第62話:散華の刃
夜の寺裏に、血の匂いと霧が濃く漂っていた。
灰を含んだ湿気が、剣士たちの汗と混じり合い、重くまとわりつく。
ユリウスとタケダ――。
達人同士の戦いは、幾度もの死線を越え、ついに終盤へと突入していた。
刀と剣が打ち合うたびに、霧の中で乾いた火花が散る。
金属音が耳を裂き、湿った土を抉る斬撃が地を震わせる。
その衝突は音だけでなく、空気そのものを鋭く裂き、肌を切り刻むような緊張を辺りに漂わせていた。
互いの身体はすでに無数の切り傷で赤く染まり、衣服はところどころ裂け、血が滴り落ちる。
それでも剣を振るう腕は一片の迷いもなく、最後の一手を探り合う視線は揺らがなかった。
* * *
ユリウスの剣が、地を払うように水平に薙ぎ払われる。
タケダはほんのわずかに身をひねり、紙一重でかわすと同時に、右肘を支点に刀を鋭く振り下ろす。
チィンッ――!
刃と刃が交錯し、爆ぜた火花が霧の奥に消える。
ユリウスは後方に跳ね、足元の石畳を砕きながら距離を取る。
しかしそのわずかな間合いをも許さず、タケダが一気に踏み込む。
「はあッ!」
ユリウスの剣が下段から突き上げられた瞬間、タケダは身を低く沈め、左足を蹴り出す勢いで刀を跳ね上げる。
「くっ……!」
ユリウスの外套が裂け、脇腹に赤い線が走った。
熱い血が滲み、衣を濡らす。
その痛みに眉を歪めながらも、ユリウスはすぐさま反撃。
返す剣閃が円を描き、タケダの肩口へと鋭く食い込んだ。
「……ふっ」
タケダの肩から血が滴り落ちる。
だが、その眼光は鈍らない。
激突、回避、接近、離脱――。
数秒の間に十手を超える攻防が交錯し、鋼と鋼が何度も悲鳴を上げた。
一歩でも踏み誤れば即死。
だが、その極限の緊張の中に、奇妙な静けさがあった。
まるで、これこそが“戦場で生きてきた者”同士にとっての本懐であるかのように――。
* * *
「……これが最後だ」
タケダが低く呟いた。
足元の霧が渦を巻き、彼の気配が研ぎ澄まされていく。
「剣技――桜花斬」
空気を割くような一閃。
舞い散る桜の花弁の幻のように、無数の斬撃が連なり、ユリウスを包囲する。
一撃ごとに退路を断たれ、逃げ場が削り取られていく。
だが、ユリウスは退かない。
脇腹から血を滴らせながら、剣を逆手に構え直した。
「紅蓮剣――焔閃!」
全身の力を込めて前へ踏み込み、燃え盛る炎を纏った剣を振り抜く。
紅蓮の閃光が桜の嵐を切り裂き、正面からぶつかり合う。
刹那――。
世界が静止したような錯覚。
音もなく、火花だけが宙を舞う。
次の瞬間、轟音と共に鋼が鋼を割り裂いた。
「……ッ!」
ユリウスの剣が、タケダの胸元を深々と貫いていた。
同時に、タケダの刃もユリウスの脇腹を抉り裂いていた。
ふたりの鮮血が宙に散り、霧に溶けて消える。
それでも最後に膝をついたのは――タケダだった。
* * *
肩で荒く息をしながら、タケダは血に濡れた掌でそっと札を取り出す。
禍々しい紋が刻まれた爆裂の札。
「見事だよ、団長殿……。だが、まだ終わりじゃねぇ」
その顔には、不思議な安堵と悔恨が同居していた。
「俺は……国を守るために剣を振るった。だが平和の名の下に、家族も仲間も奪われた。……剣しか残らなかった俺に、生きる意味などあるものか」
滲む血を抑えながら、静かに笑む。
「桜花――散るは、この刻なり」
胸元に札を押し当てた瞬間、爆発は起こらなかった。
代わりに、タケダの身体は桜の花弁のように崩れ、舞い散っていく。
音もなく、香もなく、静かに、ただ美しく――。
それはまるで、彼の魂だけが風へ還るかのようだった。
* * *
直後、地が呻く。
ゴゴゴゴゴゴ――ッ!!
断崖の大地が揺れ、黒い瘴気が地下から噴き上がった。
まるで地中の奥深くで、封じられていた何かがこじ開けられたかのように。
「……ッ!」
ユリウスは脇腹の傷を抑えながら、反射的に剣を構える。
その気配は、これまでに体験したどんな戦いよりも異質だった。
(これは……怒りか? 嫉妬か? 理屈ではない……。世界そのものの怨嗟だ)
空が黒く渦を巻き、大気が震える。
大地を押し裂く瘴気の奔流が、肌を焦がすほどの圧を放っていた。
(……タケダの仕掛け。いや、それだけじゃない。これは――封印が破られた!)
確証はない。だが、全身が直感でそれを告げていた。
魔人。
その顕現が、確実に進行している。
* * *
「……タケダ」
ユリウスは低く呟いた。
視線はすでに地の底の闇へと向けられている。
「あんたの絶望を、俺は完全に理解できない。だが、その果てに他者を巻き込むのなら――」
鋼のように静かな声。
「その道は、俺が断ち切る」
剣を構え直し、血を滴らせながら一歩を踏み出す。
霧が揺れ、瘴気が渦を巻く中――。
ユリウスは戦いの果てにある“護るべきもの”を、強く見据えていた。
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