06
今日も執事長のゼンに頼まれて騎士団の練武場に来ている。
騎士の団員のひとりに訊ねると、今、リュカ殿下は控室にひとりで居るから迎えに行ってくださいと云われて向かったのは良いけど――。
此れは、もしや、神様からのご褒美だったりする!?
私の婚約者様が、……王子さまが、……リュカ殿下の、リュカ殿下が、上半身裸――…裸で、はだかで、裸のままで……朝を拭いているだはないか。
ご褒美? ご褒美だよね?! ご褒美でしょう?! 絶対、ご褒美だわ。
これがご褒美でなければ何というの!? これぞ、ラッキースケベでしょう。
あのタオルが欲しい。
今、使っているタオルが……欲しい。
欲しい。
欲しい。
欲しすぎる!!
そして、顔を埋めて、思い切り嗅ぎたい……やばい、やばい、やばい、思考がこれじゃ変態だわ。
ひっそりと後で持ち帰っていい? それは、流石にダメか。無くなっている事に気づいたりでもしたら騒ぎになりそうだし、私が持っている事に気づかれたりもしたら、恥ずかしくて死んでしまう。うん、此れはない。流石に無しで。何でもウェルカムな私でも引く。
〈洗わないで、今使っているタオルをくださいって言ったくれるかな……ダメ、ダメよ! 私が変態だと思われる。それだけは、ダメ〉
あれ? 心なしかリュカ殿下の肩が揺れたような……? 気のせいよね。私の存在に気づいているわけないしね。
〈……それにしても、なんて美しい肉体美! 僧帽筋、広背筋、脊柱起立筋――美! ………羽がはえている。飛べるのでは!? もしや天使か?!〉
その姿で壁まで追い詰められて、逃げられないように両手で囲まれ――……最後には、顎クイされて、だんだんと――。
きゃぁぁぁぁぁあああああ!!
〈妄想したら興奮してきた〉
ぽた、ぽた、生暖かい何が落ちてきた。
「やば、ほんとに鼻血が出てきた!!」
ハンカチで鼻を抑えて、出血を止める。
そこに、たまたま通りかかった赤毛の男性。
赤く染まっているハンカチを見て思わず声を掛けてしまったのは他でもない、リュカ殿下の側近でもあり友人のルーク・レーヴェレンツ。
「おい、鼻血が出ているぞ。――大丈夫か?」
心配して駆け寄って来てくれたルークに、ステラは持っていたバスケットを渡す。
このまま持ち運ぶのは邪魔でしかない。
「……だいじょぶじゃないです」
「何があった」
「僧帽筋、広背筋、脊柱起立筋……天使が、美しすぎるって――」
「は? 天使? 何のことだ?!」
訳がわからないルークに対して、ステラは言葉を綴る。
「興奮したらむら――」
「ちょっと待てい。待ちなさい」
慌ててステラの言葉を遮るように、誰にも聞かせないように大きめの声で言葉を重ねるルーク。
ルークは寸時に、この先に続くであろ言葉を理解し慌てて止めた。
ルーク・レーヴェレンツは知っているのだ、ステラは見た目に反して変態であることを、身をもって知っている。
リュカを待っている時、散々に語られた惚気話。
友人の汗の匂いがどうのこうのとか、足のつま先から頭のてっぺんまでどのよう美しいとか、話を延々に聞かされた俺の気持ちが、砂糖を吐きそうになるくらい惚気話を聞かされる羽目になる俺の気持ちが、分かるはずはない。何を好き込んで友人の……とんでもない話を聞かされる俺の気持ちが。
大事な話だから三回言った。俺の心の疲労を分かって欲しい。
俺がリュカの友人だと知り、始めのうちは婚約者であるリュカの惚気話だった。その時までは、耐えられた。
いつ日か、友人のリュカの貞操が心配になるくらいやばい発言に変わっていた。
泣きたくなって来た。
女性に泣かされそうになるなんて初めだ。
俺は何を聞かされている、だと。精神的に参った。
「洗って来ますわ」
ルークは、去っていくステラの後ろ姿を見送る。
変態発言には冷や冷やするが、友人のリュカを好いている事を感じ取られる。誰もがも認める変態だが、な!
婚約者のステラ嬢が変態か知っているか分からないが、初頭に比べて戸惑いと困惑は無くなってきているし、上手くいって欲しいと思う。変態だが。
傷一つ見えていないかの様に、普通に接する令嬢は、女性騎士を外せばステラ嬢だけだ、今のところは。
リュカが火傷をして以降、一人も居なかった。
婚約者であるはずの、あの令嬢ですらも暴言を吐き婚約を破棄した。王命にも関わらず、お咎めは無かった。
リュカ自身は何一つも変わっていない。人柄に惚れているならば出るはずの無い暴言を吐いた。
有力な貴族令嬢で、王家としては縁は結びたい。そこで次に婚約者として名が上がったのは、第一王子エヴァン殿下だ。嫌いも、好きも無いが、酷い話だ。
「バスケットを持ってくれて有り難うございます」
「あのままじゃ、(リュカが)不憫だからな」
鼻血を垂らした婚約者など、見たくないだろうからな。俺は見たくない。
丁度、タイミング良くリュカが来た。
「何があった?」
「ちょっと――…血を垂らしてしまいまして」
「血……? 大丈夫なのか?」
「はい! 大丈夫です。――鼻血ですので!」
「……そうか――はなじ、……鼻血」
これは、もしかしなくても、慣れているでは……と、思ったことは胸の内に秘めた。
それもそうだよな。一つ屋根の下で暮らしていて、婚約者の変態ぶりに気づかないはずはない。
ステラ嬢は隠しているつもりらしいが……。
✳︎ ✳︎
そろそろステラ嬢が来る時間だ。
お昼頃にステラ嬢が来ることが日常化し、団員らも知らせてくれるようになった。特にルークとは、団員の中で一番仲良くしているとステラ嬢から聞いた。
ルークは世話好きだから、気にかけて話しかけているうちに親しくなっただけだろうな。
――別に嫉妬ではない。
軽く汗を流す為に、シャワールームと対になっている控室で身体を拭いていると気配を感じる。気配で、ステラ嬢だと解ったまでは良いが、……背中から伝わる視線。ガン見されている。
いつ声をかけるべきかと悩んでいる間に、俺は早く声を掛けなかった事に後悔をした。
「洗わないで、今使っているタオルをくださいって言ったらくれるかな……ダメ、ダメよ! 私が変態だと思われる。それだけは、ダメ」
突然に聞こえてきた言葉。
今更だと、思うが……。
ステラ嬢は、あれで隠しているつもりでいるらしい。
「それにしても、なんて美しい肉体美! 僧帽筋、広背筋、脊柱起立筋――美! ……羽がはえている。飛べるのでは!? もしや天使か?!」
――は? 天使?
今のは聞き間違いか?
俺以外にこの部屋に誰もいないはずだが。
「妄想したらムラムラしてきた。――やば、ほんとに鼻血が出てきた!!」
………は? 何を妄想していたんだ!?
ムラムラとは?
誰か、聞いてくれないだろうか?
聞いてくれ。
俺には無理だ。
聞く勇気が俺には無い。
ハンカチで鼻を押さえて、急いで去るステラ嬢を背中で感じながら心臓が落ち着くまで待つ。
ハンカチで鼻を押さえたかどうかは分からないが。
「鼻血を出すほどの、………妄想とは――なんだ?」
なんだ?
何だ?
なんだ?
問いてっても、誰も答えてくれない。
控室で待機していると、ステラ嬢の声が再び聞こえて来た。
戻って来たのだろう。
「バスケットを持ってくれて有り難うございます」
「あのままじゃ、不憫だからな」
何も耳にしなかったかの様に、平常心、平常心、と繰り返し唱えながら控室を出た。
俺は何も聞いてない。
俺は何も知らない。
「何があった?」
「ちょっと――…血を垂らしてしまいまして」
「血………。 大丈夫なのか?」
「はい! 大丈夫です。――鼻血ですので!」
いい笑顔で可愛いが。
笑顔で言うことか?
「……そうか――はなじ、………鼻血」
何を、妄想したんだ―――!!?
やはり、気になるだが?!
リュカの心の叫びは届くこともなく、ステラも聞かれているなんて夢にも思っていなかった。
「――リュカ殿下?」
不思議そうに首を傾げて見つめるステラ嬢。
リュカは、何も聞いていないと己に自己暗示を掛けた。
「何でもない」
「ほんとに?」
「ああ、――行こうか」
「はい!」
そして、いつもの日常に戻っていく。
やはり、長年連れ去ったリュカの友人ルークは、リュカに何かがあった事を感じ取っていたが、胸の内に秘めたのだった。