第57話:交錯する意志
湯気と灰に包まれた温泉地帯。
硫黄の匂いが鼻を突き、岩肌から立ちのぼる白煙と、風に舞う黒灰が混じり合って視界を曇らせていた。
熱気にむせ返りそうな空気の中、リセルとエリナは互いに背中を預けるように立ち、荒ぶる魔の気配に全神経を集中させていた。
前方では、再び墨から呼び出された巨大な黒吼が咆哮を上げる。
その周囲で、くらしょうと地雷嫌が術符を展開し、淡々と次なる術式を仕込んでいた。
二人の動きには焦りがなく、獲物を仕留める狩人のような冷酷さが漂う。
リセルは弓を持つ腕をわずかに下げ、矢をつがえたまま息を殺す。
(……あいつらに、これ以上好きにさせるわけにはいかない)
小柄な体に、湧き上がる決意をぎゅっと詰め込むように。
一方でエリナは、震える指先で杖を握りしめながらも、魔力の流れを緻密に制御していた。
(無理をしてでも……ここで抑えなきゃ。この場所も、みんなも守れない……!)
瞳の奥に光るのは、恐れよりも強い責任感だった。
黒吼が再び低く唸る。
次の瞬間、地を蹴り裂いて巨大な影が二人に襲いかかる。
「来るよ、リセル!」
「わかってる!」
矢羽が唸りを上げ、リセルの放った矢が一直線に黒吼の喉元を狙う。
同時に、エリナの詠唱が熱気の中に響き渡る。
「――《閃火矢〈スパークフレア〉》!」
次々と生まれた炎の矢が、リセルの矢と並ぶように飛び、火線の雨を描いた。
黒吼はうねる体を翻してかわそうとするが、数発が直撃し、墨の体から黒煙と火花が噴き上がる。
「ちっ……!」
地雷嫌が苦々しげに舌打ちをし、懐から新たな札を取り出す。
指先が複雑な軌跡を描き、宙に浮かんだ印が淡く光を放つ。
「――連鎖口寄せ《群咆陣》!」
バチッ、と火花を散らす音とともに、墨が裂けて三体の小型黒吼が現れる。
獣の咆哮が重なり合い、地面が震える。
「増えた!?」
リセルの焦りの声が熱気の中に溶けた。
「数で押すつもりだ……!」
エリナは即座に状況を理解し、リセルの背に掌を添えるように魔力を送り込む。
「リセル、前に出て! 私が援護する!」
「うん、任せて!」
リセルが一歩、勇敢に踏み出す。
矢を次々と連射しながら、敢えて自ら囮となり、群れた黒吼の牙を引きつける。
唸りを上げた小型黒吼が飛びかかり、鋭い牙が白い湯気を裂いた。
「くっ……!」
リセルは回避しつつ、一矢一矢を正確に放つ。
矢羽が閃き、黒い体に突き立っては墨のしぶきを上げた。
しかし敵は速い。懐に入り込まれれば致命傷となる。
「リセル!」
その危機を察したエリナが、杖を振り抜いた。
「――《閃火弾〈フレイムショット〉》!」
炎弾が立て続けに放たれ、狙い違わず小型黒吼の体を焼き尽くす。
墨の肉体は一瞬にして燃え上がり、叫び声もなく消え去った。
「ナイス、エリナ!」
リセルの声に、エリナの胸が少しだけ軽くなる。
だが――安堵は束の間だった。
背後では、くらしょうが淡々と印を組み上げ、唇に冷笑を浮かべていた。
「――水遁・霧爆」
印が結ばれた瞬間、周囲の湯気が異様な圧力を帯びて収束する。
直後、圧縮された水蒸気が爆裂し、弾丸のような水圧の塊となって二人を襲った。
「きゃっ……!」
「危ない!!」
リセルがとっさに跳び退き、エリナも辛うじて直撃を免れた。
しかし爆風の余波に体勢を崩し、地面に膝をつく。
くらしょうの口元が歪む。
「甘ぇんだよ、子供が……!」
さらに追撃の印を結ぼうとした瞬間――
「エリナ、今だよ!」
リセルの声が響く。
エリナは顔を上げ、杖を突き出した。
魔力の流れを極限まで絞り、心臓を握り潰すような圧迫感を振り払って集中する。
「――閃火爆弾!」
閃光を帯びた魔力弾が、雷鳴のように空気を裂いて飛んだ。
くらしょうは慌てて水壁を展開しようとしたが、間に合わない。
直撃。
爆炎と蒸気が炸裂し、彼の術式は粉々に砕け散った。
「ぐあっ!」
悲鳴が灰煙にかき消える。
「よしっ!」
リセルの声に、一瞬だけ希望が宿る。
だが――その刹那。
「まだだッ!」
地雷嫌が地面に札を叩きつける。
墨が渦を巻き、巨大な蛇のような魔獣が姿を現した。
《黒蛇吼》。
その双眸は灼けるように赤く、唸りと共に地を揺らす。
「くる……!」
リセルとエリナは無意識に並び立つ。
互いの息遣いが背中越しに伝わる。
「ここで絶対、止めよう!」
「うん!」
湯気が弾け、灰が渦巻く温泉地帯で、二人の少女は前を見据えていた。
互いを信じ、未来を信じて。
そして、決戦の刻が、確実に迫っていた――。
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