第47話:揺らぐ心、忍び寄る影
テルマ村に到着してから数日が過ぎた。
表面上は人々が日常を取り戻しているように見える。
畑を耕す者、川で水を汲む者、子どもの声も時折響いてはいる。
だが、その声色や笑顔の端々にはどこか影が差していた。
村に流れる空気は、見えない膜に包まれているように重苦しく、よそよそしい気配が肌を刺す。
日を追うごとに違和感は強まり、誰もがそれを言葉にできずに沈黙していた。
「……また誰かが夜に幻覚を見たって話が出てる」
寺の縁側で、エリナが肩を寄せるようにして声を落とした。
「幻覚?」
リクが眉を寄せる。
言葉を噛みしめるような口調だった。
「昨日もそう。畑の番をしていた村人が、“誰かに睨まれていた”って……。顔色を真っ青にして震えていたの」
ライアンは腕を組み、無意識に辺りへ視線を巡らせる。
木々の間や寺の影に、何者かが潜んでいるような錯覚を覚えたのだ。
「夜になると……村のあちこちに、妙な影が現れているって噂もある」
ユリウスも低く頷いた。
「実際に目撃した者が複数いる。だが誰一人、その正体を掴めていない」
「感情を蝕まれるって……こういうことなのかな」
エリナの声はかすかに震えていた。疑念と恐怖が絡み合い、彼女自身を締め付けている。
人々の視線は妙に冷たく、隣人への信頼がひとつずつ剝がれ落ちていく。
些細な言い争い、原因の見えぬ疑心、突如として響く泣き声――。
その全てが、村を覆う“何か”の兆しであるかのようだった。
「芳坊の寺に避難してきた人も、日に日に減ってきてる……戻った村人たちの目は、どこかおかしい」
リセルは焚き火に木をくべながら、火の揺らめきを睨んで言った。
「まるで……誰かに操られているみたいだった」
「“嫉妬の魔人”の仕業か、それとも……」
ユリウスは言葉を濁した。だがその表情には、明確な緊張が走っていた。
* * *
その夜――。
寺の裏手、火山の地熱が昇る石畳の路地に、黒い影がいくつも姿を現した。
焔の明かりが届かぬ闇の中で、彼らは音もなく集う。
「……準備は整っている」
低い声が響く。
くらしょうが水遁の印を組み、霧を走らせる。
湿り気を帯びた空気がじわじわと路地を満たし、視界を濁らせていく。
「我らは“歪み”を広げる。内から壊せ。外にはまだ出るな――あの男の合図があるまでは」
momonosukeが無言で頷く。
異国の剣を背負い、口数少なく影へと溶けていく。
その後ろで、地雷嫌が手を合わせ、口寄せの式札を地面に貼っていく。
貼られた符の一つ一つが、不気味に青白く発光した。
「……すべては、“あの方”の導きのままに」
くらしょうがぽつりと呟き、その場の空気がぴたりと凍りついた。
タケダはやや離れた位置で、岩の上に静かに立っていた。
その手に握られた愛刀は一度も鞘から抜かれていない。
だが、その鋭い眼光は、戦いの始まりをただ静かに見据えていた。
「……油断するな。全ては計画通りに進める」
タケダの低く、重みのある一言が、闇の中に響いた。
* * *
翌朝、寺の本堂。
「村の北側で、深夜に焚き火の跡があったそうです」
エリナは渡された報告を広げ、皆に示した。
「しかも、そこにあった足跡が……村の者のものじゃなかった」
「どこか外部から入り込んでるのか……?」
リクが呟く。
「いや。それだけじゃない」
ユリウスは床に地図を広げ、点在する異常な現象の位置を示した。
「この配置を見ろ……まるで“何か”を囲い込むような……結界のようにすら見える」
「結界……?」
ライアンが思わず声を荒げた。
「まさか、封印でも解こうってのか……?」
ユリウスは黙したまま肯定も否定もしない。
だが、その沈黙が何よりも雄弁だった。
「それが“嫉妬の魔人”なら、尚のこと止めなきゃならない」
エリナは寺の奥を見やった。
「でも、芳坊さん……私たちに何か隠しているんじゃないかしら」
だが、その場にいるはずの芳坊の姿はなかった。
ここ数日、寺の奥に籠もることが多く、ほとんど顔を出していない――その事実が、かえって不気味さを増していた。
一同は息を呑んだ。
結界のように広がる異常現象の“点”が、まるで村全体を内側から蝕んでいるように見えたのだ。
これは単なる偶然ではない。
誰かが、意図的に村を――破滅へと導こうとしている。
物語は、ゆっくりと “真実の輪郭” へと迫りつつあった。
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