表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/25

第十七話 解毒(前編)

 「古代魔導迷宮」の最下層。

 長い石階段を降りきった先に広がっていたのは、予想を裏切る光景だった。

 明るいのだ。

 遥か頭上、ドーム状になった高い天井には、巨大なオレンジ色の魔光石――「人工太陽」が埋め込まれ、昼間のような光を降り注いでいる。

 そして、その光の下には、石造りの床を埋め尽くすほどの、鬱蒼とした亜熱帯のジャングルが広がっていた。

「うわぁ……! すごいです、アビスさん! 地下なのに森があります!」

 リディア・クレセントは、目を輝かせて周囲を見回した。

 巨大なシダ植物、天井まで届く太い蔦、そして色鮮やかな(毒々しい)花々。

 かつてこの迷宮の居住者たちの食料生産と空気清浄を担っていた「環境維持プラント」。

 それが、管理者を失ったまま千年の時を経て野生化した成れの果てだ。

(……フン。懐かしいこった)

 背中のリュックサックから顔を出した魔人アビス(犬)は、鼻を鳴らした。

 この人工太陽の魔力波長、そしてこの蒸し暑い空気調整。

 すべて、かつて彼が滅ぼした古代文明の技術だ。

 文明は滅びても、システムだけが馬鹿正直に稼働し続けている。

 皮肉な光景だ。

「こっちから風が吹いてます! きっと出口ですよ!」

 リディアは、アビスの感傷などお構いなしに、巨大な葉をかき分けて進んでいく。

 その顔には煤と泥がこびりついているが、足取りは軽い。

 だが、アビスの「危険感知センサー」は、ここに入った瞬間から警告音を鳴らしっぱなしだった。

(……おい、気をつけろよ。ここはただの植物園じゃねえ)

 アビスは鼻をひくつかせた。

 甘い花の香りに混じって、微かだが、鋭い刺激臭が漂っている。

 神経毒の匂いだ。

 このエリアには、古代の品種改良によって生み出された、凶悪な「生物兵器」の末裔たちが蔓延っている。

「あ! 見てください、アビスさん! 綺麗な花!」

 懲りないリディアが、足を止めた。

 彼女の視線の先、巨大な切り株の上に、青紫色の美しい花が咲いていた。

 花弁の縁が金色に輝き、人工太陽の光を反射して妖しく煌めいている。

「あれ、図鑑で見たことあります! 『月光花』です! 滋養強壮に効く薬草ですよ!」

(……待て。違う)

 アビスの目が鋭く光る。

 鑑定眼発動。

 あれは『月光花』の擬態だ。

 正体は、『誘引魔花(トラップ・フラワー)』。

 不用意に近づいた獲物を、花粉で麻痺させて捕食する肉食植物だ。

「ワン!(近づくな! それは罠だ!)」

 アビスが吠える。

 だが、リディアの「薬草を見つけた喜び」は、アビスの警告よりも早かった。

「これがあれば、アビスさんの疲れも取れますね!」

 彼女は、アビスのためを思って(というところが余計にタチが悪い)、その花に手を伸ばした。

 その瞬間。


 シュパッ!


 花の根元の茂みから、紫色の影が飛び出した。

 植物ではない。

 花を餌場として待ち伏せしていた、別の捕食者だ。

「―――ッ!?」

 リディアが反射的に手を引っ込める。

 だが、影は速かった。

 紫色の鱗を持つ、体長一メートルほどの細長い蛇。

 「紫電蛇バイオレット・バイパー」。

 その牙には、即効性の猛毒が含まれている。


 ガブッ!


 蛇の牙が、リディアの手首を掠めた。

 浅い。

 だが、皮膚を裂き、赤い血が滲む。

「痛っ……!」

 リディアは顔をしかめたが、即座に反撃に転じた。

 彼女は、噛み付いてきた蛇の胴体を、空いているもう片方の手で鷲掴みにしたのだ。

「よくも……アビスさんにあげるお花を……!」


 バシッ!


 リディアは、蛇を鞭のように振り回し、近くの岩に叩きつけた。

 さらに、足で踏みつけ、グリグリとねじり込む。

 哀れな(バイパー)は、断末魔を上げる暇もなく、ミンチと化した。

「ふぅ。……びっくりしました」

 リディアは、手を払い、何事もなかったかのように立ち上がった。

 アビスは、リュックからその光景を見て、戦慄していた。

(……素手で毒蛇を叩き潰すなよ……。野生児か、お前は)

 だが、問題はそこではない。

 アビスの視線は、リディアの左手首に釘付けになっていた。

 白い肌に、二つの小さな牙の跡。

 そこから流れる血の色が、鮮やかな赤から、徐々にどす黒い紫色へと変色し始めている。

「ワン!(おい! 噛まれたのか!?)」

 アビスが吠える。

 リディアは、自分の手首を見て、あっけらかんと笑った。

「あ、大丈夫ですよアビスさん。ちょっと掠っただけです。これくらい、唾をつけておけば治ります!」

 彼女は、本当に傷口を舐めようとした。

(やめろ馬鹿! 毒を吸い込む気か!)

 アビスは、リディアの顔面に頭突きをして止めた。

 こいつの危機管理能力はどうなっているんだ。

 あの蛇はただの毒蛇じゃない。

 古代文明が「対人兵器」として改造した、強力な神経毒を持つ変異種だ。

 その毒性は、筋肉を弛緩させ、神経伝達を遮断し、最終的には呼吸中枢を麻痺させて死に至らしめる。

「……あれ?」

 リディアの動きが、ふらりと揺らいだ。

 彼女は、額に手を当て、瞬きを繰り返した。

「なんだか……急に、視界が……ぐるぐるして……」

(……毒が回ってきたか)

 毒の回りが早い。

 激しい運動(蛇を叩きつけた動作)で血流が良くなっていたのが仇になったようだ。

「アビス、さん……? なんだか、力が……」

 リディアの膝が折れる。

 彼女はその場に座り込み、リュックを降ろした。

 その顔色は、見る見るうちに青白くなり、唇は紫色に染まっていく。

 呼吸が、浅く、早くなる。

「はぁ……はぁ……。おかしいですね……。眠気が……」

「ワン! ワン!(寝るな! 寝たら死ぬぞ!)

 アビスは、リディアの膝に前足をかけ、必死に吠えた。

 だが、リディアの瞳の焦点は合っていない。

 強力な麻痺毒が、彼女の強靭な肉体の自由を奪い、意識を泥沼へと引きずり込んでいるのだ。


 ドサリ。


 リディアは、湿った地面に横たわった。

 完全に意識を失ったわけではない。

 うつろな目は開いているが、指一本動かせない状態だ。

 いわゆる、「金縛り」に近い。

 意識はあるが、体は動かない。

 そして、毒は確実に、彼女の心臓へと向かっている。

(……おい、呪い。どうだ? 『生命の危機』判定は?)

 アビスは、自身の体内の安全装置を確認した。

 ……反応なし。

 またか。

 また、このパターンか!

 即死性の物理ダメージや、心停止には反応するくせに、こういう「じわじわ系」の状態異常には反応が鈍い。

 今の状態は、「瀕死」ではなく「重度の麻痺」と判定されているのだ。

 放置すれば数時間後には呼吸が止まって死ぬだろうが、その「死ぬ直前」になるまで、強制変身は発動しない。

(……クソッ! 待ってられるか!)

 数時間後?

 そんなに待っていたら、毒が全身に回って、助かったとしても後遺症が残る。

 それに、ここは魔物の巣窟だ。

 動けない獲物が転がっていれば、血の匂いを嗅ぎつけた他の魔獣たちが、ワラワラと集まってくるだろう。

 その時になって「完全復活」したところで、リディアの体は既に食い荒らされているかもしれない。

(……やるしかねえ)

 アビスは、覚悟を決めた。

 幸い、前回のゴーレム戦から二十四時間以上が経過している。

 「三分解呪」のチャージは完了している。

 アビスは、リディアの顔を覗き込んだ。

 彼女の瞳は虚ろで、こちらの姿を認識できているかどうかも怪しい。

 だが、念には念を入れる。

(……見えてるか? 脳筋。……聞こえてるか?)

 返事はない。

 ただ、浅い呼吸音だけが聞こえる。

 アビスは、周囲を見渡した。

 誰もいない。

 魔物の気配はあるが、まだ距離がある。

(……今だ)

 アビスは、リディアの視界に入らない位置――彼女の顔の後ろ側へと移動した。

 そして、体内の魔力を練り上げる。

 丹田に溜まった、二十四時間分の魔力の雫。

 それを楔に変え、魂の遮断弁に打ち込む。


(……解呪(ディスペル)ッ!)


 カッ!


 薄暗い植物園の中で、黒紫色の光が瞬いた。

 四度目となる三分解呪。

 犬の姿が消え、漆黒の魔人アビスがその場に立つ。

 残り時間、三分。

 出力、百万分の一。

「……さて。とっとと治してやるか」

 アビスは、倒れているリディアの手首を掴んだ。

 傷口は黒く変色し、腫れ上がっている。

 本来のアビスであれば、最高位の治癒魔法「女神の慈悲(ヒール・オール)」を一発かければ、毒はおろか、虫歯一本まで完治させられただろう。

 だが、今の彼にそんな高度な魔法は使えない。

 魔力容量が足りなさすぎる。

 今の魔力で使える解毒魔法は、初級の「解毒(キュア・ポイズン)」程度。

 それでは、この強力な毒は中和しきれない。

「……チッ。魔法がダメなら、科学(錬金術)だ」

 アビスは、瞬時に判断を切り替えた。

 魔力が足りないなら、物理的な「薬」を作ればいい。

 幸い、ここは古代の植物園跡地。

 材料は腐るほどある。

 そして何より、毒の発生源である「紫電蛇」の死骸が、すぐそこにある。

 毒蛇の毒に対する特効薬は、その蛇の肝や毒腺から作れる血清だ。

「……時間はねえぞ。三分調理(クッキング)だ」

 アビスは動いた。

 まず、リディアが踏み潰した蛇の死骸を拾い上げる。

 グシャグシャだが、肝臓と毒袋は残っている。

 アビスは魔力で指先を鋭利なメスに変え、瞬時に解体した。

 摘出完了。所要時間、十秒。

 次に、周囲を見渡す。

 解毒作用のある薬草。

 中和剤となる鉱物。

 そして、媒体となる水。

 アビスの脳内データベースが、視界に映る全ての素材を検索し、最適なレシピを構築する。

(……『月光草』の根、『アイアン・リーフ』の汁、そしてこいつ(蛇)の肝。……いけるな)

 アビスは、目当ての草をむしり取り、近くにあった手頃な大きさの岩のくぼみに放り込んだ。

 すり鉢代わりだ。

 石で叩き潰し、ペースト状にする。

 そこに、蛇の肝を混ぜ合わせる。

 水がない?

 アビスは、近くのシダ植物の茎を切り、そこから滴る樹液を注ぎ込んだ。

 この樹液には、微弱だが魔力伝導作用がある。

「……混ぜるぞ」

 アビスは、右手に黒い魔力を纏わせた。

 ここからが、魔人の腕の見せ所だ。

 ただ混ぜるのではない。

 魔力を「触媒」とし、さらに「熱源」として利用し、素材の化学反応を強制的に加速させるのだ。

 いわば、魔力を使った高速錬金術。

「……燃えろ、『煉獄の炎(ヘル・ファイア)』(極小)」


 ボッ。


 アビスの指先に、ライターの火ほどの小さな黒炎が灯る。

 彼はその指を、岩のくぼみの中のペーストに突っ込んだ。

 普通なら焦げるだけだが、アビスは魔力操作で「熱」と「成分の融合」を完璧にコントロールする。


 ジュワワワワ……!


 不気味な音と共に、ペーストが泡立ち、変色していく。

 緑色から、紫色へ。

 そして、透明な黄金色へ。

 強烈な悪臭が漂うが、それが薬効成分が凝縮された証だ。

(……残り時間、六十秒)

 額に汗が滲む。

 百万分の一の魔力で、これほど精密な錬金術を行うのは、針の穴に糸を通しながら綱渡りをするようなものだ。

 少しでも魔力供給が乱れれば、薬は爆発するか、ただのヘドロになる。

「……凝縮しろ」

 アビスは、さらに魔力を注ぎ込んだ。

 不純物を焼き飛ばし、純粋な解毒成分だけを結晶化させる。

 水分が蒸発し、底に残ったのは、とろりとした琥珀色の液体。

「……完成だ。『特製ハイパー・アンチドート』」

 アビスは、ニヤリと笑った。

 この世界に存在するあらゆる神経毒を中和し、さらに滋養強壮効果まで付与した、魔人印の特効薬だ。

 市場に出せば、金貨千枚は下らない代物。

 それを、アビスは近くに落ちていた空き瓶(リディアが飲み干したポーションの瓶)に、指先ですくい入れた。

「……ふぅ。ギリギリだな」

 残り時間、十秒。

 アビスは、瓶を持ってリディアの元へ戻った。

 彼女はまだ、苦しげに呼吸をしている。 顔色はさらに悪くなっている。

「……飲ませてやるよ。感謝しな」

 アビスは、リディアの上半身を抱き起こし、口元に瓶を近づけた。

 だが、その時。


 パリンッ。


 無情な音が響いた。

 時間切れだ。

 楔が砕ける。


「……しまった!」


 ―――プンッ。


 視界が低くなる。

 魔人の腕が消え、黒い前足に戻る。

 支えを失ったリディアの体が、ドサリと地面に倒れる。

 アビス(犬)も、その反動で転がり、瓶を取り落としそうになった。

(……あっぶねえ!)

 アビスは、空中で必死に体を捻り、落ちてくる瓶を口でキャッチした。

 ガチンッ! 犬の牙が、ガラス瓶をしっかりとくわえ込む。

 割れなかった。

 中身もこぼれていない。

(……セーフ……)

 アビスは、地面に着地し、安堵のため息をついた(鼻息で)。

 魔力切れの倦怠感が全身を襲う。

 手足は鉛のように重い。

 だが、目の前には、毒に侵され、今にも命の灯火が消えそうなリディアがいる。

 薬はある。

 だが、手のない犬の姿で、どうやって意識のない人間に薬を飲ませるというのか。

(……やるしかねえ)

 アビスは、震える足で立ち上がった。

 瓶をくわえ直し、決死の覚悟でリディアの顔へと歩み寄った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ