08
空中にふたりの影。
人間の姿に似た、小さな身体には羽のようなものをついている。
「――え、何? ………この生き物?」
私の視線に気付いたのか、声に反応したのか、ゆっくりとふたつの影が振り返る。そして、目線が重なった。
『わたしたちのこと視えている?』
私がこくりと頷くと、小さな男の子と女の子が顔を合わせる。
すごく驚いているように見えた。
『わたしたち妖精のことが視える人間に会うの何年ぶりかしら』
『じゅうねん?』
『もっといているわよ。わたしたちと人間とは時間の流れがちがうわ』
話し合うふたりの妖精を眺める。
小さな人間の姿をした生物が、羽を羽ばたかせて飛んでいるのだからなんとも言えない不思議な感じがする。
『あなたのこと教えなさい』
「――え」
急に話を振られて、何のことか理解ができなかった。
『なまえよ、あなたのなまえ』
「ステラ・カメロンです」
『わたしはスーよ』
『ぼくはね、フゥー』
「ふたりは兄妹?」
『わたしたち、人間のようなつながりはないわ』
「そんなですね」
名前が似ているから兄妹かと思ったけど、違ったみたい。ほら、似たような名前の兄妹っているじゃない?
これが、スーとフゥーとの出逢い。
妖精はいつも、神出鬼没に現れ驚かされる日々。
そんなある日、私が寝ていると複数の声がうっすらと聞こえ、雑音のようにうるさい。
そして、複数の視線も感じる。
もう、何なのよ! 勢いよく目を開けると、たくさんの顔、顔、顔、顔……。
「きゃぁぁぁぁぁああああ……―――なに? 何? なに? 何なの?! 何なのよ!?」
『ほんとにぼくたちのこと視えているよ』
『視えるね』
私の悲鳴に駆けつけたのか、ドアの向こうから足音が聞こえて、ドア越しから聞こえる私を呼ぶ心配そうな声。
「ステラ嬢、何があった」
「だいじょうよ、……―――大丈夫です。ちょっと驚いただけです」
目を開けたら顔がたくさんあって、心臓が飛びれるくらいに驚いた。今も心臓がバクバクと音を鳴らしている。心臓に悪すぎる。
『すげー驚いてんの』
お腹を抑えて転がるように笑う男の子の姿の妖精。
「羽もぎるわよ」
『こわ』
『悲鳴が聞こえたから、びっくりしちゃったわ』
私を心配して、壁をすり抜けてアシュリお義母様も来てくれた。
「アシュリお義母様も心配かけました」
『私はいいなのよ、早くドア開けて安心させてあげて。リュカたら、そわそわしているのよ』
「解りました」
ドアの向こうで私の様子を心配している、リュカ殿下たちの前にドアを開けて姿を現す。
「何があった?」
「妖精が――」
『ぼくらのこと、他の人間には視えてなーいよー』
「妖精がどうかしたのか?」
「え」
「ん?」
「信じてくれるですか?」
「君は、そんなくだらない嘘吐くような女性ではない事は知っている」
『視えないのに信じてくれるだな』
人間は見えないものは信じようとはしない。嘘つき呼ばわりをされるだけだった。
リュカ殿下の、その言葉で救われた。
「妖精の声で目を覚したら、たくさんの顔があって、それで驚いてしまいました………」
「それは、怖いな」
本当に怖かった。
目を開けたら、覗くようにたくさんの顔が浮かんでいた。
――それも、薄明かりで、怖さを増加させていた。現れるにしても、もう少し時間と場所を考えて欲しい。
「夜明けにごめんなさい」
「いや、元々起きていたから、謝る必要はない」
たぶん、それは嘘だろうなと、直ぐに気づいた。
リュカ殿下の髪には寝癖がついている。
ぴーよん、と一部だけ存在感を伝えるように跳ねている。
「なぜ、笑う」
「殿下の優しさが嬉しくて」
「………今も、その、妖精はいるのか?」
「ええ、今、殿下の目の前を飛んでいます」
ほんの数過ごして思ったことがある。
妖精は気まぐれ。数日一緒にいる事もあれば、何日も居ないこともある。そして、甘いものが好きで、いたずらも好き。
『へー、男前じゃねぇか』
リュカ殿下の目の前をうろちょろする、少し口の悪い男の子。
「当然じゃない。見る目があるのね」
リュカ殿下には声が聞こえていない様子で不思議にしている。
「何を言ったんだ?」
「秘密です」
「それは残念」
いざ聞かれると恥ずかして言えたもんでは無い。
『ふん、そいつの火傷の痕、治せるぜ』
「それ、ほんと!!?」
目の前で飛んでいた口の悪い男の子の姿の妖精を両手で掴む。
『バカ、………怪力女、―――潰すきかよ』
「あ、………ごめんなさい」
思わず鷲掴みをしてしまったけど、うん、大丈夫そう………。潰れてはいないわね。
「どうした?」
「ふんん、何でもないの、ちょっとすごいことを聞いて――、今は言えないですけど」
「そうか、………ゆっくり休むように」
「リュカ殿下も」
深くは聞いてこないで安心する。上手く誤魔化せる気はしないから。
もし、リュカ殿下の火傷の痕が治すことができるなら、とっても良いこと。
妖精は気まぐれだ。簡単に教えてくれるとは限らない。それに――。
リュカ殿下は、私にたくさんの幸せをくれた。もし、火傷の痕が無くなったら恩返しになる。与えられた恩は、必ず返すのが私のモットーだもの、そうよ。
何としてでも口の悪い、この妖精に聞かなくちゃ! と、意気込んでいたけど、簡単に教えてくれて呆気に取られた。
薬草はなんとかなったとしても、妖精の鱗粉なんて、………くれるかしら?
『鱗粉くらい頼んだらくれるじゃねえ?』
もう、他人事みたいに言わないで……目の前に飛んでいるじゃない!
「あなたがくれる?」
『別にいいぜ』
「ほんとに?」
『甘いお菓子と引き換えにな!』
「良いわ、乗った」
口の悪い妖精の男の子と裏取引をしている、その真最中に――。
✳︎ ✳︎
「ステラ嬢は、妖精の愛し子だ」
妖精の姿を見ることができ、妖精に愛される存在であり、妖精の力も借りることができる。
我が国では何百年も現れていない。もし、ステラ嬢が妖精の愛し子と知られでもしたら――。
どんな事をしてでも彼女を手の内に落とすために躍起になる。
「隠し通すしか無い」
「存じております」
「特に気をつけるべき相手は、王妃だ」
「存じております」
証拠は無いが、俺の母上を死に追いやったのは紛れもなく現王妃。
葬儀のとき、チュールの下から見えたあの女の口元、うっすらと吊り上げ笑った、あの女の姿を、今も脳裏に焼き付いている。声こそ出ていなかったもの、あの女の口元は確かに「やっとで邪魔者は消えたわ」と、動いていた。
幾度も俺の命を狙ったのも、確実に自分の息子エヴァン兄上を国王にしたいが為。
食事に毒を仕込ませたり、毒矢、ボーガンで狙われたり、ならず者に襲われたり……数えたらキリがない。全ての事件に十分な証拠が無い。口を破る前に全て牢獄で命を絶った。
最後は知っての通り、運良く命は助かったもの、火傷を負うという致命的な傷が残り、当時の婚約者の令嬢に破棄を言い渡される。今思えば、全て彼女に出会う為だと思えばなんともない。
………ん?
出逢う為?
なぜ? そう思ったんだ?
彼女とはいつか――! あ………、家庭教師を付けることを忘れているなど、俺の失態だ。淑女の嗜みがなっていないと、良い縁談は巡り会えない。カーテシーは、貴族令嬢の基礎中の初歩的の基礎だ。ぎこちない動きでは、彼女が笑われる。
「ステラ嬢に家庭教師を付ける」
「承知致しました。――手配致します」
家庭教師を手配したが、いつの間にか完璧にこなしていた。
俺が気づかない間に誰に教わったんだ?
そんな、素振りは無かったはずだが。
――後に知ることになる。
ステラ嬢に淑女の嗜みを教えたのが、俺の母上であることを。
誰が予測できるだろうか。