第70話:朝焼けに沈む村
魔人――クロシバの巨体が、ゆっくりと崩れ落ちる。
剣を手にしたリクは、深く息を吐いた。
身体の芯まで消耗しきっている。
だが、ようやく――終わったのだ。
「……あれが、最後の一撃だったな」
ユリウスが静かに呟く。
肩で息をしながらも、その目は警戒を解いていない。
クロシバの身体は微かに痙攣しながらも、完全に沈黙していた。
だが――次の瞬間。
「……ク……ソ……が……」
呻き声が、割れた地面の奥から漏れ出た。
「……聞こえたか?」
「まさか……」
リクたちが構え直したその時、クロシバの口元がわずかに動いた。
「やっと……目が……覚めたと思えば……体動かねぇじゃねえかよ……!」
それは、目覚めたばかりの意識――
だが、もう何もできないほどにクロシバの身体は限界を迎えていた。
「誰だ……お前ら……何者だ……! 俺は……嫉妬の魔人……クロシバ様だぞっ! ……ここは……地上……そうか! 解除が……生贄が足りてない……!」
言葉の端々に、苛立ちと焦燥がにじむ。
「誰だ! ……中途半端に戻したのは……!」
クロシバは悔しげに呻きながら、地を睨みつけた。
怒りでも憎しみでもない――ただただ、どうしようもない理不尽への怒声。
「意識戻ったと思ったら……終わりが決まってるなんてな……冗談じゃねぇ……!」
リクたちは、その姿を無言で見つめていた。
もはや戦う力もなく、ただ叫ぶしかない存在に、刃を向ける理由もなかった。
「お前ら……覚えとけ……俺が……完全に目覚めてたら……」
ギリッ、とクロシバの歯がきしむ。
「……その時は、お前らも……人類も、根こそぎ滅ぼしてやったのによ……!」
それが――嫉妬の魔人、クロシバの最後の言葉だった。
次の瞬間、彼の肉体は音もなく崩れ、紫の靄となって消えていった。
まるで最初から、そこにいなかったかのように。
* * *
「……終わった、のか?」
誰ともなく呟いたその言葉に、誰もが応えなかった。
緊張の糸が、一気にほどけていく。
「……朝……」
リセルがぽつりと呟いた。
空が、淡い茜色に染まり始めていた。
激闘の末に訪れた、静かな夜明け。
「……噴火も、止まってる」
エリナが空を見上げる。
火口から立ち上っていた黒煙は消え、谷には澄んだ空気が戻りつつあった。
「……テルマ村……」
誰かが、かすれた声で呟く。
谷の向こう――かつて村があった場所を見た瞬間、誰もが息を呑んだ。
そこにあったはずの村は、崩れた大地と黒く焼け焦げた岩に覆われ、
もはや“村”と呼べる面影は一片も残っていなかった。
「……誰も、もう……生き残ってはいないだろうな」
ユリウスが、静かに呟く。
「……部下たちも……」
わずかに顔を伏せ、悔しさを押し殺すように拳を握る。
「…………っ」
リセルが無言で村があった場所を見つめ、涙を流す。
その頬を伝う雫は、静かに地面に落ちた。
全員、言葉を失ったまま、その光景を見つめていた。
火山の咆哮も、今はもう聞こえない。
残ったのは――喪失の静けさだけだった。
* * *
「王都に……戻ろう」
リクがようやく、かすれた声を絞り出した。
「このままじゃ……全部が、無駄になる」
「……そうだな。 女王にも報告しないと……」
静かに頷く仲間たち。
痛みを抱えながらも、彼らは一歩ずつ、戦いの終わりと、次なる歩みを始めた。
その背に――
「……あのさ」
かすれた声が、後ろから届いた。
振り返ると、リセルがぽつりと立ち尽くしていた。
弓を握る手はかすかに震え、目元は赤く、けれどどこか決意の光を帯びている。
「……私も……お前たちについていって……いいか?」
その声は、どこか不安げで、それでも真っ直ぐだった。
「……帰る場所が、もう……どこにも、ないんだ」
言葉を選ぶように、絞り出すように――リセルは続けた。
「このまま、一人でいたら……たぶん、立ち直れないと思う。 だから……」
しばしの沈黙のあと、リクが一歩近づく。
「当然だろ」
短く、そう言ってうなずいた。
「仲間が助けてくれたのに、ついてこない理由なんてねぇよ」
「それに、あんたの弓がなきゃ、俺たち全員ここで終わってた」
ライアンも肩をすくめて言う。
「王都の飯はうまいぞ。 まずはそれで回復してからでも遅くない」
ユリウスも無言で、ただうなずいた。
「……ありがと」
リセルは小さく呟き、下を向いたまま目元をぬぐう。
ほんの少しだけ、肩の力が抜けたように見えた。
* * *
そして、崩れた谷の向こうには、もう誰もいない――
テルマ村という名の村の、最後の夜が終わろうとしていた。
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