第53話:紅蓮と武断
霧が立ちこめる寺の裏手。
灰を含んだ湿気が、冷えた土を重たく濡らしていた。
空気はひどく淀み、肺に入るたび鉄のような匂いが鼻腔を刺す。
小さな虫の羽音すら吸い込まれるように消え、あたりには二人の男の吐息と靴音だけが響いていた。
抜かれた刀と剣が一閃。
鋼が交錯し、散った火花が霧の中で淡く溶けて消える。
互いの刃がわずかに離れた瞬間、二人は同時に跳ねるように距離を取り直した。
「……鋭い。さすがは《紅蓮の盾》の団長殿」
タケダが静かに口を開いた。
「その口ぶり……探り合いは終わりか」
ユリウスは睨むように言い返す。
眉間に皺を寄せ、目の奥に炎のような意志を燃やしていた。
「名乗りは済ませた。ならば次は、力で語るだけだろう」
張りつめた空気がさらに研ぎ澄まされる。
タケダは構えたまま、まるで一本の岩のように微動だにしない。
呼吸さえ乱れず、ただ刃の切っ先だけが霧の中で淡く光を放つ。
一方のユリウスもまた、王国騎士団の頂点に立つ者として鍛え抜かれた姿勢を崩さなかった。
背筋はまっすぐ伸び、剣を構える両腕は揺らがない。
互いに一歩も譲らず、静寂の中に凶暴な気配が漂う。
次の瞬間――
「はあッ!」
ユリウスが一気に踏み込み、剣を振り下ろした。
剛力と俊敏さを兼ね備えた必殺の斬撃。
鋼が唸りを上げ、霧の帳を切り裂いて一直線にタケダへ迫る。
「ふむ」
タケダは鞘に収めたままの刀でその一撃を受け止め、足を滑らせるように後方へ体重を流した。
衝撃は霧の中に吸い込まれ、ただ金属の余韻だけが冷たく残る。
「その剣……迷いがない。だが――剣技・霞返し」
すれ違いざま、タケダが閃光のように抜刀する。
霞に溶けるような低い斬撃がユリウスの脇腹を狙った。
霧と同化した一撃は、まるで実体を持たぬ幻影のように迫る。
「くっ……!」
ユリウスは咄嗟に剣を反転し、刃の側面でその斬撃を受け流した。
布の外套が裂ける音が鋭く響き、裂け目から白い肌がわずかに覗く。
「狙いは悪くない。だが、俺もまだ老いてはいないぞ」
ユリウスは荒い息を整え、剣を構え直す。
彼の眼差しには一片の怯みもなく、逆に獲物を狙う獣のような研ぎ澄まされた光を帯びていた。
「ふふ、期待以上だな。紅蓮の名は伊達ではない」
タケダの口元がわずかに吊り上がる。
「……お前たち“裏十三夜”が、なぜここまで動く。魔人の手助けをして、何を得ようとしている」
「手助け……ね」
タケダはゆっくりと刀を持ち上げた。刃に霧がまとわりつき、幻のように揺らめく。
「別に奴らと話し合ったわけじゃない。ただ、やつらが進めていることが、俺たちの目的に都合がいい。それだけだ」
「つまり……お前たちは、自分たちの目的のために魔人を“利用している”ということか」
ユリウスの声は低く、しかし鋭かった。
タケダは鼻で笑う。
「利用、か。……そう言ってもらえるなら、こっちも話が早い。魔人がどう動こうと、それが俺たちにとって都合がいいなら、黙って道を空けるだけのこと」
「……私は調査のためにこの村に来た。ここで起きている異常の背後には、魔人が関わっていると判断してな。そして……貴様たちの話を総合すれば、“嫉妬の魔人”をこの地に顕現させることが目的か。もしそれが事実なら……俺には見過ごす理由などない」
タケダの笑みが消える。瞳の奥には冷たい刃のような光が宿っていた。
「なるほど。騎士としての矜持か。……ならば、こちらも遠慮はしない」
「誰かを犠牲にして得る力など、俺は絶対に認めん」
ユリウスが低く構え直す。剣先には揺るぎない決意が宿り、足元の土が小さく軋んだ。
「強き者が己の信念を貫く姿……嫌いではない」
タケダもまた、刀を正眼に構える。
背筋は伸び、周囲の霧すらその気迫に押されるかのように揺れた。
「だが我らにも、退くという選択肢はない。この村で始めたことを、途中で止める気はさらさらない」
そして――
二人の刃が再び激突する。
霧を切り裂く甲高い音が夜空を震わせ、鋼が散らす火花が灯火のように舞う。
その一撃一撃には、己の信念と背負うものすべてが込められていた。
寺の裏手に、静かでありながら激烈な戦いの刃音が、いつ果てるともなく鳴り響いていた。
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