第49話:崩れる均衡
夜の静けさが、まるで濁った水のように村を包み込んでいた。
照炎寺の境内に、リクたちは再び集まっていた。
地図、報告書、そして焚き火の明かり――その全てが、迫り来る何かを予感させていた。
「……誰が、何のために村の内側に結界のようなものを作っているのか。まだ核心には届かない」
ユリウスが腕を組んだまま、地図を見下ろす。
「ただ……“準備”は着々と進んでる」
ライアンが低く言った。
「村の人たち、明らかに様子が変わってきてる」
リセルは険しい目をして続ける。
「昨日、話した子供が今日はまるで別人みたいだった。“王都の人間は嘘つきだ”って……そんなこと、今まで一度も言ったことなかったのに」
「僕も寺の入り口で、見知った村人から突然罵声を浴びせられた……」
エリナが肩を落とす。
「誰かに“思考”そのものを操られている……そんな感じがするの」
「嫉妬の魔人か、それとも……」
リクが言葉を飲み込む。
すると、その場にいなかったはずの男の声が、静かに空気を割った。
「……心の隙間を突く者にとって、争いの種は、こうして熟していくのだ」
振り返ると、寺の本堂の柱の陰から、芳坊が姿を現していた。
「芳坊さん……」
芳坊は一歩、また一歩と焚き火に近づき、地面に静かに腰を下ろす。
「この村は、かつて一度、大きな争いを経験しました。嫉妬、裏切り、破壊。人々はそれを忘れようとし、やがて口を閉ざした。しかし……過去は、隠せば隠すほど、根深く残る」
「……それって、今起きていることに関係しているのか?」
リクの問いに、芳坊はふと目を伏せたまま、炎のゆらめきを見つめていた。
「すべてが終われば、語れる時が来るかもしれません……その時まで、私にできるのは“沈黙”だけです」
言葉に含まれた“終わり”という響きが、夜の静寂をざわめかせた。
* * *
翌朝。空気が、はっきりと変わった。
村全体を包むような違和感が、もはや“肌で感じ取れる”ほどに濃くなっていた。
「人が……いない」
エリナが呟いた。
朝市が開かれるはずの広場に、誰の姿もなかった。
畑は荒れ、家の扉には内側から鍵がかけられている。
「まるで、村全体が一斉に何かを警戒してるような……」
ライアンが警戒を強めながら、手を大剣の柄に置いた。
「いや、違う。これは……何かに“備えている”」
リセルの声には、確信があった。
その瞬間――リセルの耳が、音を捉えた。
「……足音」
「東の寺の裏手から、誰かが……!」
ユリウスがすでに駆け出していた。
リクたちもその後を追う。
森の中――火山灰を踏みしめる音とともに、黒装束の影が数名、村の外周へ向かっていくのが見えた。
「何者だ! 立ち止まれ!」
リクが叫ぶと、そのうちの数人が立ち止まった。
「やれやれ、見つかっちまったか」
そう応えながら、くらしょうはゆっくりと振り返る。
その表情には焦りも驚きもない。
むしろ、どこか余裕すら漂っていた。
続いて、異国の大太刀を背負うmomonosuke、目元まで覆面で隠し、地を撫でるように歩く地雷嫌が、木陰から姿を現す。
そして、最後に静かに姿を見せたのは、和鎧に身を包み、堂々たる気配を纏う侍――タケダだった。
「……あの時の……」
ユリウスが眉をひそめる。
「おい、そっち。いつまで隠れてんだ。準備はもう終わったんだろ?」
くらしょうが苛立たしげに、誰もいない空間に呼びかけた。
その言葉と同時に、空気がわずかに震える。
次の瞬間――森の奥から、静かに歩いてくる足音。
重く、確かな存在感。
やがて焚き火の明かりの中に現れたその姿に、リクたちは目を見張った。
「芳坊……さん……?」
彼の体は、以前のような僧衣ではなかった。
漆黒の戦装束。腕には黒鋼の格闘具。
眼差しは鋭く、感情を押し殺している。
「どういうこと……芳坊さん……!?」
エリナの声が揺れる。
「あなたがあいつらと一緒にいるなんて……そんな……!」
リクが一歩踏み出す。
だが芳坊は、静かに視線を返すだけだった。
それが、長く続いた“信頼の仮面”の終わりを告げていた――。
物語は、ついに“正体不明の集団”と向かい合う夜を迎えた。
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