第79話:王都潜入
王都周辺――薄曇りの空の下、戦の火蓋が切って落とされた。
崩壊した城壁の周囲を、無数のゾンビペンギンが取り囲んでいる。
異様な呻き声とともに、まばたきもせず、無表情なままにただ人間たちを待ち受けていた。
「……始めるぞ」
ロビンの一声で、白銀の矢と紅蓮の盾を中心に、各騎士団の生き残りや有志の冒険者たちが一斉に動き出す。
城壁はすでに崩れ落ち、王都内は敵の巣窟と化している。
地形の優位は失われ、戦いはほとんど野戦同然――真正面から敵軍とぶつかる消耗戦だ。
それでも――。
「押し返せぇぇぇっ!!」
ユリウスの怒声に、兵たちの士気がわずかに高まる。
* * *
そしてその混乱の中、密かに別行動を取る一団がいた。
「リクさん、ご準備はよろしいですか?」
“なん”副団長――白銀の矢の女副長が声をかける。
彼女の率いる精鋭小隊とリクたちは、主力隊列から離脱し、王都北西の外縁部へと身を潜めるように移動を開始した。
「……はい。エリナ、ライアン、リセル、焼大人、気を引き締めて」
リクが仲間を振り返ると、全員が小さく頷く。
同行する焼大人は無言で腕を組み、鋭い眼で周囲を警戒していた。
* * *
やがて一行は、かつて水運に使われていた旧水路の封鎖口へと辿り着いた。
太い蔦が絡まり、苔むした石のアーチが口を閉ざしている。
忘れ去られた裏口――だが、目の前の闇は、王都へ通じる数少ない隠れ道でもある。
「ここが……封鎖された水路の入り口か」
太い蔦が絡まり、苔むした石造りのアーチ門が現れた。
まるで迷宮の入口のように、不気味な静けさを湛えている。
なん副団長は門の前で立ち止まり、鋭く周囲を見渡した。
「この先は通路が狭く、部隊を率いての同行は困難です。私たちはここで戦列に戻ります。その代わりに……ロビン団長が用意してくださった切り札――焼大人が皆さまを導くことになっています。彼は、この地下道の地形にも詳しいですから」
リクは頷き、ぎゅっと拳を握った。
「大丈夫。俺たちで、必ず女王陛下を見つけ出す。絶対に――あきらめない」
副団長“なん”は、力強くうなずいた。
「……どうか、お気をつけて。皆さまのご無事とご健闘をお祈りしております」
リクたちは静かに頷き、アーチ門の前へと歩み出た。
すると、焼大人が一歩前へ出て、鼻息荒く言い放つ。
「ふん……門など、拳で壊してくれるわッ!」
リセルが苦笑いを浮かべた。
「いやいや、壊さなくていいから。鍵あるよ、鍵」
リセルが背負い袋から、ロビン団長から渡された合鍵を取り出すと、錆びついた鍵穴に差し込む。ギィィィ……という鈍い音とともに、重い扉がゆっくりと開いた。
門の先には、薄暗く湿った空間が続いていた。
地下水が流れる音が反響し、かすかに苔と鉄のにおいが漂っている。
「じゃあ、行こう」
リクの言葉に全員がうなずき、足を踏み入れた。
* * *
旧水路は迷路のようだった。
かつて王都内の水運と排水を担っていたこの地下網は、今ではほとんどが使用されておらず、崩落しかけた壁や、異様な苔の繁殖が進んでいた。
「おい、焼大人、道わかるんだろ……?」
ライアンが声を潜めて訊ねる。
「ふっ、任せておけ。五千里を駆け抜けた男が、こんな程度の地下道で迷うものか」
焼大人は自信満々に胸を張りながら進むが、曲がり角で見事に迷った。
「……そっちはさっき来た道だよ」
「……ふむ、地形が若干変わっておるな」
「(さっき通ったばっかだろ!)」リクとライアンの内心のツッコミが重なる。
それでも、数十年の経験か、焼大人の勘はやはり確かだった。
巨大ネズミやスライムの群れを回避し、ゾンビペンギンの偵察部隊らしき影を避けながら、リクたちは徐々に王都の中心部へと近づいていった。
そして、地下道の中腹――。
「……あそこだ」
焼大人が指を差した先、苔むした壁の一部に、わずかな隙間があった。
押すと、重たい石扉がきしむ音とともに開いた。
目の前に広がったのは――。
小さな石造りの階段。そして、その上から微かに漏れる光と、酒の匂い。
「ここ……ほんとにバーなの?」
リセルが訝しげに呟いた。
「間違いない。地下とつながっている王都の数少ない拠点のひとつ……《Dai》の隠れ家だ」
リクたちが階段を上がりきると、重厚な木製の扉が現れる。
リクがノックしようと手を伸ばす――その前に。
ガチャリ。
扉が先に開き、静かに顔をのぞかせた男が、品のある微笑をたたえてこちらを見つめてきた。
年の頃は四十代前半。切れ長の瞳は鋭さを秘めつつもどこか温かく、漆黒の髪は丹念に撫でつけられている。
眉尻にはかすかな古傷が走るが、それさえ気品を添えるアクセントのようだ。
白いシャツに黒のベスト、深紅のソムリエエプロン――まるで一流ホテルのバトラーの装い。左手にはルビー色のワインが揺れるクリスタルのデキャンタ、右手には銀色のソムリエナイフ。
「……いらっしゃいませ。ここをご存じとは、ただのお客様ではございませんね?」
その男こそ、元傭兵にして情報屋――しかし今は完璧な身のこなしを備えたソムリエ、《Dai》だった。
「あなたが……Daiさんですね。ロビンさんから紹介を受けました。王都の情報を伺いたいんです」
リクが真剣な表情で切り出すと、Daiは穏やかな笑みを深め、静かに会釈した。
「ロビン殿の……それは光栄です。よくぞこの暗渠を抜けてお越しくださいました。どうぞ、お入りください」
Daiが扉を大きく開くと、白い中型犬――つややかな毛並みの《コルク》が尻尾を振って出迎えた。
ここは、王都の地下に隠されたこだわりのワインバーだった。
アンバーの照明が柔らかく灯り、磨き抜かれたカウンターには世界各地のヴィンテージボトルが整然と並ぶ。テーブルには美しい木目が浮かび、壁には銘刀や絵画が美術品のように飾られている。
その奥、目立たぬ棚の裏には緻密な地図や通信魔導具がひそやかに収められ、バー全体が“情報の保管庫”としても機能していた。
「当店のワインは私の誇りですが――今宵は情報こそが最上の一杯でしょう。どうぞお席へ。お話をうかがわせていただきます」
リクたちは椅子に腰掛け、足元で丸くなったコルクの温もりを感じながら、王都奪還の新たな一手へと踏み出した。
「読んでくださって本当にありがとうございます。
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