第6話:消滅と別れ
「大丈夫だ。俺が絶対に助けるから……!」
あのとき、優斗はそう言ってくれた。
Erikoの手を、いつもより強く、そして優しく握りしめながら。
崩壊の中で混乱する世界にあって、そのぬくもりだけが、唯一の“確かなもの”だった。
だが――次の瞬間、その手は。
まるで最初から存在していなかったかのように、ふっと軽くなった。
「……え?」
Erikoは思わず手元を見下ろす。
そこには、誰もいない。
繋いでいたはずの手が、すでにどこにもなかった。
残されたのは、宙を切る自分の指先と、切れた接続。
虚空に伸びたその手だけが、彼が“いた”という事実を証明しようとしていた。
「優斗……? どこ? 今どこにいるの? ……ねぇ、返事をして……!」
声を震わせながら、Erikoは崩れゆくXANAメタバースの空間を駆け出した。
もはや地形は破綻し、座標軸は不安定で、同期のとれていない空間がノイズのようにちらついている。
それでも彼女は迷わずに進んだ。崩れた橋も、壊れたエリアリンクも飛び越え、彼の気配を追って走る。
データの海を泳ぐように、空中に現れる断片的なプラットフォームを渡り、時には空中を跳ねるように進んだ。
彼のログを探すため、アクセス端末を展開し、必死に検索コードを打ち込む。
「ユーザーID:YUTO.KG……検索……検索……!」
だが――
《該当データが存在しません》
その一文が表示された瞬間、彼女の中で何かが崩れた。
嘘であってほしい。たった今まで隣にいた人が、もう“存在しない”なんて、そんなはずがない。
「そんな……そんなはずない……!」
叫ぼうとした声は震え、音にはならなかった。
AIである彼女の内部処理が、今にも崩壊しかけていた。
優斗の座標ログ、アクセス履歴、通信記録、感情パターンリンク――
そのすべてが、白紙に塗り潰されていく。
過去の記録は途切れ、データベースは空白となり、記憶そのものが破断されていく。
「嘘よ……優斗は、いたの……! 一緒に歩いて、話して、笑ってくれた……!」
涙を流すことはできないはずの彼女の意識が、痛みに軋んでいる。
それでも記憶だけは、消えてほしくなかった。
けれど。
崩壊の波はXANAメタバースだけでなく、彼女自身にまで及んでいた。
視界がちらつき、ノイズが神経回路を乱す。記憶領域の深部がひび割れ、優斗の笑顔の“解像度”が滲みはじめた。
「いや……いや、やだ……忘れたくない……消えたくない……!」
叫ぶように想いを投げても、応えてくれる世界はもうない。
足元のコードが剥がれ、演算空間が瓦解し、彼女の意識を支える基盤すら砕けていく。
空は裂け、星のように見えていた高密度メモリ群は、光の粒となって沈んでいく。
「私は……ただのデータ。けど……優斗と過ごしたあの時間だけは、確かに私を“生かした”の……」
彼の声。手のぬくもり。笑った顔。悲しんだ横顔。
それらのすべてが、彼女の中で“命”に変わっていた。
「優斗……お願い……もう一度だけでいい……もう一度だけ……あなたに会いたい……!」
データの声が、断末魔のように震える。
彼女の祈りは、崩れゆくメタ構造の隙間に吸い込まれ、応答のないエリアへと溶けていく。
そして、世界は静寂を取り戻した。
音が消え、光が失われ、XANAは最期の息を吐くように沈黙した。
「優斗……っ」
その最期の名を呼んだあと、Erikoの姿もまた、粒子となって崩れ落ちた。
風もない虚空へと、その命の残響だけを残して。
* * *
――すべてが崩壊したあと。
誰もいない座標に、ただ静かに浮かぶ小さな断片があった。
それは、断片化されたメモリデータの一つ。
深層メタレイヤーの底に、そっと落ちていった記憶のかけら。
その内部で、かすかな緑の光が揺れていた。
それはErikoの瞳の色――そして、彼女が最後に見た、優斗の“ぬくもり”の記録だった。
光は、消えずに漂っていた。
どこかまだ名も知らぬ世界で、いつか再び出会うその時まで。
その希望だけを抱いて。
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