すべては自己申告
さらに、追い打ちをかけるように、壇上から事務的な声が告げられた。
「川を渡り、橋を戻り、箱に紙を投入する。これを、一回と数える」
「記録は、備え付けの紙に、自分の番号を記入することで管理する。他者の番号を書いた場合、誤記した場合、いかなる理由があっても訂正は認めない」
「箱の開封は、全活動終了後、一斉に行われる」
淡々とした、感情の欠けた音。その声は説明というよりも、ただの“宣告”だった。
つまり——
自分が何回川を渡ったのか。誰がどれだけ頑張ったのか。その「本当の成績」は、最後の最後、すべてが終わるまで、誰にもわからないということだった。
途中経過はない。ランキングも、通知も、励ましの言葉も、記録を可視化するボードも、一切存在しない。
すべては自己申告。渡るたびに、用意された小さな紙に、自分の番号を書く。ただ、それだけ。
そこに失敗があっても、書き間違いがあっても、修正は許されない。
書き損じたら、そのミスのまま記録される。番号を一つ間違えたら、それはもう全く別の誰かの記録になる。わざと回数を多く書いても、誰にもバレないかもしれない。
バレない。けれど、それが許されるわけじゃない。
それでも、誰も咎めない。スタッフも、他の参加者も、指摘もしなければ、助言もしない。なぜなら、それがこの「儀式」のルールだからだ。
けれど——最後に、箱が開けられたとき。
その中に入っていた、無数の小さな紙だけが、すべての真実を語る。
ズルをしても、間違っても、記録が少なくても、多くても、その責任はすべて、自分自身に返ってくる。
評価の目は存在しない。でも、結果は残る。
それが、恐ろしかった。
ぼくは、無意識に胸に手をやった。
水着越しに、滲むように浮かぶ「314」の感触を探る。柔らかい布の上に刷られた、無機質な数字。その存在が、まるで皮膚のすぐ下にまで染み込んでいくような、奇妙な錯覚があった。
番号は名前じゃない。ただの記号だ。でも今は、これが自分を表す、唯一のしるしだった。
ぼくは、ゆっくりと視線を上げた。
整列したままの参加者たちの中に、自分と同じように唇を噛み、下を向いている者がいるのを、横目に見た。
──もう、ここには、逃げ道なんてないんだ。