客人でも、保護対象でもない。
バルハイム王国の官だ。
聖女。
元婚約者。
王国の資産。
連れ戻すべき者。
ソレイユがどの名で私を縛ろうとしても、もう通らない。
王は続ける。
「身分は王宮が保証する。当然、その身の安全もだ」
王の視線がまっすぐ私を捉える。
「以後、ソレイユ側が貴殿に触れようとすれば、我が国の官に触れたものとして扱う」
王がそう告げた時点で、ソレイユの逃げ道は狭まった。
次にソレイユが私へ手を伸ばせば、相手にするのは私一人ではない。
バルハイム王国だ。
連れ戻すという名目は、ここで使えなくなった。
「任命書の写しを記録室へ。以後、ソレイユ側への照会はこの身分で処理する」
王の一言で、侍従がすぐに動いた。
任命は、謁見の間だけで終わらない。
王宮の記録に入り、次にソレイユが何を言ってきても、最初にこの名が立つ。
「ありがとうございます」
私は深く頭を下げた。
礼を述べている間にも、任命書は運び出されていく。
私の扱いは、王宮の記録になった。
そこで王は、私から視線を外した。
私の立場は定まった。
次に確かめるのは、ソレイユが何をしたかだ。
王の視線が、私の隣に控えるゼクスへ移る。
「ゼクス。国境で確認した要点を」
「はっ」
ゼクスは姿勢を崩さないまま報告した。
余計な言い回しを挟まず、必要な事実だけを並べる。
「指示書を押収。侵入者の供述は、記録官の前で署名済みです。
写しと受理記録は、すでに王宮の記録室へ入っております。
原本と赤い石は、アルネが現場の物証と照合中です。封を改め次第、別便で到着いたします」
コンラート王が、一度だけ頷いた。
「よし。先に押さえるべき所は押さえてある」
その言葉で、私にもはっきり分かった。
原本と石はまだ届いていない。
けれど、使節を正面から受けるための土台は、もう王宮の側にある。
押収した指示書の写し。
侵入者の供述。
それを受理した記録。
そして、私をバルハイムの官として迎えた任命書。
ソレイユが何を言おうと、王宮は先に出すものを揃えていた。
「……ソレイユには、この代償を国として払ってもらう。曖昧には終わらせん」
王は表情を変えないまま言った。
「使節を呼びつけろ。こちらが先に問う」
謁見の間の空気が、さらに固くなる。
王は続けた。
「返答の形も、王宮で決める」
それだけで、流れが決まった。
コンラート王は声を荒げない。
玉座から動かない。
ただ、先に問う位置を取る。
返答の形をこちらで決める。
それだけで、相手の言い分は後ろへ押し込まれる。
その時、謁見の間の扉が開き、一人の伝令が駆け込んできた。
靴底が石床を叩く。
息が切れている。
「陛下、アルネ卿より急報! 回収した『赤い石』が、赤から青へ変わり始めているとのことです!」
報告が終わる前に、王の目が細くなる。
「……ほう。証拠を奪えぬと見て、今度は石そのものを動かしたか」
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