結婚の条件〜前世が暗殺者の私には無縁のハズ〜
天真爛漫な幼女が前世を思い出した瞬間、その愛くるしい顔からスンっと表情が消えた。
自身の置かれた状況を瞬時に把握し、縛られた手を縄抜けで外し身体の自由を取り戻す。
胸元のブローチを外して左手の手の平に握りしめ針を指の隙間から出して一番手前の男に近づく。
「あ?……っオイ!ガキ、何してやがる」
気付いた男が捕まえようと立ち上がりかけるが、がら空きの胴にしがみつくようにして男の腰元からナイフを抜き、倒れ込む振りをしてまず男の両脚の腱を切りつける。
次に隣の男が伸ばして来た手にブローチの針を刺し怯んだ隙に喉を掻っ切った。
更に動揺で立ちすくむ残りの男の喉を掻っ切った後、脚を抱えてのたうつ男の眼前の床にナイフを刺し黙らせた。
「依頼者は誰だ」
「うっ……、なっ、何なんだ…オマエ……」
「聞かれたことに答えろ」
「はっ、オマエみたいなガキにわかっ……」
「そうか」
床からナイフを引き抜き振りかぶる。
「まっ、待て。アコギ商会っ…その大元のウィキッド伯爵だ。恨むならオマエのオヤジを恨めよ。ウィキッドから目をつけられるようなことしたんだ…ろ……」
黒幕が分かれば用はない。
心臓を一突きして黙らせ、男の血と指を使ってウィキッドの名を床に記したところでドアの外が騒がしくなったため、ブローチを元の位置に着け直し部屋の片隅で気絶した振りをした。
ゼンダナー伯爵家次女アイリス。それが今世の私の名前だ。
イシュバル国を代表するテビロ商会を抱え、国内外で活躍し国を支える優良貴族の娘。
そのため大なり小なり妬み嫉みを受けることがあり、今回のお粗末な誘拐事件に巻き込まれた。
拐われたショックからか、犯人のアジトで前世を思い出し無事生還できたわけだが、その前世というのが常に依頼を完遂する暗殺者だった。
あの後突入してきた騎士団により連れ出された私だが、ショックで何も覚えていないことにしてシラを切った。どうせ死人に口無しだ。
まさか5歳の幼女がやったなど誰も信じまい。
それにしても問題はこの非力な身体だ。
前世は気付いたら組織で鍛えられていたから、この年齢でももっと体力もあったし力も強かった。
私は誘拐のショックで心に傷を負ったとして領地の屋敷に引きこもり、不安と恐怖に打ち勝つためとして護身術を習う振りをして技を磨き身体を鍛えた。
その中でここが前世を過ごした帝国では無いことや、当たり前だが時代も進んでいることを知った。
まあ、所詮は裏社会で過ごした人生。表向きの歴史の流れや帝国の今などに興味は無い。
大事なのは前世と180度違う今世をどう乗り切るかだ。
しかし貴族令嬢らしく生きていくのを諦めた私でも、15歳になると貴族の義務である貴族学園に入学することになった。
心の傷を理由に辞退することも可能ではあったが、そうするとゼンダナー伯爵家の評判をどうしても下げることになる。
貴族という身分に未練も執着も無いが、別に家族を困らせたいわけじゃない。
学園は学生の集まりと言えども小さな社交界。
事件に巻き込まれ引きこもっていた私のことは皆に知れ渡っている。
また鍛錬を積んだ私は、前世の影響もあってか令嬢とは思えぬ程に鋭い目つきに変わってしまっていた。しかも髪色は夜に溶けそうな蒼黒、瞳は濃紺で華やかさの欠片もない。
触らぬ神に祟りなし。私は周囲から遠巻きにされていた。
しかし数ヶ月過ごし、私の為人をどう理解したのか小さな嫌がらせを受けるようになった。
おそらくは友人もおらず、大人しく歯向かう様子もなく、社交界での影響力もないと、閉ざされた学生生活のストレス発散の標的にされたのだと思う。
最初は文具等の小物が無くなった。
幸い我が家は裕福なので、すぐに代わりを用意する。ついでにあると便利なモノもいくつか取り寄せた。
次に机に罵詈雑言の落書き。
これは学園の備品のため即座に先生へ報告し交換してもらった。筆跡も私のものでないと鑑定の結果も添えた。
それに焦ったのか階段で背中を押された。
しかし所詮は平和に暮らす貴族令嬢の浅はかな考え。たった5段程度じゃ余裕で着地してしまった。
それにしても、そろそろ鬱陶しくなってきた。
そんなある日、私は尾行されていた。
私の背後数メートル離れた所に、ど素人丸出しの令嬢の気配。
次は何をされるのか、半ばうんざりしながらも放って置くが、いい加減軽く反撃しても良いのかもしれない。
校舎を出て特別教室までの移動。途中中庭の噴水に差し掛かったところだった。
急にこちらに走り寄る人の気配、隠す気も無い雑な足音に息遣い……ああ、やっとか。
噴水の前で立ち止まり、光に煌めく水飛沫を眺める振りをする。背中に衝撃が走る直前、私は何かを思い立ったように身体の向きを変え、特別教室まで走った。凡そ貴族令嬢とは思えない速度で。
その時間、クラスメイトの一人の令嬢が授業に現れなかった。今日は少し肌寒い日だが、それを狙ったのだろうから仕方ない。
その翌日から嫌がらせの頻度は大幅に減った。
このまま諦めてくれたら良いのだが。
ある日の休日、私は実家が経営する王都の商会を訪れていた。
商会を通し特別オーダーをしていたモノが届いたのだ。
細長い箱から取り出し、形状、握りやすさ、重さなどを確かめていく。
「うん、完璧。ありがとう、気に入ったわ」
私だけのエモノを受け取り、せっかくなので近くの店を見て回った。
王都は最新のモノが溢れている。特に流行り物が好きという訳ではないが、知識として最低限は抑えておくことにしていた。
ふと通りがかった書店の入り口にクラスメイトを見つけた。
ノーマランド伯爵家三男のロドニー様だ。
別に親しいわけでは無いから、一瞥して通り過ぎようとしたのだが。
「あれ、ゼンダナー嬢!お買い物ですか?」
何故か話し掛けられた。
普段彼とはクラスメイトとして挨拶や、授業で必要に応じて話すくらいなのに。
「ええ。近くに家の商会があるものですから、少し寄っておりましたの」
「そうですか」
人懐こい笑みを浮かべている彼は、ありふれた茶色の髪に茶色の瞳、これといった特徴の無い普通の生徒だ。
性格は真面目だけど固すぎず、成績も運動能力も可もなく不可もなく、ひと言で言うなら人畜無害が服を着て歩いているような存在。
「あの、もしお時間があればなのですが…少しお茶に付き合って頂けませんか?」
「は?」
ろくにプライベートで話したことのない相手からの急な誘いに戸惑い、思わずぞんざいな返事を返す。
「いえね、王都で今注目のカフェに入りたいのですが、男一人で入る勇気が無くて。もしお急ぎで無ければ、助けて頂けないでしょうか」
ロドニー様は情けなく眉を垂れさせながら、書店の向かいの店を指さす。
なるほど。書店の入り口に突っ立っていた理由はこれか。それにしても、知り合いが誰も通りがからなかったらどうするつもりだったんだろう。
まあ、私には関係ないが。
「分かりました」
時間はあるし、社会勉強にも良いだろう。何せ、誰かにカフェに誘われるなんて初めてだ。同年代がどういったものを好むのか知ることも良いのかもしれない。
「えっ、本当にいいんですかっ!?やった、ありがとうございます。では早速お店に入りましょう!」
ロドニー様はスッと手を差し出し、その意を汲んで私も手を重ねた。
店内は明るく、若者が好みそうな内装で活気に溢れていた。
カフェが初めての私は、ロドニー様に勧められるがまま季節限定のケーキと、本日のハーブティーを頼んだ。
「ゼンダナー嬢はよくカフェなどに来られますか?」
「いいえ。初めてですわ」
「えっ、そうなんですね〜。ちなみにケーキはお好きですか?」
「ええ、まあ。特に好き嫌いも何もありませんの」
「へぇ。私はケーキや焼き菓子が好きで、つい新作か出ると食べてみたくなっちゃいまして……」
ロドニー様は終始穏やかな笑顔を浮かべ話し続けていた。当たり障りの無い話しの内容、あまり会話に乗り気で無い私のための気遣い……いや、気遣いではない違和感。
そう、彼は私に集中しているようで集中していない。顔も目もこちらに向いているように見えるのに、心ここにあらずのような。
前世の経験からして、彼の目的は話題のカフェの新作じゃない、何か別の……任務?
いや、これ以上の詮索はよそう。
今世の私に今のところ必要のない情報だ。下手に首を突っ込んで虎の尾を踏むわけにはいかない。
結局1時間半ほどをカフェで過ごし、王都の繁華街と学園を往復する馬車のところまで送ってもらい、そこで別れた。
ロドニー様はこれから修理に出していた品の受け取りがあるらしい。カフェはその時間潰しも兼ねていたそうだ。
途中で気付いたとはいえ、某らの任務の装備品として扱われたことは元暗殺者としては煮え切らない思いがしたが、今日限りのことと割り切った。
それなのに、その後学園では二言三言とロドニー様と言葉を交わすことが増え、気付いたらアイリス嬢、ロドニー様と名前で呼び合うようになっていた。諜報員は自然に懐に入り込むのがうまい。
しばらくして、授業の一環で王宮の敷地内にある迎賓館で高位貴族女性のお茶会の体験学習があった。
既に学園を卒業した公爵家の御令嬢が主催者として女子生徒を招待し、模擬のお茶会を開催してくれるのだ。
模擬とはいえ、正式なマナーを学ぶ場として今日は制服ではなくお茶会用のドレスにアクセサリーを装着する。
手には昨日王都で受け取った特注の扇を握りしめ、迎賓館へ向かった。
クラスメイトは皆浮き足立ち、華やかな装いをしているが、今流行りのドレスラインは正直動きにくくて私は遠慮した。
脚に纏わりつく多すぎるフリルや、細い道で挟まって動けなくなりそうな広がったパニエなど論外、暗殺者にとっては命に係るようなものは今世でも好きになれなかった。
さて、お茶会の場に到着すると主催者役として、アガパンサス公爵家のルナマリア様が迎えて下さった。
ルナマリア様と言えば、恐れ多くも王太子殿下の婚約者だ。大変優秀で既に王太子妃教育を早々に終えられ、外交に関わる御公務にも携われ十分な成果も出されているという……。
「皆様御機嫌よう。そんなに緊張なさらないで。本日は私しか予定が空いておりませんでしたのでね」
この茶会の主催者となれるような侯爵位以上の御令嬢は他にも数人いるが、最高位の方が来てしまい皆感激と万一粗相をしたらとの悲壮感という相反する感情で半ばパニックのようだ。
「んんっ」
教師の咳払いで皆我に返り、慌てて精一杯綺麗に見えるカーテシーを行なった。
「では早速、皆様お席にお着きになって」
ルナマリア様のご指示に従いグループに分かれ其々円卓に着席すると、皆少し落ち着きを取り戻し周りを見回していく。
すると息をのみ、小声でキャッと黄色い声が上がる。
本日ルナマリア様の護衛に付いている近衛騎士が、ノーマランド伯爵家の次男グロリアス様だと気付いたからだろう。
最年少で近衛騎士団に入団し、剣の腕はさることながら一番の話題はその国宝級ともいえる美貌だった。
磨き上げた銅のように光に輝く赤褐色の髪、透明感のある薄茶の瞳を持つ甘いマスク。体躯にも恵まれ、乙女の夢が詰まった御人とは、隣に座った令嬢が夢見る瞳で語った言葉だ。
近衛騎士グロリアス、確かに御令嬢ばかりの模擬茶会で一見和やかな雰囲気にマッチしているようだが、彼は一瞬たりとも警戒を怠っていない。
なるほど。もしターゲットの護衛に付かれると厄介な相手だなと、つい前世の仕事モードに入る。
今世の私でどこまでやり合えるか……。
「っ!?」
しまった、殺気に気付かれたか。
目が合った瞬間のグロリアス様の視線は鋭く今にも斬りかかられそうだったが、相手が私と分かった途端殺気が霧散し僅かに……笑った?
「きゃあ♡」
「まあ、グロリアス様♡」
私の周囲の令嬢が一気に沸き立ち、私の焦りも周囲の熱気に誤魔化されたはず。
「あらあら、皆さん。本日の主題は近衛騎士ではなくてよ」
ルナマリア様が苦笑し、騒いでいた令嬢達は恥じ入って俯いた。
「では、先生と共に私が各テーブルを回りますから、マナーの確認をして参りましょうね」
優雅な仕草で一つ目のテーブルへ移動し、茶器や茶葉の知識やその賛美の仕方等、皆にご教授下さった。
そして私のテーブルでお話を重ねていく際、隣の令嬢が興奮と緊張で大きくテーブルを揺らしてしまった。
ちょうど本日の茶葉の産地等の話が終わったところで、テーブルの端に置かれたカップが傾き、ルナマリア様の方へ向かった。
私は咄嗟に扇を開いてカップを支え、僅かに溢れた紅茶の一滴もルナマリア様に掛からないよう防いだ。
「あら、あなたはゼンダナー伯爵家のアイリス様。お気遣い感謝しますわ」
ルナマリア様は何事も無かったように優然と言葉を掛け、また次のテーブルへ移動された。
「お見事でした」
ルナマリア様に続くグロリアス様が、去り際にそっと私に耳打ちしていく。
「っ!?」
初対面のはずなのに、グロリアス様に感じた違和感……。
まあその追求よりも、刺されそうなほどに背中に感じる視線が痛い。
近衛騎士グロリアス、余計なことを。
その後茶会は恙無く終了しルナマリア様の見守る中、教師より講評が行われた後は皆車止めに向かい各家の迎えの馬車に乗り込んでいく。
「アイリス様」
私も他に倣って移動しようとしたところルナマリア様に呼び止められ、足を止め向き合おうとするがルナマリア様が私の横をお歩きになった。
「次がつかえていて、慌ただしくてごめんなさいね」
ルナマリア様と話しながら歩く私に、皆視線を逸らしつつも意識が集中している。
「貴女、私の侍女になるつもりはないかしら?」
王太子妃付きの侍女、それは一般的な貴族令嬢にとっては垂涎のポジションだ。
しかし私にとっては……無礼なことは重々承知の上だが、すぐに返答出来ない。
「一度考えてみて下さらない?私、貴女の事が気に入ったわ」
曖昧な笑みを浮かべながら口を開きかけた時、馬車を待っていた令嬢達からざわめきが起こった。
視線を向けた先には、どの家のものとも分からぬ不審な馬車が停まっている。
グロリアス様はルナマリア様を背に庇い剣に手をかけながら、既に令嬢を乗せた馬車には速やかに立ち去るよう馭者へ視線で指示を出した。
走り出した馬車の音を合図にしてか、不審な馬車の扉が開き中から手に小振りの剣を持った黒ずくめの男達が飛び出してきて、その場に残る令嬢達の悲鳴でパニックになった。
門の方から数名の衛兵がこちらに走ってくるのが見えたが、安心には程遠い。
ともかくこの場での最優先はルナマリア様だ。
「皆様っ!先生の方へ!!」
私は声を張り上げ、比較的建物内に近く賊から少し距離のあった教師の方へ皆を促した。
グロリアス様はルナマリア様を庇いながら、建物の中へと誘導していた。
「逃がすかっ!クソっ、どけっ!!」
賊がルナマリア様の方へ駆け出すが、ドレスでもたつく令嬢達のせいで思うように動けない。
私は咄嗟に賊に押されて倒れ込む令嬢の元へ走り、抱きおこしやすいように回転した勢いを利用して、賊の顔面に扇子を打ち付けた。
普通の扇子なら大したダメージにならない上に扇子が折れ逆上した賊に斬り殺されるが、これは私が設計した特注品だ。
「ぅ゙がっ……」
単なる扇子と侮った賊はまともに受け、おそらく軽い脳震盪を起こして倒れ込んだ。
「さすが、名高い職人の業ですこと。軽さと威力を兼ね備えた素敵な鉄扇ですわ」
満足気に微笑むこと1秒。態勢を崩した振りをして賊の落とした剣を拾い、迫りくる賊目掛けて投げつけた。
それに怯んだ賊の手元へ、髪から外した頑丈な飾りピンを投げ剣を手放させる。
そうしている内に衛兵の他にも騎士たちが到着し始め、何とか賊一味は捕らえられた。
ただ急襲にショックを受けた御令嬢達が恐慌状態であったが。
「怪我はないかっ!?」
慌てた様子のグロリアス様が、地面に伏したままの私の所へやってきた。
「ええ、大丈夫ですわ」
むしろ動き足りないほどなのだが、不自然にならない様に差し出された手を掴んで立ち上がり、ドレスの裾を正した。
それにしても極力飾りを無くしたドレスでもやはり動きにくい。
いっそ深めのスリットでも入れるかそれとも……と、デザインの改良点を考える。
「君は何て無茶をするんだっ!いくら君の運動神経がずば抜けているとはいえ、相手や状況をもっとよく考えろっ。そんなんじゃ、いくら命があっても足りないぞっ!!」
すごい剣幕で叱られたが、初対面のはずのグロリアス様が何故私のことを知っていて……?
思わず不思議そうに見つめ返すと、グロリアス様がほんの一瞬しまったという顔をし、その瞳の奥が揺れた。
「ロドニー様……?」
「っ!?」
思わず口をついた私の言葉にグロリアス様は顔を背け、応援に来ていた女騎士や侍女を呼んだ。
「とにかく、彼女の手当てを。他の御令嬢も必要に応じて医師に診せた上で、きちんと各御屋敷まで送り届けるように。私は騎士団に報告に行ってくるっ」
そう早口で言い置いて、グロリアス様は去っていった。
その後予定よりかなり帰宅が遅い私を両親を始め屋敷の皆が心配していたが、簡潔に事情を記した王宮からの手紙を見て母はその場で卒倒した。
この一件により学園は一週間ほど休園になり、私を始め関係者は事態把握のため各家に騎士が訪れ話を聴かれた。
その後事件に巻き込まれた令嬢のうち数名はショックで暫く休学することになったが、他は少しずつ登校し始めた。
私もショックを受けた振りをして最後の方に登校した。
色々有耶無耶になって私のことなど忘れてくれていたら良いと思っていたが、休んでいるうちに何故か私がグロリアス様へ色目を使ったことになっており勝手に更なるヘイトが集まっていた。
もういっそ私も休学しようかとも思ったが、何となく最後にロドニー様に会っておきたいような、会わない方が良いような不思議な思いに今一休学へ踏み切れないでいた。
そんなある日の放課後、人気のない廊下を歩いているとまたしてもどこかの令嬢に跡をつけられていた。
何となくまた押されるんだろうと予想しながら、大階段を降りようと最上段から一歩踏み出そうとした瞬間、私の背中に気配が重なった。
ここかと理解したタイミングで身体を翻したついでに令嬢の片腕を掴み、遠心力で令嬢身体を振り回し束の間の浮遊感を味わわせる。
「えっ?」
「フフッ、空中散歩はお好き?」
令嬢の顔は驚愕から恐怖に歪む。
その表情に満足した後、令嬢の身体を元のフロアに戻すが彼女はうまく着地出来ず膝から崩れ落ちた。
「あ…あ……、ううっ……」
私を落とす予定で落ちかけた御令嬢は、あまりの恐怖に震えて言葉が出ないようだった。
「まったく、無茶ばかりして」
気付いたら、すぐ近くまでロドニー様が来ていた。
「自分が何をしようとしたのか、身をもって知って頂いただけですわ。次は手を掴むようなことは致しませんのでね、再挑戦なさるのでしたらご自由に。で、理由は何ですの?」
放心状態だった令嬢が徐々に正気を取り戻し激昂する。
「なっ、何なのよっ、本当に気に入らない。大体ねぇ、グロリアス様に色目を使って弟のロドニー様にまで手を出して、端ないったら有りゃしない。節操なしもいい加減になさいっ」
「手を出す……?」
衝撃的な言葉だった。その出す手は男女のあれこれか、それとも殺し合いのあれこれか?私が出すなら後者だが断じてまだ出していない。
「あ〜、そろそろ人が集まってきたな。さぁアイリス嬢、お怪我はありませんでしたか?ちょっと
場所を移しますね」
ロドニー様は喚く令嬢を捨て置いて、いきなり私を抱えて歩き始めた。
「私は大丈夫ですから、降ろして下さいませ」
お姫様だっこという姿勢が何とも居心地悪く身じろぎするが、鍛え上げられた胸と腕は微動だにしない。
やはり正面から掛かって彼に勝つのは難しそうだ。闇夜に紛れての不意打ちならいけるかと可能性を思案する。
「アイリス嬢、何か不穏なこと考えてない?」
すぐ傍から声が落ちてきてハッとなる。
「殺気ダダ漏れなんだけど」
ロドニー様は苦笑する。
「先日のお茶会でも、俺に一瞬殺気を向けたよね。そんなに俺のこと嫌い?」
「いえ、決してそういう訳では」
別に嫌いでもないし殺したい訳でもない。それよりも、先日のお茶会でということはやはり彼こそがグロリアスなのだと肯定したことになる。
「色々聞きたいことがある感じだね。俺もちょうど君に伝えたいことがあるから、ちょっと付き合って」
そう言って周囲に人がいないことを確認した彼は、スッと近くの空き教室に入った。
「本当は正式に君の御屋敷に伺って話そうと思ってたんだけど、形式に拘って機を逃すのは良くないと思ってさ。こんな場所でごめんね」
別に彼のせいでは無いのに何を謝るのかと思いつつも、そんなことより。
「あの、そろそろ降ろして下さいませんこと?」
いい加減お姫様だっこから解放して欲しいのだが、何故か笑顔のまま動こうとしない。
「じゃ交換条件ね」
「は?」
思わず低い声が出た。
「うん、それそれ」
何に納得したのかよく分からない。
「よそよそしい令嬢言葉は止めて、被ってる猫もあっちへやって本当の君の言葉で喋ってよ。ほら俺もそうしてるし、その方が今からの話も分かりやすいしね」
「……」
なるほど、色々お見通しなのか?諜報員の目や勘は侮れない。
「いい加減降ろして」
「はいどうぞ」
キツい言い方なのに、むしろ上機嫌で近くの椅子に降ろしてくれた。
そして椅子一つ分空けた隣の椅子に、彼も腰掛けた。
「まずはレディファーストで、君からどうぞ」
こちらを見詰める彼の瞳はいたずらっ子のように輝いているが、その奥に潜むだろう真意は読めなかった。
しかしここまで来たら聞いてしまわないことにはどうにもならなそうだ。
「ロドニー様とグロリアス様、どちらが本当の姿なの?」
「えっ?ああ、それは今の俺ロドニーが素の姿だよ……っていうか、よく気付いたよね。髪や目の色はもちろん、身長すら見え方を変えていたのに」
「瞳の感じが一緒だったから」
私の言葉にロドニー様は照れたようにはにかんだ。
「それは自惚れてもいいのかな」
「?…それより、ロドニー様の話とは?」
「えっ、もう何も聞かないの?」
どうせ聞いても本質は躱されるか、聞かない方が良かったと思うだろうから私としては十分なので笑顔で軽く首を傾げるに留めた。
「やっぱり君しかいないや」
そう言ってロドニー様は立ち上がり、私の前に跪いた。
「どうか俺と結婚して下さい!」
「は?」
私は一瞬何を言われたか分からず固まった。
差し出された手を見ながらしばらくポカンとしてしまった。
「何故……?」
ようやく絞り出した言葉に削ぐわず、ロドニー様は満面の笑みを浮かべている。
「君こそ俺の理想を体現しているからだよ」
「理想?」
「ああ、俺の結婚相手に求める条件はただ一つ。殺されそうになっても死なないこと!」
「!?」
何て物騒な条件。普通の貴族令嬢ではまず成し得ない。
私が引いている間もロドニー様は話し続ける。
「君ってば、何度狙われても華麗に躱すか逆に返り討ちにするだろ。咄嗟の判断や反射神経も素晴らしいし、鉄扇や髪飾りの仕込みなんて思わず震えたよ。しかも鍛えているのにゴツくなくて美人とか、もう最高なんだけど。もし君を逃したら、俺は一生結婚出来ないと思う」
あまりプロポーズで言うセリフでは無いと思う。それにしても……。
「いつから私のことを?」
「ん?ああ、中庭で君を噴水に落とそうとした令嬢を躱した時だよ。それだけなら偶然かと思ったけど、その後の走り方がね。令嬢どころか訓練された者のそれだったから気になってね」
ああ、あれを見られていたのか。迂闊だった。
「ちなみにさ、今婚約者はいないと聞いているけど卒業後はどうするつもりだったの?」
「父にお願いして、商会で働こうかと考えていて」
「商売に興味が?」
「いえ、護衛として」
ロドニー様は一瞬ポカンとした後、盛大に笑った。そんなに面白かったかしら?
「ごめん、予想外過ぎてつい。じゃあさ、俺から護衛を依頼したい人がいるんだけど」
「誰かしら?」
「俺の子供」
「は?ロドニー様は既にお子が?それなのに私に結婚を申し込んだと?」
そんな人だと思わなかったショックと、軽んじられた怒りで思わず低い声を出す。
「違う違う、俺と君の子供だよ!何となく気付いてると思うんだけど、俺の環境って特殊だから色々狙われやすくてさ。日々命懸けなんだよ。だから正直家族を持つなんて諦めてたけど、君っていう希望を見つけちゃったから」
話が将来の子供の話まで飛んで正直面食らった。別に護衛の仕事は良い。ただ結婚という選択肢が無かった私は戸惑うばかりだ。
「本当はね、俺がなんでグロリアスとの二重生活を送っているのか、俺の家の事情とか全部話した上で結婚を申し込むのが筋だと分かってるんだ。でも君が全て知った上で結婚を拒否したら……」
普段より饒舌なロドニー様が言いにくそうに言葉を濁す。
「したら?」
「君を始末しないといけなくなる」
ボソリと呟かれた言葉は予想の範囲内で納得する。他の相手なら、やれるものならと返しただろう。
「結婚か死か、究極の選択ね」
「うん。我ながら最低だと思うよ」
言いながら、ロドニー様は元いた椅子に座った。
「ふふっ、ロドニー様の言い分は分かったわ。では、ロドニー様と結婚すると仮定して私のメリットは?」
依頼に対しての対価は必要だろう。
「そうだな、俺は嫡男じゃないから一般的な貴族夫人の仕事はしなくて良いし、社交もほとんどしなくて良い。例外的に夫婦での参加が義務付けられているものはして欲しいけど。とりあえず結婚っていう形でご両親を安心させた上で護衛の仕事が出来るよ」
う〜ん。護衛対象は私が産まないといけないわけで……。
「弱いわね。両親を安心させる以外は、商会の護衛で十分な気がする」
「そっかぁ、君のことだから着飾って贅沢してどうこうの興味は無いよねぇ」
私は無言で頷いた。
「じゃあ、特殊武器のオーダー及び所持の許可が取りやすくなるってのはどう?」
「!?」
ロドニー様は片眉を上げてニヤリと笑う。
「悪くないですね。ちなみに、所持に関して何処までいけるのかしら?例えば王宮の夜会とか」
「わぁ〜、絶対無理なところを突いてくるね」
「あら、でも身を守るためには場所を選んでいられないし、ナイフホルスターをドレスの下に着けるくらいでしたらバレないわ」
「君、既に何人かヤッてないよね」
じと目で見てくるロドニー様に、にっこりと笑顔を返し反応を見る。
もしここで騎士グロリアスの責務を持ち出して事情聴取に入るなら、この話はここで終わりだ。
「まあ確かに、王宮で無防備でいるのは死なないでっていう条件と矛盾するしな〜。必ず事前に俺に身に着ける種類と数を報告してくれたら何とか」
「あら意外。じゃあ、もし私がそのナイフで王族に斬り掛かったら?」
私は不敵な笑みを浮かべ挑発する。
「もちろん俺が取り押さえるつもりだけど、君は身を守るために武器を使っても、自分から襲うような人じゃないだろ」
確かに今世はそうだけど、私は愁いを帯びた風体で瞳を伏せ呟く。
「そう。愛する妻を信じて一緒に逃げてはくれないのね」
「あっ、えっ、えっと……そうか、でも君が自ら攻撃に転じるということはそこに至る迄に何かがあったということで……ん?ちょっと待って。今『妻』って?ということは」
ロドニー様の瞳が輝く。
「喜ぶのはまだ早いわ。私の結婚の条件も満たしてもらわないと」
「うん、何々?教えて」
ロドニー様は嬉しそうに首を伸ばし身を乗り出してきたその瞬間、私はその首元目掛けて斜め下から手を振り上げた。手の平側には薄く小さな剃刀を仕込んでいる。
「おっと。それより言葉で伝えてよ」
ロドニー様はいとも容易く私の手を捕らえ、仕込まれた剃刀もそっと優しく取り上げた。
「合格よ」
「え?」
「条件は、私が殺せないこと。まあ元より貴方に勝てるなんて思って無かったけど、そこまで平然とされると流石に」
悔しさを滲ませる私にロドニー様は苦笑する。その余裕がまたムカつく。
「可愛い。そんな表情もするんだ。もっと色んな君が見たいな」
可愛いなんて、前世を思い出して以来言われたことなんてなくて思わず動揺してしまった。
「俺はその条件を満たし続けることを誓うよ。二つの意味でね」
「?」
「一つはもちろん、ずっと君より強くいること。あと一つは、殺せなくなる程君が俺を愛してくれるように頑張る」
そう言って捕らえたままの手にキスをした。
「なっ!?一つ目だけで十分よっ」
私は真っ赤になって反論するが、それも満面の笑みで躱された。
後日正式にノーマランド伯爵家から婚約の申し込みがゼンダナー伯爵家に届き、私とロドニー様の婚約が結ばれることになった。
◆◇◆◇◆
「これにて、両家の婚約は締結した」
ノーマランド伯爵の言葉に、ゼンダナー伯爵が頷き硬い握手を交わす。
今日は待ち焦がれた我が家での婚約式。
これで俺も婚約者持ちの仲間入りだ。
思わず正面に立つアイリス嬢に向かって満面の笑みを向けるが、怪訝そうな顔を返される。
俺の婚約者は可愛いな。本人に伝えたらきっと目が悪いと言われるだろうけど。
ちなみに俺の視力は健康な人の倍以上ある。
だから一見鋭く見えるアイリス嬢の瞳も、別に睨みつけている訳では無く瞳は雄弁に語っていることを知っている。
この後はアイリス嬢と二人で過ごせるよう父には話をつけている。
今日はアイリス嬢に我が家の話をしなければならないからだ。もちろん、アイリス嬢の家族には秘密のままで。外戚なら知らない方が下手に巻き込まれなくて済む。
互いの両親といくつか言葉を交わした後、俺はアイリス嬢を我が家の庭園に連れ出した。
正式に婚約者になったことで、いつだってエスコート出来る。
俺はアイリス嬢の手を取って四阿のある庭園の中ほどまで案内する。
あと少しのところで空を切る音に反応し、アイリス嬢は持っていた鉄扇でそれらを叩き落とした挙句その身に隠していたナイフを構えた。
「なんのつもり?」
花壇の植え込みから2名の刺客が飛び出し攻撃を仕掛けるが、アイリス嬢は大きな布で相手の目を晦まし迎撃態勢に……って、大きな布なんて何処からと驚いて目をやると、下半身に纏っていたドレスを脱ぎ捨て脚にピタリとフィットするトラウザーズを履き、その上に申し訳程度の薄さの綺麗な布をスカート風に巻き付けたようなアイリス嬢が立っていた。
その鮮烈な姿に俺の身体は勝手に動いた。
「キャアッ、ちょっと何?」
俺は慌て布を拾ってアイリス嬢の腰に巻いた。
「いやいや、こんな外で美脚を無防備に晒さないで!」
つい独占欲丸出しの言葉が口をついて出た。
「はあ!?それよりも目の前の二人よ」
刺客役の二人の足元の地面には、いつの間にかアイリス嬢のナイフがわざと外して刺さっていた。
「ん?その靴どうなってんの?」
藻掻くアイリス嬢の足先には刃物が突き出ていた。接近戦でトドメを刺す気だった?
「ああこれは、踵に2連続で軽く衝撃を与えると飛び出すようになってるの」
「平然と話すけど、物騒だね」
「何を今更。そんなこと気にしてたら、それこそいくつ命があっても足りないわよ」
逆に諭された。
それにしても咄嗟にアイリス嬢を止めて良かったと、足先を見て顔を青くしている刺客役の二人を見た。力量の差は歴然だろう。
「参りました。主の言いつけとはいえ大変失礼致しました。ようこそノーマランド家へ」
二人は跪き頭を垂れた。
「私への試験ってところかしら?」
「うん、本当は試練なんだけどね。嫁いで来てくれる令嬢の力量で、どの程度の護衛や守護が必要か見極めるための。だからナイフの刃も潰して加減をしてるんだけど」
「そう。まあ、普通の御令嬢だと身体は無事でも心は折れそうね。で、私の判定は?」
アイリス嬢の言葉に刺客役の二人はビクッと肩を揺らした。
「たぶん護衛がいらないレベルなんだけど、まあ何かあった時の連絡用に人は付けさせてもらうね」
「わかったわ」
あっさりした返答をしながら、パチンパチンと布の金具(?)を嵌め手際良くドレスを元に戻していく。これも彼女が開発したのならすごい。
それからようやく四阿にアイリス嬢を案内し、準備されたお茶を勧めながら本題に入った。
「まずノーマランド家は代々王国の陰の部分というか色々大っぴらには出来ない調整を裏からやっていてね。裏社会には良くも悪くも知られた家なんだよ。だから味方もいるけど敵もめちゃくちゃいてさ」
普通の令嬢なら既に悲鳴の一つも上げそうなところなのに、彼女は取り繕う様子も無く平然としている。
「だから必ず次代を残さないといけない嫡男には婚約者が居るけど、あとは特に……ねぇ。危険を冒してまで娶らないし嫁がないみたいな、嫡男以外は家に尽くして一生を終えるだけなんだよ。俺の双子の姉も殺されちゃったしね」
「殺された?」
「うん、4歳の時にね。毒殺だった。狙われたのは俺ら二人とも。ただ姉のクローディアが先に毒の入った飲み物に口をつけたから、姉のおかげで俺は助かっただけ。4歳だとまだ毒に慣れる訓練も不完全だったから、色々間に合わなかったんだ。そこで両親は敵を欺くために今の俺が誕生したんだよ」
「というと?」
「4歳の時の俺の名はグロリアスだった。実はその時もうすぐ2歳になる、公に出していない弟がいたんだ。その弟の名を貰って俺はロドニーになった。そしてロドニーだった弟は家門の信頼のおける家に養子に出した。一度狙われた俺を囮にして血のスペアを隠したんだよ」
「まあ、ではロドニー様は私より年上なのね」
「う、うん。そうなんだけど」
思わずそこ?と拍子抜けしそうになるけど、そんな彼女だからこそ全てを話せる。
「で、成長と共に髪や瞳の色素が明るくなったことにして変装グッズで容姿を変えて、グロリアスとロドニーの二重生活が始まったんだ。グロリアスは細工した靴を履いて、ロドニーは背を少し丸めてね」
「あら、でも腕や胸に触れたら同じ鍛え上げられた筋肉だと分かってしまうわ」
「いや素人で筋肉の違いまで分かる人はいないよ」
アイリス嬢のおかげで、深刻になっている俺が何だか馬鹿らしくなってきた。
「まあそんな生活を送ってたらさ、ここまでやってんのに人並みの生活っていうの?そういう幸せは俺には無縁ってなるとすっごく虚しくなってさ。子供は無理でもせめて嫁さんが欲しいって思ったんだよ」
「なるほど?」
「でもこの状況について来れる女の子なんて存在するのかな〜なんて、ほとんど諦めてる時に君に出会ってさ。これはもう俺へのご褒美だと思ったんだ」
アイリス嬢は目を瞠った後、頬を染めて視線を逸らした。そんな照れた様子がとても可愛い。
「とまあ俺の事情はこんな感じなんだけど、君の秘密は教えてくれないの?」
「私の秘密?」
「そう、どうしてそんなに戦い慣れているのか、君は一体何者なのか……とかね」
「秘密は秘密のまま。でも気になるのなら、貴方の手練手管で暴いてみたら?」
そう挑発的に、婀娜っぽく笑った。
「いいね」
やっぱり君を選んで正解だった。
こんなに高揚する、刺激的な愛は他では得られない。これからも俺達だけの幸せを手に入れよう。
お読み頂きありがとうございました。




