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第25話 国境で差し出された教皇の署名

 車輪が石の継ぎ目を噛み、低い悲鳴が漏れた。

 国境灯は祝祭灯の温かみがない。冷たい白が影の輪郭だけを暴き出す。

 書類をめくる乾いた音。窓の外から、低い声が届く。


「通行札。……人数。荷札を」


 護衛が淀みなく返す。


「乗員二名、護衛二名。荷は私物のみ。通行証はこちらです」


 背後で列が詰まる気配が濃くなる。

 ゼクスは書面を封のまま見せる。交渉ではない。

 交渉の余地は、最初から与えない。


 上級役人が来る気配は、足音で分かった。

 兵の足が揃い、空気が一気に重くなる。

 窓が叩かれた。事務的ではない。逃がさない意志がこもった、重い音だ。


「動くな」


 短い声が夜気を割った。怒鳴ってはいない。

 次いで、鎖が鳴る。槍の石突が同じ間で地面を打つ。

 音が揃うだけで、こちらの自由が削られていく。


「灯り、上げろ。窓の高さに合わせろ」


 松明が二本、同時に持ち上がった。光が窓枠の外に固定され、車内の影がくっきり切り取られる。

 兵が半歩ずつ角度を変える。槍先は近づけない。だが、逃げ道だけを消していく。


 その中央に、一人だけ動かない男がいた。

 金属の鎧は磨き込まれていて、松明の光を鈍く返す。飾りはない。必要なものだけが揃っている。

 顔は上げない。

 周囲の兵が、彼の呼吸に合わせるように静まった。


 男が名乗る前に、空気で分かる。

 ここで指示が出るのではない。ここで許可が出るのだと。


「――扉を開けろ。王立国境守備隊長、クレールだ」


 声は低い。張っていないのに、輪郭が崩れない。

 言葉の端に迷いがない。兵がその声を合図に、動きを一段だけ締めた。


 クレールは窓枠を叩かない。叩く役は兵に任せたまま、距離を保つ。

 代わりに、通告だけを落とす。


「聖女セラフィナ。王都より緊急の『重要資産保護命令』が出ている」


 書類を振り回さない。証明ではなく、宣告として言う。


「国外への退去は国家反逆罪に相当する。……即刻、馬車を降りろ」


 一拍。目だけがこちらを測る。


「身柄は、こちらで預かる。抵抗はするな。——抵抗と見なせば、対応を切り替える」


「重要資産」という単語が投げ込まれた瞬間、周りの空気が凍りついた。

 護衛が身体を硬直させる。


 だが、ゼクスは眉ひとつ動かさず、膝の上の書面へ指を添える。


「……経緯は承知していますが、その命令は失当です。セラフィナ様を止める権利は、あなたにはない」


「権利だと?」


 クレールが窓枠を掴み、身を乗り出した。金属の手甲が軋む音が、死刑宣告のように響く。


「貴様、この国旗が見えんのか。王家の命は絶対だ。力ずくで引きずり出されてから後悔するか」


「バルハイム王国との契約は、数時間前――王都で結界が『失効』した瞬間に締結されています」

「セラフィナ様は現在、我が国の『特級招聘技術官』」

「……王都が慌てて出した『資産』扱いの命令など、後出しの紙屑に過ぎない」


「理屈は王都で言え!」


 クレールが窓枠を叩いた。衝撃で馬車が揺れ、護衛の手が剣の柄へかかる。


「今すぐ降りなければ、この馬車ごと『賊』として処理する。一、二、三――」


「数えるのをやめなさい。隊長」


 私は沈黙を破った。

 声を張らず、抑えたまま窓の外へ届ける。

 クレールが舌打ちし、顔を寄せてくる。鉄と油の匂いが刺す。


「……黙って聞いていれば、聖女の分際で。お前は王国の持ち物だ。どこへ行くも、死ぬも、王家が決めることだ」


「『分際』。……懐かしい響きですね」


 私は薄く笑い、言葉を削る。


「では隊長、あなたの言う順に、事実から揃えましょう。私は現在、バルハイム王国の招聘を受けた特級技術官です」


「ここで私の腕を掴み、引きずり出せば――相手は“王国の内輪”ではありません」


「この馬車を賊扱いするなら、相手はバルハイムです。……あなたの独断で」


 クレールが唾を吐くように言い返す。


「黙れ! 王家の命令が最優先だ!」


「いいえ。命令より先に、決まっていることがあります」


 署名の位置がはっきり見えるようにして、ゼクスが紙束を差し出した。


「第一に。祝祭の場での裁定が“記録として成立した”ことを示す文書です」

「――そして、その成立した裁定の中に“結界維持権の剥奪”が含まれています」


 クレールが覗き込み、眉がわずかに跳ねた。

 だが、すぐ顔を固める。


「……偽造だ」


 ゼクスは眉を動かさない。否定を急がない。

 紙を引っ込めもしない。窓に見える位置を保ったまま、次を捲った。

 教会の押印。署名欄の一番上――教皇の名。


「宣言記録です。教会が保証する正式記録で、教皇の署名があります」


 クレールの指先が止まる。

 ――触れれば、責任が発生する。

 ゼクスは、読むべき箇所だけを声にした。


「事前に教会で作成され、祝祭の場での――婚約破棄、追放」

「殿下の言葉がそのまま記録されています」

「誇張も要約もありません」


 一拍置いて、言い切る。


「この記録がある以上、裁定は成立しています」

「不服なら教会へ申し出てください」


 教会の名が出た瞬間、兵のが硬直した。

 ゼクスは、淡々と続ける。


「だから結界は止まった」


 クレールの表情が固まった。

 言い返す言葉が出てこない。


 私が、そこへ短く重ねる。


「殿下が下した裁定です」


「そんなはずがあるか……! 殿下がこれほど致命的な不備を放置するはずが――」


「放置したから、今、王都の灯りが消えているのでしょう?」


 クレールの表情が歪む。


「隊長、現実を見なさい。王家は私を『資産』と呼んだそうですが、ならば今は『バルハイム王国の資産』です」

「あなたが今この瞬間、私の腕を掴んで引きずり出せば、それは国家間の強奪事件として記録されます」


「抜かせ! 貴様さえ戻れば結界は直る! 外交問題など後でどうとでもなる!」


「あら。いまは“新しい聖女様”が結界を担っているのでは?」


 私の言葉に、クレールの眉が跳ねる。

 反射で怒鳴り返そうとして、言葉が詰まる。――ここで否定すれば、王家の裁定そのものを否定することになる。


 兵の視線が泳ぎ、クレールの喉が鳴った。

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『短編版』婚約破棄で聖女契約が切れました。――この国は“5分後に”崩壊が始まります。
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どきどき。 今夜も動悸が止まりません。
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