第11話 ふり切れた目盛り
王立測定局で行われた「適性儀式」の光景が、揺れる馬車の中で鮮明に蘇る。
測定局の広間は、不自然なほど明るく整えられていた。
高価な香が焚かれ、床は磨き抜かれ、まだ何も起きていないうちから期待の拍手が室内に満ちている。
集まった高官たちが追っているのは、目の前の人間ではなく、水晶の裏で振れる「針」と「目盛り」という数字だけ。
聖女の座を狙うリュミナが、しなやかな動作で前へ進み出た。
彼女が水晶へ指先を触れ、魔力を通すと、計器の針が勢いよく跳ねた。
「……七倍だ!」
「聖女セラフィナ様の、七倍……!」
誰かの叫びが上がり、場に熱狂的などよめきが広がる。
「素晴らしい、これで結界は盤石だ」
「真の聖女に相応しい」
重なる賞賛の声。
王子の肩から力が抜け、その口元が満足げに緩む。
彼らにとって、安心とは「理解できる数字」の多寡でしかなかった。
リュミナは胸を張り、言葉を発することなく、ただ深々と一礼して見せた。
その謙虚さを装った仕草が、かえって周囲の引き返す余地を奪っていく。
私は少し離れた位置に立ったまま、その熱狂を無表情に眺めていた。
私の魔力の五割は、この瞬間もここではない場所――王都を支える「結界炉」へと絶えず流れ続けている。
だから、私の測定値は常に「最低限」に抑えられている。
彼らが比較している数字など、私の余力の一部、そのまた残滓に過ぎないというのに。
皆の視線が、期待の新星であるリュミナに釘付けになっている隙だった。
私は誰にも気づかれないよう、一歩、壁際に置かれたままの予備の計器へと歩み寄った。
賞賛など要らない。
確かめたかったのは、この国の計器が、私の魔力の「質」に耐えうる代物かどうか。
――炉へ流している分を除いた、残りの六割を。
そのつもりで、静かに水晶へ意識を向けた。
触れた瞬間、針が爆ぜるような勢いで跳ね上がった。
一瞬で上限を超え、ふり切れそうな勢いで目盛りの端を叩く。
――キィー。
金属が悲鳴を上げるような、嫌な音がした。
次の瞬間、針が激しく反転した。
逆方向へ無理やり引き絞られるように振り切れ、金属の針そのものが、根本から「パキリ」と乾いた音を立てて折れ曲がった。
計器の唸りが消え、その一角だけ、空気が一気に冷え落ちる。
私の手元に気づいた数人の記録官が、顔を引きつらせて固まった。
だが、広間の中心ではまだリュミナへの拍手が続いており、王子の視線も彼女に刺さったまま。
計器が物理的に限界を迎えた音に気づく者は、ほとんどいない。
「……測定器が、故障か?」
背後で誰かが小さく漏らした。
誰も、私へと言葉を投げようとはしない。
目の前の「数字」が死んだ場所で、彼らの信じる「正しさ」もまた、行き止まりに突き当たっていた。
――今ここで私が口火を切れば、場は修復不能なほど乱れるだろう。
けれど、誰も言い出せない。
不吉な沈黙を誰が被るか、その責任を恐れて。
私は静かに手を離した。
壊すつもりなどなかった。
いつも通り、回路の整合性を確かめただけだ。
それでも、背筋を冷たいものが走るのを止められなかった。
計器にまで、腐敗が進んでいる。
今までは、私の「余力の六割」程度で壊れることはなかった。
だが今のこの国では、直すべきは針を飾る仕組みではない。
鍵がどこへ繋がっているか、誰が何を正しいとしているか――それを見極める「知性」そのものが壊れているのだ。
……馬車が大きく跳ね、視界が夜の闇へと戻った。
私は窓の外、遠ざかる王都の暗がりを見つめる。
あの日、拍手のない片隅で私だけが見ていた「故障」は、いま、現実の崩壊となって彼らの頭上に降り注いでいるはずだ。
「ゼクス様。あの日、彼らが信じた『数字』の価値は、もう無に帰しました」
私は向かいに座る男へ、静かに告げた。
記憶の中で見た折れた針は、私がこの国を捨てるための、何より確実な「根拠」となっていた。
話の余韻が引くと、馬車の中の感覚だけが戻ってきた。
土を踏む車輪の重さ、木枠の軋み、外套が擦れる音。
私は膝の上で、強張っていた指先をゆっくり揃え直す。
向かいのゼクスは、窓の外へは目を向けない。
慰める気配も、同情の色もない。
ただ、語られた事実を切り分け、必要な点だけをまとめていく。
「……今のお話で十分です。必要なものは揃いました」
ゼクスは外套の内側に指を入れ、三枚の覚書の角を一度だけ押さえた。
見せびらかさない。
読むそぶりもない。
ただ、そこにある事実を確認する動作だけ。
「正直に申し上げます。魔力の量――出力だけを求めるなら、他を探すことも可能です」
淡々とした声。
誰かを傷つけるための言葉ではなく、判断基準を隠さないという態度だ。
私は答えない。ここで言葉を挟めば、不要な感情が入り込む。
ゼクスは続けた。
「ですが、何が壊れているのかを見抜き、繋ぐべきものと切り離すべきものを判断できる人間は、代えがききません」
「我が国が必要としているのは、出力そのものではなく、運用と判断です」
それは褒め言葉ではない。
私の席を決める宣言だった。
距離は冷たいほど明確で、だからこそ私は安心できた。
偶像として扱われない。
役割だけが置かれる。
「……分かりました」
私はゼクスを正面から見て、短く返す。
「求めるものが判断なら、私も条件を提示します。互いに、対等に」
守られるだけの身ではない。こちらも、契約の当事者だと示すための一言。
ゼクスは大きく反応しない。覚書から指を離し、両手を膝の上で静かに組んだ。
「承知しました。……良い形になるでしょう」
その言葉は温度がない。
だからこそ、揺らがない。
馬車は速度を落とさず進む。
外では護衛の気配が一定の間隔で動き、検問に向けて短い伝令が行き交っている。
国境まではまだある。
私は静かに息を整えた。
背後の国で起きている混乱がどうであれ、ここから先は、こちらの手順で進む。
私は、そのための準備を始めた。
ゼクスは、揺れる車内でも声の温度を変えずに言った。
「これより先は、署名の話ではありません。運用の話になります」
慰めや情緒を徹底して避けているのが分かる。
混ぜれば、判断が鈍る。
私は視線を落としたまま、短く返した。
「……では、何を優先すべきでしょうか」
ゼクスは即座に答えた。
考える間など要らない。
こちらが迷わないよう、手順だけを順序立てる。
「言い方を揃えます。これが最初です」
彼は指を一本立てた。
「結界を『止めた』とは言わない。――『鍵が外れた』。それだけに固定してください」
次に、指がもう一本立つ。
「原因を誰かの悪意へ寄せない。『不備が放置された』という事実に置く」
三本目。
「証拠を出しすぎない。相手が噛みついた一点だけを返す。余計なものは、こちらの足を止めます」
言葉が少ない。余計な説明がない分、私が進むべき場所が削り出されていく。
「あなたの言葉は、誰かを裁くために使いません。……向こうが言い立てる前に、必要なことだけを終わらせる」
私は深く息を吐いた。胸の奥に溜まっていたものを、外へ逃がすためだ。
「……揉めないように、事を運ぶのですね」
ゼクスは、その認識を短く修正する。
「揉めさせない、です。『争い』の形にしない」
そのとき、外で蹄の刻みがわずかに変わった。
護衛の合図が短く走り、馬車の速度が一段だけ落ちる。
直後、前方から戻ってきた斥候の声が、御者台へ低く届いた。
「この先、検問。止める準備ができています」
車内の空気が、目に見えないまま締まる。
追手ではない。だが、止まれば言葉が要る。
ゼクスは私を見る。
「検問で聞かれるのは心情ではありません。身分と、移送の正当性です」
「……私が言うのは」
「『鍵が外れた』。それだけです」
私は頷いた。言葉の形を揃えるほど、揺れが小さくなる。
ゼクスは最後に、淡々と告げた。
「あなたが持つ運用の知見を、無事に届ける。それが最優先です」
一拍置いて、続ける。
「そのために、こちらは手順を用意してきました。あなたは余計なものを背負わないでください」
甘い言葉ではない。だからこそ、信用できる。
「……承知いたしました。行きましょう、ゼクス様」
私は顔を上げ、前方の闇を見据えた。馬車は止まらず進む。
風は冷たい。けれど護衛の列は乱れない。
検問の灯りが近づく。訪れるのは、検問の場だ。
私はそれを、静かに待った。
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