第64話:崩落の果て
湯気と火山灰が混ざり合う、夜の寺の前庭。
その場に、リクはひとり立ち尽くしていた。
足元には深い地割れが走り、遠くでは噴き上がる火柱。
崩壊していく村の音が、風に乗って響いてくる。
「……エリナ……!」
誰よりも、彼女の姿が頭をよぎる。
(無事でいてくれ……!)
剣を握る手に力が入る。
震えの理由は、疲労ではない。
焦りと、悔しさだった。
(あの時、もっと早く動けていれば……!)
裏十三夜によって引き起こされた崩壊。
芳坊が撒いた火種は、もはやテルマ村全体を呑み込もうとしている。
見渡す限り、道は寸断されていた。
火山弾に塞がれ、地割れに裂かれ―― 仲間の元にも、エリナの元にも戻れない。
唯一、残された細い川沿いの獣道だけが、下流へと続いていた。
「……信じるしか……みんなが、生きて、この道に来ることを」
苦しげに歯を食いしばり、リクはその道を下り始めた。
* * *
崩れ落ちるテルマ村の外れ。
川の流れに沿って進むリクの前に、茂みの中から影が現れた。
「リク!!」
真っ先に声を上げたのはエリナだった。
湯気を裂いて駆け寄ってきた彼女は、泥と灰にまみれていたが、どこにも傷はない。
リクの胸に、押し込めていた安堵が一気に溢れ出す。
「エリナ……!」
次の瞬間、エリナは勢いそのままにリクの胸へと飛び込んできた。
腕に残る感触と熱――それは、生きている証だった。
「よかった……! 無事で……!」
リクが思わずその背に腕を回すと、背後から別の気配が近づいてくる。
「私もいるよ」
灰と泥に塗れたリセルが、エリナの背後から姿を現した。
その表情は険しかったが、確かに生きていた。
「……リセル!」
リクがその名を呼んだそのとき、霧の奥から別方向の岩陰を踏み抜いて現れたのは――ユリウスだった。
傷だらけではあったが、大きな傷はない。
静かな目でこちらを見据え、短く頷く。
「軽傷だ。心配には及ばない」
ユリウスは剣を下ろしながら、滲む血を拭った。
「みんな……よく……!」
リクが言いかけたその時、あたりの地盤が軋むように揺れる。
「おい、感動してる暇はねぇぞ!」
力強い声が川上から響いた。
振り向くと、肩を派手に切り裂かれながらも、大剣を担いだライアンが岩場を駆け下りてきた。
「遅れて悪い。……けど、間に合った」
「ライアン……!」
リクの顔が、一気に安堵に綻ぶ。
「全員……生きて、ここまで来たんだな」
ほんの一瞬、静かな温もりがその場を包む。
だが、すぐにリクは顔を引き締め、現実を見据えた瞳で言った。
「……残念だけど、裏十三夜の計画は――止められなかったみたいだ」
「この状況を見るに、間違いなく“嫉妬の魔人”が顕現してるな」
ライアンが険しい顔で呟く。
「テルマ村の人たち……無事でいてくれればいいけど」
リセルが唇をかみしめながら言う。
ユリウスは周囲の地形と空気の異常を見渡し、低い声で判断を下す。
「部下も村人たちも心配だが……この地の変化は異常だ。一度ここを離れ、体勢を立て直すべきだ」
「魔力の流れも乱れてる。……このままここにいたら、身体もおかしくなりそう」
エリナが不安げに杖を握りしめる。
緊張感がじわじわと全員に広がっていく――
* * *
――ゴオオオオオッ!!
背後から、岩壁を揺るがすような咆哮が響く。
それは、音ではなく、空気そのものを震わせる“圧”。
「……ッ!」
リクたちは一斉に振り返る。
その谷間、まだ距離はある。
だが確実に――迫ってきていた。
岩を蹴り、川を跳躍し、巨体を揺らして駆ける“何か”。
霧と湯気を引き裂くその姿は、もはや伝説ではなかった。
「来た……!」
しなやかな四肢。
赤黒い毛並み。
トナカイのようにねじれた二本の角を持つ巨大な異形が、地を抉るように近づいてくる。
その瞳に理性はなかった。
あるのは――渇き。
焼けつくような嫉妬の炎だけ。
「……嫉妬の魔人」
リセルがかすれた声で呟いた。
文献の記された「9648」の数字。
その名を知る者は今やほとんどいない。
伝えられるのはただ一つ――
村人同士が嫉妬で争いを繰り返した果てに、“存在”が現れ、村は跡形もなく消えた。
神話とも、昔話ともつかない記録。
だが今、それが現実として、リクたちの眼前に現れようとしていた。
「逃げても……追いつかれる……!」
ライアンが低く唸る。
「だったら……ここで迎え撃つしかない!」
リクが剣を抜く。
その声に、誰一人異議を唱える者はいなかった。
エリナが杖を掲げ、リセルが矢を番える。
ライアンが肩に大剣を担ぎ、ユリウスが静かに剣を構え直す。
地鳴りが強まる。
魔人の爪が地面を抉り、瘴気が空へと噴き上がる。
「今ここで――止める!!」
そして、伝説に抗う決戦の火蓋が、ついに切って落とされた。
「読んでくださって本当にありがとうございます。
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