別の世界
扉を、冷たい指でゆっくりと押し開けた瞬間——
ふわりと、まるで温かい毛布に包まれるような、柔らかな空気が流れ込んできた。
あたたかい。
そこは、まるで別の世界だった。
白い光が、天井から優しく降り注いでいる。
壁沿いにはカフェ。向かいには、ビュッフェ式の軽食台。どれも美味しそうだった。
奥には大きなソファー。沈み込むようなクッション。
さらにその奥には、シャワールームの入り口。
扉の隙間から、やわらかい水蒸気の気配が漂っていた。
ここは——まぎれもなく、天国だった。
川の冷たさ。橋の揺れ。湿った記録用紙の感触。
それらすべてが、まるで遠い夢の中の出来事のように、溶けていった。
けれど、そこで僕は、ほんの小さな違和感を覚えた。
誰が、この場所を整えているのだろう?
「スタッフ」の姿は、どこにも見当たらなかった。
それでも、部屋は完璧に整っている。補充された料理。畳まれた毛布。温度も匂いも、常に心地よい。
そのとき、背後から誰かが通り過ぎた。
手にスープを持ち、静かに歩いていく、その背中——
そこに、大きな番号。
水泳帽。濡れた肩。黒い水着。
──僕と、同じ姿。
ぞくり、とした。
もしかして——
この空間にいる「スタッフ」も、僕らとまったく同じ姿をしているのではないか。
いや、彼らは本当に、「ただ休んでいるだけの参加者」なのだろうか。
静かすぎる空間に、足音だけが残った。
そして、僕は、静かに思った。
全員が、同じ黒い水着を着て。
同じように感情を押し殺し。
無表情のまま、ぬるま湯のような静寂に埋もれている。
この空間は——
まるで、人間ではない、何か別の、名前のない生き物たちの、静かな収容所のようだった。
それでも、彼らは、確かに生きている。
冷たい雨の降る過酷な世界から逃れ、ここにただ、静かに、息を潜めるように存在していた。




