第10話 壊れ始めていた数値
外の騒がしい気配が消え、車内に沈黙が戻ると、ようやく言葉を置ける余白ができた。
私はゼクスの視線を待たずに口を開いた。
感情を吐き出すためではない。沈黙が長引けば、出来事は勝手に「悲劇」に加工されていく。私はそれを許したくなかった。
「……五ヶ月前。結界炉の定期点検の時点で」
声は思った以上に冷えていた。
「鍵が外れる兆しは、出ていました」
国でも信仰でもない。運用の話だ。
仕組みが歪められれば、破綻の形も決まる。
私が守ってきた結界が、いつ、誰の手で、どう壊されるか。
そこまでを“予測”ではなく“推定”として積み上げていた。
ゼクスは驚かなかった。問い返すことも、感嘆することもない。ただ、こちらの言葉を正確に受け取る目で見ている。
「点検記録の末尾――承認欄の形が変わったのです」
私は、決定的だった一点だけを切り出した。
「通常、保守は技術側の署名で完結します。ところが五ヶ月前から、『第一王子の決裁印』が必須になった」
「……技術に触れない者の印が、運用の最終鍵になった瞬間、結界は盾ではなく、誰かの都合で開閉できる仕組みに変わりました」
だから私は、止めるつもりなど最初からない。
止めるのではなく、起きるべき破綻が起きたときに――責任の位置を動かされないようにする。
「鍵が外れた瞬間、それが『殿下の決定による失効』だと示せるように、必要なものを揃えました」
手順の写し。
署名の順番。
権限が移る条件。
一つずつは小さな紙切れでも、繋がれば逃げ道を塞ぐ線になる。
「結界が落ちるのは、私の行為ではない。――その一点が、後から崩されない形にしておきたかった」
ゼクスの視線が、私の顔ではなく、言葉の中身へ落ちた。
評価ではない。確認だ。
「理解しました」
短い返答。余計な飾りがないぶん、重い。
「つまり、あなたは『止めた』のではなく、起きたことの責任がすり替えられないように整えた。――そのための準備を、五ヶ月前から続けていた」
「ええ」
私は頷く。
「彼らは、私を切っても国は動くと思った。
けれど実際は、鍵の構造ごと壊した。
そこへ自分で手を入れた以上、言い逃れはできない」
ゼクスは一拍だけ置き、結論を淡々と言った。
「あなたは逃げたのではありません。巻き込まれない位置へ移っただけです。自分の権利を守るために」
追われている事実は変わらない。国境もまだ先だ。
それでも、王都から距離にあることだけは、はっきり分かる。
「……ええ。では、次は『誰が』『何のために』その鍵を歪めたのか。――その実態をお話しします」
私は、次へ繋がる記憶を、静かに手繰り始めた。
◆五ヶ月前
「……五ヶ月前、私は確信しました。この国は、結界を守る気などないのだと」
馬車の揺れに身を任せたまま、意識があの日の執務室へ沈む。
冷えた空気。紙の匂い。乾いたインクの跡。
点検に付随して回ってくる書類は、いつもと同じ形をしていた。
だが、数字の並びだけが違っていた。守るための数字ではない。
私は本文を読み飛ばし、欄外の注記と署名、印影の重なりだけを追う。
「結界維持費」
その項目の下から、細い注記が別の欄へ伸びていた。
『祝祭設備費』『王宮装飾更新費』『測定局の拡充』。
国を守るための金が、飾りと見栄と、数字を作るための箱へ流れていく。
迷う余地がない。書類の上で完結しているからこそ、見落とされやすい種類の不正だった。
次の頁。点検結果の最終提出先。
そこに、今までは要らない署名欄が追加されていた。
第一王子、アルベルト。
印がある。これで、流れは止まらない。
止められない。
私は必要な箇所だけを、淡々と写した。
日付。提出先。署名の順番。印の位置。
ペン先が紙を擦る音だけが、小さく室内に残る。
「……あれは、その数日後のことでした」
夜。王宮の回廊は静まり返り、遠くの祝祭の残響だけが壁にこびりついていた。
自室へ戻る途中、私は見てしまった。
半開きになった扉の隙間から漏れる、不自然な灯りを。
声が聞こえた。
姿は見えない。
見えたのは、重厚な机の縁を、苛立たしげに叩く指先だけ。
宝石を散りばめた指輪が鈍く光り、その脇には、折り目が新しい測定票の端が覗いている。
「アルベルト様。私は、ただ認められたいだけなのですわ」
リュミナの声は、甘く、それでいてすぐに金属のような硬さを帯びた。
「……私が、この国で最も『正しい位置』にいるために。その証明が必要なのです」
「分かっている。お前の出す『数字』さえあれば、うるさい老害共も黙る」
重なるアルベルトの声。笑っているが、そこには愛など欠片もなかった。
紙が擦れる音が響く。測定票が、無造作に指で押さえつけられる。
「お前の数字が上がれば、それを選んだ俺の格も上がる。……聖女の力など、使いようさ」
彼らの会話に、「結界」も「国民」も出てこなかった。
出てくるのは数字と、体裁と、互いの都合だけ。
私は音を立てずに、その場を離れた。廊下の暗がりで一度だけ呼吸を整える。怒りではない。確認だ。
――この男は国を守りたいのではない。自分の立場を飾りたいだけだ。
それで十分だった。
余計な感情を足せば、判断が鈍る。
私は灯りの少ない階段を下りながら、懐の紙片の感触を確かめた。
控えた順番。提出先。印の位置。
……そして、部屋の隅に置かれていたものを思い出す。
次の儀式で使う予定の、豪奢な衣装。結界の維持費を削った先にある“成果”が、そこに置かれていた。
「……だから、あの日、私は何も言わずに測定器の確認へ向かったのです」
私は語り終え、馬車の向かいのゼクスを見据えた。
見るべきものは、誰が何を言ったかではない。
どこに証拠が残るか。それだけだった。
馬車は進む。背後の王都で今ごろ起きている混乱は、あの日、彼らが選んだ流れの続きに過ぎない。
「次は測定局の話を。……彼らが信じた数字が、どれほど脆かったか。そこまでお話しします」
私は続く「崩壊の序曲」を語るために、静かに息を吸った。
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