02
予定ではカメロン伯爵家の二女アンジェラ・カメロン令嬢が嫁いでくる予定だった。
カメロン伯爵夫妻は、二女アンジェラ・カメロン令嬢を溺愛している話は有名で、俺も何度か見かけたことがある。優秀で誰に対しても優しいと聞く。完璧な令嬢との噂だ。
俺の元に嫁がすことはないだろうと分かりきっていても、面会の時間は空けておく事がマナーであり、その空いた時間で出来る書類を捌こうと思っていたが予期せぬ事態が起きた。
案の定、原因不明の病でアンジェラ・カメロン令嬢は嫁がなくなったと判り易い仮病、此処迄はよくあることだ。その後が問題だ。代わりに長女ステラ・カメロン令嬢を寄越すという伝達がきた。
――巫山戯ているとしか思えない。正気の沙汰ではない。
王命で別の令嬢を寄越すとは前代未聞だ。
「殿下、如何致しますか?」
来てしまったのはしょうがない。会うだけはあって帰せばいいだけだと、思いながら代わりに送られてきた令嬢と対面することに決めた。
急に原因不明の病に伏せられる事は度々起こることだから気にはしないが、別の女性を宛が得られるのは初めてのことで、何を考えているのかと眉を顰める。
断ったことで大してお咎めはないだろうに、妥当に考えて王家との繋がりが欲しいだけか。だとしても、代わりの者を寄越すことは前代未聞だ。何度も言うが。
カメロン伯爵家の長女ステラ・カメロン令嬢といえば悪い噂はよく耳にする。
我が儘で癇癪持ちで、直ぐに物や人に当たり散らす。派手好きで、金遣いが荒く、宝石が好きで、いつも複数の男を連れ立って歩いている。
実際に目撃した事も、耳にした事もない只の噂。
噂は当てにならないが、どの様な令嬢が来るのかと身構えた。部屋に通された令嬢は不健康に痩せ細った女性だった。このまま帰すべきではないと状況が物語っている。
荒れた手、一夜で仕上げた様な髪は傷んでおり、貴族令嬢に相応しいとは言えない身なりをしている。
それを意味するのは――、ただひとつだけ。
ステラ・カメロン伯爵令嬢は、貴族令嬢として十分な生活を送れていない。其れどころか、虐待を受けてきた事が見て取れる。
流行遅れのドレスは、服のサイズも合っていない。慌てて繕いだと見て取れる。
ピンクのふりるに、リボンがこれでもかとくらいに付いている。彼女なら可愛い系よりも、もう少し落ち着いた色合いに繊細な――……違う。
何を考えているだ。他にもっと考える事があるだろう。今は、目の前の令嬢のことを見るんだ。
……複数の男を連れ立って歩く女性には見えない。この痩せ細った身体では、言っちゃ悪いが寄り付かないと思う。俺が知らないだけで、近頃の若い男は目の前の令嬢のような痩せ細った女性を好むのか?
――待て待て、待て。俺は何を考えている。女性に対しても失礼だろ。紳士失格だ。
今は集中する時だ。
集中するだ! 俺。
集中!
集中を!!
何度、取り乱しているんだ。鍛錬が足りていない。心が乱れるぬ様に精神を鍛えねばならない。
……我が儘と云うよりは、一言で現すなら変わり者。
部屋に入るなり、目を見開いて驚き、一点を凝視するかのように見つめる。今、この部屋に居るのは、俺と執事長のゼンと彼女だけだ。特に珍しい物も無い。何も無いはずだがと思いながらも令嬢の目線の先を辿ったが、矢張り只の普通の壁。何があると言うんだ? と、疑問を浮かべた。
それよりも、カメロン伯爵家の長女ステラ嬢のことだ。
俺の噂も酷いものだからと問題にならないと思ったのか、我が国では子供に対する体罰は認められていない。勿論、使用人に対しても体罰は認めていない。
一昔前は黙認されていたが、酷すぎる体罰末に死亡する子供や使用人が多く、問題視になった事で明るみになった。
現在は法で裁かれる事もある。浸透して、日が浅いから一度も適用された事は無いが、知らないはずは無い。
後で、カメロン家を調べる必要があるな。
「呪われた王子で醜いって言って聞いたけど、え、どこが?!」
「令嬢?」
「めちゃくちゃイケメンなんですけど」
「聞こえているか?」
「確かに怪我は痛々しそうだけど」
……それに、独り言が多い。
貶しているのか、誉めているのか、謎の言葉を綴る目の前の令嬢に圧倒され掛ける。
瞳を輝かせて、今か今かと何かを待ち望んでいる様子だが、それが何かは俺には分からないが話を切り出さない限りは前には進まない。
声を掛けても、俺の声は届いていないのか、ぶつぶつと話す目の前の令嬢に、どうしたもんかと考える。女性に無闇に触れるわけもいかず、何度も声を掛けるが聞こえていない様だから手を叩いて音で知らせて見る。
思ったより大きい音が出て、遠くにいた彼女の意識が戻ってきたようだ。その隙に声をかけてみる事にした。
「おーい、聞こえているか?」
我に返った令嬢が慌ててカーテシーをするが、なんとか様にはなっているが、ぎこちなさが残っている。貴族令嬢としての基礎的なマナーも学んでいないだろな。
「! あ、――……お始めにお目にかかります。私、カメロン伯爵家の長女ステラと申します。本日から宜しくお願い致します」
「悪いが、君を愛する事はできない。必要以上に関わるつもりもない」
婚約を受け入れた令嬢はいたのには居たが、一週間と持たない。
将来有望の旦那を探す目的で近づいた者もいたが相手にされる事も無く終わった。相手にされないと判ると「私にはやっぱり無理です」と、言い姿を消す。
今回の令嬢はどちらでも無いだろう。
早い方が令嬢にとっても傷にはならない。
家に帰るのが嫌なら条件のいい相手を紹介してもいい。
……その際は、最低限の淑女のマナーは学ばせばならないが。俺なんかと婚約させられる羽目になって、この令嬢に可哀想なことをした。令嬢を見ながらそんな事を考えていると――。
「感激です! あ、間違えた。――…承知致しました」
「………は?」
間違えるか? 間違えないよな?
彼女から出た言葉に、何を言っているのか理解するのに数秒かかる。
感激? 感激するような事、俺は言っていないが? 何処に感激したんだ?
感激とは、どんな時に使う言葉だったか考えてみるもの、俺が思い違いしているだけか?
感激とは――。
はげしく感動して、気持がふるいたつこと。強く心を動かすこと。……だったはず。
俺の思い違いなのかも知れない。後で辞書で調べなくてはならないと、過った。
令嬢の発言にも驚くが、それよりも――、令嬢の身の動きの速さに驚かされる。一瞬の早技で近づいたかと思えば、俺の手を握って、目を合わせる。今までの令嬢は倒れるか、悲鳴をあげるかのどちらかだった。近づくどころか、不快に眉を顰め、目線すらも合わせない。変わった令嬢だ。
違う。
違う。
集中するんだ、俺。
初めて出逢う珍獣の令嬢に戸惑う俺がいた。
我に返って――。
俺は令嬢の存在を思い出した。
目を輝かして、もう一度、云われたいなど言われた時には、俺の顔がひくのがわかった。
俺には、彼女ことを理解できる日は来ない予感がした。